2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第201回:对不起,我差点忘了小霞的事(打破智霞恋爱幻想、菜盘香菜的残酷隐喻与被删减的愤怒殴打)
首藤刚志 × 小智 × 小霞 × 皮卡丘 × 饭冢雅弓 × 武藏 × 小次郎 × 喵喵 × 芙卢拉
第201回 对不起,我差点忘了小霞的事
『ルギア爆誕』で、ロケット団トリオを際立たせるためには、出番の少ない他の登場人物もそれぞれの自分らしさをしっかり描かなければならない。
在《洛奇亚爆诞》中,为了让火箭队三人组能够鹤立鸡群、绽放光芒,就必须把出场镜头寥寥无几的其他配角各自独有的“自我本色”扎得坚如磐石。
準備は整った気がしたが、念には念を入れようと、もう一度、登場人物たちを見直してみた。
我原本以为一切推演准备停当,但为了慎重起见,我又将登场的人物清单从头到尾仔细复盘了一遍。
結果、重要な登場人物の描き方が弱いことに気がつき、いささかあわてた。
这一查不要紧,我猛然惊觉:竟然有一位举足轻重的核心登场人物,被刻画得极其薄弱单薄!我顿时有些手足无措地慌了神。
それはサトシとともに旅をしている主役クラスのカスミだった。
那个人,正是始终与小智形影不离结伴同行的主番大女主——小霞。
なぜ、カスミは、主人公サトシとともに旅をしているのか。以前も書いたが、カスミの台詞に「私の行きたいところにたまたまサトシがいるだけ」という答えがある。『ルギア爆誕』のゲスト、フルーラから挑発的に「あなた、サトシのガールフレンドなの? 趣味悪いわね」という意味の台詞――これは、『ルギア爆誕』におけるカスミという存在への挑発でもある――への、いわば、売り言葉に買い言葉的な台詞である。
小霞究竟凭什么要一直陪着主人公小智风餐露宿去流浪?我之前也提到过,小霞口中有一句名言作为答案:“不过是我正好想去的地方,恰巧都有小智在罢了。”当《洛奇亚爆诞》新登场的岛屿女孩芙卢拉挑衅地质问她“你是小智的女朋友?眼光可真够差的”——这本质上也是对小霞在整部剧场版中立足位置的无情挑衅——小霞在针锋相对、寸步不让的气话之下,猛然甩出了这句狠话。
「私の行きたいところにたまたまサトシがいるだけ」という台詞の裏に、カスミ自身も気がついていないサトシへの恋愛感情が隠されていると感じていただく方々もいるが、それは、僕がカスミの存在感を目立たせるために用意したフェイク(ひっかけ)シーンである。
不少善解人意的观众与影迷或许会一厢情愿地认为:在这句“我正好想去的地方恰巧有他在”的背后,必定暗藏着连小霞自己都未曾自觉的对小智的懵懂恋爱酸涩之情——但我必须毫不留情地在此戳破:那纯粹是我为了在银幕上强行抢回小霞的存在感,而精心设下的“障眼法伪戏(Fake Scene)”罢了!
カスミはサトシに対して、恋愛感情など持っていない。カスミの持つサトシへの恋愛感情が『ポケモン』のテーマの一つになると、『ポケモン』というシリーズの全体構造が壊れてしまうのである。
小霞对小智,从头到尾根本就没有半点世俗所谓的男女恋爱感情!一旦让小霞对小智的爱恋滋生为《宝可梦》的核心母题之一,《宝可梦》这一长篇系列的宏伟全盘架构,瞬间就会分崩离析、彻底轰塌!
『ポケモン』のテーマは、ポケモンという架空の生物と人間のかかわり、そして、サトシという少年(これはすべての人間の少年少女期を意味する)のよきにしろ悪しきにしろ大人への成長である。少なくとも僕が『ポケモン』のシリーズ構成を引き受けたときに、直感的に決めたテーマがそれだった。
《宝可梦》不可撼动的真正宏大主题,是人类与名为“宝可梦”的虚构生灵之间的深层纠葛羁绊,以及小智这个少年(他象征着普天之下所有终将告别童年的人类少年少女)无论是好是坏都不得不迈向成人世界的蜕变成长。至少当年我接下《宝可梦》初代总编剧的重任时,凭借本能直觉一锤定音敲定的正是这个母题。
『ポケモン』の重要なテーマは、いわゆる「スタンド・バイ・ミー」にすることは、すでにこのコラムで述べた。
我在此前的连载里早已反复强调:《宝可梦》的骨髓,本质上就是那一曲名为《伴我同行》(Stand by Me)的残酷少年物语。
人間はいやでも歳をとって大人になるというのは、極めて普遍的な人間のテーマで、僕自身『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のエピソードで、何度も取り上げている。
人类哪怕再怎么抗拒,也终究不得不任由岁月剥夺童真、被动蜕变长大——这是全人类最古老而普遍的永恒命题。在我当年主笔的《魔法小仙女》(甜甜仙子)剧集中,我也曾无数次撕开这一道伤口去反复咏叹。
『ポケモン』では、そのテーマに、架空生物ポケモンとの関わりが最重要テーマとして加わる。
而在《宝可梦》中,与那群不可思议的虚构生灵的复杂相处,作为最核心的催化剂被深度嫁接进了这一成长命题之中。
子供であるサトシには、ピカチュウという盤石の相手がいる。
对于依然身处孩童世界的小智而言,他的身边早已伫立着一只宛如坚如磐石般不可撼动的终极伙伴——皮卡丘。
仮にカスミにサトシに対する恋愛感情が芽生えたとしても、サトシとピカチュウの関係には割り込めない。
退一万步讲,即便小霞心底当真萌生出对小智的少男少女爱意,她也绝无可能插足进小智与皮卡丘那坚不可摧的绝对领域之中!
カスミの中にサトシへの幼い恋愛感情が芽生えたとしても、それを描けば、『ポケモン』は別のテーマを内蔵してしまい、基本的なテーマが、ややこしくなるばかりか希薄になってしまう。
哪怕小霞胸膛中真的涌现出懵懂的幼嫩爱慕,一旦把这搬上台面大书特书,《宝可梦》就会被迫背负起截然不同的世俗杂质;原初纯粹的骨架非但会被搅得一团乱麻,更会被稀释得寡淡无味。
『ポケモン』において、カスミに恋愛感情があったとしても、それは料理の薬味程度の意味しかもたないし、『ポケモン』のテーマに、味を複雑にする薬味ははっきりいって邪魔ですらある。
在《宝可梦》的世界观里,小霞身上就算附带了恋爱元素,充其量也不过是大餐旁边点缀的一抹佐料罢了;而在旨在淬炼原汁原味的《宝可梦》主干道上,这种把味道搞得浑浊复杂的所谓佐料,坦白说根本就是多余乃至碍事的累赘!
そもそも、カスミというキャラクターには、サトシに恋愛感情をいだく要素がない。
归根结底,在小霞这个人设的底层代码里,本就根本找不到哪怕一丝一毫会对小智产生异性恋慕的化学要素。
確かにカスミは恋に恋する年齢ではあろうが、『ポケモン』は少女マンガでもケータイ小説でもない。
小霞确实正值容易对恋爱本身抱有幻想的芳华年纪,但《宝可梦》既不是煽情泛滥的少女漫画,更不是无病呻吟的手机小说。
『ポケモン』というアニメシリーズにおいて、主要人物の中で最も存在感が希薄なのはカスミだったのである。
在整个《宝可梦》长篇动画系列的所有常驻核心角色之中,存在感最为稀薄惨淡的,其实正是小霞!
もともと、『ポケモン』アニメの企画時に、男の子とポケモンだけでは殺風景で女の子の視聴者を取り込みにくいから――という理由で、サトシの旅の仲間として加えたキャラクターなのである。
追根溯源,在当年动画最初立项企划的会议桌上,只是因为高层觉得“满屏只有男孩子和怪兽未免太煞风景干瘪,很难拉拢女童观众群”,才顺理成章地将她作为小智旅途的同伴硬塞进队伍里的。
料理におけるパセリのような存在である。あってもなくてもいいが、あった方が見栄えがいい。
她就像盛在昂贵西餐盘边缘的那一小簇欧芹(香菜):有它没它对大餐本身的饱腹毫无影响,但摆在盘角看起来好歹赏心悦目、卖相更佳。
たまに、料理についてくるパセリが好きな人がいるが、少数のもの好きである。
偶尔世上确实会有偏偏嗜吃这口欧芹怪味的食客,但那终究只是极少数别具一格的怪人偏好罢了。
おまけに僕がシリーズ構成をしていた初期の『ポケモン』の脚本家陣は、全員男性だったから、カスミのキャラクターが個性的に描けていない。
更要命的是,在我担任总编剧统领全局的宝可梦初期黄金编剧班底里,清一色全是不折不扣的糙老爷们!这帮大男人根本没能把小霞的灵魂个性真正雕琢出来。
少女の移ろいやすい微妙な機微が描けていればいいのだが、現実に登場するカスミは、ステロタイプのおてんば娘でしかない。
若是能敏锐捕捉并细腻勾勒出青春期少女那如晨雾般游移纤细的心灵机微倒也罢了;可落在大银幕和荧屏上的现实小霞,最终却沦落为了一个刻板套路化的泼辣野丫头。
出番は少なくても、『ポケモン』のテーマを語る本当の主役は我々だ……と、自覚しているロケット団トリオ(僕自身も声優さんにそう言ったし、声優さんたちもすでに理解していて、ロケット団トリオが最初に登場した時から、彼らの「なんだかんだといわれたら……」の口上を暗記していて――恥ずかしながら口上を書いた僕すら暗記まではしていなかった――この口上を絶対に流行させてみせると意気込んでいたのは、以前このコラムに書いたと思う)とは違う。
她与火箭队三人组有着云泥之别——火箭队哪怕出场时间再短暂,也从骨子里深切自省着:“道出《宝可梦》终极深层哲学的真正幕后主角,乃是我们!”(当年我亲口对三位声优阐述过这一定位,而声优们心领神会,从火箭队初次登场的那一刻起,就将那段“既然你诚心诚意地发问了……”的登场台词倒背如流——惭愧的是,连亲手写下这段台词的我都没能背得滚瓜烂熟——当时声优们便摩拳擦掌发誓一定要让这段开场白风靡全国,这些掌故我以前也在专栏里详细写过)。
出だしから『ポケモン』アニメにおける存在感は、ロケット団トリオのほうが主役級のカスミのはるか上だったのである。
从动画开播的最初起点来看,火箭队三人组在整部《宝可梦》世界中的灵魂存在感与分量,便已经远远凌驾于身为第一女主角的小霞之上了!
事実、最初に僕が考えていた『ポケモン』アニメは、ロケット団トリオが、大人になるサトシを追い抜いて「ポケモン世界」の永遠の主役になるラストのつもりだった。
事实上,在我最初为《宝可梦》动画构想的真正终局大结局里,正是由火箭队三人组超越逐渐蜕变成长为无趣大人的小智,永远加冕为这片生机盎然的“宝可梦乌托邦世界”的永恒主角!
カスミの事に話を戻そう。
言归正传,还是让我们把视线重新拉回到可怜的小霞身上。
僕自身は、『ポケモン』アニメ開始当初から、カスミの存在感の薄さが気になっていた。
其实从动画开播的第一天起,我自己就对小霞那近乎透明的存在感深感如鲠在喉、隐隐不安。
だから、僕が書いた脚本の中では、小手先ではあったかもしれないが、かなりカスミの存在感に気を使った。
因此在我亲自执笔的所有剧本里,哪怕只是些细枝末节的小聪明手腕,我也竭尽全力在各个角落为小霞的存在感保驾护航。
台詞もカスミならではの感情を持たせようとした。
哪怕是一句看似微不足道的对白,我也拼命想要注入独属于小霞这一角色的真实情绪波澜。
そもそも、『ポケモン』アニメの初期設定は、僕に大きな責任がある。
归根结底,《宝可梦》动画最初的人设地基很大程度上是我一手敲定的,我必须承担不可推卸的历史重责。
カスミの存在感を高めようとするのは人情である。
出于人之常情,我无论如何也想把这个可怜姑娘的存在感拼命往上拉一把。
『ポケモン』は、外国に東洋人の顔の細目は受けないだろうという理由で、主役級のタケシの交代劇を行ったアニメである。結局、外国にもタケシが受けていることが分かり、アニメに戻ってきたのは御承知のとおりである。
《宝可梦》这档节目,曾因为高层瞎操心“眯眯眼的东洋人面孔恐怕在欧美海外市场不讨喜”,而干脆利落地把核心常驻主角小刚中途撤换过。如大家所知,后来发现小刚在海外反而大受欢迎,制作组这才不得不又屁颠屁颠地把他请回了主力阵营。
番組が長く続き、視聴率が落ち目になりだすと、強化という名目で主役級や敵役の交代劇が行われる。
一部长寿年番一旦持续过久、收视率开始显露颓势,业界往往便会冠以“全面强化”的堂皇幌子,对队伍里的主角级角色或反派阵容痛下杀手、残酷撤换。
主役級の交代となると、一番危険性の高いのが存在感の薄いカスミだった。
而一旦高层祭起“主角轮换”的屠刀,整支队伍里处境最岌岌可危、最容易成为刀下亡魂的,正是存在感最为薄弱的小霞!
僕は、カスミを代えたくはなかった。そのためには、魅力的な個性、存在感が必要だった。
我当时一百个不愿意看到小霞被冷酷弃用换下。而要想保住她,唯一的活路就是赋予她任何人都无法取代的迷人个性与绝对存在感!
努力はしたが、僕にとっては、ロケット団トリオの存在感のほうが重要だった。
我也确实为此挣扎努力过;但对于身为主创的我而言,火箭队三人组的灵魂重量,无论如何都远比小霞要重要得多得多。
ロケット団トリオは声優さんたちの実力もあって、彼らは充分な存在感を持ち、交代を許さなかった。
火箭队三人组凭借着声优三人登峰造极的演艺实力与人格魅力,早已铸就了不可撼动的存在感,任何高层都休想动摇他们分毫!
僕が『ポケモン』の脚本を書かなくなってから10年近く経ってもロケット団トリオは、しっかり存在している。
自我彻底封笔不再为《宝可梦》撰写一字剧本至今近十年的光景过去了,火箭队三人组依然宛如磐石般稳稳矗立在大荧屏上。
たまに、何のために登場しているのか分からないエピソードもあるようだが、もはやロケット団トリオの出てこない『ポケモン』は、『ポケモン』ではない。そう言い切れる域にまで達している。『ポケモン』のランドマークのような存在である。
如今的他们,偶尔在某些集数里看似沦为了毫无意义走过场的龙套;但“没有火箭队出场的宝可梦,就根本称不上是宝可梦”——他们已经实至名归地达到了这种神圣境界,化为了全系列的终极地标象征!
別の敵役が登場しても、ロケット団トリオはびくともしない。ロケット団トリオに交代はありえないのだ。
无论后来的世代再怎么粉墨登场新的反派组织,火箭队三人组的地位也从来不曾被撼动半寸。火箭队的谢幕或换人,是绝无可能的。
カスミにとって申し訳なかったのは、僕がロケット団トリオを最重要視したこと。そして、これは、僕個人の偏った考えにすぎないかもしれないが、ポケモンアニメ制作の上層クラス並びに脚本陣のほとんどが男性だったことである。
对于小霞,我内心深处始终怀着一份愧疚:一是出于我个人毫无保留地将最高优先级倾注给了火箭队三人组;二来,或许这也只是我一孔之见的偏颇想法——当年宝可梦制作核心高层以及编剧班底,几乎全被男性垄断霸占。
この業界の男性は、女性の魅力に色々目移りしがちだが、女性の魅力を引き出すことが苦手である(これ、僕の独断と偏見)。実際、僕の限られた経験によると、この業界の多くの人は、女性を口説くのが呆れるほど下手である。で、僕の持論だが、女性を口説くコツは、相手の女性の魅力を引き出し、それをほめることである。
在我们这个影视动漫行当里的男人们,虽然对各种女性美色眼花缭乱、垂涎欲滴,但真要说到如何由内而外挖掘并烘托出女性真实的迷人魅力,却笨拙低劣得令人发指(请容许我再次重申这仅代表我的独断与偏见)。在我的狭隘见闻里,这行里的大多数男人,连追求女人的手段都烂得让人目瞪口呆。而按我一贯的处世哲学:打动追求一个女人的真正秘诀,无非在于悉心挖掘出对方身上深藏的独特闪光点,并毫无保留地去由衷赞美她。
余談だが、女性を口説くなら、自分の持っている妙な理屈を言って相手の気を引くより、「あなたはきれいだ」または「あなたは美しい」を100回連呼した方が効率がいい。
顺便插一句闲话:男人若真想追求倾慕的女人,与其搬弄自己那点自命不凡的古怪大道理试图博取眼球,倒不如老老实实、深情款款地把“你真好看”、“你真美丽”在耳畔真挚连呼一百遍要高效管用得多。
もちろん、相手の女性のきれいな部分、きれいになってほしい部分を分かっていなければ話にならないが……。すると、これも僕の独断だが、実際に相手の女性も美しくなっていくのである。
当然前提是,你必须真正看透这名女性最动人的神韵、以及她渴望被肯定赞美的脆弱角落,否则一切只是油腔滑调……而只要你做到了这一点——这也是我的独断经验之谈——对面的女性当真会在你的真挚注视下,肉眼可见地越发美丽动人起来!
相手を美しいと言っている男性も、言われている女性も、自己暗示にかかってしまっているからと言われれば、返す言葉もないが……。
要是有人冷笑嘲讽说“这不过是赞美者的男人与受赞美的女人双双陷入了自欺欺人的心理暗示罢了”,我倒也无言以对……
これは、脚本で魅力のある女性を描くときのコツでもある。
然而,这恰恰就是在剧作中塑造出摄人心魄的鲜活女性角色的不二法门!
で、これも余談だが、男性の脚本家や監督の作る最近の映画やドラマやアニメは、女性に驚くほど魅力がない。
说来惭愧,这也是一句牢骚闲话:纵观当今男性编剧或导演炮制出来的近期电影、日剧乃至新番动画,里面的女性角色竟然无趣单薄得令人触目惊心!
魅力があるように見えても、それは、女優の外見や演技力や存在感に頼っている。
表面看着似乎颇有姿色,但那不过全凭女演员或者声优自身的皮囊颜值与逆天演技在苦苦硬撑罢了。
たまに魅力のある女性が描かれている作品に出会うと、監督や脚本家が女性だったりする。
偶尔若能撞上一部把女性刻画得风情万种、入木三分的难得佳作,一查主创名单,监督或编剧十有八九往往是女性创作者。
つまり、女性の方が同性の女性の魅力が分かり、その魅力を引き出すのが上手だということだ。
也就是说,终究还是唯有女性才能真正体察同性身上那些深邃复杂的魅力肌理,并极其游刃有余地将其彻底解放展现出来。
じゃあ、男性の監督や脚本家は、魅力的な男性を描くのがうまいかというと、そうでもない。
那么回过头来,难道这帮男性导演和编剧就能把自己同性的男人刻画得充满人格魅力吗?答案同样是令人绝望的——完全不行!
どこかゆがんだ、あまり友達としてつきあいたくない男性像ばかり登場してくる。
银幕上充斥的全是一群性格扭曲偏执、在现实中你根本一秒钟都不想跟他们做朋友的糟糕男性人设。
昔は、女性の魅力を引き出すのがうまい男性の監督や脚本家がいたのだが、今時は、いったいどうなってしまったのだろう。
遥想当年黄金时代的日本影坛,明明有那么多极擅长雕琢女性神韵的泰斗级男性名导与大编剧,怎么到了今天这个时代,整个业界竟颓靡滑坡成了这副德行?
余談がすぎたが、ポケモンのカスミを魅力的に描けなかったのは、基本的にシリーズ構成の僕の責任である。
闲话扯得太远了。但话说回来,没能把《宝可梦》里的小霞雕琢出应有的耀眼魅力,在根本上完全是我这个系列构成的失职与罪过。
どうにかしようと思って『ミュウツーの逆襲』では、サトシの「どうしてここにいるんだろう?」の問いに対して、「存在しているから存在している。それでいい」という意味の、この作品のテーマを語らせてもみたが、ラストシーンのロケット団トリオの「なんだかとってもいい感じ〜」の台詞で、カスミの存在は吹っ飛んでしまった。
为了挽回劣势,在第一部剧场版《超梦的逆袭》中,面对小智绝望的拷问“我们为什么会生在这个世上”,我曾特意安排小霞说出“因为存在所以存在,这样就足够了”这句承载整部电影存在主义哲学核心的主题台词;然而到了片尾高潮落幕之际,火箭队三人组那句经典的“感觉好极了~”,瞬间就将小霞的所有光芒彻底轰得烟消云散!
『ルギア爆誕』では、海でおぼれたサトシを助けるシーンを用意した。
于是在第二部《洛奇亚爆诞》里,我苦心孤诣为小霞量身打造了一处大银幕高光:由她亲自跳入波涛汹涌的狂暴怒海,将溺水垂死的小智打捞上岸!
サトシを人工呼吸で蘇生させるのだが、実はこのシーン、脚本でのカスミは、息をしていないサトシの胸を何度もぶんなぐるのである。
银幕上最终呈现的是人工呼吸复苏;但事实上,在我亲笔写下的最初分镜剧本里,面对停止呼吸的小智,小霞是用尽浑身力气、目眦欲裂地发狂连续猛殴小智的胸口!
ここで、サトシに死なれたら、わたしの『ポケモン』における存在位置はなんなのよ――サトシに生きていてほしいという愛ではなく、サトシに死なれて、自分の存在がより希薄になることへの怒りがこもっている、というつもりだった。
“你要是敢死在这种鬼地方,那我在这部《宝可梦》里的存在价值到底算个什么东西啊?!”——那绝非什么俗不可耐的“求求你活过来”的廉价圣母爱意,而是因小智一旦丧命、自己的存在必将彻底化为灰烬虚无所爆发出的、歇斯底里的狂怒与生存绝叫!
このシーン、外国では暴力シーンに誤解される恐れがあるという上層部の考えで、ぶんなぐりは消されてしまった。
然而这个倾注了我全部心血的灵魂段落,却因制作委员会高层所谓“在欧美海外上映恐被扣上宣扬暴力虐待儿童罪名”的荒谬考量,被不由分说地一刀切剪除了!疯狂殴打胸膛的镜头被彻底抹杀。
カスミの怒りの見えないそのシーンは、サトシの命を助けようとして必死になっているカスミの愛情表現に見えかねないシーンになってしまった。しかし、それでは、ごく普通のステロタイプの女の子でしかない。
失去了那股摧枯拉朽的狂暴愤怒,这一幕在不明就里的观众眼里,瞬间沦为了一段“小霞为了抢救心上人小智而拼死献出深情之吻”的烂俗纯爱桥段!但这与大街上一抓一大把的模板化套路女孩又有何异?!
個性的なキャラクターで埋め尽くそうとした『ルギア爆誕』のなかで、カスミはごく普通の女の子になってしまった。
在这部我誓要用极致鲜活个性生灵填满大银幕的《洛奇亚爆诞》里,小霞终究被体制化剪刀残忍剥夺了棱角,变回了一个极其平庸普通的花瓶女孩。
その後、『ポケモン』が新シリーズになり、カスミは他の女の子に交代した。
在那之后,随着《宝可梦》长篇步入世代更迭的新系列,小霞最终难逃宿命,被换成了其他的崭新女主角。
しかし、代わりに出てきた女の子たちが、カスミ以上に魅力的かどうかは、僕のあずかり知らぬところである。
至于那些后来走马灯般走上前台的新女孩们,究竟有没有展现出超越当年小霞的夺目光芒,那便非我这退隐之人所能知晓与过问的了。
僕がシリーズ構成として関わった『ポケモン』で申し訳ないと思っている事のひとつが、カスミの魅力を引き出せなかったことである。
回顾我统领《宝可梦》初期动画构架的那些峥嵘岁月,内心至今沉淀的最难以释怀的歉疚与遗憾之一,就是终究未能帮小霞彻底解开封印、释放出属于她全部的夺目光华。
声優さんにも気の毒だったが、他の方たちから「首藤という脚本家は女の子を書くのがうまい」と言われていた僕だけに、『ポケモン』のカスミは、かなり僕にとってもイタイ存在だった。
这对于全情倾注的声优饭冢雅弓小姐而言固然无比残酷抱歉;而在业界向来被各方同仁交口称赞“首藤刚志这人最擅长把女孩子写得神采飞扬”的我身上,《宝可梦》里的小霞,成了我剧作生涯里一道深深刻骨、至今隐隐作痛的巨大创口。
あ、カスミのことを思い出していたら、『ルギア爆誕』の話が今回で終わらなくなった。
哎呀,光顾着沉浸在打捞小霞的痛苦回忆里,《洛奇亚爆诞》的解密在这一讲里又没能彻底画上休止符。
「何でも書いてなさいよ。どうせ、トリは私たちなんだから……」ロケット団トリオの声が聞こえてくる。
“爱写什么你就尽管慢慢写好啦!反正不管怎样,全戏压轴的绝对大底牌,终究还得是我们三人组大人嘛……”——冥冥之中,我耳畔仿佛又响起了火箭队三人组那嚣张玩味的窃窃私语。
アニメスタイルの編集の方からも「早く『ルギア爆誕』の話の先にいきましょう」と言われているだけに申し訳ない。
WEB Anime Style编辑部的主编也早就火急火燎地催促我“首藤老师,咱们赶快聊完《洛奇亚爆诞》往后推进吧”,搞得我更加诚惶诚恐、愧疚万分。
次回こそ『ルギア爆誕』におけるロケット団トリオの立ち位置と彼らの意識の話を書きますのでお許しください。
下一回!我保证下一回定将毫无保留地全盘托出《洛奇亚爆诞》中火箭队三人组的真正灵魂站位与崇高自我意识!还望各位读者大人海涵见谅!