2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第183回:《超梦的逆袭》心力交瘁(盛名重负下的创作焦虑、英国国教条文赞赏与安定剂相伴的绝望追问)
Contents 本篇 7 章
第183回 《超梦的逆袭》心力交瘁
他のスタッフの方たちの気持ちは知らないが、日本における『ミュウツーの逆襲』の予想を超えるほどのヒットは、僕にとっては、うれしくないと言えば嘘になるが、戸惑いというか、正直にいえば困ったなあと感じたことも確かである。
其他制作团队同仁的心境我无从知晓,但《超梦的逆袭》在日本本土远远超出所有人预料的大热大卖,对我而言,若说完全不高兴那是自欺欺人;但在狂喜之外,我内心深处感受到的更多是茫然困惑,坦率地讲,甚至是一种“这下可大事不妙了”的深深忧虑。
大卖带来的重压与“生命尊严”的敷衍归纳
人は誰もがそうだと思うが、現状以上のものを求めたがる。
我想人大概都是如此贪婪的生物,一旦拥有了现状,便会不可遏制地想要追求凌驾于现状之上的更高成果。
『ミュウツーの逆襲』は、公開前と違い、日本での大ヒットが現状になってしまった。
与公映前的惶恐截然相反,《超梦的逆袭》在日本本土的超特大暴击,如今已经变成了理所应当的“既成事实与基础门槛”。
次のポケモン映画は、それ以上のヒットが求められる。
对于下一部宝可梦电影,各方自然会被要求取得甚至超越这一基准的更辉煌战绩。
まして、公開前は、暗い、重い、爽快感がないと上層部に否定論のあった『ミュウツーの逆襲』である。
更何况,在公映之前,制作高层可是口口声声痛批《超梦的逆袭》“色调阴暗、基调沉重、毫无爽快感”的啊。
『ミュウツーの逆襲』の内容は、上層部の方が本来望んでいたテーマやストーリーとは少し違うものだったと思う。
《超梦的逆袭》最终呈现的内容,我想与制作高层最初打心底期盼的母题与故事脉络,其实存在着不小的偏离。
そのせいか、『ミュウツーの逆襲』のテーマは「命の尊さ」を訴えている……などというわかりやすい発言で、ヒットの要因を上層部の方は語る。
或许正因如此,高层在向外界总结归纳本片的爆卖秘诀时,总爱搬出诸如“本片深刻呼吁了生命的崇高与尊严”这类浅显易懂、冠冕堂皇的漂亮套话。
確かに、『ミュウツーの逆襲』のテーマに「命の尊さ」の要素がないわけではない。
诚然,《超梦的逆袭》里并非完全没有“生命尊严”的意涵在其中。
でも僕にとっては、そのテーマは、あったとしても傍系でしかない。
但对我这个编剧而言,这个命题充其量不过是主干枝杈上的边缘旁系罢了。
「自己存在への問い」「差別」「バトルの否定」が重きをなしている。
“对自我存在的终极拷问”、“对歧视根源的解构”、“对战斗本能的断然否定”,这才是真正压舱的核心重量所在!
しかし、上層部から「自己存在への問い」などという難しい発言は出てこない。
然而,从制作高层的口中,是绝不可能吐出“对自我存在的叩问”这般晦涩深奥的词汇的。
制作指揮を執る者として、そのテーマが分かっていたとしても、本来ヒットを狙って作られる子供を対象とした商業アニメで、そんな小難しいテーマを表現したとは言えないだろう。
即便作为掌舵制作大权的决策者心里心知肚明,但在一部原本为了大卖特卖而面向孩童制作的商业流水线动画里,又有谁敢公开宣称自己表现了如此艰深复杂的哲学大论呢?
なにはともあれ、日本での大ヒットは、現実になってしまった。
但无论如何,在日本本土的狂暴大卖已经成为了不争的事实。
次回作を作るなら、僕としては、『ミュウツーの逆襲』の延長上のテーマにしたい。
如果要让我操刀下一部作品,在我的剧作逻辑里,我必然想要将其作为《超梦的逆袭》母题的延展深化来书写。
それが、本来上層部が狙っていた痛快娯楽活劇になるわけがない。
可这样一来,它就绝不可能蜕变成高层心心念念的那种通俗痛快的合家欢爆米花娱乐大片。
しかも、それが『ミュウツーの逆襲』を超える内容の作品になり、『ミュウツーの逆襲』以上のヒットになる自信は、僕にはない。
更何况,要写出在剧作深度上超越《超梦的逆袭》、并且在票房纪录上再次打破《超梦的逆袭》的神话,我根本没有半点自信!
しかし求められるのは、『ミュウツーの逆襲』を超えるヒットに違いない。
然而外界强加给我的硬性指标,毫无疑问就是“必须比《超梦的逆袭》卖得更好”。
やはり、普通の考えなら、『ポケモン』でヒットさせるなら、痛快娯楽活劇の爽快感が必要だろう。
若按常理推演,要想让《宝可梦》持续大卖,淋漓尽致的痛快娱乐活剧所带来的爽快感才是唯一的商业正道。
もし、次回作が前作を超えるヒットを記録できなければ、それは他の日本映画と比べたらそこそこのヒットであろうと、上層部から苦情が出るに違いない。
倘若续作未能打破前作的纪录,哪怕与其他日本本土电影相比也算得上可圈可点的体面成绩,高层也必定会怨声载道、横加指责:
「そもそもポケモン映画は、そのまま、普通に痛快娯楽活劇の映画にしてもヒットするものだったんだ。それを、余計な内容を盛り込むから、次回作は前作を超えるヒットが記録できなかったんだ」
“《宝可梦》电影本来只要老老实实做成正统痛快娱乐活剧就铁定能大卖的!全怪编剧非要在里面塞进那些多余晦涩的私货,续集才没能超越前作的票房!”
前作を超えなければ、何を言われるか分らないのである。
一旦没能超越前作,不知会被背后指指点点扣上怎样恶毒的罪名。
それを考えると、頭が痛くなった。
一想到这些,我的脑袋就剧烈抽痛起来。
先のことなど考えずに、現状の『ミュウツーの逆襲』のヒットを素直に喜んでいればいいものを、僕はそういうタイプではないらしい。
如果我能不去忧虑这虚无缥缈的未来,单纯为眼下《超梦的逆袭》的狂欢大卖而开怀庆祝该有多好,可惜我天生就不是那种没心没肺的乐天派。
荣膺首届手冢奖的创伤与“封笔隐退”的诱惑
僕は、『ポケモン』以前にも、そういう気持ちに襲われたことがある。
早在涉足《宝可梦》之前,我就曾被类似的阴暗心魔死死纠缠过。
「日本アニメ大賞」(通称、手塚賞などとも呼ばれていたような気がするが、今はない)の第1回脚本賞を(『魔法のプリンセス ミンキーモモ』と『さすがの猿飛』と『まんがはじめて物語』が対象作品だったそうだ)選考委員ほとんど一致の結果でいただいたことがある。
当年在第一届“日本动画大奖”(坊间通称为手冢大奖,如今早已不复存在)上,凭借《魔法小天使(甜甜仙子)》、《飞少爷(猿飞)》与《漫画初体验》三部作品,评委会近乎全票一致地将第一届编剧奖(脚本赏)颁发给了我。
選者の方から「なにしろ首藤さんは第1回目の受賞者だから、この先、何人受賞者が出ても、この賞の名前が出るたびに首藤剛志の名前はずーっと出てきますよ」と。おそらく激励の意味で言われたが、実はそう言われて、すごく気が重くなったのである。
当时评委老师热情洋溢地勉励我:“首藤先生可是历史上的第一届得主啊!今后不论再诞生多少位获奖者,只要提起这个奖项的名字,首藤刚志的大名就将永远作为第一人流芳百世!”虽然对方显然是一番激励期许的美意,但实话实说,听到这句话的瞬间,我的心头却如灌了铅般沉重窒息。
「第1回の受賞者で名前が残るなら、今後、その受賞に恥じない脚本を書き続けなければならない。まだ30歳そこそこなのに……とんでもないことになった」
“既然名字将作为第一届得主永载史册,这就意味着在今后的岁月里,我都必须不断写出对得起这份崇高荣誉的卓越剧本。可我现在才刚刚三十岁冒头啊……这简直是摊上了灭顶之灾!”
賞なんていただかなければよかった。
早知如此,当初真不该接下这个该死的奖项。
そして、思った。
甚至在当时我脑海中冒出了一个极端的念头:
「脚本を書くのを辞めるなら今だ。今なら惜しまれつつ脚本家を辞められる」
“如果要彻底洗手不干、退出编剧这一行,唯有趁现在了!趁着如今还在神坛之上,还能体面地在大家的万般不舍与惋惜中毅然封笔。”
だが、現実は、ずるずる物書きを続けている。
然而残酷的现实却是,我依然拖着残躯,苟延残喘、浑浑噩噩地在这条文字苦役之路上一直写到了今天。
このコラムを書きながらも、あの時、物書きを辞めておけばよかったと思う時がある。
即便在如今执笔这个专栏的当下,我也时常在午夜梦回时悔恨交加地自问:当年那个瞬间,我怎么就没能狠下心来彻底封笔告别文坛呢?
あの時以後、僕の関わった作品に対する賞はいいとしても、僕個人に対する賞らしいものは、いただいても自分がめげるだけだから、辞退することにしている。
自那之后,凡是颁发给我参与作品的集体荣誉倒也罢了,只要是颁发给我首藤刚志个人的所谓荣耀大奖,我都一概坚决谢绝;因为我知道一旦领了奖,除了让自己的精神被重枷碾碎之外,毫无半点益处。
ひねた言い方に聞こえるかもしれないが、あの時、賞をもらってよかったのは、当時、存命中の手塚治虫氏とお会いしてお話ができたことと、いわゆるアニメファンとは、無縁な作品であるはずの『まんがはじめて物語』――この作品、文化庁などのお堅い賞はいくつもとっている――のスタッフがずいぶん喜んでくれて、放映している放送局の名目で、お祝いの記念品をいただいたことである。
这听起来或许很像愤世嫉俗的风凉话,但当年领那个奖真正让我感到值得庆幸的唯一两件事,其一是得以与当年尚健在的漫画之神手冢治虫先生当面畅谈,其二则是原本与核心动漫迷圈子八竿子打不着的《漫画初体验》(这部作品后来拿过不少日本文化厅的官方严肃大奖)的剧组主创们由衷为我感到高兴,并以播出电视台的名义特意赠送给了我一份珍贵的纪念礼品。
その放送局、当時はドラマと報道の放送局として知られていて、アニメファンが喜びそうなアニメには無関心のようだった。
那家电视台在当年以严肃正剧和新闻报道见长,对迎合动漫粉丝的动画向来漠不关心。
そんな中で、教養番組的アニメに関わっていた方たちが、なんだか僕の脚本賞をいちばん喜んでくれているようなのが、いささか不思議な感じもして、それがうれしかった記憶がある。
在这样的大环境下,参与制作少儿教养节目的那群踏实朴素的同仁,反倒是全天下为我荣获编剧奖最由衷欢欣鼓舞的人,这种奇妙的温情至今让我难以忘怀。
“全靠皮卡丘”的浅薄论调与电影评论的隔绝
そういう僕だから『ミュウツーの逆襲』の予想以上のヒットに対して素直じゃないのである。
正因为我是这样一个怪癖别扭的人,面对《超梦的逆袭》超出常理的暴卖,我才会表现得如此无法坦率欢喜。
ヒットに対する世間の反響も、「ポケモン」ブームに対する驚きであり、映画の内容に対してのものは、ほとんどなかった。
世俗舆论对于这股票房狂澜的全部聚焦,几乎统统停留在大呼小叫“宝可梦社会狂潮不可思议”的感官刺激上,对于电影本身的剧作内容,几乎没有任何有分量的深刻洞察。
「ポケモン」に関係のない某アニメ製作会社の社長が僕に言った。
某家与《宝可梦》毫无瓜葛的其他知名动画制作公司的社长曾当面问我:
「なぜ、『ポケモン』はあんなにヒットしているんだろう」
“《宝可梦》到底为什么能火成那个鬼样子啊?”
僕が答えないうちに、彼は自分で答えを出して、勝手に自分に頷いた。
还没等我开口作答,他便自以为是地给出了答案,自顾自得意地猛点头:
「キャラクターだよ、アニメはキャラクター……ピカチュウだよ。『ポケモン』のヒットはピカチュウがいるからだよ」
“是角色啊!动画归根结底全靠角色!是皮卡丘啊!《宝可梦》能大卖全凭有皮卡丘这只摇钱树啊!”
僕も否定はしない。多分、ピカチュウもヒットの大きな要素だろう。
我没有出言反驳。皮卡丘的无敌魅力的确是大卖至关重要的基石。
しかし、この社長の会社のアニメ作品に比べ、『ポケモン』アニメは、スタッフがはるかに丁寧に誠実に作っていたことは確かである。
然而,比起这位社长公司旗下的量产行活,《宝可梦》动画制作团队倾注的心血之细腻、态度之诚恳,不知要高出几个维度。
制作上層部も、ヒットへの情熱は人かどならぬものがあった。
制作高层对追求成功的如火执念,也绝非寻常凡夫俗子可比。
「アニメはキャラクターがよければいい」……それだけの考えだと、この社長の会社の作品は、いつか大失敗をしそうな気がして心配である。
如果满脑子只抱着“动画只要角色好就行”的偷懒投机思维,我真为这位社长公司的未来捏一把冷汗,迟早有一天会摔得粉身碎骨。
ともかく、「ポケモン」が大流行した……今もしていることは確かである。
无论如何,《宝可梦》在当年演变成了一场风暴——正如它至今依然在全世界呼风唤雨一样。
僕など、「『ポケモン』のブームに便乗して、好き勝手な脚本を書きやがって……」と、『ミュウツーの逆襲』の脚本について言われたことも知っている。
像我这样的人,在背后甚至没少挨同行指脊梁骨嘲讽:“那家伙不过是趁着《宝可梦》的滔天热潮,借鸡生蛋任性妄为写了通自己想写的私货罢了……”
否定はしない。そう言われたほうが楽な気もする。
我绝不否认这种指责。被大家这么骂,我反倒觉得心里更轻松释然一些。
僕の知る限り、『ミュウツーの逆襲』で、「ポケモン」異常ブームという以外に内容について指摘したマスコミは、マイナーな映画雑誌といっていい「キネマ旬報」ぐらいである。
在我的记忆里,对于《超梦的逆袭》,在铺天盖地的“商业异动狂潮”报道之外,唯一真正从影像与剧作本体予以高度审视的严肃媒体,唯有日本老牌电影圣经《电影旬报》(キネマ旬報)。
「最近の日本アニメの内容は、実写を超えている。日本の実写映画の作り手も考えなければいけない」例として挙げられているのが、『ミュウツーの逆襲』と『クレヨンしんちゃん』だった。
《电影旬报》在那一期写道:“近来日本动画在剧作内容与思想深度上,已经彻底凌驾于日本真人实拍电影之上!日本真人电影的创作者们必须深刻反思!”——而他们作为论据列举的两部代表作,正是《超梦的逆袭》与《蜡笔小新剧场版》。
僕が気にしていた海外の評価も、ポケモンブームへの驚きがほとんどだった。
至于我最挂怀的海外舆论,绝大部分也同样停留在对这股“东方黄色怪物狂潮”的猎奇惊叹上。
ヒットの理由に、「ポケモン」をあつかう業者の宣伝のうまさを指摘する人もいる。
有人将大卖归功于任天堂与代理商出神入化的商业营销法门。
上映館が、他の日本映画と比べ、圧倒的に多かったことを理由にする人もいる。
也有人归因于公映排片影院数量之庞大远超以往任何一部日本电影。
さまざまな評価のほとんどが、たぶん正しいと僕も思う。
我想这些纷繁复杂的分析,统统都是千真万确的事实。
ともかく、『ミュウツーの逆襲』のヒットは、日本のヒットどころではなかった。
无论如何,《超梦的逆袭》所掀起的波澜,早已远远超越了狭隘的日本国境。
制作されて十数年経った今も、世界のどこかで公開されている。
哪怕在制作完成十数年后的今天,世界的某个角落依然在不间断地公映着它。
このアニメ映画の欧米諸国での人気は、他の日本映画と比べ桁違いといえるだろう。
这部动画电影在欧美各国的轰动与人气,与其他日本电影相比完全是断层式的不在一个数量级上。
ただし、軽々しくは言えないが、イスラム教圏の評判はかんばしくない。僕はある程度それを予想していたが、理由は言わない。
不过,虽不宜妄加议论,但它在伊斯兰宗教圈的口碑与反响似乎并不乐观;对此我早有心理预期,具体原委此处便不再赘述。
英国国教会报告的福音与基督教式解构
ほかの宗教圏については、よくは知らない。
对于其他宗教世界的反响,我并不十分清楚。
僕の聞いているのは主にキリスト教圏の評判であり、キリスト教といってもさまざまだから、本当に軽々しくは言えない。
我听到的大多来自基督教文化圈的反馈;而即便同属基督教,其内部宗派教义亦千差万别,实在不可一概而论。
ただ、ある日本の大手新聞に、以下のような記事が載っていた。
不过,当年日本某家全国性主流大报上,曾刊登过一篇非常轰动的国际报道。
英国で上映中のころである。
那是本片在英国公映期间的事情。
見出しは「ポケモン映画に神の教え」とある。
报道的赫然醒目大标题是——《宝可梦电影中蕴含上帝的福音》。
その記事に対する僕の意見を書くと、いろいろ誤解が生じるので、記事をそのまま引用する。
倘若我对这篇报道随意发表过多个人见解,恐怕又会横生不必要的误解与争端,因此我将该报道的原文字句一字不落照录于此。
けっしてこのコラムを書く上での手抜きではないつもりなので、そのつもりで読んでください。
这绝非我在专栏写作上的偷懒敷衍,还请大家怀揣着这个前提耐心阅读:
(ロンドン9日=共同)ポケモン映画にはキリスト教の自己犠牲と救済のメッセージが盛り込まれている。英国で上映中のアニメ映画「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」を見た英国国教会のアン・リチャーズ神学担当官が教会幹部へ提出する報告書でポケモンを称賛した。
“(伦敦9日=共同电)宝可梦电影中蕴含着基督教崇高的自我牺牲与救赎的博大精义。英国国教会(圣公会)负责神学事务的高级官员安·理查兹(Anne Richards)在观摩了正在英国公映的动画电影《口袋妖怪:超梦的逆袭》后,在提交给教会决策领导层的正式专题报告中,对该作品给予了极高的盛赞。”
英紙ガーディアンによると、批評家には酷評されながらも子供には大人気のポケモンを、子供たちへの福音に使えるかどうか考えたリチャーズさんは「最初は、戦いの場面がたくさんあるので難しいと考えたが、映画を見て考えを変えた」と評価。
“据英国《卫报》报道,面对这部虽被主流严肃影评界冷嘲热讽、却在广大少年儿童中引发狂热追捧的宝可梦电影,理查兹女士在探讨其能否作为向新一代传播上帝福音的有效媒介时由衷赞叹:‘起初看到片中有大量的战斗画面,我原以为会很难达成契合,但当真正看完整部电影后,我的观念被彻底颠覆了。’”
戦闘を止めようとして殺された主人公のサトシに、心を持たなかったクローンのポケモンが涙を流してサトシを生き返らせた場面に、死と復活というキリスト教的メッセージを発見するとともに、作品の中に暴力の無意味さと愛の強さを感じ取ったという。ガーディアン紙は、このほかにもケント州の教会の若者リーダーがポケモンカードに触発され、聖書の登場人物によるカードゲームを考案するなど、宗教界でのポケモン見直しの動きを伝えた。
“报告指出:主人公小智为了阻止残忍的战争而舍身被杀,那些原本被视为没有灵魂的克隆宝可梦们在这一刹那流下了真诚滚烫的眼泪、奇迹般地让小智起死回生——在这一幕中,理查兹女士敏锐发现了关于‘死亡与复活’的至高基督教母题,并从中深刻体悟到了对盲目暴力的虚无揭露以及大爱无疆的磅礴伟力。卫报进一步披露,肯特郡教会的青年领袖甚至受到宝可梦卡牌的启发,精心设计了一套以圣经历史人物为主角的卡牌游戏;整个英国宗教界正掀起一股重新审视《宝可梦》精神内核的全新浪潮。”
そして、後の見出しに、「英国国教会担当官が称賛」とある。
而在报道文末的大号副标题上,赫然印着:“英国国教会神学高官给予至高盛赞”。
僕は、キリスト教信者ではないし、まして、英国国教会とはかかわりがない。
然而,我首藤刚志既不是基督徒,更与英国国教会毫无半点瓜葛!
そのことはコラムに書いておこうと思う。
这一点我必须郑重白纸黑字写在专栏里以正视听。
精神安定剂与对“自我存在”的无休自问
しかし、『ミュウツーの逆襲』を書くのはとても疲れた。
可是,写完这部《超梦的逆袭》,真的让我累到了近乎灵魂出窍的绝境。
いままで、書く行為が嫌いだが、ものを書いて疲れたことはなかった。
以往我虽然本能厌恶写作这一行为,但单就动笔而言,我还从未体会过这般撕心裂肺的虚脱。
しかし、今回は、なぜか、精神的に疲れた。
然而这一次,不知为何,我在精神层面上彻底精疲力竭了。
「自分とは何か」という、僕自身が答えを見つけていないテーマを、「ポケモン」映画というメジャーな場所でやろうとしたからかもしれない。
或许是因为,我妄图在《宝可梦》电影这样一部面向全人类的主流巨制舞台上,去叩问连我自己苦思一生都未能找到答案的沉重宿命——“自己究竟为何物”。
この映画を世界で公開するということで、身の程知らずに世界を意識しすぎたのが、疲れの原因かもしれない。
又或许是因为,明知本片将要在全球舞台公映,我不知天高地厚地过度去背负了整座世界的目光,才导致了这般彻底的油尽灯枯。
欧米でヒットしたが、本当にこの映画が世界に通用したかどうかは、今も考えるだけで疲れてくる。
虽然它在欧美取得了票房轰动,但这部电影到底算不算真正被全人类的灵魂所接纳?如今光是稍微动念思考这个命题,胸口便会泛起一阵剧烈的疲惫与窒息。
『ミュウツーの逆襲』を書き始めたころから、医者から止められている酒(こっそりと飲んでいたが……)、煙草(こっそりと吸ってはいたが……)の量が明らかに増え、これはいけないと、市販の精神安定剤を代わりに飲み出した。
从动笔写《超梦的逆袭》起,被医生三令五申严厉禁止的烈酒(虽说平时一直偷着抿上两口……)与香烟(虽说一直偷着吸上几根……)的摄入量断崖式暴增;眼看身体要彻底报废,我只得靠市售的非处方精神安定药片来麻醉自己、强撑续命。
『ミュウツーの逆襲』を書いていたころを思い出すと、今も「自分とは何か」「自己存在とは」を、いいおじさんになっているのに考え出して止まらなくなる。
每每回想起伏案疾书《超梦的逆袭》的那些长夜,即便到了如今已步入暮年大叔的年纪,我依然会不可遏制地陷入对“自己究竟算什么”、“自我存在究竟为何”的无休止内耗死循环之中。
どうしてそうなるのか、精神医学や心理学まで、著名な専門家と話し、勉強した。
为了探寻人为何会陷入这种魔障,我甚至曾四处拜会全日本声名卓著的精神医学大家与心理学权威,拼命恶补相关典籍。
答えはまだない。
答案依然是一片虚无。
公开《超梦的诞生》原案大纲的意义
次回で『ミュウツーの逆襲』の話題については終わらして、先に進もうと思う。
在下一回里,我打算彻底为《超梦的逆袭》的一切恩怨画上句号,翻开新的篇章。
ポケモン映画の2作目「ルギア爆誕」にも、それなりのエピソードがあるのだから……。
毕竟在第二部剧场版《洛奇亚爆诞》里,还有着更多波澜壮阔的惊天秘辛等待着被诉说……
本来、このコラムの下、「昨日の私」では、脚本家の著作権問題と僕の関わりを書くつもりだったが、僕個人の話になるので、1回だけ後回しにして、『ミュウツーの逆襲』の話を終わらせるためにも、書いたのは『ミュウツーの逆襲』の後だが、ストーリーとしては『ミュウツーの逆襲』の前に位置する「ミュウツーの誕生」のプロットを載せておこうと思う。
按照专栏原定的规划,在正文下方的“昨日之我”附录栏目中,我原本打算详述编剧版权维权问题与我个人的纠葛,但那毕竟属于我个人的琐事;为了给《超梦的逆袭》画上一个最体面的圆满句号,我破例将版权话题推迟一期,在此特意刊载出创作时间虽在电影之后、但在故事时间线上却位于《逆袭》正传前夜的《超梦的诞生》完整剧情大纲(Plot)。
いつもの僕は、プロットを書かないで脚本を書く場合が多いのだが、ポケモンは制作関係者が多いので、意思の疎通を図るため、プロットを書いた。
平日里的我向来是不写大纲、直接提笔写完整剧本的;唯独在《宝可梦》这部牵扯了太多庞杂制作方的项目上,为了与大家达成清晰的沟通,我破天荒地撰写了这份详尽的大纲。
「ミュウツーの誕生」は、ラジオで、5回にわたって放送され、CDにもなったが、他のポケモン作品や関連商品と違い、あまり普及していないようなので、ここに載せた。
广播剧《超梦的诞生》当年在电台分5夜连播,后来虽然刻录成了CD,但与其他大红大紫的宝可梦周边相比,普及流传度极低,因此我决定将其公开收录在此。
多くの脚本家の皆さんが、脚本を書く以前にプロットを書くが、みなさんは、脚本を読む機会はあっても、プロットを読む機会は少ないと思う。
虽然很多编剧同仁在动笔前都会先写故事大纲,但对于广大读者朋友而言,大家或许经常有机会读到剧本成品,能亲眼目睹一份纯粹原始剧情大纲的机会却极少。
ただし、皆さんが書こうとするプロットの見本になるかどうかは、わからない。
不过,这份东西究竟能否作为各位有志于从事编剧写作之人的参考范本,我毫无把握。
僕の自己琉のプロットだからだ。
因为这完全是我个人随心所欲的野狐禅流派大纲。
ただし、このプロットが、関係者に読まれ、脚本のGOサインが出たのだから、いちおう、関係者に通用したプロットであることは確かだ。
但有一点毋庸置疑:正是凭借这份大纲打动了所有制作方大佬,最终换来了正式剧本通行的绿灯;从这个意义上说,它至少是一份切切实实在商业战场上所向披靡的实战文本。
参考になればうれしいと思う。
若能对大家的创作提供哪怕一星半点的灵感参考,我便不胜荣幸。