[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第166回:《超梦的逆袭》的主题(档期延误危机、吉卜力战书与“我是谁”的终极追问)
宝可梦动画初代总编剧首藤刚志亲笔手记第166回:首部剧场版神作《超梦的逆袭》诞生全纪实第一幕。1997年事件长达4个月的停播打乱了全盘规划,原定在TV动画中铺垫“超梦身世与小智擦肩而过”的前置联动彻底流产。小学馆掌门人“御前样”久保雅一立下军令状:“在日本输给某国民动画(吉卜力)无所谓,但在海外一定要赢!”首藤深刻剖析“逆袭”二字的戏剧重量:绝非向小智或皮卡丘的胜负复仇,而是向“自我存在本身”发起终极逆袭。面对业内“只要让皮卡丘为友情牺牲观众就会哭、就能大卖”的媚俗劝诱,曾被称为“催泪首藤”的他断然拒绝廉价煽情。当他漫步在小田原清冽冬夜的海港、独酌沉思普世哲理时,灵光骤然降临:“基督教世界经历过文艺复兴!”那一刻,宝可梦与文艺复兴的命运交响正式拉开序幕。
首藤刚志久保雅一汤山邦彦斋藤武市宇野重吉超梦的逆袭皮卡丘的假期宝可梦 动画系列
逐段译读
第166回 宝可梦《超梦的逆袭》的主题
第166回 ポケモン『ミュウツーの逆襲』のテーマ
停播4个月的连带空白,与沦为幻影的TV版先行联动构想
停波による4ヶ月の空白と、幻となったTV版先行リンク構想
原文
『ポケモン』事件は、騒ぎ自体は収まった。だが、4ヶ月間放送を止めていたために、シリーズ全体の構成は後ろに4ヶ月分ずらさざるを得なかった。各エピソード自体は、内容を変えず後ろにずれて順番に放送すればいいが、問題は夏に上映される映画『ミュウツーの逆襲』だった。
译文
“宝可梦事件”的社会风波本身总算平息了下来。然而,由于停播长达4个月,整个动画系列的结构安排不得不整体向后顺延4个月。常规的单集内容本身倒还好说,只要不做改动按顺序往后延期播出即可,但真正棘手的麻烦,在于原定夏季公映的首部剧场版电影——《超梦的逆袭》。
原文
『ポケモン』事件以前に、2稿で一応完成していたが、TV版とある程度リンクされる予定だった。TV版の中で、ミュウツーの生い立ちと、サトシとミュウツーの出会い……バトルではなく互いにすれ違う感じのエピソードを映画上映の前に放送しておくつもりだった。もちろんそのエピソードは僕が書くつもりだった。
译文
早在宝可梦事件爆发前,电影剧本其实在第2稿时就已经大体完成了,而且原本规划要与TV动画进行相当程度的深度联动。按原定计划,在电影上映之前,TV版理应先播出一集讲述超梦的身世背景、以及小智与超梦最初相遇的前置剧集——那并不是正面决斗,而是一种彼此擦肩而过的宿命感邂逅。当然,那一集原本也是打算由我亲自执笔的。
原文
劇場にかけるアニメと放送で流されるアニメでは制作にかかる時間が違う。だから、ミュウツーの生い立ちやサトシとの出会いのTV脚本は、映画上映の4ヶ月前でも間に合うのである。しかし、『ミュウツーの逆襲』は映画である。企画されて、完成まで1年はかかるだろう。脚本は、上映される8ヶ月前には決定稿になっていないと苦しい。
译文
大银幕公映的剧场版动画与电视上播出的周播动画,所需的制作周期完全不在一个量级。因此,关于超梦身世和小智擦肩相遇的TV单集剧本,哪怕在电影上映前4个月再动笔也完全来得及。但《超梦的逆袭》可是大电影,从立项策划到最终成片至少需要整整一年时间。剧本如果不能在上映前8个月敲定最终定稿,制作周期就会陷入极度被动的苦战。
“御前样”的复仇战,与“在海外击败对手”的豪赌战书
御前様の復讐戦と「海外で勝てるアニメ」への無謀なハッパ
原文
御前様は、『ポケモン』アニメが軌道に乗れば、すぐにも『ポケモン』を映画化するつもりだったようだ。以前、ミニ4駆のTVアニメシリーズを映画化して、興行的に満足できる結果を得られなかったらしく、今回の『ポケモン』映画は、その復讐戦と考えていたのかもしれない。
译文
小学馆的“御前样”(久保雅一)似乎从一开始就打定主意:只要《宝可梦》TV动画步入正轨,就必须立刻将其搬上大银幕。早先,他曾将《四驱兄弟》电视动画搬上影院公映,但在票房回报上似乎并未取得令人满意的战果。或许正因如此,这一次的《宝可梦》剧场版,在他心中被视作一场不可退让的复仇之战。
原文
「劇場版『ポケモン』は、某会社のアニメに日本では負けても外国では勝てるアニメにしたい」と、アニメ制作会社にはったりに近いはっぱをかけていたが、TVアニメの映画版は、日本国内では『ドラえもん』などのかなりのヒット作品があるが、世界でヒットしたという話は耳にしない。某会社の国民的超ヒットアニメも外国では、作品的評価はされても、ヒット作品とは言えない。
译文
他甚至向动画制作公司(OLM)放下了近乎虚张声势的狠话激励:“宝可梦剧场版,哪怕在日本本土输给某家公司(指吉卜力工作室)也无所谓,但到了国外,一定要做成能战胜它们的作品!”然而客观而言,当时的电视动画电影版在日本国内固然有诸如《哆啦A梦》这样极具号召力的大卖之作,但在全球掀起轰动的案例却闻所未闻。即便是某家公司的国民级超人气神作,在海外往往也仅止于赢得专业艺术口碑,根本称不上是商业票房大卖的流行作品。
原文
さすがに、「世界的ヒット」はあくまで理想論で、制作側はほとんどの人が気にしていなかった。それでも、日本国内ではヒットさせたい。
译文
不用说,“风靡全球”在当时看来纯粹只是空中楼阁般的理想主义口号,制作现场的绝大多数人根本没往心里去。但即便如此,大家内心最坚决的底线是:至少在日本国内,这部电影必须大获成功。
何谓“逆袭”?——向自我存在发起的终极逆袭,与甜甜仙子的记忆
「逆襲」とは何か?――自己存在への逆袭とミンキーモモの記憶
原文
脚本会議では、色々な案がでたが、なにしろ題名は『ミュウツーの逆襲』である。題名だけ先に決まっているのだ。ミュウツーは当時のゲームで最強のポケモンである。それが逆襲するのだから、一度は負けなければ逆襲にならない。ピカチュウやサトシに負けて逆袭するなんて、『ポケモン』世界、最強のポケモンとしては、やることがせこい。
译文
剧本研讨会上涌现出了五花八门的方案,但无论如何,电影片名已经被早早焊死在《超梦的逆袭》这几个字上——片名比故事先诞生了。在当时的原作游戏中,超梦是全图鉴无可争议的最强宝可梦。既然冠以“逆袭”,照常理就必须先遭遇一场惨败才谈得上反击复仇;可如果让它先输给小智或皮卡丘然后再回过头来报复,作为宝可梦世界的最强王者,这行径未免也太狭隘、太小家子气了。
原文
だが、それとは違う『ミュウツーの逆襲』の「逆襲」は、すでに僕自身の中にあった。自己存在への逆襲である。つまり、それは存在している自分への「自分とは何か?」への問いかけである。自己存在を否定してしまえば……つまり、この世界に自分の存在、生きていることが無意味であれば……それは、逆襲ではなく敗北になってしまう。「自分とは何か」を問い続ける限り、自己への問いかけは、自己への逆襲であり、敗北ではない。
译文
然而,一种完全不同的“逆袭”,其实早已深深烙印在我自己的灵魂深处。那就是——对自我存在本身发起的逆袭。换言之,那是存在于这个世界上的自己,向虚空抛出的终极追问:“我究竟为何物?我是谁?”如果全盘否定自我的存在……认定自己活在世界上毫无意义,那不是逆袭,那叫屈辱的彻底战败。只要永不停歇地追问“自己究竟为何物”,这种对自身存在的叩问,就是一场轰轰烈烈的逆袭,绝非战败。
原文
これは、今思えば、いつも僕の書く脚本から離れないバックボーンだった気もする。たとえば『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、少女ミンキーモモがなぜ、自分がミンキーモモであるのかを問い続ける『ミンキーモモの逆襲』という題名でもかまわないのだ。
译文
回想起来,这股执念似乎正是我笔下所有剧本永不离弃的精神脊梁。例如早年的《魔法小天使》(甜甜仙子),其内核正是少女敏琪桃子不断追问自己为何是敏琪桃子的心路历程,即便将标题改成《敏琪桃子的逆袭》,也完全合情合理。
婉拒同映短片剧本:杰作短片的恐慌难关
短編『ピカチュウのなつやすみ』の辞退:傑作短編の恐るべき難度
原文
ところで、観客動員を意識して、劇場版『ポケモン』には幼児向けの短編も付録的につけることになった。人間の出てこない、ポケモンだけが出てきて、ストーリーが分からなくても幼児が楽しめる短編だ。最初はそれも僕に依頼があった。ビデオやDVDになった時に、付録のアニメの脚本家が本編と同じほうが著作権などの手続きが楽だというのだ。
译文
顺带一提,出于招揽低龄儿童观众和家庭票房的考量,剧场版决定附带一部面向幼儿的附属短片(即《皮卡丘的假期》)。那是一部完全没有人类出场、纯粹由宝可梦们登台表演、哪怕完全看不懂故事脉络低幼孩童也能乐在其中的短片。起初,制片方也是直接委托我来兼写短片剧本的,他们的理由很简单:将来发行录像带或DVD时,如果附录短篇与正片的编剧是同一人,版税和著作权手续处理起来会省事得多。
原文
そんな短編の名作は世界中にあるが、簡単に見えて、実は傑作の域に達するのは長編を作るより大変である。短編の『まんが世界昔ばなし』を3年もやった僕には、身にしみて分かっていた。『ミュウツーの逆襲』プラス短編は、とても荷が重すぎる。で、短編は、他の脚本家の方が書くことになった。その短編への僕の個人的な感想は「やっぱり……難しいよなあ」である。ともかく、僕は『ミュウツーの逆襲』に集中した。
译文
世界各国的动画史上的确诞生过诸多名垂青史的短片杰作,但那种看似信手拈来的作品,要想真正臻于杰作之境,难度其实远远凌驾于长篇剧场版之上。曾经整整执笔过三年短片动画《漫画世界民间故事》的我,对这一关隘体会得彻骨冰凉。要在一边扛着《超梦的逆袭》巨石的同时再去分心驾驭短篇,担子实在太过沉重。最终,短片交由其他编剧执笔。而我个人在看过成片后的感慨唯有一句:“果然……短片比想象中还要艰难得多啊。”无论如何,卸下包袱的我得以将全部心血倾注在《超梦的逆袭》之中。
因程序Bug意外诞生的梦幻(本体),与人造基因产物的超梦(克隆)
バグから生まれたミュウ(オリジナル)と、作られたミュウツー(コピー)
原文
ゲーム上、ミュウツーはなぜか遺伝子ポケモンに分類されている。なぜ、遺伝子ポケモンなのかは分からない。ゲームを作った方たちが、その場の思いつきで付けたのかもしれない。ミュウツーがいるのなら、ミュウワンがいるのか? と聞くと、「いちおう作ったけれど、没にしたつもりが、ゲームのバグで、ゲームをいじくっていると、たまに出てきてしまう時もある」……ファンにとっては、まともにゲームをしていては出てこない幻のポケモンだそうである。
译文
在原作游戏里,超梦不知为何被分类为了“基因宝可梦”。究竟为何如此命名不得而知,或许只是游戏开发者们当时灵机一动的产物。我曾好奇地追问:既然有“超梦(Mewtwo,即Mew第2号)”,那是不是理应存在一个“Mew第1号”?对方告诉我:“其实确实做出来过,原本打算废弃不用,结果因为游戏代码里的Bug,在特定操作捣鼓卡带时偶尔竟然会跳出来……”对游戏玩家而言,那是正常通关绝对无法邂逅的“幻之宝可梦”。
原文
バグだか何だか知らないが、ミュウワン……つまり、ミュウはいることはいるらしいのである。そして、ゲームファンにとって、ミュウに出会うことはとても大事だった。そんな反響をゲームの作り手が意識していたのかしていないのか僕は知らないが、没にしたつもりだったが、ゲームのバグで存在するミュウ、つまりオリジナル。その発展形のミュウツー、けれどミュウのコピーである。このふたつの存在で、映画のテーマはできてしまった。つまり、やっぱり「自分とは何か」である。
译文
不管是Bug还是什么缘故,总之“Mew第1号”——也就是梦幻,是切实存在的。而在游戏玩家心目中,能与梦幻相遇是一件至关重要的大事。我不知道游戏开发者当初是否有预料到这般狂热的反响,但本该被废弃却因代码漏洞而寄居于世的梦幻,代表着“本体(Original)”;而作为其人工延伸的超梦,本质上却是梦幻的“克隆体(Copy)”。仅仅凭借这两者的存在对峙,整部电影的哲学母题便已呼之欲出——说到底,依然是那句:“我究竟为何物?”
日本电影海外删改的陋习,与原汁原味打向世界的决绝
日本映画の海外編集の悪癖と、無修正で世界へ打って出る野望
原文
しかし、それが、外国に通用するテーマかどうか、小田原の海を見ながらずいぶん考えた。御前様が「でき上がった『ポケモン』アニメは、そのままの形で外国で上映するから、がんばれ」と言ったからである。当時、某国民的アニメ作品を作った会社が、外国向けに分かりやすく編集しなおすという配給会社の要求を、日本で上映したままの形で上映したいと言って断ったという話が話題になっていた。もちろん、声は吹き替えにするにしろである。
译文
然而,这样一个略显沉重的哲学命题究竟能否为海外观众所理解?伫立在小田原的海浪前,我陷入了长久的深思。因为“御前样”曾对我郑重叮嘱:“制作完成的《宝可梦》电影,将不做任何删改、以日本原版一模一样的形式直接在海外上映,全力以赴吧!”当时正逢某国民动画巨头的名作在海外引起轰动,海外发行商曾提出为了让西方观众看懂必须重新剪辑节奏,而日方制作公司坚决拒绝,要求必须维持在日本上映的原汁原味,这件事在业内成为热议话题。当然,语言配音另当别论。
原文
その頃の日本映画は、外国で上映する時は、その国に向くように編集され直すことが多かった。「日本沈没」(旧作)、「新幹線大爆破」など、日本では3時間近い映画だったが、僕がドイツ版で見たそれは、もちろんドイツ語でしゃべり、1時間半ほどに編集されていた。日本的感情でなければ理解されなさそうなシーンはすべてカットされ、僕から見ればすっきりして、かえって原版より面白かった。日本で上映された日本映画が、そのままの形で外国で上映されることは少なく、そのままの形で上映すると、外国人には受けないというのが常識とされていた。
译文
在那个时代的日本影坛,国产电影出海公映往往逃不过被按照当地市场口味惨遭大肆剪切重组的宿命。比如老版的《日本沉没》和《新干线大爆破》,在日本原本是近三个小时的宏大史诗,而我在德国看到的德语公映版,却被大刀阔斧删剪得只剩一个半小时左右。所有被认为只有日本人才能体会的情绪长镜头被全部一剪没,在我看来节奏利落干脆,反而比冗长的原版还要好看。因此,日本院线上映的成片不加修改直接原样推向海外是极少见的异数,在当时甚至被公认为“原封不动推出去外国人绝不可能买账”的行业铁律。
原文
だから、日本上映の状態のままで、外国で上映するのは珍しい事でもあったのである。御前様はそれを意識したのだろう。『ポケモン』は、日本で上映したままの形で、外国で通用するものを作れと、制作スタッフにはっぱをかけたのである。
译文
正因为如此,以完全未删减的日本上映形态直接迎战全球市场,本身就是一次惊世骇俗的壮举。御前样显然深知其中的凶险与分量,他向全体主创下达死命令:必须打造出一部哪怕维持日本上映原貌、也足以征服全球观众的硬核作品!
“催泪神作”的廉价诱惑,与“只要让皮卡丘死掉观众就会哭”的荒唐提案
「泣かせ」の安易な誘惑と「ピカチュウを死なせれば客は泣く」という暴論
原文
しかし、日本で通用しても、外国で通用するテーマ……つまり、普遍的なテーマがあるのだろうか?アクションが面白ければ、それは普遍的だろう。でも、それは脚本家の仕事ではない。演出や作画の仕事である。セリフの上手い下手も外国語に吹き替えられれば、あまり意味がなくなる。ようするに、外国に行った日本映画が通用するために、脚本家に求められるのは、その作品が持っているストーリーとテーマである。
译文
然而,究竟是否存在一种不仅能让日本本土产生共鸣、更能跨越国界让全世界认同的……所谓“普世主题”?如果动作戏精彩绝伦,那确实具有普世吸引力;但动作视觉是监督与作画团队的专业领域,而非编剧的本职工作。台词写得再精妙绝伦,一旦被翻译成外语重新配音,文字的韵味也会大半流失。归根结底,一部出海的日本动画若想真正立足,对编剧提出的最严苛考验,唯有作品本身蕴含的“故事构架”与“核心主题”。
原文
生身の日本人が映らないアニメは、キャラクターの無国籍ぶりで、世界に通用する。現に登場するキャラクターは、ピカチュウ以外、別の外国名で呼ばれている。実写映画に比べれば、日本のアニメは外国に対して通用しやすい。アクションが派手なら、外国の子供にも受け入れられるだろう。ストーリーも単純なほうがいい。だから、外国にも受け入れられそうな劇場用『ポケモン』の脚本会議用というか御前様用のプロットは簡単にできる。
译文
动画不同于真人电影,没有活生生的日本演员面孔,登场角色天然具备“无国籍”的包容特质,在国际化上拥有得天独厚的优势。事实上在海外版本里,除皮卡丘之外的所有角色都被赋予了当地化的英文名。只要动作场面足够华丽,海外的孩子们自然乐于买账,故事结构似乎也是越直白简单越好。正因如此,如果仅仅为了应付编剧研讨会、或者给“御前样”交差,一套迎合海外市场的剧场版企划故事梗概其实唾手可得。
原文
最強のポケモン・ミュウツーが、我こそ最強のポケモンマスターであることを表明するために、優秀なポケモンマスターを集めてポケモンリーグを開く。その時点で、サトシはピカチュウの協力もあって優秀なポケモンマスターのひとりだった。当然、サトシはバトルに参加する。そこに、ミュウが現れる。「ミュウツー、でかい顔するな……所詮、おまえは、俺のコピーでしかないのに……」かくして、ミュウツー、ミュウ、サトシを含むポケモンマスターの三者入り乱れての壮絶な戦いで、勝ったのは誰か……?これだけのプロットで脚本はGOである。
译文
最强宝可梦超梦为了宣称自己才是至高无上的宝可梦大师,召集天下最精锐的训练家举办宝可梦联盟大赛;此时的小智在皮卡丘的鼎力协助下,已然跻身顶尖训练家行列,自然毫无畏惧奔赴迎战;就在决战时刻,幻之宝可梦梦幻赫然降临:“超梦,别太自以为是了……你归根结底不过是我的克隆替代品罢了……”于是,超梦、梦幻、以及以小智为首的人类训练家卷入天翻地覆的混战,最终胜利者究竟花落谁家……?如果只按这套粗暴的框架交差,剧本立项绝对会瞬间绿灯放行。
原文
このプロットを読んだ人は、それぞれのストーリーの展開を思い浮かべる。多かったのが、サトシとピカチュウとの友情の勝利で、しかし、代償は大きかったという展開である。冗談か本気か知らないが、「ピカチュウが友情に殉じて最後に死ねば、観客はみんな感動して泣きます。それだけでこのアニメ、ヒットしますよ」という人もいた。
译文
读过这份粗纲的人,脑海中各自勾勒着俗套的故事走向。其中呼声最高的套路,无非是“小智与皮卡丘凭借无敌的友情赢取胜利,但付出了极其惨烈的沉重代价”。甚至有人——我不知道他究竟是在开玩笑还是认真的——凑到我耳边说:“只要让皮卡丘为了友情英勇牺牲、在结局死掉,全场观众就绝对会感动得痛哭流涕!光凭这一招,这电影就能大卖特卖!”
《杜子春》的眼泪,与“催泪首藤”的别扭标签
『杜子春』の涙と「泣きの首藤」という不本意なレッテル
原文
泣きました、感動しました――それで、ヒットした映画はいくつもある。昔、TBSで初めてのステレオTVアニメ――今は普通だが、ようするに右と左から違う音が出てくる2チャンネル、今では後ろから音の出てくる5チャンネル・6チャンネルが普通に売られている――で、1時間半のアニメ『杜子春』を書いたことがある。
译文
“我哭了,我被深深感动了”——单凭这种情绪宣泄而票房大捷的商业电影在世上多如牛毛。早年间,我曾为TBS电视台首部立体声电视特别篇(一个半小时的特别动画)执笔过《杜子春》剧本。
原文
芥川龍之介の原作が有名だが、それをそのままアニメにしたのでは、15分か30分で終わってしまう。で、芥川龍之介が元本にした中国の物語や、中国の伝説を参考にして、母と子の愛憎の物語に書き換えた。だからタイトルは「芥川龍之介『杜子春』より」になっており、芥川原作とはなっていない。作品の中で、ひとこともしゃべってはならない設定の主人公が、思わず「お母さん」と叫んでしまう原作でも有名な場面は、泣いた人が多かったそうだ。
译文
芥川龙之介的原作短篇小说举世闻名,但若原封不动搬上荧幕,顶多15到30分钟就播完了。于是我参考了芥川创作时取材的中国唐代传奇《杜子春传》及诸多民间传说,将其脱胎换骨改写为一出关于母子爱恨交织的宏大戏剧。因此片头标题明确标注为“根据芥川龙之介《杜子春》改编”,而非挂名原著。在故事的高潮,被施下“无论遭受何种酷刑皆不得吐露一字”戒律的男主角,目睹母亲受苦而忍不住撕心裂肺喊出“妈妈!”的名场面,据说让无数观众泣不成声。
原文
この作品の重要な役、仙人の声をやっていただいた宇野重吉氏は……日本の演劇界では、歴史的な人です……「面白い『杜子春』だね」と乗ってくださり、監督の斎藤武市氏……この方は「愛と死を見つめて」という吉永小百合さんの難病映画で、昔、空前の大ヒット映画を作った人です……から、日本の「泣き」は、首藤君で10年大丈夫だと言われた。つまり、見ている客を「泣かせる」方向にもっていくのが上手いということなのだ。
译文
在剧中饰演核心仙人角色的声优宇野重吉先生——那是日本演剧史上泰斗级的殿堂人物——兴致盎然地赞叹:“这是个极有意思的《杜子春》!”而该片监督斋藤武市先生——曾执导过由吉永小百合主演的传奇绝症纯爱电影《凝视爱与死》、创造过空前票房奇迹的日活巨匠——更是当面断言:“只要有首藤君在,日本影坛未来十年的‘催泪弹’就高枕无忧了!”换句话说,他是在夸赞我极擅长把观众的情绪精准引向“号啕大哭”的陷阱。
原文
斎藤武市氏という日活(現・にっかつ)の「泣き」ならおまかせ監督から「泣きの首藤」と言われても、実は、ほとんどうれしくなかった。僕は、そのシーンを、人を泣かせる意図で書いたつもりではなかった。『杜子春』は、「本来の自分とは何か?」と思い続けたあげく、それまでひどい仕打ちを受け、憎んでも不思議はない人に対して、「お母さん」と呼びかけ叫ぶことで「本来の自分」の答えを見つけるというテーマである。それで、観客が泣くのはその人の勝手である。
译文
然而,即便被执掌日活催泪黄金招牌的殿堂级导演封为“催泪首藤”,我心底却感受不到丝毫喜悦。因为在动笔那场戏时,我根本就不是为了把人惹哭而写的!《杜子春》的真正内核,是一个人历经荣华富贵与穷困潦倒、在不断苦索“自己本来的面目究竟是什么”的漫长拷问后,面对曾经狠狠伤害抛弃过自己、按常理哪怕满怀恨意也毫不奇怪的至亲,最终脱口而出呼唤“妈妈”从而找回人性的“本来面目”。至于观众因此而落泪,那是观众自己的情感共鸣与自由。
原文
だが、それが日本的情緒の母と子の愛への涙だとしたら、僕はそれを意図してはいない。ま、余談に走った気もするが、ともかく、その時の若さと生意気さもあって「泣きの首藤」と呼ばれるのはうれしくはなかった。だから、『ミュウツーの逆襲』で観客に泣いてもらおうなどと、少しも思っていなかった。
译文
但如果那仅仅被降格为对传统日本式母子亲情廉价感伤的泪水,那绝非我的本意。或许有些扯远了,但无论如何,年轻气盛且满身棱角的我,打从心底排斥“催泪编剧”这顶帽子。因此,在执笔《超梦的逆袭》时,我从始至终压根就没有哪怕一丁点儿“故意设计让全场痛哭”的卑劣念头!
小田原的夜色与港口的烈酒:文艺复兴的电击降临
小田原の夜気と自動販売機の酒:ルネサンスの電撃的降臨
原文
それより、「自分とは何か」というテーマが世界に通用するかが問題だった。子供は誰でも、生まれて物心ついたころ、「ここはどこ?」「私は誰?」という疑問を持つだろう。だが、その疑問が長続きするのは、日本だけのような気もする。なにしろ、外国には神様がいるのである。それも、八百神の神の日本とは違い、ほとんどがおひとり様(?)の神様である。
译文
真正盘踞在我心头挥之不去的唯一难题,是“我究竟是谁?自己为何物?”这一母题究竟能否打破文化壁垒通行于世界。任何一个孩童在咿呀学语、初晓人事之时,大概都会在心中萌生过“这里是哪里?”“我是谁?”的本能疑问吧。然而,这种生命哲学追问能够贯穿漫长一生的,似乎往往只有日本这样多神信仰的土壤。因为在西方外国,是存在着至高无上的神明的。并且与八百万神明并立的日本不同,那多半是绝对独尊的一神教。
原文
それぞれの国に相当に絶対的な神様がいる。そして宗教が人間の基盤にある。キリスト、イスラム、ヒンズー、仏教etc……それらはそれぞれいろいろ分家しているけれど、基本、「自分とはなにか?」と疑問を持てば、神様が答えてくれる。「あなたは神の子よ」である。人間が自己存在を問う時、神様が答えを用意してくれているのである。
译文
在很多国家,人们生活的基石深深扎根于宗教信仰之中。基督教、伊斯兰教、印度教……尽管教派繁衍林立,但从根本上讲,信徒一旦产生“我是谁?我因何存在?”的困惑,全知全能的神早已备好了标准答案:“你乃神的孩子。”当人类拷问自我存在的意义时,教义早已将答案双手奉上。
原文
で、「あんたの神は、違う」などということで、宗教戦争が起こったりする。「自分とは何か?」を考えるのは、神様のいる世界では時間の無駄のような気もする。「自分とは何か?」というテーマは、世界には通用しない。まして『ポケモン』は、子供向きのアニメである。「自分とは何か?」との問いに「パパとママの子よ」と言われればそれまでである。
译文
于是,人们往往会因为“你信仰的神与我不同”而爆发残酷的宗教战争。在神权笼罩的语境里,独自苦思冥想“我是谁”,甚至被视为无谓浪费时间的异端妄念。既然如此,“自己究竟为何物”这般形而上的命题,真的能够被世界主流观众理解吗?更何况《宝可梦》本质上是一部面向儿童的动画啊,面对“我是谁”的疑问,父母只要摸摸头说一句“你是爸爸妈妈的乖孩子呀”,这话题便戛然而止了。
原文
「世界に通用するテーマを持つアニメ」――小田原の海を見ながら、頭がおかしくなりそうだった。港の自動販売機で酒を買った。酒を飲みながら海を見ていたら、ふと思い出した。「あ、キリスト教世界にはルネッサンスがあった」
译文
“一部必须具备通行全世界之普遍主题的动画电影”——深夜凝望着小田原漆黑的大海,巨大的精神重压几乎要将我的理智撕裂碾碎。我在港口昏黄的自动售货机前投币买了一罐烈酒。独自倚着冰冷的栏杆,一边大口吞咽着辛辣的酒液,一边凝视着波涛翻滚的海平线,刹那间,一道雷电般的灵光轰然划破混沌:“啊……在基督教世界里,曾经有过一场文艺复兴!”
原文
『ミュウツーの逆襲』は、ルネッサンスを思い出した事から全貌が見えてきたのである。『ポケモン』とルネッサンスを結びつけるなど、僕は、そうとうおかしい人間かもしれない。つづく
译文
《超梦的逆袭》那横跨生命、克隆与反抗的全部骨架与灵魂,正是在我顿悟到“文艺复兴”的那一瞬间,彻底揭开了它的全貌!将宝可梦与人类史上的文艺复兴紧紧缝合在一起……或许在旁人眼中,我真是一个彻头彻尾的疯子吧。(未完待续)
Archive record 档案信息
- Date
- 2008.12.03
- Source
- WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家」第166回
- People
- 首藤刚志
- Game / Work
- 超梦的逆袭、皮卡丘的假期、宝可梦 动画系列、宝可梦 红·绿、杜子春、魔法小天使
- Page
- 未标注
- Language
- ja
- Status
- published