2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第192回:《宝可梦》洛奇亚本是母性(三大神鸟的男儿兄弟阋墙、《三国志》式父权斗争的虚无与首藤笔锋骤停的至暗时刻)
首藤刚志 × 洛奇亚 × 急冻鸟 × 闪电鸟 × 火焰鸟 × 小智 × 花子
第192回 《宝可梦》洛奇亚本是母性
映画版ポケモン第2作『X爆誕』のX(ルギア)が登場するのは作品の後半である。
在电影版《宝可梦》第二作《X爆诞》中,作为灵魂核心的代号X(洛奇亚)真正在银幕上破浪现身,已经到了全片的后半程。
そして、台詞は少ない。
而且从头到尾,它的台词少得可怜。
その声が男の声であろうと女の声であろうとたいした差はない、と僕は脚本を書きだす前はタカをくくっていた。
正因如此,在真正提起笔撰写剧本之前,我曾极度想当然、轻浮自满地认定:不论给它安上一副男人的嗓音还是女人的声线,对于成片而言想必根本不会产生多么致命的实质差距吧。
だが、台詞はないものの、Xは地球の自然のバランスを崩している、ファイアー、サンダー、フリーザーの三つ巴の喧嘩を止めさせるために出てくる。
然而,即便台词寥寥无几,X在剧中的核心使命,却是为了平息并彻底制止急冻鸟、闪电鸟与火焰鸟这三大神兽打破地球自然法则平衡的疯狂三方死斗。
Xは地球の生命を生み出したといわれる深層海流のシンボルである。
X是那股被誉为在太古时代为地球孕育出一切原始生命的“深层海流”的神圣图腾。
ファイアー、サンダー、フリーザーにとって母親的な存在である。
换言之,对于急冻鸟、闪电鸟与火焰鸟而言,X乃是如生身母亲般至高无上的至亲存在!
母親が子供の兄弟喧嘩をやめさせようとしたら、それは父親のやり方とは違うはずである。
当一位慈爱的生母试图劝止亲生骨肉之间的残酷兄弟阋墙时,她的处事态度与举动,必然与一位威严专断的严父有着天壤之别!
Xの行動には母性本能が働く。
支配着X一举一动的真正底层逻辑,只能是神圣的“母性本能”。
母性本能という言葉はよく聞くが、父性本能という言葉はあまり聞かない。
在日常生活中,“母性本能”这个词汇人们早已耳熟能详,但所谓的“父性本能”,却几乎鲜少有人提及。
僕がプロット段階でイメージしたXというポケモンは、僕自身が意識せずに母性本能を核にしたポケモンだったのである。
回过头来审视我在大纲构思阶段脑海中自发勾勒出的宝可梦X——连我自己都未曾刻意察觉,它从诞生之初,其内在精神内核就完完全全是以“母性本能”为基石构建而成的!
主人公のサトシのママがラストに出てきて「世界を救うなどというだいそれたことを考えずに、あなたは、あるがままを生きなさい」という意味のことを言うが、これは、父親としての言葉ではありえない。サトシを生んだ母親だから言える台詞である。
在影片的高潮尾声,主人公小智的母亲花子女士破浪赶来,对着满身创伤的儿子深情说道:“不要去妄想拯救世界这种不切实际的宏大妄念,只要以你最原本真实的面貌好好活着就好……”——试问,这样的话语,怎么可能是一个传统的“父亲”嘴里吐露得出来的?!唯有真正十月怀胎、以血肉孕育诞下小智的亲生母亲,才拥有吐露这句台词的至高资格。
父親なら「おまえはよくやった。私はお前の父親であることを誇りに思うぞ」などという「三国志」に出てくるような台詞を言って、実は子供っぽい無茶をしたにすぎないサトシを褒めたたえ自慢に思うかもしれない。
倘若换作一个父亲,多半会像古典演义《三国志》里的武将豪杰一样,摆出一副威风凛凛的架势训诫道:“干得好小子!我为你是我儿子感到由衷自豪!”——把小智那场充斥着不计后果、盲目逞强意味的少年前行,硬生生拔高吹捧为值得向世人夸耀的家族荣耀。
「さすが、わが息子……」、さもなければ「わが子ながらふがいない」が、父親の子供(男の子)に対して持つ感情で、息子の行動を認めるにしても「おまえなりに、よく頑張ったな」と励ましの感情になる。
“真不愧是我首屈一指的亲儿子!”……要不就是冷着脸斥责“作为老子的骨肉竟如此窝囊软弱”,这便是传统父权对于儿子(男童)往往抱持的扭曲情感;即便父亲认可了儿子的作为,归根结底也不过是“以你的能耐能撑到这一步,算你尽力了”这种居高临下的勉励罢了。
男儿兄弟之阋墙、父亲的苍白强权与母亲的绝对威严
これが、子供が女の子なら、父親はがらりと変わった感情になるのだが……どう見たって、ファイアー、サンダー、フリーザーは男の子である。
如果膝下是个女儿,父亲流露出的情感或许会彻底截然不同……然而放眼望去,无论是急冻鸟、闪电鸟还是火焰鸟,怎么看全都是一副血气方刚、桀骜不驯的鲁莽男儿做派。
どんな世界にも例外があるが、兄弟げんかが根が深くなるのは男の場合が多いようだ。
世间凡事固然皆有例外,但若是兄弟阋墙恶化到不死不休的深仇大恨地步,其当事人几乎清一色都是男性。
男の兄弟は他人の始まりどころか、生まれながらにしてライバルである。
同胞兄弟之间不仅往往最难成为交心至交,反倒自落草啼哭的那一刻起,就注定成了本能争夺地盘与资源的生死宿敌。
間に妹でもいれば、少しは違ってくるのだが、男だけの兄弟の場合、互いに敵愾心のようなものを表に見せないまでも、本能的に持ってしまうもののようだ。
如果兄弟当中恰好夹着一个备受宠溺的妹妹,情况或许还能得到微妙的中和缓冲;但若是纯粹由男性构成的兄弟阵营,哪怕表面上强颜欢笑维持体面,其骨子里往往也会凭本能滋生出一股极度强烈的敌意与竞争本能。
その喧嘩が表面化したとき、強力な力を持つ男である父親が仲裁に出てきたら、父親である力を誇示して喧嘩を仲裁しようとしがちで、対する子供たちも「子供の喧嘩に親父が口を出すな。そもそもあんたはどっちの味方なんだ」で、どろどろの親子関係になりがちである。
当这股深埋的敌意彻底爆发为流血决斗时,倘若此时跳出一个同样身为强悍男性的“父亲”出来仲裁,父亲本能的反应往往是炫耀自己凌驾其上的绝对强权去强压震慑;而处于狂怒中的儿子们必然会激愤反呛:“小辈之间的生死恩怨轮不到你这老顽固指手画脚!说到底你老头子到底偏袒偏心哪一边?!”最终只会演变成一团剪不断理还乱、充满怨毒的父子仇隙死结。
父親が息子たちの喧嘩に口を出すのは、男が持っている闘争心、嫉妬心の火に油を注ぐようなものである。
当父亲妄图强行介入儿子们之间的争斗时,无异于向男儿骨子里那股狂暴的斗争心与嫉妒心上疯狂浇油!
そもそも、男にとって目の前に最初に現れる男のライバルは父親なのだ。
说到底,在任何一个男人的生命历程中,他睁开眼所遭遇的第一个同性竞争宿敌,恰恰正是自己的亲生父亲!
そんな存在が出てきても喧嘩の仲裁ができるわけがない。
由这样一个天然的竞争对立者出面调停,怎么可能真正平息得下兄弟之间同态复仇的怒火?!
子供のころ、父親をライバルとして見ず、保護者として頼る男の子は、本来の男の子の本能に欠落部分があると言っていいかもしれない。
倘若一个男童在童年时期不仅从未将父亲视作竞争追赶的宿敌,反倒一味软弱地将其当成遮风挡雨的庇护伞,那么这个男孩作为健全男性的野性本能,恐怕从一开始就存在着严重的先天缺失。
余計なことだが歴史上、いわゆる2代目が同業の初代を超える例はあまりない。
容我扯句闲话:纵观古今中外的历史长河,那些子承父业的所谓“二世祖”,能够真正超越第一代开山鼻祖的例子,简直寥寥无几、凤毛麟角。
二世議員の多い今の日本の政治がぐらぐらしているのもうなずける。
如今充斥着大量二世议员、政客世家的日本政坛之所以风雨飘摇、进退失据,个中根由自然也就不言而喻了。
政治家の世襲制を止めさせようという意見が出るのも納得できる部分があると思う。
社会上要求彻底废除政客世袭特权的呼声之所以此起彼伏,确实有着令人深思信服的客观必然性。
話を兄弟げんかに戻せば、男たちの兄弟喧嘩の仲裁が自分たちを生んだ母親だったら、いがみ合っていた男の兄弟の気持ちは不思議と変わる。
让我们重新把视线拉回到兄弟阋墙的话题上来:倘若出面调停化解那群暴怒男儿争斗的仲裁者,是亲手赋予他们血肉生命的“母亲”,原本杀红了眼的兄弟们的心境,便会产生不可思议的奇迹般剧变!
なぜだか、その心理は僕にはわからない。
这究竟是出于何种深层的心理机制?实话说连我自己也无法用理性彻底参透。
どこにでも例外はあるだろうが、僕の知る限り、男の兄弟のいがみ合いにその母親の仲裁は強力に作用する。
尽管世事皆有特例,但据我平生的见闻观察:在化解男性兄弟不死不休的怨毒阋墙时,母亲的柔性介入往往具备着无坚不摧的奇迹伟力。
「自分を生んだ母親を悲しませたくない」という感情が生まれるのだろうか?
大概是在那一瞬间,男儿心底最柔软的隐秘角落里,终究被唤醒了“无论如何也绝不能让赋予我生命的母亲伤心欲绝”的原始敬畏吧。
僕には兄も弟もいない。
我自己家中既无兄长也无胞弟。
妹が2人である。
我只有两个妹妹。
だから、男同士の兄弟喧嘩の本質を肌で感じているわけではないが、兄弟関係において母の存在は父親の比ではない。
因此,对于亲兄弟之间剑拔弩张的争斗本质,我或许并未能从血肉之躯上获得最直接的切肤体会;然而放眼整个人伦图景,在调和兄弟关系的天平上,母亲那如定海神针般的存在感,绝非任何傲慢的父亲所能比拟!
ともかく子供に対して、父性と母性は違うのだ。
归根结底,在对待亲生骨肉的态度上,父性与母性从本源上就是截然相反的两种力量。
Xは、あきらかに母性である。
而宝可梦X,在剧作灵魂上彻头彻尾代表的就是“绝对的母性”!
そして、サトシの母親とともに、世界の生命の共存を願う。
它与小智的母亲花子女士遥相呼应,共同期盼着世间一切生灵生命的和平共存。
自分の子供であるこの世界の生命の母親としてである。
以身为这个世界万物生灵至高母亲的博大胸襟而期盼!
Xと違い、サトシを女手ひとつで生み育てたサトシのママは、世界の共存などという大きなことは意識していないが、思いは実はXと同じである。
与神明般的X不同,独自一人含辛茹苦将小智拉扯抚养成人的小智妈妈,心底并未装载什么“拯救世界万物共存”的宏大叙事;然而在骨髓深处,她所抱持的质朴愿望,与X的母性神髓完全不谋而合!
それを、サトシに対する台詞(ほぼお説教に近いが)で語り、Xは子供であるファイアーたちの喧嘩をやめさせる行動で見せる。
母亲花子将这份母爱凝练为对小智那番朴实无华却重逾千斤的叮咛训诫;而神兽X,则用它挺身而出阻止急冻鸟等孩儿互相毁灭的慈爱行动来具象表达。
だからXは現実的な力はさほど強くない。力ずくでファイアーの喧嘩を止めさせる力はない。
正因如此,X所拥有的物理性现实肉体破坏力,其实并没有强到离谱的地步——它根本不具备依靠纯粹蛮力强行把三大神兽按在地上碾压的绝对霸权。
しかし、何よりも強い母性を持っている。
然而,它却拥有着比世间任何毁灭性暴力都更为崇高、更为坚韧的至高母性!
つまり、後半出現するXの行動は母性的、女性的でなければならないと、アクションアドベンチャーでありながらも「共存」をテーマにするこの作品はぎくしゃくしたものになってくる。
换言之,后半段登场的X,其所有的一举一动都必须是母性的、女性的;否则,这部虽然披着热血动作冒险外皮、骨子里却在叩问“万物共存”的作品,其内在齿轮就会立刻陷入荒腔走板的严重生涩与卡顿!
何度も繰り返すが、Xの存在は台詞でなく行動で示される。
我必须再次反复重申:X的存在感绝非依靠说教台词去宣讲,而是完完全全通过一举一动的行为去践行展现的!
それが、会議の多数決でオス(男)にされてしまった。
然而,在企划会议的那场荒唐多数决表决中,它却被巨头们一锤定音硬生生定性为了“雄性(男人)”!
僕の迂闊さは、台詞の部分だけ男に変えればそれでいいと思っていたことにある。
我当初最大的致命疏忽与愚蠢,就在于天真地以为:到时候只要把剧本里台词的部分改成男声对白,一切不就能糊弄过关了吗?
だが、実際には、Xの出現から行動まで、オスである以上、男性的でなければならないはずである。
然而残酷的戏剧规律无情地嘲弄了我:从X现身大银幕的那一刻起,既然它已经被定性为雄性,那么它的每一个动作神态、每一招肢体语言,在逻辑上就必须充满男性的阳刚与侵略性!
けれど、僕のイメージしたXの行動は女性的である。
可是在我的全部潜意识构想中,X的全部行动逻辑完完全全都是女性与母性的啊!
男性的な行動で力ずくで喧嘩を止めさせたのでは、そこには一時的な平和が訪れるだけである。
倘若让X以一副孔武有力的纯男性身姿,凭借凌驾其上的绝对暴力将三只神鸟强行镇压打服,那么降临在这片海域上的,充其量不过是昙花一现的脆弱虚假和平罢了。
一時的な共存である。
那不过是一场转瞬即逝的暂时性共存。
Xがいなくなれば、また混乱と喧嘩が始まるだろう。
只要这个强权雄性X一转身潜入深海,三大神鸟之间血腥的混乱与仇杀必将在下一秒疯狂重演!
《三国志》所揭示的父权恶斗虚无,与母性救赎的恒久力量
たまたま先ほど「三国志」を例に出したが、あの作品は、果てしない闘争が続き、一時的な和平状態がたまにはあるが、すぐに元の混乱が起こり、英雄賢者入り乱れて活躍し、結局のところ世の混乱は変わらない。
方才我随手引用了《三国志》作为对照:那部波澜壮阔的古典巨作所描绘的,正是永无休止的残酷权谋厮杀;虽然偶尔能迎来短暂的停战媾和,但旋即便会被更惨烈的动荡颠覆,英雄贤达走马灯般粉墨登场拼死厮杀,可到头来天下的苍生涂炭与乱局根本未曾发生半点实质改变。
「三国志」は、フィクション部分が多いにしろ、中国の歴史を基にしている。
《三国志》哪怕掺杂了大量的虚构演绎,其本质地基依然是取材于真实的中国古代历史。
そして、その歴史の混乱のプロセスが面白い作品である。
而那部作品真正让人欲罢不能的魅力所在,恰恰就在于它那展现人类陷入动乱轮回的戏剧全过程。
人間の歴史は混乱のプロセスの集合である。
人类的历史,本质上就是由这一团团混乱争斗的进程所堆砌而成的集合体。
そして、歴史は流れていき、結果は見えない。
历史的长河浩浩荡荡奔流不息,从来没有人能够看清它的最终终局。
人は歴史を、自分の立場、感覚によって、それぞれに違う解釈の仕方をする。
世人往往根据各自所处的阶级立场、个人好恶与价值观,对同一段历史作出完全南辕北辙的解读。
プロセスの描き方が、ひとつの歴史を基にしながらも、作者によって違ってくる。
即便立足于同一段真实历史脉络,不同的文人骚客在下笔时,对整个进程细节的铺陈描摹也会大相径庭。
だから、昔からさまざまな作者が、さまざまな「三国志」を描き、それぞれに面白い「三国志」が生まれてきた。
正因如此,自古以来无数的作家文士写就了形形色色、风格迥异的《三国志》,每一部都各具千秋、极尽引人入胜之能事。
だが、それは、プロセスの面白さであり、結果の面白さではない。
然而,世人所沉醉津津乐道的,仅仅是“权力倾轧的过程之精彩”,绝非“结局的崇高意义之美”。
あえて、結果を出そうとしたら「人間なんて、共存なんてありえない、混乱だらけのしょうもない生き物だよ。歴史がそれを物語っている」という諦観で締めくくるよりないように思える。
如果非要逼着从《三国志》的结局里强行提炼出一个最终结论,恐怕除了“所谓人类,本就是一种根本不可能实现真正共存、成天只知道内耗沉沦的卑劣生灵,漫漫历史早就将这一切证明得一清二楚了”这样冰冷绝望的虚无主义喟叹之外,再无其他可能。
だが、それは極めて男性的な結論のような気がする。
然而在我看来,这种自暴自弃的结论,完全是由彻头彻尾的男性视角所推导出来的悲观绝路。
女性ならそんな結論に行きつくだろうか。
换作一位女性创作者,当真会滑向如此荒芜冷血的终局吗?
女性の書いた「三国志」に出会ったことはないが。あったら読んでみたいものだ。
我平生虽然未曾有幸读到过由女性亲笔撰写的《三国志》,但若真有这样一部作品问世,我必定会怀着极大的渴望先睹为快。
もっとも、女性は基本、喧嘩とだましあいばかり延々と続いて終わらない「三国志」など、ばかばかしくて書く気にならないのかもしれない。
不过话说回来,面对《三国志》里那充斥着整篇通本永无止境的背叛、暗算、厮杀与尔虞我诈,广大女性恐怕打心眼里只觉得荒唐透顶、愚不可及,根本连提起笔写它的丁点欲望都欠奉吧。
血を分けた兄弟は殺しても平気なのに、他人と義兄弟の契りを結び、義とか忠を大切にする「三国志」感性など、ナンセンスにしか思えないかもしれない。
为了所谓的权力与面子,哪怕对手足同胞骨肉痛下杀手也在所不惜;转过头来却偏偏要与毫无血缘的外人歃血为盟义结金兰,满嘴假仁假义高唱“大义”与“忠诚”——在女性眼中,这种典型的《三国志》式狂热感性,简直荒谬滑稽到了极点!
愛より義や忠を重んじる世界など噴飯ものかもしれない。
一个把空洞的“忠义”凌驾于真实的“爱与生命”之上的畸形世界,除了令人捧腹喷饭之外,还有什么值得称颂的?!
男は、義と忠がうれしくて、そして、それと裏腹の喧嘩とだましあいが面白くてしかたなく、それが人間の歴史に反映しているともいえるのだが……。
男人们只要一听到“义气”与“效忠”便热血沸腾、甘脑涂地,背地里却沉醉于与之相伴相生的阴谋与争斗无法自拔,这股劣根性确实如实地投射在了人类斑斑血泪的历史之中……
「女性というものは……」などと言いだすと、今の時代すぐ「差別的発言」と非難されるだろうが、女性は子を産みたいという本能を持っている。
如今动辄高谈“女性这种生灵具有何种特质”,多半立刻会被世风扣上“涉嫌性别偏见歧视”的政治正确大帽子;然而不可否认的是,女性骨子里天然奔淌着繁育生命、渴望抚育子嗣的神圣本能。
現代は子供を産もうとしない女性が増えているが、それは、子を産む本能よりも楽しみがあるかもしれないという豊かな日本の現状に目をくらまされているだけで、女性的本能の核ともいえる母性は消えていないと思う。
虽说在当今社会,选择不生育后代的现代女性与日俱增,但那不过是被物欲充盈繁盛的当代日本物质社会所提供的形形色色享乐暂时遮蔽了双眼罢了;作为女性灵魂深处最核心支柱的“母性”,绝不可能在人类基因中彻底磨灭湮灭。
さらに、女性は自分の生み出したものを、なにより大切にしたがる本能をもっていると思われる。
不仅如此,女性对于自己亲身孕育诞下的生命造物,有着本能般视若珍宝、誓死捍卫的护佑天性。
生み出したもののと自分に他者との共存が必要ならば、それを持続しようとするだろう。
一旦她清醒地意识到:为了自己骨肉生命的长久存续,自身与周遭他者的“和平共存”是不可或缺的前提,那么她便会不惜一切代价去悉心维系这种共存的平衡。
そして、本質的に闘争心のある男という性は、自分の存在が不確かゆえに、自分を生みだした母の存在に弱い。
反观男性这个充满掠夺斗争本能的性别,正因为对自己在这个世界的立足根基始终抱持着潜意识的不安全感与自我怀疑,因而面对孕育诞育了自己的母亲形象时,内心往往脆弱得不堪一击。
父親に対する感覚と違うものを母親に持っている。
男儿面对母亲所涌现的情感,与面对父亲时那种戒备对抗的复杂算计截然不同。
凝滞冻结的笔尖前——名为“自我欺骗”的至暗炼狱
つまり、男による共存は不確かであり、女もしくは性のない創造主でも作り出し登場させない限り、共存は語れないと脚本を書きながら感じたのである。
总而言之,在伏案疾书《洛奇亚爆诞》剧本的日日夜夜里,我越来越清晰痛苦地意识到:由充满排他斗争欲的男性主导的所谓“共存”,从根子上就是脆弱不堪、靠不住的幻影!若不创造出一个超然的女性意象,或者干脆是一个超越世俗性别的至高造物主神兽,全片所追求的“万物共存”母题就根本无从立足!
Xの行動は、女性的であり、腕力的にも強くはない。
宝可梦X的一言一行、一举一动,本质上完全是慈悲母性的具象化;而且在肉体武力值上,它也绝非蛮横霸道的无敌存在。
だからこそ共存を語れるのだ。
恰恰正因如此,它才真正拥有了抚慰纷争、垂范众生,向全天下宣告“共存”崇高价值的神圣资格!
しかし、Xは男性ということに決まってしまった。
然而,命运却跟我开了一个残酷的致命玩笑:在委员会会议上,X已经被白纸黑字盖棺定论为“雄性(公的)”了!
考えれば考えるほど、Xの行動は女性的にしかならない。
任凭我如何绞尽脑汁去推演打磨,在我的脑海中,X的一举一动都无论如何只能是包容一切的母性姿态!
Xの登場まで、紆余曲折はあったものの、かなり、思いどおりに書き進んでいた脚本が、男になったX(ルギア)を書くためにぴったり止まってしまった。
在写到X正式出场之前,尽管经历了不少迂回曲折,但剧本的推进总体而言还算得上顺水推舟、大致符合我预想的轨迹。然而,就在必须正面下笔去刻画这个被强行赋予了“雄性”身份的X(洛奇亚)的瞬间——我的笔尖,彻底在稿纸上死死僵住了!
Xは、どう行動させても、オスのポケモンにならないのである。
无论我怎么调整调度它的行为与台词,它从头到脚都根本无法被塑造成一只横冲直撞的雄性猛兽宝可梦!
これは困ったというより僕にとっては苦痛だった。
这已经远远超出了寻常所说的“创作遇到卡壳为难”,对于我作为编剧的灵魂而言,这简直是一场生不如死的惨烈酷刑!
脚本を書き始めてはじめてといっていいスランプ状態になった。
我陷入了自从迈入职业编剧生涯数十年来,堪称有史以来最为惨烈绝望的至暗创作瓶颈(Slump)!
そして、自分をごまかすしかないと思った。
面对截稿日期的步步紧逼,在极度的崩溃与绝望中,横亘在眼前的唯有一条耻辱的退路:我只能选择硬着头皮,痛苦万分地去“欺骗并麻痹自我(自分をごまかすしかない)”了……