2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第199回:《洛奇亚爆诞》登场人物各自鲜明的个性(配角全员皆自我中心、小建的无个性惨败与小智母亲的极端母性)
第199回 《洛奇亚爆诞》登场人物各自鲜明的个性
『ルギア爆誕』でロケット団トリオを他から浮き上がらずに目立たせるためには、他の登場人物それぞれも個性が立っていなければならない。
在《洛奇亚爆诞》中,要想让火箭队三人组在不与整部作品脱节突兀的前提下大放异彩,就必须让全片登场的每一个其他人物也都立起极其鲜明的个性。
様々な登場人物が、ひとつの限られた時間や出来事に対して、それぞれ勝手な思惑で動きまわり、結果、ひとつのテーマが浮かび上がってくる作品を群像劇などと呼ぶ時もある。以前も書いたが、ロバート・アルトマン監督という映画監督は、その種の映画を作るのがうまく、僕の気に入っている作品が多い。
在有限的时间与特定事件中,各色登场人物怀揣着各自任性的心思四处奔走碰撞,最终在全景中浮现出一个深层宏大主题——这种作品形态有时被称为“群像剧”。我以前也曾提过,好莱坞大导演罗伯特·奥特曼(Robert Altman)极擅长驾驭这种类型,他的许多经典之作都是我的心头所好。
僕は、いろいろな個性の人間がそれぞれに動きまわる群像劇が好きである。
我打心底里钟爱那种由形形色色、个性迥异的生灵各自奔走的群像剧。
出来事を1人の視点からでなく、俯瞰で描くことができるからだ。
因为唯有如此,整个事件才不会被局限在某一个人的狭隘视点里,而是能够站在苍穹之巅,以全知宏观的俯瞰视角去细细描摹。
ただし、作品中、さして登場時間が多くない各々が、その時間内でそれぞれの持つ個性を表現してみせるのは結構難しい。
然而,要在有限的片长内,让那些出场时间并不充裕的角色在其仅有的几分钟露面中彻底展现出各自的独特个性,绝非易事。
各々の持つ、作品には描かれていない生い立ちを考えて、それによって形成された性格が顕著に表れる言動をピックアップしなければならない。
你必须深入推敲他们每个人在银幕画面之外那未经展现的出身阅历与成长轨迹,并敏锐抓取最能暴露出其深层性格特质的言谈举止与临场决断。
一応、主役格のサトシとピカチュウやレギュラーメンバーの登場する『ルギア爆誕』は、厳密にいえば群像劇とは言えないだろうが、ロケット団トリオを目立たせるために、僕はこの映画を群像劇風の作品にしようと思った。
严格说来,有小智、皮卡丘等常驻主角坐镇的《洛奇亚爆诞》并不能算作血统纯正的群像剧;但为了让火箭队三人组真正焕发光彩,我决意把这部剧场版打造成一部“群像剧风格”的力作。
レギュラーメンバーについては、その生い立ちも性格も把握しているつもりだった。
对于那些常驻核心主角,我自认为对他们的出身背景与性格纹理早已烂熟于心。
『ポケモン』の小説(絶版……中古なら手に入ると思う)には、そこをかなり描いたつもりである。
在当年执笔的《精灵宝可梦》官方小说版(如今早已绝版……不过淘二手应该还能买到)中,我确实花了大把心血去深挖他们的过去。
しかし、よく考え直して見ると、TVシリーズでも、そんなにレギュラーの性格がくっきりと表現されているエピソードは少ない気がする。
但若冷静回过头来审视,我总觉得即便在电视长篇动画里,真正把常驻角色的深层个性刻画得入木三分的集数其实并不多。
各エピソードのゲストに気を取られて、それを受けるレギュラーは、よく言えば観る人に分かりやすいステロタイプ、悪く云えばワンパターンな人物像に思えた。
编剧们往往被各集的特邀嘉宾角色牵着鼻子走,而作为承接方的常驻主角们,说好听点是方便观众快速理解的标签化形象,说难听点早已沦为了千篇一律的模板人设。
で、この際だから、主役級のレギュラーたちも群像劇の一員のように、本来持っているはずの性格のある一部分が、際立って見えるようにしようとした。
于是我想借此契机,把主角级的常驻角色们也彻底当作群像剧的一分子来对待,让他们骨子里本应具有的某种极端性格切面被无情放大、格外醒目地凸显出来。
つまり、『ルギア爆誕』では、レギュラーのキャラクターをも、もう一度見直してみたのである。
也就是说,在《洛奇亚爆诞》中,我对常驻主角们的人设进行了重新解构与审视。
レギュラーメンバーは、かなりしっかり僕の頭に入っているから、『ルギア爆誕』での彼らの言動は予想できた。
因为常驻角色的精神内核早已深植于我脑海,所以他们在《洛奇亚爆诞》的极端情境下会做出何种举止言谈,我大致了然于胸。
そして、TVシリーズでは目立たなかった部分を補強して描けばいい。
接下来要做的,就是去狠抓并补强那些在长篇TV动画中常常被刻意弱化或忽略的微妙侧面。
主役のサトシは、あまり悩みもせず、ポケモン大好き少年で、ポケモントレーナーへの道しか頭にない、正義感の強い単純な性格……TVシリーズで描かれるキャラクターでいい。ポケモンが好きなのに、自分のポケモンを対戦相手のポケモンと戦わせ、その勝負に一喜一憂する。
作为第一主角的小智,依然可以保留TV版里的基本基调:没什么烦恼、极度热爱宝可梦、满脑子只有成为宝可梦训练家这一条路、正义感爆棚且心思单纯……然而请看:他口口声声深爱着宝可梦,却毫不犹豫地命令自己的宝可梦与对手拼死战斗,并为胜负得失而喜怒哀乐。
戦わせれば自分のポケモンが傷つくこともあるだろうに、その矛盾には気がつかない。
只要拉上赛场撕扯,自己的宝可梦就必然会遍体鳞伤,但他却对这深不见底的巨大悖论毫无知觉。
しかも、勝負が終われば、相手に恨みも優越感ももたない。
更绝的是,战斗一旦终了,他对败者没有半点优越感,对胜者也毫无怀恨在心。
異性にもあまり興味を示さない、まだ子供である。同年代の女の子カスミから見たらガキである。
他对异性丝毫不感兴趣,完完全全还是个没开窍的孩子。在同龄的女孩子小霞眼中,他不过是个彻头彻尾的毛头野小子罢了。
『ポケモン』というシリーズの主役だから、そのままでいい。
毕竟他是《宝可梦》全系列的大男主,这种粗线条的人设本身无需推翻。
ただ、『ルギア爆誕』では、自分のやっていることが、自分の思っていたよりスケールの大きいことに関わっていると知ってビビる部分を入れてみた。
只是在《洛奇亚爆诞》中,我特意给他设计了一处心理崩溃:当他猛然发现自己所背负的任务与所卷入的风暴远远超出原本打道馆的儿戏规模、直接关乎整颗星球的生死存亡时,他当场被吓得双腿发软、惊恐万状!
一緒に旅をしているカスミという少女がサトシといる理由は、シリーズの第1回目に自転車をサトシに壊され、それを弁償させたいためである。
而同行少女小霞之所以始终赖在小智身边,官方借口是第一集里自行车被小智弄坏了,非要缠着他赔偿不可。
だが、それだけで長々一緒に旅をするのはおかしい。
但光为了区区一辆破自行车就风餐露宿陪他跋涉万水千山,逻辑上根本说不通。
ゲストの女の子フルーラにサトシのことを「あなたのボーイフレンド? 趣味悪いわね」と言われ、売り言葉に買い言葉で「私の行きたい先に、たまたまサトシがいるだけよ」という台詞をくちばしってしまう。
面对剧场版新登场的岛屿少女芙卢拉对小智的调侃——“他是你的男朋友?眼光可真够差的”,小霞在针锋相对的少女好胜心驱使下,脱口甩出了一句名台词:“只是我正好想去的地方,恰巧都有小智在罢了!”
だからといって、サトシのことが取り立てて異性として好きなわけではない。
但千万别误会,这绝不代表她真的把小智当作异性恋慕对象喜欢。
この台詞は、フルーラに対する女の子同士のつっぱりあいの要素が強い。
这句台词纯粹是两个同龄少女之间暗中较劲、不甘示弱的嘴硬互呛。
本当は、サトシのことを単純バカ……デリカシーのない男の子だと思っている。
在小霞内心深处,她始终觉得小智就是个不折不扣的单细胞笨蛋……毫无体贴细腻可言的直男蠢小子。
なんとなく、一緒にいるだけである。だが、「私に行きたい先にたまたまサトシがいる」という表現に、カスミ自身も意識していないサトシに対する感情を込めてみた。
不过是莫名其妙、顺其自然地结伴同行罢了。但我借着那句“我正好想去的地方恰巧有他在”,偷偷注入了一丝连小霞自己都未曾察觉的潜意识依恋。
もう1人のレギュラーだったタケシは、『ルギア爆誕』のエピソードの旅には参加していない。
至于原本不可或缺的另一位常驻元老小刚,在《洛奇亚爆诞》的橘子群岛之旅中并未入队。
女の子を追いかける習性(それなりの理由はある)のあるタケシが参加していたら、もっと物語の展開が複雑になっただろう。
若是那个一见漂亮女性就本能贴上去的小刚(其实背后有其特殊的心酸成因)也在场,故事的走向恐怕会变得更为复杂纷乱。
タケシが消えた原因は、製作サイドの都合であるが、代わりの少年に、タケシを超える個性はない。
小刚被临时换下的真实原因纯属制作方高层的意志;但作为替代登场的新少年(小建),却始终未能展现出超越小刚的鲜明个性。
シリーズ途中に、レギュラーを変えるのは難しい。
在一部长篇系列的中途骤然撤换核心常驻主角,其难度堪比登天。
以前のキャラクター以上の強い個性がなければ、前のレギュラーに勝てない。
如果没有展现出远比前任更为强烈极致的特质,新角色注定无法战胜观众心中的旧爱。
新しいメンバーの少年に、それなりの個性を持たせようとしたが、突然の変更で、強力な個性を見つけだせぬまま、レギュラーの座は、その後タケシに戻ってきた。
我也曾试图赋予这名新少年独特的个性,但由于高层的临时起意,在剧组尚未摸索出其强力人设的迷茫之中,常驻之位不久后便又灰溜溜地还给了小刚。
『ルギア爆誕』では、登場人物に強烈な個性を持たせようとしたから、この代役の少年をかえって無個性にすることで個性的なキャラにしたかった。が、あまり成功しなかった気がする。
既然《洛奇亚爆诞》旨在让所有人物都爆发极强的自我个性,我当时灵机一动:反其道而行之,通过让他彻底沦为“极致的平庸无个性”,来反衬出另类辨识度!然而事后想来,这招反向操作并没有取得真正的成功。
ただ、現場の目撃者と言う存在だけになってしまった感じである。
他最终在观众眼里,沦为了一个毫无主观波澜的纯粹“现场事件目击者”。
後のレギュラーキャラクターは、かなりオーバースイングにした。
而对于其余登场的配角人物,我干脆把他们的行动与人设彻底推向了极其夸张的极端过载(Over-swing)!
ポケモン研究家のオーキド博士は、現地の調査に向かうものの、地球存亡の危機にあわてる様子もなく、平然と事態の説明をしている。
身为权威宝可梦学者的真新镇大木博士,虽说火速乘直升机亲赴现场调查,但在地球行将崩坏的末日危机面前,他不仅没有半点慌张失措,反而面色平然、条理清晰地向世人解构着事态原理。
そんなに落ち着いていられる状態なのだろうか?
局势都到了那个地步,一个凡人真能保持如此匪夷所思的镇定自若吗?
オーキド博士は、ポケモンというものの説明をする役割である。
因为大木博士在这部戏里的本质功能,就是充当“宝可梦现象与天地异象的绝对解说者”。
だから、自分の役目に忠実な人なのである。
所以从骨子里看,他是一个对自己职责极端忠诚苛刻、毫不动摇的冷峻学者。
つまり、どんなことが起ころうと、自分の役目を果たす生真面目な、言い方を変えれば自分本位な人なのである。
换句话说,不论天地如何崩摧裂解,他只专注于履行自身的学者使命——换个刻薄一点的说法,他本质上也是个彻头彻尾的“自我中心主义者”!
そのヘリコプターには、ちゃっかりサトシのママが乗っている。
而在那架国家级的科研调查直升机上,小智的母亲花子居然大模大样地混在其中。
サトシのママにとって何よりも心配なのは、女手1人で育てた息子の安否である。
对于小智的妈妈而言,全天下天大的事情也比不过她一手拉扯大的独生子的安危。
サトシの希望どおり自由に旅をさせているが、いざとなれば心配でしかたがない。じっとしていられない。
平日里虽然尊重儿子的愿望放任他自由漂泊,可一旦风吹草动,深植骨髓的母亲天性便让她焦灼欲狂、片刻也坐立难安。
だから、調査隊のヘリコプターに乗っていても、彼女としては当然のことである。
因此,哪怕是违规挤上科研考察队的直升机,在她自己看来也是天经地义、理所应当。
本当なら、異変の調査に関係ないママが、調査隊に混じっていること自体が変なのだが……。
按常理来说,一个毫无气候生物专业背景的家庭主妇混进顶尖危机调查组,场面何其荒唐诡异……
「息子が、異変の中心になっている場所にいるらしいから……」
“因为我听说了,我儿子好像就在那场天崩地裂异象的正中心……”
の一言で存在理由を片づけてしまう。
仅仅凭借这么轻描淡写的一句话,她就蛮横地确立了自己登机的全部正当性!
サトシのママは、異変に対する専門的知識は何も持っていない。
小智的妈妈对平息全球危机没有半点科学知识储备。
異変調査隊に、そんなママが混じっていては邪魔になるだけである。
在分秒必争的灾难调查队里,带上这么一位普通母亲,客观上只会成为累赘与阻碍。
それでも、平然として(気持ちはサトシへの心配でいっぱいだろうが)、調査隊のヘリコプターに乗っている。
然而她却面色坦然(尽管胸膛中翻江倒海的全是对小智的担忧),稳稳当当地坐定在考察队的机舱之中。
日本の観客は違和感を感じないだろうが、このママは、ずいぶん自分本位な行動をとっている。
日本本土的观众看惯了母性神话或许不以为意,但若剥开来看,这位母亲的行为其实自私任性到了极点!
外国で航空機が墜落して日本人が亡くなった時など、遺族の方々が現地に航空会社のチャーター便で駆けつけることがあるが、外国人から見ると気持ちはなんとなく分かるものの奇妙に見える場合が多いそうだ。
就像日本国民在海外遭遇空难坠机身亡时,家属们往往会搭乘航空公司包机风尘仆仆赶赴异国荒原现场;在西方人眼中,虽说能体谅其悲痛,但这种举动往往被视作极其难以理喻的非理性奇观。
遺族が現地に行ったところで、亡くなった方が生き返るわけではない。
家属就算亲临万里之外的事故残骸,逝者也绝不可能死而复生。
亡くなった方を悼むのは、わざわざ現地に行かなくてもできる。
追悼逝去至亲的灵魂,即便留在家中设灵祈祷也完全能做到。
現地に出かける時間を作り、仕事を休み、そしてチャーターされた飛行機が万が一墜落でもしたら、目も当てられないではないか。そんな手間をかけるより、チャーター便の費用を慰謝料としてもらった方が合理的ではないか。亡くなった方も、その方が喜ぶのではないか。
强行挤出时间放下工作、冒着包机再度失事的潜在风险飞赴现场,若是出了意外岂非惨绝人寰?与其耗费如此巨资折腾,何不把包机费折算成抚恤金拿到手里更为合乎理性?泉下有知的逝者说不定反倒更觉欣慰吧?
世の中にはそういう考え方もあるのである。
这世界上确实存在着这般冷酷而严密的功利理性思维。
だから、異変解決に何の役にも立ちそうにない、この作品におけるママのでしゃばった行動は、変に見えるだろう。
因此,在这部戏里,对化解全球天灾没有丝毫用处的小智妈妈那越俎代庖的越界举止,在旁观者眼里无疑是极其古怪乃至突兀的。
変でもいいのである。
但古怪又何妨?!
それが、この作品のサトシのママの、ママらしい自分本位の姿なのである。
因为这恰恰构成了本作中小智母亲独一无二、充满极端母性的“自我中心主义真实面貌”!
で、作品の中で、登場人物が自分本位の姿を見せるということは、自分の存在のアピール……つまり目立ちたがるということでもある。
在一部影视作品里,角色展现出自我中心的姿态,本质上就是在向世界高调宣示自己的存在——换言之,就是拼死想要让自己脱颖而出、光芒夺目!
役柄的に地味に目立たなくても、地味で目立たない事をアピールして、結局は観客の印象に残るという高等技術もある。
哪怕角色设定看似朴实无华,但若是能把“老实平庸”这四个字演绎到极致,最终也能在观众脑海中烙下难以磨灭的震撼烙印,这也是一种极高级的剧作技巧。
地味に目立たなくても、その作品の中で自分本位な姿を見せれば、自然と目立った存在になるのである。
不管外表多么不起眼,只要他在剧情漩涡中坚定不移地暴露出其自私顽固的本我追求,他就自然而然地化为了不可忽视的醒目焦点。
群衆劇とは、そんな目立ちたがりのそれぞれが、集団で寄ってたかって織りなしできあがる作品と言っていいと思う。
所谓的群像剧,归根结底就是由这样一群各怀鬼胎、争先恐后宣示自我的“求目者”们群聚撕扯、交织撞击而诞生的奇迹作品!
この作品のゲストでは、敵役ともいえるコレクターのジラルダンなど、自分本位の目立ちたがり屋の典型である。
在这部电影的新角色里,充当全剧反派的收藏家吉拉尔丹,就是这种自我中心特质的绝顶化身!
彼は地球の征服も滅亡も彼の目的にしてはいない。
征服世界或者毁灭地球,根本就不是他的既定目标。
彼は珍しいものをコレクションしたい自分本位の欲望のかたまりなのである。
他纯粹就是一团疯狂渴望攫取稀世孤品、被无尽收集癖彻底吞噬的自私欲望化身!
彼の空中宮殿(博物館)には武器のように見えるものがあるが、それは相手を攻撃するためのものではない。
他在空中飞行动力宫殿(空中博物馆)中布设的看似坚船利炮的装置,本质上根本不是用来向对手开火歼灭的武器。
あくまで、コレクションにしたいものを捕獲する道具である。
那从头到尾都不过是用来完好无损地活捉心仪收藏品的专业捕获道具罢了。
彼の価値観は優れたコレクターとしての自分の存在にある。
他毕生的全部自我价值,仅仅维系于“身为旷世收藏家的大师地位”之上。
だから、自分の空中宮殿(博物館)が壊れても、悔しそうなそぶりは見せない。全然めげた様子はない。
正因如此,哪怕他耗费毕生心血筑起的空中博物馆化作燃烧的残骸轰然坠地,他的脸上也未曾流露出半点痛心疾首的懊丧,浑无一丝颓丧气馁之色!
コレクションを集めたいという自分本位の欲望は、壊されたわけではない。
因为他胸膛中那股想要将珍宝据为己有的狂热自私欲望,并没有随同飞船一同被粉碎。
博物館が壊されたがゆえに、さらにコレクターとしての欲望が膨らみ、燃え上がる。
旧博物馆的轰然破灭,反而如烈火烹油般激发起他身为终极猎人更为庞大狂暴的收缴欲望!
一度手に入れたコレクションには、逃がしたとしても、もう興味が薄れている。
对于那些曾经到手过的藏品(三神鸟与洛奇亚),即便中途脱逃,在他眼里也已经失去了最初的致命新鲜感。
ジラルダンは自分の登場する最後のシーンに幻のポケモン、ミューのカードを見て微笑みすら漏らす。
在吉拉尔丹落幕的最后一个特写镜头里,他凝视着废墟中仅存的那张幻之宝可梦“古代梦幻”卡牌,嘴角甚至泛起了一抹释怀而玩味的冷笑。
おそらく彼は、次のポケモンのコレクションの対象をミューにしたのだろう。
那一刻,他恐怕早已在心中将下一个捕获锁定的猎物目标换成了梦幻。
地球が壊れようと宇宙が消えようと、彼の自分本位な欲望には関係がないのである。
哪怕脚下的地球彻底崩裂、苍穹中的宇宙走向湮灭,在他的终极自我欲望世界里,全都不值一提!
僕は、役は小さくとも、こんな自己本位な部分を見せる登場キャラクターで、この作品をうめつくそうとした。
我当时就是打定主意:哪怕戏份微不足道,我也要让整部电影被这种毫不掩饰展现自我中心意志的鲜活生灵彻底塞满!
作品にはほんのちょっとしか顔を見せない島の長老は、過疎化した僻地を観光地にすべく、伝説を利用したお祭りで客を呼び込もうとしている。
在片中仅仅露了几次脸的亚细亚岛长老,为了拯救日益空心化与人口凋零的偏僻孤岛,绞尽脑汁借用古老神话祭典的大旗,疯狂招揽大陆游客前来消费振兴经济。
だから妙に他の土地から来たサトシたちに愛想がいい。
所以他对从外地误打误撞登岛的小智一行人,态度格外殷勤谄媚、大献殷勤。
伝説などまるで興味のないフルーラにとって、伝説の笛を吹く巫女は「しかたないなあ」とアルバイト気分である。
而对古代神话压根毫无敬畏之心的芙卢拉,吹响传说之笛的巫女身份在她眼里充其量就是个“真拿你们没办法啊”的被迫兼职打工!
でも、同年代のカスミと出会うと、ちょっとしたライバル意識で、サトシをネタにカスミを刺激し、巫女としての仕事を格好よく見せようとする。巫女としては新米である。
可一旦撞见同龄的小霞,骨子里的好胜心便瞬间被点燃,故意拿小智做幌子去挑衅刺激小霞,借此在情敌面前极力把巫女这一破差事打扮得风情万种、潇洒拉风。从职业巫女的庄严角度来看,她不过是个半吊子新手。
個性的な人物として描くのに困ったのは、島の女船長とその友達(フルーラの姉で前年まで巫女をしていた)である。
然而在塑造这群个性人物的过程中,真正让我绞尽脑汁、陷入巨大创作瓶颈的,是岛上的那位年轻女船长,以及她的密友(也就是芙卢拉的姐姐、上一任巫女)。
年ごろの女性である。
她们正是芳华正茂的妙龄女子。
過疎な島といっても、おそらく衛星中継などで、都会の生活を知っている。都会へのあこがれもあるだろう。
虽说身处与世隔绝的荒凉离岛,但通过卫星电视与网络,她们早已熟知大都会的繁华锦绣,心中难免涌动着对摩登都市的无限憧憬。
この女性達が、僕には理解不能だった。
说实话,这群女性的内心世界,当年的我完全无法理解。
自分で設定した人物なのに、その人物を個性的に描くとなると、さして人物像を知らないことに気がついた。
明明是我亲手写下的设定,但真要赋予她们有血有肉的鲜明个性时,我才震惊地发现:自己对这类真实女性的心态与生活几乎一无所知!
僕の作品の主要人物には、かなりデフォルメしてはいるが、現実のモデルがいる。
在我笔下的所有核心人物身上,哪怕经过了极度的夸张变形,在三次元现实中无一例外都有真实的原型人物可循。
しかし、僕のレパートリーのモデルに、女の船長と巫女を仕事にしている人はいない。
但在我的人生交际人脉储备库里,根本没有哪怕一个当过船舶船长或者全职巫女的女性原型!
で、小田原漁港で聞いて回ったが、どんな小さな漁船にも船長に女性はいなかった。
为此,我特地跑到当时居所附近的早川小田原渔港四处打听,结果无论多么微小的近海渔船,竟无一艘是由女性执掌舵柄当船长的!
「女性に船の命を預ける船長は無理だ」というのが漁民の方の意見だった。
“要把全船老小的性命托付给女船长,那是绝对办不到的。”——这是当地老渔民们给出的斩钉截铁的回答。
女性は、いざという時に理性より感性で物事を決断してしまうから危ない、という意見が多かった。
老渔民们普遍认为:一旦遭遇狂风暴雨的生死绝境,女性往往更容易依赖情绪感性而非冷彻理性去做出临场决断,这在大海上是极其凶险致命的。
そういえば、女性の旅客機のパイロットや電車の運転手もあまり聞いたことがない。
仔细想来,在那个年代,女性执飞的大型客机机长或电车列车长确实也鲜有耳闻。
大型トラックや少数の人を乗せるタクシーのドライバーになら、女性は何人でもいるのだが……。
虽说长途重卡司机或载着几名乘客的出租车女司机倒是屡见不鲜……
作品の出番は少ないのに、登場人物を個性的に見せるため、どうしても、彼女たちのキャラクターをしっかりつくっておかなければならなかった。
尽管在正片里她们出镜的时间屈指可数,但为了落实让全员个性鲜活的铁律,我无论如何也必须把她们的灵魂地基扎得坚不可摧。
くりかえすが、これ、ロケット団トリオを、作品から浮き上がらせずに目立たせるためである。
我再次强调:费这么大的周章,纯粹是为了让火箭队三人组在电影里既鹤立鸡群、又丝毫不显得悬浮脱节!
脚本を作るためには、脇の役のキャラクターをしっかりつかんでいくことは、大切なことである。
在剧本创作这一行里,牢牢吃透并捏准每一个边缘配角的精神骨骼,乃是最不可动摇的基本功。
まあ、たまには、おおざっぱの方がいい時もあるが……。
好吧……虽说偶尔粗枝大叶放飞一下也不算什么坏事就是了……
『ルギア爆誕』でのロケット団トリオについての話は、この回で終わりにしようと思っていたのだが、ロケット団を語るために他の登場人物のことも書かなければならなくなった。もうしばらく我慢してほしい。
我原本打定主意想在这一讲里把《洛奇亚爆诞》中的火箭队三人组一口气讲完,然而为了把火箭队的处境剖析透彻,我不得不先把满盘配角的幕后血泪交代清楚。还请各位读者再稍微耐着性子容忍我几回吧。