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2010 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」

[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第212回:“梗概轻而易举就通过了的《结晶塔的帝王》”(自我牺牲之伪、自我满足与弑亲、巴拉德结晶世界与怪优竹中直人)

首藤刚志 × 竹中直人 × 汤山邦彦 × 市村正亲 × J.G.巴拉德 × 小美 × 炎帝 × 小智

WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」 2010.02.17 约 13 分钟 原文 ↗

01

第212回 梗概轻而易举就通过了的《结晶塔的帝王》

『結晶塔の帝王』のプロットは、DVDなどを観ていただけると分かるが、父1人娘1人で暮らしていた家族から、ポケモン研究家の父親が行方不明になり、代わりにアンノーンという不思議なポケモンが発見され娘の元に届けられる。

《结晶塔的帝王》的情节梗概,大家只要看看DVD等影碟就能明白:在一个由单亲父亲与独生女儿相依为命的家庭里,宝可梦学者父亲突然行踪不明;取而代之的,是一种被称为未知图腾(Unown)的不可思议宝可梦被发现并送到了女儿身边。

アンノーンはなんだかわけの分からないポケモン(アルファベットの集合体のようである)だ。

未知图腾到底是个什么宝可梦,谁也说不清(看起来就像是一堆英文字母的集合体)。

だが、このわけの分からないポケモンという部分が、かえって僕にとってはありがたかった。

然而,正因为它是这么一种“莫名其妙”的宝可梦,反而令我由衷感激。

この『結晶塔の帝王』におけるアンノーンを、両親のいなくなったミーという1人の孤独な少女に、彼女だけの理想を実現する夢のパワーを与える存在とすることができたからである。

因为在《结晶塔的帝王》中,我恰好可以将未知图腾塑造成一种力量:赋予失去双亲、名叫“小美(Mii)”的孤独少女以实现唯独属于她一人的理想梦境之神力。

アンノーンの力で父親役である「エンテイ」が現れ、架空の母としてサトシのママを誘拐する。少女が望むことは全て実現されていく。こうして、アンノーンが生み出す夢により不在になった父と母を手に入れ現実を遮断し、閉じられた世界で自分の望む世界で生きようとするミーだったが、ママの救助にやってきたサトシら現実の存在と対決することになり、最終的には架空の父親役「エンテイ」の存在をかけたアンノーンとの戦いで「夢の世界」と決別することができ、アンノーンの力は再封印されることになる。

借由未知图腾的力量,扮演父亲角色的“炎帝(恩泰)”降临人世,甚至绑架了小智的妈妈作为虚构的母亲。少女所期望的一切全都在梦中化为现实。就这样,小美通过未知图腾编织的幻梦重新获得了缺席的父母,阻断了残酷的现实,试图生活在一个封闭而随心所欲的世界中;然而,她不得不与前来解救妈妈的小智一行现实中的人物正面对决。最终,在虚构父亲“炎帝”赌上自身存在的、与未知图腾的决死一战中,小美得以与“梦之世界”告别,而未知图腾的力量也再次被重新封印。

このプロットは「自分の生きている世界は何なのか」という幻の映画第3弾に、娘にとって父親という存在はなんなのか、さらに自分が父親の場合、自分は娘にとって何なのかということを、前面に押し出したものだった。

这个大纲,实际上是在那部探讨“自己所生存的世界究竟为何物”的幻之第三弹内核之上,将“对女儿而言父亲到底算是什么”、“若自己身为父亲,对于女儿来说又意味着什么”这两个命题推到了最前台。

このプロットは、あっけなくOKになった。

令人意想不到的是,这个情节大纲极其顺理成章、轻而易举地就获得了全盘通过。

ミーを現実の世界にもどすために架空の存在である「エンテイ」が命がけでアンノーンと戦う「自己犠牲」がテーマ……これは観客が感動する、と考えたのか、御前様が賛成し(彼も子供の父親だった)、脚本会議に参加したみなさんも同意した。

为了让小美回归现实世界,虚构的化身“炎帝”赌上性命与未知图腾殊死搏斗——“自我牺牲”的主题……或许是觉得这必定能打动观众催人泪下吧,“御前样”当场投了赞成票(毕竟他本人也是一位孩子的父亲),参加剧本会议的所有人也都全票赞同。

「自己犠牲」という聞こえのいい言葉が僕は嫌いである。

然而,我打心底里讨厌“自我牺牲”这种听上去冠冕堂皇的漂亮话。

引きこもったミーを現実世界に戻すために、エンテイが命がけで取った行動は「自己犠牲」ではなく、父親が娘にできることをやった行動ではなかったのか?

为了让封闭内心的退缩少女小美回到现实世界,炎帝豁出性命所采取的行动,难道真的是所谓的“自我牺牲”吗?难道不只是一个父亲倾尽所有、去完成自己能为女儿所做之事而已吗?

つまり、エンテイのとった行動は「自己犠牲」ではなく、架空の父役として現れたエンテイの「自己満足」なのである。

换而言之,炎帝的所作所为根本不是“自我牺牲”,而是作为虚构父亲降临的炎帝本人的“自我满足”。

エンテイは、アンノーンによってこの世界に出現した、ミーの父親役である。

炎帝,是未知图腾具现到这个世界上、专门扮演小美父亲的角色。

ミーの理想の父親としてミーの願いをかなえる役である。

是作为小美心目中的理想父亲、去实现小美一切愿望的道具。

だが、ミーの願いをかなえるための存在だけでいいのか?

但是,难道仅仅作为一个满足小美愿望的傀儡道具就足够了吗?

エンテイは、ミーの架空の父親として、それで納得できるのか。

作为小美虚构的父亲,炎帝自己甘心于此吗?

エンテイは、本当の父親としての存在を選んだ。

炎帝最终选择的,是作为一名真正的父亲而存在。

それは「自分とは何か?」を自問自答した末の答えだろう。

那大概是他对自己反复拷问“我究竟为何物?”之后所得出的终极答案吧。

これは「自己犠牲」ではなくむしろ「自己満足」であると思う。

依我看来,这非但不是“自我牺牲”,反而完完全全是一种“自我满足”。

さらに、エンテイは、アンノーンが出現させたポケモンである。

更进一步说,炎帝本身就是由未知图腾显化出来的宝可梦。

エンテイがアンノーンに戦いを挑むのは、ミーの父親として存在するために、自分を生みだした親と戦うことにもなる。

炎帝向未知图腾发起挑战,意味着为了真正作为小美的父亲而立于世间,他必须与赋予自身生命的“父母”拔刀相向。

ミーの親としての戦う相手が、自分を出現させた親なのである。

为了成为小美的双亲,他必须开战的对手,恰恰正是将自己具现化出来的双亲。

これが、「自己犠牲」なのだろうか?

这难道也能轻飘飘地被概括为“自我牺牲”吗?

しかし、プロットがOKになり、脚本のゴーサインが出た以上、こんなことを言いだすのは、会議に出席したみなさんの気持ちを混乱させるだけの時間の浪費である。

然而,既然大纲已经顺利通过,剧本创作也亮起了绿灯,如果我此时再跳出来说这种哲学思辨,除了平白扰乱与会诸位的心思之外,纯粹就是浪费大家的时间。

『結晶塔の帝王』が自己犠牲をテーマにしたアクション満載の感動編になると、みんなが思っているのならそれでいいのだ。

既然大家普遍以为《结晶塔的帝王》是一部以自我牺牲为主题、充满动作场面的催泪大片,那就随他们去吧,这样就挺好。

脚本は、序盤はスムーズに書きあがっていった。

在剧本动笔之初,开局部分写得异常顺畅。

両親をなくし――父親は行方不明なのだが――ミーが自分の世界にひきこもって見る夢の世界は、彼女自身にとっては輝いている。

失去了双亲——虽然准确来说父亲只是失踪——小美把自己关进属于她一人的闭锁世界里,在那里所构筑的梦幻王国,对她而言是无上璀璨绚丽的。

アンノーンの力によって、より強固に輝いている。まるで結晶した世界である。

在未知图腾的加持下,这个世界愈发坚不可摧、晶莹闪耀。宛如一个完全结晶化的世界。

結晶世界は、バラードの有名なSF小説の「結晶世界」にインスパイアされたことをここで言っておきたい。

在此我想说明一下:关于“结晶世界”的构想,是受到了J.G.巴拉德(J. G. Ballard)著名科幻小说《结晶世界》(The Crystal World)的深切启发。

その小説と『結晶塔の帝王』のストーリーはまるで違うが、そのイメージについては、いつか映像で表現してみたかった。「結晶世界」は、ストーリーはあってないようなもので、イメージを文章化したような、逆にいえばその文章をイメージ化するのは難しい、特異な小説なのだ。

虽然那本小说与《结晶塔的帝王》的故事情节截然不同,但小说中那种万物化为晶体的意象,我一直心向往之,渴望有朝一日能用影像呈现出来。《结晶世界》是一部极具特质的罕见小说,故事情节近乎若有若无,更像是将纯粹的意象化为了文字——反过来说,想要将那些文字转化为具体画面也是极度困难的。

しかし、結晶化し、ミーが引きこもる夢の世界は、アンノーンの力もあってどんどん外部にも広がっていく。

然而,结晶化的小美闭关之梦,借由未知图腾的无穷神力,不可遏制地向外界不断扩张。

最初は、ミーだけの孤立した世界だったのが、全世界へと広がっていきそうになる。

最初原本只是属于小美一人的孤立私密之境,逐渐蔓延开来,眼看就要吞噬席卷整个大千世界。

このままだと、世界中が結晶世界になってしまう。

长此以往,普天之下都将化为彻底石化凝固的结晶世界。

しかし、そのことは『結晶塔の帝王』では暗示することにとどめている。

不过在《结晶塔的帝王》正片中,我对这种世界毁灭级的危机仅仅点到即止,只作了含蓄的暗示。

世界中の人たちが、もしかしたら、この世界がとんでもないことになりそうだと不安を感じるにとどめている。

仅仅表现为世界各地的民众心中泛起隐隐的不安,觉得这个世界恐怕要大难临头了。

あくまで主テーマは、引きこもった世界からミーを、誰が外に引き出すことができるか、である。

因为本片真正的核心母题,自始至终在于:究竟是谁,才能将紧闭心扉退缩在自我孤立世界中的小美,一步步引领拉回到外面的广阔天地?

そんな観念的なことを身を張ってできるのは、おそらく父親しかいない……という結論に、強引でもいいから持っていこうとするのが、『結晶塔の帝王』だった。

能够豁出肉身、去完成这般形而上哲思拯救的人,普天之下恐怕非父亲莫属……哪怕看起来有些强词夺理也好,执意要将剧情推向这个结论的,正是这部《结晶塔的帝王》。

プロットがOKとなった段階から、スタッフは、ただちに映画化へと行動を始めた。

从大纲被敲定的那一刻起,制作组的全体工作人员便雷厉风行地展开了电影制作行动。

脚本ができていない時点で、エンテイの声は竹中直人氏に決まった。第1弾のミューツーの声、市村氏からはじまった総監督の通好みの人選である。

在剧本甚至还没出炉的阶段,炎帝的声优就已经拍板敲定为竹中直人先生。这是从第一部由市村正亲先生配音超梦开始、总监督(汤山邦彦)一贯独具慧眼、专为行家老饕量身挑选的精妙人选。

竹中氏がエンテイの声をやると聞いて、いささかびびった。

听说要请竹中先生来为炎帝配音,我心里着实狠狠打了个哆嗦。

実は、『結晶塔の帝王』の20年ほど前に、スペシャル実写ドラマ「新・翔んだカップル」の脚本を書いた時、脇役だったはずの竹中氏が怪演技をくりひろげ、主役の2人を食うばかりか、主役が竹中直人氏のような印象になってしまったことがあった。

其实在大约写《结晶塔的帝王》20年之前,我负责执笔特别真人电视剧《新·飞翔情侣》(新・翔んだカップル)剧本时,原本只是配角的竹中先生在片中大展其怪异而极具张力的鬼才演技,不仅完全把男女主角的风头抢光,甚至整部戏给人的印象仿佛竹中直人才是唯一主角。

この人の才能はすごい。

这个人的才华与感染力实在是太惊人了。

この人がエンテイの声になったら、どうなるのだろう。エンテイの一言一言が、強烈な印象に聞こえるだろう。

要是换成他来担任炎帝的声音,画面会变成怎样?恐怕炎帝吐出的每一个字,都会化作雷霆万钧的强烈烙印吧。

演技を抑えてと頼んで御本人がそのつもりでやっても、やっぱりそこには竹中直人の個性が出てしまう。

就算导演嘱咐他“演得收敛一点克制一点”,竹中先生本人也打算照办,可举手投足间依然会自然流露出唯属于竹中直人的极度浓烈的个性。

そもそも抑える演技など要求される役なら、だれも彼を配役しないだろう。

说到底,如果一个角色需要的是收敛克制的表演,又有谁会专程去找他来演呢?

『結晶塔の帝王』の架空の父親エンテイが普通の父親とは違う特殊な存在だと、観客に感じさせては困る。

然而,若是让观众觉得《结晶塔的帝王》里那个虚构的父亲炎帝是个与普通父亲格格不入的异质怪物,那就彻底偏离了宗旨。

竹中直人氏が父親だったら、一般の父親はかなわないよなあ……とは思われたくない。

我决不希望观众看完后感叹:“竹中直人演的这种神仙父亲,现实里普通的爸爸怎么可能比得过啊……”

なにより、エンテイの胸のうち、娘を持つ一般の父親の心情を持ち込みたいのだ。

比任何事情都重要的是:我必须将所有抚育女儿的天下普通父亲的心绪,毫无保留地注入炎帝的心扉之中。

その一方で、竹中氏に一般の父親の心に響く効果的な台詞を語ってもらえば、その言葉は、深く観客の中に残るだろう。

但反过来想,如果能借竹中先生那极具魅力的嗓音,道出直击天下所有平凡父亲心灵深处的一针见血的台词,那些话语必将以无比深邃的重量铭刻进观众的心坎里。

それならば脚本の僕にもやりがいがある。

若是如此,对我这个剧本作者而言,也是莫大的挑战与成就感所在。

エンテイの台詞は多くはない。

炎帝在全片中的台词并不多。

だが、エンテイが時として語る決め台詞がある。

然而,炎帝时不时会缓缓吐出一句斩钉截铁的关键决定性台词:

「ミーがそれを望むなら……」

“只要那是小美的希望……”(ミーがそれを望むなら……)

この台詞、竹中氏を意識して書いた台詞である。

这句台词,正是我死死盯着竹中直人的声线与演法所专门量身定做的台词。

ほかにも、プロットがOKになった途端に、スタッフが張り切ったのは、結晶化が進む世界の描写だった。

此外,在大纲刚获通过之际,制作人员们群情激昂、争相跃跃欲试的,便是那逐渐被冰冷结晶所吞噬的世界的视觉描绘。

ミーの住む屋敷には、ドイツのケルンにある大聖堂を意識した。両側のふたつの塔が目立つ巨大な建物である。

对于小美所居住的宏伟府邸,我下意识地参考了位于德国科隆的著名大教堂——那是两座拔地而起的巨塔巍然耸立、格外引人注目的庞然大物。

若いころ、僕がドイツをさまよった頃、この大聖堂を観て、度肝を抜かれた記憶がある。

依稀记得在我年轻时游历欧洲、在德国各处流浪的岁月里,仰望这座大教堂时曾被彻底震撼得目瞪口呆。

そして、ふたつの塔は、虚構の世界のミーと、現実に目覚めるミーを意味するように思えた。

而且在我看来,那两座对称的双塔,恰好隐喻着虚构幻梦中的小美,与终将在现实中觉醒的小美彼此对峙呼应的象征。

それを総監督に言ったら、次の会議にはケルンの大聖堂の資料を持ってきていた。

我把这个构想告诉总监督后,在下一次会议上,他就已经搜集备齐了科隆大教堂厚厚的详尽资料带到了会场。

この大聖堂が結晶化したイメージを、スタッフと話し合いたかったのだろう。

想必他是迫不及待想要与美术制作人员们共同探讨这座大教堂彻底结晶化后的视觉冲击感吧。

つまり、みんなやる気満々だった。

总而言之,当时的现场所有人全都干劲十足、热血沸腾。

『結晶塔の帝王』の序盤は快調に書きあがった。

《结晶塔的帝王》的前半段剧本,进展得非常神速而顺遂。

だが、問題はそれ以後だった。

然而,真正致命的问题,潜伏在前半段之后。

ミーが引きこもって夢見る世界を描くのは、比較的簡単である。

单单去描摹小美封闭自我、在梦境中逍遥自在的世界,相对来说是相当轻而易举的。

ポケモン世界においては、ポケモントレーナーになるのが夢のひとつである。

在宝可梦的世界里,成为一名出色的宝可梦训练家本身就是终极梦想之一。

エンテイにさらわれた母親を取り戻すために、結晶塔に入り込んだサトシたちに、年ごろの女の子になったミーがポケモンバトルを挑む。

为了救回被炎帝掳走的母亲,小智一行人潜入结晶塔,而骤然幻化成适龄美少女的小美则向他们发起了宝可梦对战。

そこは、アンノーンによって作られたミーの夢の世界だから、現実のポケモン世界に生きるサトシたちが勝てるわけがない。

因为那里是由未知图腾一手缔造的小美梦中领域,生活在现实宝可梦世界里的小智他们无论如何挣扎,都不可能取得胜利。

ここらのバトルシーンは、演出の見せどころであったと思う。

这一连串的战斗场面,在镜头调度与演出层面上堪称最为精彩绝伦的高潮看点。

ただ、『結晶塔の帝王』は、「引きこもりの少女を外に連れ出す」ことを描くだけがテーマではない。

然而,《结晶塔的帝王》这部作品的内核,绝不仅仅是为了去描摹“将一个闭门不出的自闭少女带回外界”那么简单。

もっと大きいのが、娘と父親の関係である。

真正庞大厚重的、也是不可撼动的核心,在于女儿与父亲之间的关系。

僕は『結晶塔の帝王』を書き続けるうちに、とても難しい問題にぶつかった。

随着我日夜不停地继续执笔《结晶塔的帝王》,我迎头撞上了一堵无比坚硬、无比艰难的心理高墙。

自分なりに、娘が持つ理想の父親像を考えてみた。

我试着以自己的方式,去思索女儿心目中所憧憬的理想父亲形象。

考えることは可能だが、実践できたためしはない。

光是动脑子想想固然可行,但我这辈子何曾哪怕有一次在现实中身体力行实践过?

しかも、僕と娘とは40歳も差がある。

更要命的是,我和我亲生女儿之间有着整整40岁的巨大年龄代沟。

昔の日本映画によくあるのが、娘を嫁にやる父親のシーンである。

在旧时代的日本电影里,经常能见到父亲目送女儿出嫁的经典桥段。

花嫁姿の娘に「お父さん、長らくお世話になりました」などと型どおりのことを娘に言われ、父親は何も言えず、ジーンとしてしまう、というシーンだ。

身披嫁衣的女儿按部就班地说着公式化的台词:“爸爸,多年来受您关照照顾了……”而父亲则哑口无言、热泪盈眶心潮澎湃——无非就是这一类场景。

けれど、そんな映画でも、日常での父親と娘のドラマはほとんど描かれない。

可是哪怕在那些电影里,日常生活之中父亲与女儿之间细腻真实的相处细节也几乎从未被深入刻画过。

だから、父親が娘を大切に思っていたんだろうなということはなんとなく分かるが、詳しくは分からない。

因此,人们虽然隐约能感知到“父亲一定很疼爱珍视女儿吧”,但具体究竟是怎样一种情感,谁也说不清楚。

娘を嫁に出す時、父親が抱く喪失感はよく語られるが、娘と40歳も離れた父の持つだろう気持ちと、一般の年齢差を持つ父の気持ちとでは違うだろう。

世人常谈及女儿出嫁时父亲心中的巨大丧失感,但是,一个与女儿相差整整40岁的老父亲的心境,与那些年龄差距适度的普通父亲的心境,绝对是天差地别的。

たとえば、僕の娘が結婚する年ごろになったころ、僕はいいじいさんである。

打个比方,等我的女儿到了谈婚论嫁的适婚年龄,我早已是一个风烛残年的老头子了。

「どこの馬の骨ともしれない男に、娘を取られた」という感じは持たないと思う。

我大概根本不会生出那种“不知打哪儿来的野小子把我的宝贝女儿抢走了”的嫉妒心境。

しかし、若い父親の中には、「大事な娘を奪われた」という感情のよぎる人が多いらしい。

但据说在现实中许多年轻的父亲心里,经常会闪过这种“至亲至爱的女儿被人硬生生抢走”的强烈占有与被夺感。

僕の40歳離れた娘に対する気持ちが、大多数の父親の気持ちと重なり合うだろうか?

我对自己这个相差40岁的幼女所怀有的复杂心绪,真的能与天底下绝大多数普遍父亲的心情产生重叠共鸣吗?

『結晶塔の帝王』は、僕個人の娘へのささやかなプレゼントも意味するが、それはあくまで僕の個人的な気持ちであり、本当は、娘を持つ世界中のすべての父親へのエールになっていなければならない。

《结晶塔的帝王》固然包含了我私下里献给女儿的一份微薄礼物之意,但那终究只属于我个人的私情私欲;作为一部公开放映的电影,它本该成为献给全世界所有抚育着女儿的父亲们的深情声援与赞歌才对。

そして、女の子には、あなたのパパはどんな思いであなたを考えているか見つめ直してもらいたい。

而且,我也衷心希望女孩子们在看完之后,能重新审视一下自己的爸爸究竟是怀着怎样深沉的心意在注视着你们。

ついでに男の子も、自分の父親を見つめ直してください。

顺带也希望男孩子们,能够借此重新凝视并理解你们自己的父亲。

『ポケモン』映画は夏休みに公開される。

《宝可梦》剧场版总是在炎炎暑假期间上映。

子供につきそってくる父親も多いだろう。

肯定会有无数父亲陪同着孩子一同走进电影院。

父親にとって、めったにない家族サービスである。

对整日奔波忙碌的父亲们来说,这是一年中难能可贵的家庭天伦之乐与亲子时光。

そして、観た映画が、子供だけでなく、その父親にもなにかを感じさせるものになっていれば、つまり、引率者の父親を視界に入れた映画なら、ある程度のヒットも望めるだろう。

如果这部电影不仅能吸引孩子们,更能让身旁的父亲们也心有触动有所感怀——也就是说,如果这是一部将作为引路陪伴者的父亲们也纳入视野的电影,那么从商业票房上来说,也理应能斩获相当可观的成功吧。

ただし、父親の存在をテーマにしたこの作品内容が、いい映画、面白い映画であるのが前提条件である。

然而,将“父亲的存在”作为主题的前提条件是:这部作品本身必须是一部足够优秀、足够好看精彩的电影。

僕に父親を語る資格があるだろうか……。

像我这样的人,究竟有没有资格去高谈阔论所谓的“父亲”呢……?

ぱったりと、パソコンのキーボードをたたく手が止まってしまった。

啪的一声,我敲击电脑键盘的双手,彻底僵死凝固在了空气中。

そして、でき上がった部分だけ、順に送った。

无奈之下,我只能将写完的前半截剧本,按部就班地逐次发送给制作组。

終わりまで行っていない脚本である。

那是一份根本没有写到结尾的残缺剧本。

ずいぶん制作サイドはいらいらしただろう。

可想而知,制作现场的制片方与监督当时被折磨得何等焦躁抓狂。

結果、『結晶塔の帝王』第1稿の脚本の出来が遅れ、プロデューサー、監督にずいぶん迷惑をかけた。

结果便是,《结晶塔的帝王》初稿剧本的交付严重逾期滞后,给制片人、监督带来了难以言喻的巨大麻烦与困扰。

不思議に思われたかもしれないが、『結晶塔の帝王』には、僕と並んで共作者の名がある。

或许大家看演职员表时会觉得不可思议——在《结晶塔的帝王》上,并列写着我与另一位联合编剧的名字。

ただ、この時点では、その共作者は、『結晶塔の帝王』にはからんでいない。

然而在创作这一阶段,那位联合编剧其实根本还没有参与到《结晶塔的帝王》的创作中来。

共作といえば一緒に相談しながら脚本を作るイメージがあるが、今回の場合は、少し当てはまらない。

提起“联合执笔”,大家脑海中浮现的往往是两人一边讨论切磋一边共同推敲剧本的景象,但就本次而言,情况完全不是这么回事。

次回、そこいらの事情も書いてみよう。

在下一回连载中,我就来详细交代一下其中的曲折隐情吧。

つづく

(待续)

02

●昨天的我(比起近况报告不如说是谁都能当的编剧)

『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のアニメの脚本家の1人からメールで、ミュージカル「ミンキーモモ」の制作発表のコメントを教えてもらった。

曾经参与过动画《魔法小天使》(甜甜仙子 / 魔法公主明琪桃子)的一位编剧同行发邮件给我,告诉我舞台音乐剧版《明琪桃子》制作发布会上的相关发言。

で、びっくりした。

看罢之后,我大吃一惊。

ミュージカルの脚本家いわく、「空モモ」「海モモ」などの原作を尊重して書くのに苦労した、と。

那位音乐剧编剧声称:自己在尊重“天空桃子(初代)”、“海洋桃子(二代)”等原作设定的前提下执笔改编,历尽千辛万苦。

僕はこの脚本家に会ったこともないし話したこともない。他のアニメスタッフもおそらくない。

我这辈子从没见过这位编剧,也从未与他说过一句话。其他当年的动画主创工作人员大概同样完全不认识他。

アニメも全編は観ていないだろう。

依我看,他恐怕连当年的动画全集都没正经看过一遍吧。

しかし、この脚本家は、おそらく原作者と称する誰かとは会ったのだろう。

但是,这位编剧大概是见到了某位“自称是原作者”的不知名人士吧。

けれど、この原作者と称する人は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』をほとんど分かってはいない。

然而,这位所谓自称原作者的家伙,根本对《魔法小天使》几乎一无所知。

だから、設定その他にずれがある。テーマもとんちんかんだ。

正因如此,所有的世界观设定全都南辕北辙,思想主题更是荒腔走板、不知所云。

その原作者さんは、ミュージカル「ミンキーモモ」の脚本らしいものを、「つまらないから、なんとかならないか」と、よせばいいのに僕に読ませている。

更可笑的是,那位所谓原作者还拿着看似音乐剧《明琪桃子》剧本的东西,对我说“这写得太无聊了,能不能帮帮忙想想办法啊”,明知自讨没趣却偏偏拿来硬塞给我看。

昨年の暮れである。

那是去年岁末年终时发生的事情。

僕は、ミュージカル「ミンキーモモ」の脚本家に対してとやかく言う気はない。

我并不打算对那位音乐剧编剧指手画脚说三道四。

原作者と称する人の言うとおりに書いたのだろうから……。

毕竟人家大概只是老老实实照着自称原作者的人的授意写出来的罢了……

でも、この原作者、いつから現れたんだ?

但是,这位“原作者”,到底是打哪年哪月从地底下冒出来的?

アニメには、僕の役職は、原作、原案、シリーズ構成、監修……いろいろな名称で表示されている。

在当年播出的正统动画片头片尾里,我的职务名字赫然写着:原作、原案、系列构成、总监修……挂着形形色色的头衔。

でも、この原作者の名前は、企画とか制作とかでは知っているが、原作者として見たことは、僕を含めて誰もいないはずだ。

然而那位“原作者”的名字,在企划或制作制片名单里我确实依稀听过,但要说有人在“原作者”那一栏见过他,包括我在内的所有人绝不可能有一个人见过!

ついでに、2代目『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に「悪夢のお願い」という話があるが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』にとっては割と大切なエピソードで、セクシーな悪夢(ナイトメア)の国のプリンセスが登場している。このセクシーなプリンセス、悪夢と名がついていても悪役ではない。

顺便提一句,在第二代《魔法小天使》中有一集叫作《噩梦的祈愿》,对于《明琪桃子》系列来说是一集格外重要的核心篇章,其中登场了一位极具魅力的性感“噩梦王国公主”。这位性感的公主虽然顶着噩梦之名,却根本不是反派反面角色。

この女の子の存在を、原作者と称する人は、おそらく御存じない。

而这个至关重要的女孩的存在,那位自封的所谓“原作者”,大概连听都没听说过吧。

つづく

(待续)

■第213回へ続く

■待续至第213回

(10.02.17)

(2010年2月17日)