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2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」

[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第200回:终于迎来了第200回(生死边缘的执念、只写非我不可之物与巫女原型的妻子之谜)

首藤刚志 × 首藤之妻 × 芙卢拉 × 洛奇亚 × 罗伯特·奥特曼

WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」 2009.11.04 约 10 分钟 原文 ↗

第200回 终于迎来了第200回

このコラム、最初は1年ほどの連載で終えるつもりでいた。

这个专栏连载,最初我原本只打算写满一年左右便就此搁笔收官。

それが、皆さんのご好意に甘える形で長々と続き、途中、病気などで、お休みをいただいたものの後1回でいよいよ200回という時に、3週も休載し申し訳ない。

未曾想,在承蒙广大读者与编辑部诸位厚爱关照之下,竟然一路绵延拉长。虽然中途数度因重病抱恙而不得不告假停笔,但在眼看只差一步就要迈进整整第200重大关的节骨眼上,我却一连休载了整整三周,实在是对不住大家。

読んでいただいている方、アニメスタイルのスタッフの方に心からお詫びする。

谨在此向每一位不离不弃的读者朋友,以及WEB Anime Style编辑部的工作人员们,致以最由衷的歉意。

休載の理由は体調不良と言えないこともない――事実、行きつけの大学病院から何度か入院を勧められた――けれどその病院、渋谷の仕事場からタクシーで10分の距離にあり、不規則で無理な運動をしなければ通院でも治療は可能。基本の治療は点滴ぐらい。医者も無理に入院を強要しなかった。むしろ、入院していると仕事の資料調べやパソコンの利用に支障をきたすリスクが大きいと僕は自己判断し、今回は入院を辞退した。

休载的原因,固然可以说成是身体不适——事实上,常去的那家大学附属医院的主治医生确实数次郑重劝我立即住院;但那家医院距离我位于涩谷的工作室打车只需十分钟,只要不搞颠倒黑白的剧烈消耗,通过门诊通勤治疗完全可行。基本的治疗无非也就是挂点滴。医生见我坚持,便也没有强行扣留我住院。反倒是我自己权衡再三:一旦被关进病房,不论是查阅工作文献还是操作电脑都会受到极大限制,风险过高,于是我索性谢绝了住院安排。

物書きの仕事は机の前でじっとしているように思われるかもしれないが、実は外出し色々な人と出会い取材することが――取材というより様々な人と付き合い、僕なりに相手の個性を理解することが大事だと思っている。

世人或许总以为舞文弄墨的文字工作者就是成天枯坐在书桌前足不出户,但我却始终坚信:走出房门与形形色色的人相遇并进行实地采风——与其说是公式化的取材,不如说是去结交各色生灵,并以我独有的感性去吃透对方鲜活的个性,这才是剧作创作不可动摇的核心支柱。

理解というと硬い感じだが、それは、僕の感性で相手の気持ちが分かる気になるということだ。

说“理解”未免显得有些严肃刻板,准确地说,那是凭借我敏锐的情感触角,能够真正感同身受地体察到对方胸膛中的喜怒哀乐与所思所想。

もちろん、これは僕の独断と偏見にすぎないだろうが……。

当然,这多半也不过是我个人的独断与偏见罢了……

長年の習慣で、仕事をする時は、体の限界を感じるまで、何も喉に通らない。

出于数十年来积习难改的旧毛病,一旦全力进入创作状态,在肉体撞上彻底崩溃的极限警报之前,我往往连半粒米、一口水都难以下咽。

で、結局、生活が不規則になり、体が消耗し、病院に行くことすら億劫になって、ま、それならそれでいいや、という気になり、今回は、結構、危ないところまでいったようだ。

其结果,就是作息彻底紊乱崩盘,身体被榨得油尽灯枯,甚至连挪动脚步去医院门诊都觉得是一种天大的拖累。心想“真要是倒下了那也就这样吧”,自暴自弃之下,这一回据说当真是险些一脚踩进了阎王殿的鬼门关。

年齢のせいか、昔のような無理が利かなくなってきているようなのだ。

不知是否因岁月催人老,年轻时那种拿命硬扛的蛮干,如今看来是真的再也吃不消了。

この業界、若くして亡くなる方が多い。

在我们这个动漫影视行当里,英年早逝的同仁实在是不胜枚举。

僕も、例外ではないかもしれない。

或许,我首藤刚志也难逃这宿命的藩篱。

しかし、この歳になっても、自分がやろうとしているものは、ほとんど書いていないのが現状だ。

然而,即便虚长到了这把岁数,我扪心自问:自己毕生真正梦寐以求想要写出的旷世之作,现状却是几乎还一字未动。

他の方が書けるもの、他の方のほうが僕より向いているものは、その方たちに書いていただくのが僕の今までのスタンス。

别人能写得出来的题材,或者由别人执笔比我更出彩的案子,尽情放手交给他们去写便是——这一直是我毕生奉行的创作准则。

僕自身の思い込みに過ぎないのですが、僕でなければ書けないものだけを書こうと思って今までやってきた。

虽然这极可能只是我一厢情愿的狂妄执念,但这么多年摸爬滚打下来,我始终抱定一条死理:我这辈子,只写唯有我首藤刚志才能写出来的绝品!

もっとも、1回だけだが、書こうと思ってスタッフの了解を得たつもりのシリーズのテーマが、主にスタッフの責任というより制作会社のプロデューサーの杜撰さでめちゃめちゃにされたことがあり、あまりに頭にきて、そのいきさつをこのコラムに書いたこともある。ちなみに、その制作会社は、コラムを書いた僕に「商売妨害になることを書くな」と文句をつけてきた唯一の会社だった。……まあ、これは余談。

当然,唯独有那么一次,我满腔热血拟定好、原以为早已获得制作组共识的长篇系列核心主题,却因制作公司制片人近乎玩忽职守的粗制滥造而被毁得稀烂。当年我怒不可遏,甚至直接在这个专栏里将那一桩幕后丑态原原本本公之于众。顺带一提,那家制作公司也是迄今为止唯一一家跑来对我破口大骂、质问我“别写这种妨害老子做生意的爆料”的公司……哎,这且权当茶余饭后的闲话吧。

ともかく、書けるものは生きているうちにできるだけ書いておこうと、いささか焦っている。

总而言之,只要这条残命尚在人间,能写下的东西就务必趁活着尽可能留存下来——我心中确实隐隐涌动着一股时不我待的焦灼。

で、今になって思うのだが、どうやら、僕の脚本の作り方は一般的ではなさそうだ。

而到了今天我才越发深刻地意识到:我这套敲打剧本的门道,在业界看来恐怕无论如何也算不上正统通用的主流套路。

連載開始から4年もたって、アニメ脚本に興味のある方たちの参考になっているのだろうか?

不知不觉这个专栏连载已经走过了整整四个春秋,对于那些立志于动漫编剧的有志之士而言,我写的这些疯言疯语真的起到了参考借鉴的价值吗?

一般的に商売になる脚本の作り方ではないことを、僕自身も少しだけ自覚している。

我也多少心知肚明:自己这一套骨法,绝不是市面上那种能够被工业化批量复制、轻松换取商业铜臭的标准流水线作法。

「誰でもなれる脚本家」という題名に偽りはなかったのか?

当初大言不惭打出的“谁都能成为的编剧”这个标题,到头来究竟是不是在欺骗世人?

大袈裟に言うと、それを考えると眠れなくなり体力と気力が衰え、それでも「なるようになるしかないだばさ」と思いつつ、ぐったりしたのが、今回の休載の理由のひとつのような気もしている。

说得夸张点,一想到这里我便辗转反侧、夜不能寐,心力和体力随之急剧衰退;一边在心里嘀咕着“横竖只能听天由命了罢”,一边瘫软如泥动弹不得——细想起来,这或许也是导致我这三周彻底瘫痪停更的一大心魔吧。

しかし、4年も続けたコラムを中途半端に休載し続けるのは、さすがに「ええだば」男の僕としても人間性が疑われてしまう。

不过,若是把坚持了四年的专栏就这么半途而废长期停摆,即便是我这个向来凡事“横竖随便啦”的邋遢糙汉,恐怕连作为人的基本品格都要遭世人质疑了。

いちおう、僕も人間のはしくれのつもりだから……。

不管怎么说,我好歹也算自诩为人世间微不足道的一份子啊……

僕の本意ではないのだけれど、僕の脚本歴で一番一般に知られているアニメは『ポケモン』のようだ。

尽管这并非我的本心所愿,但在世俗大众的认知当中,我首藤刚志毕生编剧履历里最如雷贯耳的作品,终究还是《精灵宝可梦》。

僕個人としては他の作品のほうが僕らしさのあるアニメがあると思うのだが、だからといって、『ポケモン』も好きな作品であることには変わりない。

就我个人而言,明明有许多其他动画更能淋漓尽致地代表我首藤刚志的灵魂本色;但即便如此,《宝可梦》对我而言也依然是一部深沉热爱的作品,这一点毋庸置疑。

けれど、僕の書いた脚本でおそらく一番苦労したのは、映画『ポケモン』2作目『ルギア爆誕』だった記憶はある。

然而,要论及我这一辈子执笔过的所有剧本里最让我受尽折磨、扒皮抽筋的作品,恐怕记忆里首当其冲的当属剧场版第二作《洛奇亚爆诞》。

登場人物が自分なりの勝手なことを行動して、それが「共存」につながる。

登场的人物每一个都在毫无顾忌地践行自身任性的欲望,而这种碰撞最终却奇迹般地引向了“共存”的命题。

それぞれ、「地球の危機が迫ってくる」などとあわてているような台詞を言うのだけれど、自己中心に考えている彼らは、実は心底では「地球の危機」などピンと来ていないのだ。

角色们嘴上虽然一个个都在慌乱尖叫着“地球的灭顶之灾迫在眉睫”,但满脑子只有自我利益的他们,内心最深处其实对所谓的“地球危机”压根就没有半点切肤实感!

なにしろ、自分の世界は自分を中心に動いているのだから……。

因为在他们的宇宙里,唯有以“自我”为轴心,整个世界才得以运转……

そして、僕も、自分なりに分かる登場人物しか書けないタイプだ。

与此同时,我也是个天生只能写出自己能够深层感同身受的角色的死硬派编剧。

実は、僕は僕が分からない人物を『ルギア爆誕』に出してしまった。

可残酷的是,在《洛奇亚爆诞》里,我竟然硬生生塞进了一个连我自己都全然无法理解的诡异角色。

新米の巫女のフルーラのお姉さんである。

那就是那位身为半吊子巫女芙卢拉的亲姐姐!

現代っ子フルーラは巫女の仕事をアルバイトのように割り切った面がある。

作为新新人类的现代少女芙卢拉,能够把巫女的繁文缛节仅仅当作一份赚零花钱的兼职打工来冷酷对待。

しかし、その姉は巫女を仕事として割り切りきれてはいない。

然而她的姐姐,却始终无法将“巫女”仅仅视作一份普通的职业来干脆割舍。

確かに、彼女は神に仕える巫女である自分を納得してはいない。

固然,她内心深处并不真正认同侍奉神明的巫女身份。

神様という存在を信じ切っているとも思えない。

要说她打心眼里虔诚笃信神明那不可动摇的存在,看着也绝无可能。

彼女は巫女を引退する日を待ち望んでいた。

她时时刻刻都在苦苦盼望着正式告别巫女身份、退居普通人的那一天早日到来。

でも、引退する日までは、巫女を続けている。

然而在卸任的倒计时结束之前,她却一丝不苟地维系着巫女的神职仪轨。

友人には、現実にはめったにいない女性船長がいる。

在她的闺蜜圈子里,甚至还有一位在现实三次元中几乎绝无仅有的飒爽女船长。

おそらく、女性の船長は、時代の最先端だろう。

若放在当今时代,女船长无疑是走在时代最前沿的弄潮儿。

しかも男の船長を凌駕するプロである。

更是一位航海技艺足以将无数老派男船长踩在脚下的顶级职业专家。

時代の最先端の女船長と神に仕える巫女とがなぜ互いを認め合える友人になれるのだろう。

一个是走在时代最先锋的女船长,一个是侍奉古老神明的传统巫女,这两个世界截然相反的女性,究竟凭什么能够建立起互为知己、惺惺相惜的深厚友谊?

僕のキャラクターのレパートリーに巫女という存在はなかった。

在我过往几十年的人生阅历与角色库储备中,根本就没有“巫女”这种生物的一席之地。

巫女って何なんだろう。

所谓“巫女”,究竟是一种怎样的精神存在?

当時僕が住んでいた小田原近辺には多くの神社がある。

当年我居住的相模湾小田原一带,遍布着大大小小历史悠久的古老神社。

巫女をしている女性もかなりいる。

在其中任职巫女的年轻女性着实不在少数。

『ルギア爆誕』の中でこの巫女さんの出番はほとんどない。

在《洛奇亚爆诞》最终成片里,这位姐姐巫女的出镜时间其实近乎忽略不计。

それでも、僕なりの巫女像が必要だった。

但即便如此,我也绝不允许自己胡编乱造,我必须构建出一个立得住的真实巫女灵魂像!

妻には内緒だが、知りうる限りの巫女さんと付き合い、その人生観と神様に対する感性を僕は分かろうと思いった。

虽然这事绝不能让我妻子知道,但我当时确实想方设法去接触并打入我所能触及的巫女群体,拼死想要窥探明白她们的人生观以及对待神明的那份微妙感性。

余計なことだけれど、付き合うと言っても、男女関係ではない。そんなことをしたら罰があたりそう……?

顺便澄清一句废话:所谓“结交打交道”,绝非世俗男女苟且之事。要是在神圣殿堂里搞那一套,怕不是当场就要被天打五雷轰了吧……?

彼女たちは、いつもは普通の女の子だ。

脱下神袍的她们,平日里其实完全就是极其普通平庸的邻家女孩。

そりゃそうである。昔の巫女さんではなく現代の巫女さんなのだから。でも、でも、ときどき変わった感性が顔を見せる。

这是理所当然的,毕竟她们活在当代霓虹而非古老神话。然而,然而!就在某些不经意的瞬间,一种奇异绝伦的神秘感性便会突然从她们的躯壳中探出头来!

理解不能の思考をして、なんとなく神がかった事を言い出すのだ。普通の理屈が通用しない感覚を持っている。

她们会做出常理根本无法解析的玄妙思考,冷不丁吐出一些仿佛神明附体般的高深谶语,展现出凡俗世间因果律根本无法套用的独特感知触须。

僕にはわけのわからない感性である。

那是一种对我这个无神论糙老爷们而言彻头彻尾不可理喻的感性维度。

そして、それを感じた時、ごく身近に意味不明の感覚が顔を見せる女性がいるのに気がついた。

而就在我被这种不可名状的巫女气质震撼得目瞪口呆时,我猛然惊醒:在我的现实日常近旁,不就正好有这么一位随时会爆发出莫名神圣气场的女人吗?!

僕の妻です。彼女は、結婚前には東京の西麻布に住んでいた。東京でも最も現代的な街である。

没错,正是我的发妻!她在与我结婚之前,一直定居在东京都港区西麻布——全东京乃至全日本最摩登前沿、时尚喧嚣的顶级繁华都会!

でも、ときどき、一般常識では考えられない言動をする。

然而,她却经常会在最不合时宜的场合,做出超脱常人基本常识的惊骇举止。

たとえば、知人の家の棟上げ式に招かれた時、いきなり周囲がびっくりするような大きな柏手を打ち、長時間、拝むのだ。

比如受邀参加友人新居的上梁仪式(栋上げ式)时,置身西装革履的人群之中,她竟然会冷不丁击出震彻屋宇的清脆柏手,随后双目紧闭、旁若无人地沉浸在极度漫长的虔诚叩拜之中!

どこから見ても都会人の妻が、ほとんど神がかり状態になるのである。

平日里横看成岭侧成峰都彻头彻尾是个摩登都会女性的我妻子,那一瞬间竟然近乎进入了“神明降灵附体”的狂热境界!

なぜこうなるのか?

为什么会发生这种匪夷所思的奇观?!

実は、妻は、子供のころ故郷の高知の土佐清水にある神社の巫女だったという。

真相大白——原来我的妻子在幼年时代,正是老家高知县土佐清水古老神社里货真价实的在籍小巫女!

『ルギア爆誕』には、ほんのワンシーン登場する人物にも、その人なりの履歴があり、自己が現れるように描こうと思った。

在《洛奇亚爆诞》里,哪怕只露脸一个分镜头的边缘人,我也下定决心必须让他们背负着各自沉甸甸的真实过去,让每一个人的“本我”狠狠迸发出来。

そして、それを俯瞰で見たとき「共存」というテーマが出てくるようにしたかったという話は何度か書いていると思う。

我以前曾数度提到过:唯有从苍穹极高处去全景俯瞰这群各自为政的自私生灵时,“万物共存”的深层主题才会自然而然地浮现在天地之间。

書いた僕自身、「共存」など信じていなかったにもかかわらずだ。

尽管亲手把这行字刻进胶片的我本人,骨子里压根就从来不信什么狗屁“共存”!

こうして、周囲の登場人物を固めたうえで、もっとも活躍させたいロケット団トリオを登場させることにしたのである。

正是以这样近乎自虐的苛刻标准把周遭所有的配角班底统统扎稳筑牢之后,我才终于敢正式请出全片我最想让他们大展宏图的火箭队三人组!

しかし、ロケット団の活躍の仕方は、とても変わっていたと思う。ただ、かっこいいだけではなかったのである。それについては次回に……。

然而,火箭队在片中爆发出彩的战斗身姿与行动逻辑,却是极其怪异离奇的。他们绝不仅仅是表面耍帅扮酷那么肤浅——关于这石破天惊的底层逻辑,且留待下回细细分解……

ただ、作品全体の出来がよかったかどうか自信はまるでなかった。

只是,对于整部电影成片的最终成色与品相究竟算不算优秀,当年的我心中完全没有半点底气。

興行成績は『ミュウツーの逆襲』に届かなかったけれど、それでも、世界でヒットした日本映画では2位だったそうだ。

虽说最终日本本土的票房没能打破前作《超梦的逆袭》的神话纪录;但据后来的全球统计,它依然稳稳夺得了全球大银幕最卖座日本电影的历史亚军宝座!

今思えば、ヒットを義務づけられた『ポケモン』映画にもかかわらず、定番ヒット作品と違い、とても変な作品だったと思う。

如今掩卷沉思:在背负着“只准大卖不准失手”绝对死命令的商业巨制《宝可梦》电影框架下,它却与市面上所有按部就班的爆款模式背道而驰,是一部骨子里极其怪诞另类、离经叛道的异色奇作!

次回で『ルギア爆誕』の話は終えるつもりだ。

下一回,我打算彻底为《洛奇亚爆诞》的血泪回忆画上句号。

いつの間にか10年前のアニメ映画になってしまった。今の中学生が幼稚園の頃の作品だ。彼らは覚えていてくれるだろうか?

不知不觉间,它竟然已经是一部跨越了整整十个年头的旧作了。当年的动画,正是如今这帮初中生还在上幼儿园懵懂时期的产物吧。这帮早已长大的少年少女们,脑海里是否还会记得当年的海之神与那曲古老笛音呢?

重ね重ね3週間の長い休載をお詫びする。

再次为这长达三周的漫长脱稿休载,向大家致以深深的歉意。

「昨日の私」は今回、お休みさせていただく。近くの公園に行って『ルギア爆誕』のことを、思い出していたほか、何もしていなかったから。

本期的常规互动栏目“昨日的我”便容我告假一次吧。因为过去这几天里,除了摇摇晃晃晃荡到附近的街心公园、呆坐在长椅上拼命打捞关于《洛奇亚爆诞》的碎屑记忆之外,我整个人根本什么多余的事情都没能做成。