译文 阅读设置

2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」

[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第186回:电影第二作的“深层海流”(从超梦的存在到自我共存、拒绝三大神鸟怪兽摔角与原创宝可梦“X爆诞”解禁)

首藤刚志 × 汤山邦彦 × 超梦 × 梦幻 × 凤王 × 急冻鸟 × 闪电鸟 × 火焰鸟 × 洛奇亚 × 小智 × 皮卡丘

WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」 2009.05.27 约 15 分钟 原文 ↗

01

第186回 电影第二作的“深层海流”

『ポケモン』映画の2作目は、冒険活劇である。

《宝可梦》电影版的第二作,被定调为一部冒险活剧。

ピカピカ事件はあったものの、再開後の視聴率も悪くなく、『ミュウツーの逆襲』は、どんな内容であれ、そこそこヒットはするだろうというぐらいの期待はあった。

虽说中间遭遇了震惊社会的“3D龙闪烁事件”,但复播之后的收视率表现相当坚挺;对于《超梦的逆袭》,制作组最初的心理预期其实也就是“不论内容究竟拍成什么样,好歹总能取得差强人意的票房成绩吧”。

が、現実は、予想をはるかに超えた大ヒットである。

然而残酷的现实却是——它所引发的票房狂澜,远远超出了所有人的最高预料。

予想外であり、これがポケモン本来の爽快な冒険活劇だったら、もっとヒットしただろうという見方もあり、いわゆる「お涙ちょうだいの泣かせ」がヒットの要因だという声もあった。

这种完全出人意料的大暴卖,让业界产生了各种解读:有人认为“如果当年拍的是宝可梦原本那种爽快淋漓的冒险活剧,票房肯定会更加惊人”;也有人声称“这种骗取观众廉价眼泪的煽情催泪弹,才是大卖的唯一关键”。

「自己存在」がテーマだったから、などというヒット理由の解釈などほとんどなかった。

然而,几乎没有任何人会将“探讨自我存在”这个严肃母题,解读为它大获成功的深层动因。

世界に見せるアニメのテーマとして、「自己存在への問いかけ」を持ち出した僕自身、ここまで、欧米でヒットするとは思っていなかった。

作为向全世界观众展现动画魅力、将“对自我存在的终极叩问”硬生生搬上银幕的我本人,当年其实也压根没指望过它能在欧美掀起如此滔天的狂潮。

そもそも『ミュウツーの逆襲』のような重くて暗く爽快感のないアニメ脚本は、ピカピカ事件がなければ、上層部からクレームが続出したと思われる。

归根结底,像《超梦的逆袭》这样既沉重阴郁、又毫无传统爽快感的动画剧本,如果没有那起“闪烁事件”所造成的特殊权力真空,制作委员会高层的抗议与责难恐怕早就铺天盖地了。

だから、2作目は、本来の冒険活劇の爽快感を狙おうということになってしまった。

正因如此,高层对于第二部作品的基调一锤定音:必须回归宝可梦原本该有的爽快冒险活剧路线。

僕にしても、『ミュウツーの逆襲』の次回作に、「自己存在の問いかけ」などという自分自身にとっても重たいテーマの延長上のエピソードはきついというか、面倒というか……少なくとも、『ミュウツーの逆襲』のテーマの重さに耐えるために、医者に止められている酒を一升瓶30本、精神安定剤(市販のもの)数十箱を飲んでいたから、体力的にも限界だった。

对我而言,刚经历完《超梦的逆袭》那般地狱折磨,接着要在续作里继续深挖“自我存在的拷问”这种连自己都觉得不堪重负的沉重主题,实在太令人心力交瘁了……为了扛住《超梦的逆袭》那令人窒息的创作高压,我当时把医生明令禁止的烈酒灌下去了整整30大瓶(一升瓶),市售精神安定剂吃了好几十盒,身体机能早已濒临彻底透支的极限。

02

剧药、酒精与执笔的生理极限

余計なことだが、当時は、酒や薬の飲み方を自分で調整できていたから、脚本をああしよう、こうしよう、どうしようと、とっ散らかった考えを一つにまとめるために利用していたわけで、理性がなくなるほど泥酔していたわけではない。

顺带一提,当时我尚能自我掌控饮酒与服药的节奏与分量。我之所以借助它们,是为了将脑海中那些关于剧本“该这样写、还是该那样写、到底该如何是好”的杂乱思绪强行凝聚归拢为一处,绝非喝到彻底丧失理性的烂醉如泥。

僕は今でも、アルコール専門の精神科医から、本当のアルコール依存症か薬物依存者か、それともそれを装っているのか、よくわからない人間だといわれる。

即便到了今天,专攻酒精依赖症的精神科医生依然常常感慨:我到底是个真正的重度酒精依赖者、药物依赖者,还是仅仅在刻意扮演这种状态?我实在是个让人看不透的怪人。

酒をいくら飲んでいても、多少、おしゃべりがくどくなるが、あまり変な発想が生まれたことがない。

因为无论我喝了多少酒,除了说话会变得稍显啰嗦反复之外,脑子里从来不会冒出离经叛道的古怪妄念。

ケンカもしないし、女性と飲んでも、いわゆるやましい考えを持ったり、酒の力で口説いたこともない。

我既不会跟人借酒撒疯打架斗殴,哪怕与女性同桌对饮,我也从来没有过所谓的龌龊念头,更从未借着酒劲去甜言蜜语地搭讪勾搭。

女性を口説くときは、雰囲気つくりに多少の酒が入っていても本来はしらふである。

真到了向女性表达爱意的时候,即便稍微喝点酒烘托气氛,我的内在本质上永远是极其清醒冷静的。

僕は自分が危ないなと自覚すると、酒も薬も止めることができるのである。いわゆる薬物が切れたときに起こる禁断症状もない。

一旦本能地意识到自己身处危险边缘,我便能凭借意志立刻把酒和药物全盘戒断,甚至连药物断瘾时常见的生理戒断反应都不曾出现过。

普通、依存症患者は、酒や薬を止めたくても自分の力では止められない。そんな自分に絶望して自殺したり、本当に精神に異常をきたしてしまう人が多い。

通常来说,真正的成瘾症患者即便利益熏心想要戒断,单凭自己的意志也是根本做不到的。无数人正是因为对自己这种软弱彻底绝望,最终走上了自寻短见、或是精神彻底失常的绝路。

アルコール依存症の人の平均寿命は52歳だそうである。アルコール依存症の不安のある人は気をつけてください。

据说严重酗酒患者的平均寿命只有52岁。如果你对自己是否患有酒精依赖症感到不安,请务必引起极度警惕。

アルコールは、禁止されている薬物と比べても最悪の毒物で、しかも公認されている。

即便与世间严禁的毒品相比,酒精也是最凶险残忍的毒物之一,讽刺的是它在全人类社会中竟然是公然合法的。

もうひとつ公認されている毒物にタバコがあるが、僕はこれをいくら止めようとしても止められない。

另一个公然合法的毒物便是香烟。而香烟这玩意儿,不论我尝试过多少次,都始终怎么戒也戒不掉。

だから、タバコ依存症であることは確かである。

所以,若论确凿无疑的成瘾症,我百分之百是个不折不扣的重度尼古丁依赖者。

余談が過ぎたが、依存症でなくても、困るのは、酒や安定剤(市販)を飲むと食欲がなくなるのである。

闲话扯远了。就算不是病理性的成瘾,最致命的困扰在于:一旦喝了酒、服用了安定剂,我的食欲就会彻底归零。

時折、栄養剤を飲むが、資料を調べたりものを考えたり原稿を書きだしたりすると、1日2日はポカリスエットだけで済ませてしまう時もある。

虽然偶尔会喝点营养液救急,但只要一进入查阅资料、构思结构、奋笔疾书的状态,我常常一连一两天仅仅靠着喝宝矿力水特(电解质水)维持生命。

そこに、酒や薬、タバコが加わると体力が持続するわけがない、

在那种摧残下,如果再加上烈酒、药物与香烟的三重轮番轰炸,体能怎么可能支撑得住?

『ミュウツーの逆襲』のような脚本を2本も続けて書けば、この飽食の時代に餓死しかねない。

如果让我接连写上两部像《超梦的逆袭》那般沉重撕裂的剧本,在这个物资过剩的饱食时代里,我恐怕真的会活活饿死在书桌前。

03

“自我存在”之后是“共存”——深层海流的灵感破晓

だから、世界に通用するような冒険活劇のアクションも難しいとは思ったが、気分の転換にはなるなと思った。

正因如此,去写一部能够通行于全世界的冒险活剧动作大片,虽然难度同样极高,但我暗想这好歹能算作一种转换心情的解脱。

しかし、「自己存在の問いかけ」をテーマにした作品の2作目である。

然而,这毕竟是一部以“拷问自我存在”为开山原点的巨作的续集。

それなりのテーマがないと僕自身が落ち着かない。

如果剧本骨子里缺乏与之相称的哲学母题,我自己的灵魂根本无法安定信服。

テーマはすぐにできた。

而这个崭新的母题,很快便在我的脑海中浮现成型。

「自己存在」の後は、「それぞれの自己存在の共存」である。

在探寻完“自我存在”之后,紧接着横亘在眼前的必然命题,便是——“各个独立之自我存在的彼此共存(それぞれの自己存在の共存)”!

だが、それをどう冒険活劇にするか? しかも今回の主要な舞台は海である。

可问题在于:如何将这一抽象命题转化为生动跌宕的冒险活剧?更何况,本次故事的主要舞台被钦定在了汪洋大海之上。

すぐに頭に浮かんだのは、「深層海流」である。

几乎在同一瞬间,跳入我脑海的正是——“深层海流(深層海流)”。

深層海流は2000年かけて世界を一周する超(?)深海を流れている海流のことで、この海流の話をすると、僕でも新書本1冊ぐらいは書けるので、ここでの説明は省く。

所谓的深层海流,是指耗费整整两千年时间在深不可测的大洋底部巡游地球一周的巨型洋流。如果真要深入探讨这股洋流,单凭我掌握的知识就足够写出一整本新书了,因此在此就不展开赘述。

興味のある方はインターネットで検索してください。

感兴趣的读者不妨在互联网上自行检索。

詳しく知りたければ専門書も一流の図書館ならあるはずだ。

如果想了解得更透彻,去一流的图书馆里肯定能查阅到专业的海洋学专著。

おおざっぱにいえば、世界の天候を支配し、栄養分に富み、地球の生命の源になったという説もある海流である。

概括而言,它是支配全球气候命运、蕴含极其丰沛养分、甚至被不少学说视为孕育地球一切原始生命源泉的神奇洋流。

04

《永远的菲莱娜》与小田原早川的海洋情结

なぜ、この海流を僕が知っているかというと、ほぼ10年がかりで「永遠のフィレーナ」という滅亡させれた海洋民族の王家の末裔の女の子の小説を書いたから……あまりヒットしなかったが、全9巻中の1巻はアニメージュに連載され、それが文庫化され、10年がかりで9巻まで続いてしまい、ついでにビデオアニメやファミコンゲームにもなった。

我之所以对这股洋流了如指掌,是因为我曾耗费了整整十年光阴,写过一部讲述被灭绝的海洋民族王室遗孤少女的小说——《永远的菲莱娜(永遠のフィレーナ)》。虽说并没有大红大紫,但全9卷中的第1卷在《Animage》杂志上连载后出版了文库本,断断续续写了十年才终于把9卷全部出齐,顺便还被改编成了OVA动画和红白机RPG游戏。

海洋民族の国はローマ時代のカルタゴを意識した。貿易国でもあったその国は、言うまでもなく日本を意識したものだ。やがて、亡びるであろう国としてだが……。

小说中那个海洋民族的国度,在设定上我暗自参考了古罗马时期的迦太基。作为一个商贸繁盛的海洋国度,它骨子里指涉的显然正是我所身处的日本——一个在未来注定走向衰亡消逝的国度……

彼女は、王家の身分を隠すため、男として育てられ剣闘士として育てられる。

女主角为了隐瞒王室血统的真实身份,自幼被当成男儿抚养,并被迫作为角斗士奴隶严苛训练。

カルタゴは滅亡の時、ほとんどの国民が惨殺された。女も子供もだ。

当年迦太基陷落覆灭之时,几乎全城百姓惨遭屠戮,连妇孺都无一幸免。

生き残るとしたら、強靭な男の子として、奴隷である剣闘士として育てられ、見世物としての殺し合いショーをするしかなかった。

如果说还有苟延残喘的一线生机,那就唯有伪装成强健强悍的男童,沦为角斗士奴隶,在贵族们的残忍注视下进行以命相搏的杀戮取乐。

彼女の生と死はいつも背中合わせ、彼女自身、いつ死んでもいい、いや死んだほうがましだとすら思っていた。

生与死每分每秒与她背向而行;她自己甚至无数次觉得什么时候死掉都无所谓,不如说早点死去反倒是一种解脱。

しかし、周りで死んでいく人々はなぜか遺言のように彼女に言う、「お前は生きろ」と。

然而,身旁一个个相继倒毙死去的同伴,不知为何临终前总会像立下遗嘱般对她拼死喊道:“唯独你……一定要活下去!”

死んでいく人々は、彼女の中に表現しようもない生命力を感じるのだ。

因为那些濒死之人,都能从她身上清晰感知到一股难以言喻、奔涌不息的顽强生命力。

しかし、本人は「いつ死んでもいい」と思っている。

可她自己内心却始终抱持着“随时可以赴死”的虚无。

ただ、彼女の中には、幼児のころに見て、感じた海のイメージが鮮烈に残っていた。海は生命を生み出した。本人は気づいていないが、彼女の中にはその生命力が息づいていたのだ。

然而,在她骨髓深处,幼年时曾亲眼目睹、亲身感悟过的海洋图景深深烙印着。大海孕育了世间万物生命;连她自己都未曾发觉,那股生命的脉动早已在她体内生生不息地奔流。

この小説のラストは、彼女が「生きていくこと」を決意するところで終わる。

这部长篇小说的终局,正是以她终于下定决心“勇敢活下去”的决意而落下帷幕。

いうまでもなく、この小説のテーマは「生きろ!」であり「海の持つ生命力」だ。

不言而喻,这部作品自始至终的母题正是——“活下去!(生きろ!)”,以及“海洋所蕴藏的无尽生命力”。

その後「生きろ!」は、あるアニメ映画のキャッチコピーに使われた。そのアニメのテーマは「生きろ!」じゃなかっただけに、いささか参りましたけれどね。

在那之后,“活下去!(生きろ!)”这句口号被某部著名的动画电影用作了宣传标语(注:指吉卜力《幽灵公主》)。考虑到那部动画真正想表达的母题其实压根不是“活下去!”,我当时心里多少有些哭笑不得。

この小説を書くために、日本でいちばん海に近いJRの駅、小田原港のある早川に東京の渋谷から仕事場を引っ越し、結果20年も住むことになってしまった。

当年为了潜心撰写这部小说,我甚至把工作根据地从东京涩谷直接搬迁到了全日本距离大海最近的JR车站——坐拥小田原渔港的早川,结果竟一住就是整整20年。

この小説は9巻も続いたから、様々なテーマが顔を出す。

由于小说整整延续了9卷之长,其中交织展现了形形色色的各种主题。

しかし、基本は、地球という星を生命の溢れる星にした、海の持つ生命を生み出した力の話と、そのかけがえのない星で「生きよう」と決意する女性の話だ。

但它的核心地基,始终是两点:让地球化为生机勃勃之蔚蓝星球的海洋造化之力,以及在这个无可替代的星球上决意“活着”的女性物语。

この小説、「リボンの騎士」や「ベルばら」じゃああるまいし、女の子が男として育てられ生きていくのに無理がある、という批判もあった。

当年也有评论批评这部小说:“这又不是手冢治虫的《蓝宝石王子》或池田理代子的《凡尔赛玫瑰》,一个女孩子自幼被当成男人养大并以男装行世,在现实中根本说不通。”

しかし、生きる決意をし、生命を産み出す能力(?)がある主人公には、無理は承知でも、女性であってほしかった。

然而,哪怕明知这种设定在现实中有其勉强之处,对于那位下定决心活着、具备孕育生命之造化伟力的主角,我无论如何也坚信她必须是一位女性。

僕が見る海は女性である。どんなに嵐で荒れていても、海は、この小説では、命を産み出す母性でなければならなかった。

在我眼中,大海本身就是一位女性。无论表面上如何狂风暴雨、惊涛骇浪,在这部作品里,大海都必须是孕育抚育生命的无垠母性。

もっとも、この主人公、「僕は女だから子供を産みたい」なんて一言も言わない。

当然,这位主人公自始至终绝不会娇嗔地说出一句“因为我是女人所以我也想生儿育女”之类的话。

「僕は生きる」、彼女が言うのは、その言葉だけだ。

“我要活下去”——从她口中吐露的,唯有这一句重若千钧的誓言。

そんな小説を書くために、早川の海を毎日見ながら、かなり「海」について調べた。

为了写好这部小说,我每天凝视着早川的大海,对“海洋”进行了近乎穷竭式的详尽考据。

想像される原始の海から現在の海の状況まで……。

从推想中的原始洪荒之海,一直调研到当代海洋的真实生态……

だから、「深層海流」の存在も小説の重要な要素として意識していた。

正因如此,“深层海流”的存在早已作为极其关键的核心要素,深深烙印在我的小说构思之中。

しかし、小説に「深層海流」という言葉は出てこない。

不过在小说的字里行间,其实压根没有出现过“深层海流”这四个字。

この小説の登場人物が「深層海流」を知るはずがない。生命を生み出す不思議な力が海の奥底にあると、感じるだけだ。

因为小说里的古代人物根本不可能懂得现代海洋学术语,他们仅仅是凭本能感悟到:在海洋深不可测的渊薮深处,涌动着一股创造万物生命的不可思议之伟力。

でも、作家としての僕は「深層海流」の存在を考え続けて小説を書いていた。

但作为创作者的我,在下笔的每一分每一秒里,脑海中始终在深刻思索着“深层海流”的存在。

で、海を舞台にしたポケモン映画2作目で、「深層海流」そのものを描く機会がやってきたわけである。

而如今,在这部以汪洋大海为舞台的《宝可梦》电影第二作里,我终于迎来了能够正面描绘“深层海流”本身的绝佳契机!

ラッキーなことに、そのころ、飲料水としての深層海流水が話題になり始めていた。

更巧合的是,恰逢那个时期,市面上开始将“深层海流水”包装成瓶装饮用水炒作为社会热门话题。

深層海流水を汲み上げられる場所は、その当時、日本では高知県しかなかった。

在当时的全日本,唯一能够从海底下抽取出深层海水的地方,只有高知县。

ついでにいうなら、高知は妻の故郷だった。

顺便说一句,高知正好是我妻子的故乡。

ボトル入りの深層海流水を取り寄せることにした。

于是我决定特意从高知整批邮购瓶装的深层海水回来喝。

小田原は箱根がすぐそばで、水はけっしてまずくはない。

小田原近邻箱根名泉,自来水的水质本来就相当甘冽可口。

そんなところで、わざわざ高知から水を取り寄せている一家は、ずいぶん贅沢に思われたかもしれない。

在水质本就优渥的地方,居然有户人家特意千里迢迢从高知邮购高价饮用水,在外人眼里恐怕显得格外铺张奢侈吧。

しかし、僕としては、川や貯水池の水ではなく、深層海流水を少なくとも1年間は飲み続けたかったのだ。

但我当时的心境是:我不想喝河流或水库里的寻常淡水,我必须亲自把深层海水喝进肚子里,而且至少要连续喝上整整一年!

味? 僕の味覚では、小田原の水道の水とたいして変わりませんでしたよ。

至于味道如何?说实话,凭我那不算灵敏的舌头来尝,跟小田原普通的自来水根本尝不出什么太大的差别。

05

四大怪兽摔跤的危机,与剧场版原创宝可梦“X”

さらにラッキーだったのは、そのころ、NHKで、「深層海流」をテーマにしたドキュメントが放送された。

更让人喜出望外的是,恰在那段时间,NHK电视台播出了一部以“深层海流”为主题的重磅科学纪录片。

「ポケモン」のゲームメーカーのお偉いさんが、たまたまそれを見てとても興味を持った。

《宝可梦》游戏厂商(Game Freak / 任天堂)的一位重量级高层,恰巧收看了那期节目,并对其展现出的浩瀚气象产生了极其浓厚的兴趣。

「深層海流」をテーマにポケモンが活躍する話……それで、ポケモン映画2作目のゴーサインがでた。

“以深层海流为核心舞台、让宝可梦大显身手的故事”——就这样,宝可梦第二部剧场版的制作提案瞬间亮起了绿灯!

しかし、深層海流ってなんだ? が、主なスタッフの受け取り方だった。

然而,当这个概念抛出时,核心制作班底绝大多数人的第一反应全都是一脸茫然:“深层海流到底是个什么鬼名堂?”

しかたがないから、「深層海流水」のボトルを持って「これがその水ですから飲んでみてください」とやった。なんだか、「深層海流水」のセールスをしているような気分になったことを覚えている。

无奈之下,我只得亲自提着高知买来的深层海水瓶子跑到会议室:“诺,这就是那海水,大家先尝尝看吧。”我至今还清晰记得,当时那场面简直活像个上门推销瓶装水的推销员。

だが、その時点で、どんな冒険活劇になるか決まっていなかった。

可即便舞台敲定,在那个节点上,它到底该拍成怎样一部冒险活剧,其实完全是一纸空白。

「共存」をメインテーマにしたいなどと言ったら、小難しいことを入れるなと言われそうだし、「共存」とは「なかよし」ということです、とでも言おうものなら、みんななかよしなんて話、面白い冒険活劇になるわけない、とも言われそうである。

如果我直接挑明“我想把‘共存’作为第一主旨”,高层肯定会皱着眉头呵斥“别净整那些晦涩深奥的大道理”;可如果我退一步解释说“所谓共存就是大家彼此做好朋友”,他们又必定会冷嘲热讽“全员和和气气做朋友的故事,怎么可能拍得出跌宕起伏的精彩冒险活剧?!”

おまけに、新しいポケモンゲームが出ていないから、新しいポケモンも登場しようがない。

更要命的是,由于游戏新作(《金·银》)迟迟难产未出,手头根本没有任何全新的二代宝可梦可供登场!

幻のポケモン、ミュウとミュウツーは映画1作目で出てしまった。

作为最大王牌的两大幻之宝可梦——梦幻与超梦,早在第一部电影里就已经倾囊登场、挥霍一空了。

さらに、ホウオウという幻のポケモンがTV版の1話でちらっと姿を見せるが、制作中のゲームだと、どこかのお寺に住んでいる地味目のポケモンに落ちぶれて(?)いるらしい。

虽然TV动画第1集曾让神兽凤王以极度震撼的金光掠影惊艳亮相,但在当时正在加紧制作的游戏原案里,凤王据说沦落成了一只栖息在某座偏远破庙里的地道朴素宝可梦。

主役級に使えるポケモンではない。

它在当时显然撑不起剧场版扛鼎主角的恢弘牌面。

しかし、ミュウやミュウツーほどではないが、二線級のポケモンが3匹残っていた。

然而,虽然地位不及梦幻与超梦那般绝顶超然,当时初代图鉴里恰巧还遗留着三只处于次席梯队的准神兽级宝可梦。

他のポケモンと比べ、いささか強すぎて、ポケモントレーナーがゲットしたり、バトルさせたりするには手もあまりそうで、使い道がなくて残っていたのである。

它们与其他寻常宝可梦相比战斗力过于凶悍霸道,对于一般的训练家而言无论是收服还是指挥对战都实在难以驾驭,因此在剧情中一直处于缺乏妥善用武之地而被搁置的状态。

それが、ファイヤー、サンダー、フリーザーである。

那便是——火焰鸟(ファイヤー)、闪电鸟(サンダー)与急冻鸟(フリーザー)。

そろいもそろって凶暴そうで、三大怪獣激突のような話になりそうである。

这三只神鸟每一个长相脾性都极其凶神恶煞,如果简单撮合在一起,剧本极易沦为《三大怪兽 地球最大决战》那样的怪兽乱斗片。

今までの怪獣映画の例を見てもわかるが、強い怪獣が出てきて喧嘩を始めると、人間の出場所がなくなって怪獣プロレス映画になってしまう。

回顾历来的经典怪兽电影便一清二楚:一旦几头战力爆表的巨型怪兽狂暴开战互殴,人类在画面里就彻底丧失了立足之地,电影就会直接堕落为彻头彻尾的“怪兽摔角对决(怪獣プロレス)”。

お義理で自衛隊あたりが出てきても、何の役にも立たない。

哪怕出于面子象征性地让日本自卫队出场打几发导弹,也根本派不上任何实际用场。

冒険映画は、血の通った人間が冒険するから面白い、と僕は思っている。

在我首藤刚志心中,一部真正引人入胜的冒险电影,必须让有血有肉的人类在生死风暴中展开切身体验的冒险,才会真正具有撼动心灵的力量!

金子監督版の「ガメラ」は、そこをうまく処理していたような気もするが、なんだか登場する美少女のかわいらしさにごまかされたような気がしないでもない。

金子修介导演执导的《卡美拉》平成三部曲在这类平衡上处理得堪称精妙,但我总隐隐觉得观众多多少少是被登场美少女的娇艳可爱给转移了注意力。

で、2作目の『ポケモン』映画だが、ピカチュウが活躍したって、三大怪獣相手では手に余るし、ピカチュウの活躍はTV版で見慣れていて新味がない。

回过头来看第二部《宝可梦》电影:哪怕让皮卡丘拼死奋战,让一只小小的电气鼠去正面对抗三大暴走巨型神鸟,场面上无论如何也太勉强违和了;况且皮卡丘的战斗英姿在每周TV动画里早已见怪不怪,根本给不了观众银幕级别的震撼新鲜感。

そのためには、三大怪獣以外のまったく別の性格を持った、しかし三大怪獣に引けを取らないポケモンが必要だと思った。

为了打破这一死局,必须在三大神鸟之外,引入一只性格特质完全不同、但在威严与力量上却绝不逊色于三大神兽的全新宝可梦!

それは、他の三大ポケモンと違い、人間とある程度かかわりを持てる存在でなければならない。

与那三大不可理喻的狂暴神鸟截然不同,这只宝可梦必须能够在某种精神层面上,与人类建立起深厚、平等的沟通与羁绊。

かかわりを持てれば、人間が活躍できる場もできる。

唯有当它能与人类产生灵魂的交汇,人类角色在故事中的主观能动性与大冒险,才拥有了充分施展的舞台。

そんなポケモンの存在が必要だと思った……というより、最初から考えていたのである。

我笃定这样的宝可梦绝不可或缺……或者更确切地说,打从最一开始,我的脑海中就早已盘算着它的登场。

それは、人間を含めた生命の源である「深層海流」を象徴するポケモンである。

那必须是一只象征着包含人类在内的世间万物生命源泉——象征着“深层海流”本身的伟大宝可梦!

「深層海流」では、水の流れだから絵にならない。

单纯去描摹“深层海流”,由于只是水流的物理运动,在大银幕上根本无法形成视觉焦点与戏剧张力。

海流になにがしかの意志があったとしても、それを動きで表現するのは難しい。

哪怕赋予这股海流某种造化意志,单靠浪潮翻涌的动态也很难将其情感与意志淋漓尽致地展现出来。

やはり、「深層海流」のシンボルになるポケモンが必要である。

因此,必须有一只作为“深层海流之化身”的具象化宝可梦屹立于天地之间。

が、しかし。今までの『ポケモン』で、ゲームに登場しなかったポケモンはでてきていない。

然而,这横亘着一个前所未有的禁区:在此之前的所有宝可梦相关作品中,从未有过任何一只未曾存在于游戏原版之中的宝可梦!

つまり、映画専用のオリジナルポケモンである。

换言之,这是一只破天荒专门为电影剧场版量身打造的“电影原创宝可梦”。

それが許されるのかどうか?

商业运作上,真的会容许这种破天荒的特例存在吗?

「この映画のためには、深層海流に住むオリジナルのポケモンを出したいんですけれど」

在企划会议上,我硬着头皮抛出了试探:“为了这部电影的成立,我无论如何也想让一只栖息在深层海流里的剧场版原创宝可梦登场,不知道是否可行?”

反対意見がどっと出ると思ったら、あっさりOKが出た。

我原本做好了遭到各方高层狂轰滥炸式反对的心理准备,万万没想到,全场竟然毫不犹豫地一口应允、全票亮起了绿灯!

スタッフも制作上層部も映画2作目に耐えられるポケモンの不足が気になっていたようだ。

看来无论是制作班底还是出品委员会最高决策层,当时内心深处其实也早就为了“缺乏足以撑得起第二部电影体量的重量级宝可梦”而焦头烂额、寝食难安。

そして、僕が書こうとする脚本の中の深層海流の意味も、もしかしたらピンときていなかったのかもしれない。

而且,对于我在剧本中所构筑的“深层海流”的深层哲学隐喻,在座的官僚们大概从一开始就根本没怎么完全意会过来。

だから、派手なオリジナルポケモンが必要だと感じたのかもしれない。

他们只是单纯本能地感到:确实极其需要一只足够华丽抓人眼球的原创宝可梦来当救场王牌。

御前様が僕の意見に反論しなかったのは、この時がはじめてだったような気がする。

在我的记忆中,那位素来独断专行、令人生畏的巨头“御前大人”,在这个节骨眼上竟然破天荒地没有对我提出的核心构想提出哪怕半句驳斥,这大概算是有史以来的破天荒头一遭。

映画の短編を書く予定の脚本家の方が、あまりにあっさりオリジナルのポケモン登場が決まったのが意外だったようで、「よかったですね。これで、2作目の映画はできたようなものですね」といってくれたが、「そう簡単にいかないよ。問題はこれからだよ」と応えた。

当时负责执笔同场加映短篇的编剧同僚,看到原创宝可梦的登场竟然如此轻易顺遂地获批,又惊又喜地向我道贺:“太棒了首藤先生!有了这道护身符,第二部电影基本上就算是稳操胜券、大功告成了吧!”我却苦笑摇了摇头:“哪有那么轻巧的事情,真正的硬仗与劫难,从现在才刚刚拉开序幕呢。”

僕は、四大怪獣ポケモンのプロレス映画を作る気はなかった。

因为我打心眼里,压根就不打算去拍一部四大狂暴怪兽宝可梦血肉互殴的廉价摔角片。

デザインも名前も決まっていないオリジナルポケモンは、とりあえず、X(エックス)と呼ばれた。

这只当时连具体外形设计与正式名字都还是一片空白的原创宝可梦,在项目组内部被赋予了一个神秘的暂定代号——“X”。

したがって、ポスターの題名はしばらくの間「X爆誕」と書かれていた。

正因如此,在公映前相当长的一段岁月里,官方对外张贴的早期先行海报上,赫然醒目地印着这样一个神秘莫测的标题——《X 爆诞》!