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2010 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」

[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第213回:“我的《宝可梦》电影在《结晶塔的帝王》画上句号”(深渊伦理拷问、病榻口述急送医院、园田英树接棒改稿与隐退宣言)

首藤刚志 × 汤山邦彦 × 园田英树 × 宫内妇贵子 × 花子 × 秀力博士 × 小美 × 炎帝 × 小智

WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」 2010.02.24 约 14 分钟 原文 ↗

01

第213回 我的《宝可梦》电影在《结晶塔的帝王》画上句号

『結晶塔の帝王』には本当にてこずった。

在创作《结晶塔的帝王》时,我真切地体会到了什么是前所未有的棘手与煎熬。

プロット自体は簡単だったのだが登場人物の造形に困り果ててしまったのだ。

情节大纲本身固然极为明晰单纯,然而登场人物的心智塑造却让我陷入了走投无路的苦海。

この作品に必要になる要素は、「家族の絆」であり、父親の娘に対する思いである。そして、「引きこもり」状態の少女を解放する要素もある。

这部作品不可或缺的核心要素,是所谓的“家族羁绊”,是父亲对女儿无怨无悔的心念,同时还要承载将陷入“闭门不出(自闭茧居)”状态的孤绝少女彻底解放出来的救赎。

ミーの父親代わりのエンテイは、命がけでミーを引きこもり状態から解放しようとする。

作为小美代理父亲的炎帝(恩泰),赌上性命也要将小美从闭门锁国的茧居绝境中解救出来。

自分を生みだしたアンノーンを倒してすら……つまり、親殺しをして、自分の架空の娘を助けようとする。

哪怕必须打倒孕育了自己的未知图腾……也就是说,哪怕不得不亲手弑杀自己的生身父母,也要去拯救自己那个虚构的女儿。

親を殺して、子供を助ける。このエンテイの心理状態が難しかった。

弑杀父母,以救孩子。炎帝彼时彼刻的心理状态,刻画起来实在太难太沉重了。

エンテイは、ミーのために生まれてきた。しかし、自分を生み出したのはアンノーンである。

炎帝正是为了小美而诞生于世;然而赋予其生命的创造者,偏偏却是未知图腾。

余談になるかもしれないが、僕は父親代わりのエンテイのようにカッコよくはない。頼りにもならない。娘に見せている日常は不規則で、書くことに詰まると飲んだくれてしまう、どうしようもない親父である。

说句题外话,我自己根本不可能像代理父亲炎帝那样英姿飒爽威严可靠。我既不可靠,也不坚强。展现在亲生女儿面前的日常生活毫无规律,一旦执笔卡壳写不出东西就烂醉如泥借酒浇愁,纯粹是一个无可救药的窝囊老爹。

いちおう仕事場と住居は分けているが、勤め人とは違い、昼間に海辺でぼーっと立っていたり、近くの山にふらりと登って行ったり、夜、家に帰ってこなかったり……要するに一般の父親像とは違いすぎるのだ。

虽然表面上将工作室与住家分开,但与朝九晚五的工薪族截然不同,我大白天会一个人傻傻伫立在海滩边发呆,或者心血来潮一个人晃晃悠悠爬上后山,到了深夜甚至夜不归宿……简而言之,我与世人眼中循规蹈矩的普通父亲形象相距何止十万八千里。

娘にとっては、何をしているか分からない風来坊なのである。

对我的女儿而言,我完全就是一个整天不知道在瞎倒腾什么的浪荡游民。

かっこいい父親アニメをつくっても、本人の実践がちっともともなっていないのである。

哪怕在动画里塑造出了帅气无匹的伟大父亲,我本人的现实行径却连一丝一毫都沾不上边。

いい父親ぶるなら、おこずかいを増やせといわれかねない。

如果我胆敢在她面前装模作样摆好父亲的架子,搞不好还会被反呛一句“有空装好爸爸不如多给点零花钱”。

しかも、年齢は40も違う父親である。

更何况,我们之间还横亘着40岁的巨大年龄沟壑。

こんなことがあった。

曾经发生过这么一件往事。

アニメ『ポケモン』が始まったころ、僕よりずーっと若い、既婚者だが子供のいないプロデューサーがいた。

在《宝可梦》动画刚开播的时候,有一位比我年轻得多的制片人,已婚但一直没有要孩子。

「子供を作らないの?」と聞いたら、「ええ、たとえば保育園や幼稚園で父兄参加のかけっこなんかがあるでしょう? 僕の今の体力じゃ駆けっこに勝てるわけないし、そうしたら自分がみじめだし、何より子供が、駆けっこに負けた父親を観て傷つくでしょう? だから子供は遠慮しているんです」

我随口问他:“怎么没打算要个孩子?”他回答道:“嗯……比如说幼儿园或者托儿所里不是经常有家长参与的赛跑运动会吗?以我现在的体力,在赛跑里根本赢不了别人;要是跑输了自己觉得窝囊寒酸不说,最重要的是,孩子看到父亲在赛跑里一败涂地心里该有多受挫受伤啊?所以我就先不要孩子了。”

はあ、そんな考え方もあるんだなあ……と思いつつ、僕自身も父兄参加のかけっこなんか出たことがなかった。

我当时听了心中暗叹:“哎,居然还有这种角度的考量啊……”不过转念一想,我自己也何尝参加过什么家长赛跑会呢。

『結晶塔の帝王』の数年後、娘が小学校に入ったころは、「パパ、一緒にお風呂に入ろうよ」と誘ってくれて湯船で遊んだが、それ以降はほとんどお呼びがかからない。小学校上級生になった娘と一緒にお風呂に入る気は流石に僕もないが……まあ、いささかさみしいことも確かである。

在《结晶塔的帝王》上映几年后,女儿刚上小学的时候,还曾经甜甜地拉着我说“爸爸,一起去泡澡吧”,在浴缸里嬉戏打闹;但自那之后,基本上就再也没有喊过我了。虽然对于读小学高年级的女儿,我自然也没有心思再一起泡澡……不过说实话,心中泛起的那丝丝落寞倒也是千真万确的。

父親が娘をどう思い、娘は父親をどう思うか、色々なケースを考えて、相当苦しんだ。

父亲到底该怎样看待女儿?女儿又究竟是如何看待父亲?在脑海中穷尽了各种可能的情境,我陷入了极度的自我折磨与痛苦之中。

そして、もうひとつ、エンテイはミーの母親代わりに主人公サトシの母親をさらってくる。

不仅如此,还有另一个巨大难题:炎帝为了替小美找来代理母亲,把主角小智的母亲花子给绑架了过来。

サトシは父親不在の少年である。サトシが母親を取り戻そうとするのは当然である。

小智本来就是一个自幼父亲缺席的少年。为了夺回自己唯一的至亲母亲,小智奋不顾身是理所应当的。

そこで、結晶塔とサトシ達が母親をめぐって絡んでくる。

于是,围绕着母亲这一纽带,结晶塔与小智一行人紧紧交织纠缠在了一起。

プロット上は、自然であると思う。

单从故事脉络来看,这显得顺理成章、无可挑剔。

そこに、ミーという引きこもりの少女の夢――この世界においてはポケモンマスターになること――も加わってくる。

再加上小美这个自我封闭少女的终极幻想——在这个世界里化身叱咤风云的宝可梦大师——融入其中。

しかし、ここで忘れてならないのは、サトシの母親の存在である。

但是,在这里绝不能忽视的,是小智母亲花子的心理存在。

サトシの母親がエンテイにさらわれた時は、自分の意識を失っている。

小智的母亲在被炎帝掳走的时候,神智是陷入昏迷昏睡状态的。

しかし、意識を取り戻した時、サトシの母親は、自分を母親だと思い込んでいるミーと、実際の息子のサトシとの板挟みになる。

然而,一旦她恢复清醒意识,小智的母亲立刻就会陷入极其残酷的夹板气之中——一边是认定自己就是亲生妈妈的无助少女小美,另一边则是历尽艰险赶来救母的真正亲生儿子小智。

サトシの母親の性格からして、両親を亡くし、彼女を自分の母親にしたいミーに「あんたは、わたしの子じゃないのよ」と冷たく言い放てるだろうか。

以小智母亲那慈祥温厚的天性性格,面对失去双亲、一心将她视作生母紧抓不放的孤独女孩小美,她当真能狠得下心冰冷地甩下一句“你根本不是我的孩子”吗?

サトシの母にとって、サトシは大事な一人息子である。かといって、自分の娘じゃないからと、架空ではあっても孤独な状況で自分を母と思いこんでくれる女の子をほっておけるか?

对小智的母亲来说,小智是无可替代的唯一爱子;但即便小美不是自己的骨肉,面对一个身处凄风苦雨之中、在虚妄梦境里把自己当成唯一救命稻草的孤苦女孩,她难道忍心撒手不管扬长而去吗?

ここで、エンテイとミーの父と娘の話に、サトシの母親のドラマが侵入してくるのだ。

至此,原本纯粹属于炎帝与小美之间的父女私语,骤然被小智母亲沉重的人伦戏剧无情闯入并割裂了开来。

当然、ミーの父親代わりであるエンテイとサトシの母親との関わりも出てくるだろう。

如此一来,作为小美代理父亲的炎帝,与小智的母亲之间自然也会产生剪不断理还乱的交涉与牵绊。

エンテイはサトシの母に頼むだろう、ミーの母親でいてくれ、と。

炎帝势必会低声下气恳求小智的母亲:“求求你,继续做小美的妈妈吧。”

そんな時、サトシの母はどういう態度をとるだろう。

在那种时刻,小智的母亲究竟该做出何种抉择与姿态?

おまけに、サトシの母親は、ミーの行方不明の父親と、実際に知り合いである。

更致命的是,小智的母亲与小美失踪的生父秀力博士(Spencer Hale),在现实中原本就是旧识熟人。

こんな風に人間関係がごちゃごちゃしてくると、ミーの実際の父親とサトシの母との間で、過去に何らかの関係があったのではないかという妄想も膨らんでくる。

人际关系一旦复杂混乱到这种地步,观众甚至连创作者自己脑中都会不可遏制地膨胀出无端妄想:小美的亲生父亲与小智的母亲在过去莫非曾有过什么暧昧不明的隐秘情愫?

すると、本来の父と子との関係という『結晶塔の帝王』のテーマが大混乱をきたす。

若真如此,《结晶塔的帝王》原本聚焦的纯粹父子/父女羁绊之主旨,必将陷入彻底的灭顶混乱。

僕は「家族」――父と母、父と娘、父と子供、母と子供についてかなり考えた。

我日夜沉溺在关于“家庭”的无底深渊中——父亲与母亲、父亲与女儿、父亲与孩子、母亲与孩子,翻来覆去地苦苦思索。

完全にノイローゼ状態になっていたと思う。

回顾当时,我整个人可以说已经完全陷入了神经衰弱与精神崩溃的边缘。

何とかつじつまを合わせれば、お涙ちょうだいのいわゆる感動ドラマになったかもしれない。

如果只是敷衍塞责强行拼凑逻辑,或许也能勉强凑成一部廉价赚取观众眼泪的所谓催泪感动大片。

しかし、それぞれの登場人物が、それぞれの「自己」をもっているとすれば、つじつまあわせのなれあいドラマにはしたくない。

然而,只要每个登场角色都拥有独立鲜活的“自我灵魂”,我就绝不甘心将其降格为一部仅仅为了圆谎而彼此妥协糊弄的庸俗肥皂剧。

さらに、孤独な引きこもり少女ミーの気持ちも、重要な要素になってくる。

再者,孤独无依的闭锁少女小美内心的真实心境,同样是至关重要的枢纽。

このままではいけない……引きこもりの世界から脱出しなければいけない。

“不能再这样下去了……必须从这自我封闭的世界中逃离挣脱出来。”

サトシは、ミーに対してそう思う。しかし、ポケモン世界に引きこもっているのは、サトシ本人も同じではないか?

小智面对小美时心生如此感慨。然而,将自己封闭在宝可梦世界里沉迷不醒的,小智本人难道不也是一模一样吗?

『結晶塔の帝王』のプロット(あらすじ)は簡単である。しかし、よく考えるととんでもない難しいドラマだったのである。

《结晶塔的帝王》的大纲故事看似极其明了易懂。但是,只要稍微深入细想,它其实是一部难度大到超乎想象的极其艰深的人性戏剧。

序盤はすいすいできた『結晶塔の帝王』も、実ははそこから先が大変だったのである。

开篇顺风顺水的《结晶塔的帝王》,实际上从中盘往后的推进简直是寸步难行的炼狱。

色々考えた。ミーの孤独なイメージに「かまくら」――地名ではなく雪の山を作ってそこに穴を掘り(エスキモーの家のようなものである)火鉢で暖をとる日本の豪雪地帯の習慣行事――を入れてもみた。これは、訳が分からないという理由でカットされた。訳が分からなくてもいいのである。僕の単なるイメージシーンだからだ。

我尝试了各种表现手法。为了具象化小美内心的极度孤绝,我甚至试着引入了“雪屋(雪洞)”的意象——不是作为地名,而是在雪堆里掏出洞穴(宛如爱斯基摩人的冰屋)、在里面用火盆取暖的日本多雪地带传统民俗。然而这一段却被制作组以“莫名其妙看不懂”为由彻底删除了。其实看不懂又何妨呢?那纯粹是我个人为了传达意象而构筑的诗意场景罢了。

プロデューサーや監督から電話がかかってくる。ともかく、脚本が出来上がらなければ、その検討もできない。制作も滞る。

制片人与监督的催促电话接二连三打来。无论如何,只要剧本没有全盘完成,就无法召开研讨会推进,整个动画流水线制作周期也将全面瘫痪停滞。

記憶は確かではないが、海外に渡航しているプロデューサーからは、飛行場から電話がかかり、外国からも電話がかかってきた。

虽然记忆已有些模糊,但我记得当时正出差国外的制片人甚至从海外机场打来跨洋长途,在异国他乡不停地追问:

「脚本はできましたか?」である。

“剧本写完了吗?到底写出来没有啊?”

『結晶塔の帝王』について深く考え始めると、底なし沼になってしまう。

一旦对《结晶塔的帝王》的深层意涵深究下去,整个人就会彻底深陷于无底泥潭之中难以自拔。

結局、簡略にしようとした。

最终,我狠下心肠,决定全面作大刀阔斧的“简略化”割舍。

『結晶塔の帝王』は父と娘の話である。さらわれたサトシの母親の感情は無視しよう。

《结晶塔的帝王》归根结底是父与女的故事。被掳走的小智母亲的复杂心绪,统统当作不存在全部无视掉吧!

その他の登場人物の個性も簡略化した。架空の父エンテイとミーの話に集中しよう。

其他所有配角的个性也一律极尽简略压缩。将全片的所有笔墨,统统孤注一掷集中在虚构之父炎帝与小美二人的羁绊之上。

竹中直人氏の声による、エンテイという父親の気持ちを中心にした。

以竹中直人先生那穿透人心的声线,将作为父亲的炎帝的心境牢牢树立为绝对中心。

サトシの母親は、意識を失ったままにした。

让小智的母亲始终处于沉睡昏迷状态,不给她展开复杂心路的机会。

クライマックスは、すべての元凶になるアンノーンとの戦いとエンテイの戦いに集中させた。

全片的高潮决战,全神贯注收束在炎帝为了守护女儿、与身为一切罪魁祸首的未知图腾殊死决战这一单一焦点上。

そこまで、決めた時、僕の体はガタガタだった。クライマックスは詳しく書いたプロットを、妻に口述筆記のように書いてもらった。

当好不容易决断到这一步时,我的身体早已彻底散架垮掉。最后的高潮戏份,是我把详细写好的大纲,躺在床上像口述笔录一样、一句一句念给妻子帮我敲打下来的。

妻は言った。エンテイの戦いがしつこすぎる。

妻子听完后直接对我说:“炎帝的打戏未免也太冗长、太死缠烂打了。”

サトシの母の存在が薄すぎる。

“而且小智母亲在里面的存在感也太单薄稀薄了吧。”

当然の意見だろう。

这无疑是极为中肯而自然的客观评价。

父と娘の話にこだわり、サトシのママの存在は、話をまとめるための木偶人形にすぎないからだ。

因为我当时一门心思死死咬住父女关系不放,小智妈妈的存在,纯粹沦为了强行收束剧情逻辑的提线木偶。

妻としては、サトシの母の存在があまりに希薄なのだ。

在身为母亲的妻子看来,小智母亲的戏份实在是苍白空洞到了极致。

それもそうだ。エンテイとアンノーンの戦いは、3分の1ほど削った。

确实言之有理。于是我当即采纳意见,将炎帝与未知图腾之间旷日持久的决斗恶战狠狠删削掉了大约三分之一。

こうして、『結晶塔の帝王』の1稿はできあがった。

历经如此劫难,《结晶塔的帝王》的第一稿剧本终于勉强拼凑成形。

原稿をFAXで送ると、すぐ入院した。僕は本当に死にかかっていると思った。

稿件刚用传真机发送出去的那一瞬间,我便立刻被紧急送进了医院。当时我真的觉得自己命悬一线、半只脚已经踏进了鬼门关。

病院から監督に電話した。

我从医院病房给监督打去了电话。

「サトシの母親が、エンテイにさらわれた状況に気づくシーンがない」というのが、監督の意見だった。

“剧本里完全没有小智母亲意识到自己身处被炎帝绑架处境的心理戏与觉察场景啊。”——这便是监督反馈的意见。

予想された意見だった。監督はこの『結晶塔の帝王』に「家族の絆」のようなものをもとめていたようだ。

这完全在我的意料之中。监督显然希望在这部《结晶塔的帝王》中,注入更多温情脉脉的“家庭羁绊”层面的表达。

それはそれで間違ってはいない。

从商业电影的角度来说,这种考量绝非没有道理。

そればかりか、この脚本にはヒットするだけの派手さがない。

不仅如此,我写出的这一稿剧本,严重缺乏能够确保商业票房大卖的华丽炫目与喧闹场面。

様々な反対意見が出てくるだろう。

铺天盖地的反对与修改意见恐怕会排山倒海般涌来吧。

僕自身には、この脚本を手直しする気力も体力もない。充分、この作品と立ち向かった気もしていた。

然而对于此时的我而言,已经连哪怕一丁点动手修改推敲剧本的气力与体力都彻底荡然无存了。我内心深处清楚,自己已经倾尽所有、毫无保留地与这部作品正面死斗过了。

入院中で直しの脚本会議に出る気力もなかった。

正躺在医院病床上的我,更绝对没有任何心力去出席那唇枪舌剑的剧本修改会议。

そこで、直しの脚本家を指定させてもらった。

于是,我主动向制作方指定了一位接手改稿的编剧人选。

他のレギュラーの脚本家に比べ、若く子供もいて、人との付き合い方もうまいし、他人の言うことに融通がきかせられる脚本家である。

与TV动画系列的其他常规编剧相比,这位编剧年纪较轻,膝下有子,长袖善舞擅长与人处事周旋,更难能可贵的是对各方意见具有极强的变通适应与协调执行能力。

それに劇場版『ポケモン』の短編も書いていた。かなり器用である。

而且他此前也一直负责执笔《宝可梦》剧场版的同映短篇动画(皮卡丘短片)。在行内可谓是极度精明能干的巧匠型编剧。

監督の了解をとった上で、第1稿の入ったフロッピーを送った。

在征得监督的正式首肯之后,我将装有第一稿剧本文档的软盘寄送给了他。

『結晶塔の帝王』については、その後その脚本家とは何も話していない。

自那之后,关于《结晶塔的帝王》的剧本细节,我与那位编剧之间再也没有进行过任何交流交谈。

完成した映画を見ただけである。

我仅仅是作为一名观众,看完了最终公映的成片而已。

その第1稿を直した脚本家が、共作者になっている。

而那位负责修改第一稿的编剧(园田英树),便在片头片尾挂上了与我并列的联合编剧名头。

プロット自体はさほど変わっているとは思わなかった。アクションシーンが変わっている気がした。

成片的情节梗概本身并没有太大改动,主要是其中的动作打斗戏份感觉被大幅重新编排过了。

エンドタイトルに、ミーと行方不明だった父親と一緒に見たことのない女性がいた。

在片尾职员表的画面中,小美与失踪归来的父亲身旁,赫然出现了一位我从未见过的神秘陌生女性。

3人とも幸せそうだった。

三个人看起来其乐融融、洋溢着无比幸福的微笑。

この女の人だあれ?

我当时心中暗想:“这个女人到底是谁啊?”

『結晶塔の帝王』のフィルムコミックのようなものが企画された。そのラストには、その女性が描かれていた。

后来官方企划推出了《结晶塔的帝王》胶片漫画(剧场版彩色漫画书),在那本书的结尾处,同样描绘了这位女性的身影。

その女性が誰であるかわからないので、文章は、第1稿を直した共作者にお願いした。

由于连我都根本不知道这个女性究竟是何方神圣,所以胶片漫画的文字解说,便拜托给了负责改稿的那位联合编剧。

彼の書いた文章には、その女性はミーが孤独だったときに、病気で入院していた実の母親だとあった。びっくりした。

他在解说文字中写道:那位女性是小美孤身一人时“因病住院治疗的亲生母亲”。我看到之后瞠目结舌、大吃一惊。

自分の母親が病気で入院して死んでいないのなら、エンテイにサトシの母親をさらってもらうことなどせず、ミーは実の母親に会いに行き、病気を治してもらおうとするだろう。

要是小美的亲生母亲只是生病住院而根本没有撒手人寰,那小美何苦让炎帝去绑架小智的母亲啊?她理应直接让炎帝带自己去探望亲生妈妈、甚至祈求神力治好妈妈的病才合乎情理吧!

『結晶塔の帝王』は、少女の孤独が世界を結晶化させるような大事件である。

《结晶塔的帝王》是一出因少女骨髓里的极度孤绝、甚至导致大千世界都为之结晶石化的惊天浩劫。

『となりのトトロ』で、母が病気療養中で、そのさみしさから、トトロや猫バスがでてきて、母のお見舞いに行く、というファンタジーは納得できる。

在《龙猫》里,母亲因病疗养,出于幼童内心的寂寞而幻化出龙猫与猫咪巴士去医院探望母亲,这种奇幻童话是完全能够自圆其说、令人信服的。

だが、母が病気療養中なのに、その寂しさで世界が結晶化してしまうというのは、ちょっと作品世界を勘違いしているのではないか?

但是,亲生母亲明明只是在医院疗养,单凭这份小寂寞就能让整个大千世界彻底结晶化——这未免也太把作品的世界观与危机量级理解偏了吧?

もっとも、エンドタイトルに出てきた女性は、映画の中ではミーの母親とは説明されていない。ミーの父親の後妻であってもいいのであって、映画だけを観ているぶんには意味不明である。

当然,在电影公映的正片中,片尾出现的女性并未被明言就是小美的母亲;硬要解释成小美父亲后来续弦迎娶的继母也未尝不可,单看电影本身其实就是个没头没脑的未解之谜。

なにはともあれ、すくなくとも『結晶塔の帝王』が、父親と娘の感情を描いていると観ている方に感じていただければいいのだ、と僕は思う。

无论如何,只要观众在观看《结晶塔的帝王》时,能够切实感受到片中所倾注的父与女之间深沉复杂的情感羁绊,于我而言便已心满意足了。

この映画、外国でヒットした日本映画では第4位だそうである。

据说这部电影在当时海外票房最卖座的日本电影榜单上,高居历史第四位。

で、この映画で、僕は『ポケモン』の映画の脚本を書くことを止めた。

而后,正是以此部电影为终点,我彻底放下了为《宝可梦》剧场版电影执笔剧本的笔锋。

正直疲れてしまったのである。

说句掏心窝子的话:我真的已经彻底精疲力竭、心力交瘁了。

つづく

(待续)

02

●昨天的我(比起近况报告不如说是谁都能当的编剧)

脚本家の宮内婦貴子さんが、亡くなった。20歳近く年上の方である。アニメファンには御存じのない方も多いと思うが、僕が物書きになったのはこの方のおかげである。18歳の時に書いた脚本を評価していただき、色々な方に紹介していただいた。

资深编剧宫内妇贵子女士与世长辞了。她是一位比我年长近二十岁的前辈。想必许多动画爱好者对她的名字并不熟悉,但我之所以能够踏上靠文字为生的编剧之路,全拜这位恩师所赐。当年她对我18岁时写下的剧本青眼有加,倾力将我引荐推介给了各界方家。

実写畑の方で、この方の作品歴はネットで検索してください。

她主要耕耘在真人影视剧领域,关于她辉煌的创作履历,大家可以在网络上自行检索。

デビュー作の「大江戸捜査網」を書かせてもらえたのもこの方におかげだし、その作品の出来に頭にきて「脚本なんか書いていられるか」とぶうたれて何年も書かなかった時に「出来が悪ければ私が責任もつから」と、あるアニメ会社に紹介してくださったのもこの方である。

我之所以能拿到出道处女作《大江户搜查网》的编剧机会,完全是承蒙她的鼎力提携;而在那部作品拍出来后,我因为对成片效果极度光火、赌气嚷嚷着“谁还写这破剧本啊”而愤然封笔数年之际,又是她斩钉截铁地放话“要是写砸了我一个人扛全责”,硬是将我引荐给了一家动画公司。

当時の著名な脚本家に方たちにも会わせていただいた。

她还带着我引见结识了当时无数叱咤业界的知名大牌编剧。

実は、書くタイプの作品が違うので、この方から脚本を教わった覚えはない。

坦白讲,因为我们两人所创作的题材类型大相径庭,我并不记得自己曾向她系统讨教过什么编剧技法。

しかし、物書きとしての姿勢はとても教えられた。

然而,关于身为一名文字创作者应有的骨气与风骨姿态,她教给我的东西实在太多太多了。

この方の生活は、常識的な人からは型破りにみえるかもしれないが、書くものへの真摯な姿勢があって、僕をずいぶん励ましてくれた。

这位前辈的行事为人与日常生活,在凡夫俗子眼里或许显得极度特立独行、不修边幅;但她对笔下所写之物那近乎虔诚的真挚热忱,曾给予过我无数莫大的激励与鼓舞。

自分が書いたものの責任を自覚している人だった。

她是一位对自己亲笔写下的每一个字都怀有高度责任自知的真正作家。

宮内婦貴子さんとの出会いは偶然だったかもしれないが、継承した姿勢は守らなけれないけないと思っている。

与宫内妇贵子女士的相遇或许纯属机缘巧合,但我深知,从她身上传承下来的这股身为作家的傲骨与风姿,我必须誓死坚守下去。

これは、宮内婦貴子さんへの追悼文ではない。

这篇文字并非专门写给宫内妇贵子女士的悼词。

宮内婦貴子さんへの感謝は別でする。

对宫内妇贵子女士的深切谢意与哀思,我会在另外的场合郑重表达。

ここはアニメに関するコラムである。

因为这里始终是一个关乎动画创作的专栏。

『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品がある。

世间有一部名为《魔法小天使》(甜甜仙子 / 魔法公主明琪桃子)的作品。

僕1人で作り上げたものではない。

那绝非凭我一己之力就能凭空缔造的奇迹。

制作に携わった様々な人の力の結晶だと思う。

那是当年参与制作的所有同仁们智慧与汗水的至高结晶。

つぶれかかった会社の会長と社長の2人のために作ったものではないことは確かだ。

有一点毋庸置疑:我们当年呕心沥血,绝不是为了某家濒临破产边缘的公司的会长和社长那两个人而拍的!

『魔法のプリンセス ミンキーモモ』30周年をでっちあげたこの人たちに、情けなさを感じる。

看着这帮肆意捏造、胡乱拼凑出所谓《魔法小天使》“30周年”噱头的投机客们,我打心底里感到无尽的悲哀与不齿。

あなたたちは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』がどんな作品か分かっているのでしょうか?

你们这些家伙,究竟懂不懂《魔法小天使》到底是一部怎样的作品啊?!

結果はそのうち出るでしょう。

这种短视恶行的报应,想必不久之后就会水落石出吧。

アニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を知っている方は、いっけん巧妙に見えるけれど、穴だらけのこんな商売に引っかからないように気をつけてください。

熟悉并深爱着动画《魔法小天使》的各位读者朋友们,请大家千万保持警惕,切莫被这种乍看巧妙光鲜、实则千疮百孔的卑劣铜臭商业把戏所蒙骗。

つづく

(待续)

■第214回へ続く

■待续至第214回

(10.02.24)

(2010年2月24日)