2008 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第147回:“无所作为”的系列构成(软盘遗存与第5话尼比道馆小刚之缘)
第147回 “无所作为”的系列构成与第5话秘辛
先日、古くなって今は使っていないパソコンに入っているデータを整理していたら、初期の『ポケモン』のシリーズ構成案が出てきた。記憶では、『ポケモン』での僕は、それまでシリーズ構成してきた作品で僕がやってきたような事はなにひとつやっていない……つまり、いてもいなくてもいいような存在だったような気がしていた。
前些日子,我在整理一台早已落满尘埃、不再使用的旧电脑数据时,竟意外翻出了当年初创期《宝可梦》的极早版本系列构成大纲案。在我的记忆深处,自己在《宝可梦》里所做的事情,与以往由我全权主导的那些作品相比简直微不足道……甚至可以说,我常常觉得自己在这个项目里简直就像是个可有可无、形同虚设的透明人。
出てきたデータは極めて簡単なメモのようなもので「○話で、××と出会うエピソードを入れる」程度しか書いていない。例えば、5話については、「サトシが、ニビシティのポケモンジムに行き、タケシと出会い、タケシはサトシとともに旅をする事になる。出会うポケモンは××」そのくらいしか書いていない。これが、シリーズ構成案と呼べるかどうか極めて疑問だが、脚本家の方たちは、そんな簡単なものから、それぞれの話数のプロットを作り、監督やプロデューサーと打ち合わせて決定稿にしていったのだ。
软盘里沉睡的文件,简陋得就像是一页随手记下的便签备忘录,通篇不过是“第几话安排主角邂逅某某角色”这种极度概括的字句。比如关于第5话,上面仅仅写着:“小智前往尼比市宝可梦道馆,邂逅馆主小刚;战后小刚决定与小智结伴踏上旅途;途中邂逅的宝可梦为某某”。
说老实话,这种寥寥数语究竟算不算合格的企划大纲,我至今都要打个巨大的问号;然而当年参与执笔的优秀编剧们,却正是凭借着这几行充满留白的大纲,各自生发出精彩绝伦的故事大纲,与汤山监督及制片组反复研磨,最终化为荧幕上的经典!
第5话卖石老人致敬《无能的人》:致敬不应沦为自嗨
ところで、第5話は、ムノーという名の石集めが趣味の老人が登場する回として、印象に残っている。この老人の名は、つげ義春氏原作で竹中直人氏が初監督して評価も高かった映画「無能の人」をもじったものだが、これは僕が考えたものではなく、脚本家の武上純希氏のアイディアである。
谈及第5话(小刚登场回),荧幕上那位在道馆外以兜售河滩卵石为生、化名“武能(ムノー)”的神秘邋遢老人,想必给不少老观众留下了极深的印象。这个名字以及卖石头的荒诞行径,实际上化用自文学大师柘植义春原作、竹中直人首度执导便广受好评的电影《无能的人》(無能の人)(※1)。但这绝非出自我的手笔,而是执笔该集剧本的武上纯希先生灵光乍现的神来之笔!
僕がシリーズ構成した作品にこの種のパロディのようなものがあると、僕がそのアイディアを出したように言われる事がよくあるが、僕は、他の人の書いた原稿を直していない。分かる人だけに分かってもらう楽屋落ちはあってもいいとは思うが、それだけが狙いでは困る。元ネタを知らない子供にとっても、そのシーンや台詞が純粋に楽しめ、作品自体にとって必要なものでなければ意味がない。武上さんの脚本は、まさにその黄金律を見事に満たしていた。つづく。
往往只要我统领的作品里冒出这种深奥荒诞的文学戏仿,外界总是想当然地认定是我首藤刚志夹带的私货;但我必须澄清,我其实并不会去修改其他编剧写的稿子。我向来认为,影视作品里偶尔塞一点只有特定受众能会心一笑的“幕后彩蛋”固然无伤大雅,但绝不能沦为孤芳自赏的圈内自嗨——对于完全不了解原典出处的万千孩童观众而言,这些场景或台词本身必须能带来纯粹的乐趣,且对作品本身是不可或缺的,否则便毫无意义。武上纯希先生当年在这集的把握上,堪称将这种分寸感发挥到了登峰造极的化境。且听下回分解!
Index 本篇提到
- 地点
- 尼比市
- 为这篇提供背景首藤刚志动画创作手记 第144回:宝可梦的“系列构成”之职(剧本团队搭建与无为而治)第144回讲系列构成无为而治,本篇自称仿佛不存在的总编剧
- 为这篇提供背景首藤刚志动画创作手记 第146回:我能为『宝可梦』做些什么?(从台上发言到赋能后辈编剧)第146回讲总编剧敲定大纲后放手,本篇讲大纲仅寥寥数语