2010 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」
[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第216回:“凝视着医院的天花板……”(海外大酒鬼档案、左撇子写作论、赠品打火机自嘲与宝可梦三十年永生大结局构想)
第216回 凝视着医院的天花板……
『ポケモン』映画3弾『結晶塔の帝王』1稿の原稿の直しを、ほかの脚本家の方に託し入院した僕の体調は、いつものごとく、点滴を受けつつ安静にしていたら、2週間ほどたつと元に戻った。
在将《宝可梦》第三部剧场版《结晶塔的帝王》第一稿的改稿工作托付给其他编剧并被送进医院后,一如既往,在一边静脉点滴一边绝对卧床静养的生活中,大约过了两周我的身体状况便逐步恢复了常态。
しかし、ほかに体の異常はないか調べるために1ヶ月入院した。
然而,为了彻底排查身体是否还潜伏着其他严重病变,我硬是在病房里住满了整整一个月。
その間、自分の今までの人生について、様々なことを考えた。
在那漫长的一个月里,我躺在病床上,翻来覆去地思索着自己迄今为止的整个人生。
これで、『ルギア爆誕』の決定稿を書きあげてから数えて2回目である。
算起来,这已经是从执笔写完《洛奇亚爆诞》决定稿之后算起的第二次大病入院了。
1年1度、『ポケモン』映画を書き上げるたびに倒れていたら、今後、毎年1回、入院することになる。
一年一度,只要写完一部《宝可梦》剧场版自己就必定吐血倒下一回——照这个要命的节奏发展下去,未来岂不是每过一年我就得进一次医院鬼门关?
制作スタッフからすればえらい迷惑だろうし、僕自身、体が保たないだろう。
站在制作组同仁的立场上看,这无疑是天大的祸害与麻烦;而对我自己来说,这副残破肉身也断然支撑不下去。
僕は若いときのように無理は利かない、いいおじさんである。
我早已不再是年轻时可以通宵达旦任性硬拼的毛头小伙,而是个上了岁数、经不起折腾的老大叔了。
余談だが、今年の3月18日から4月19日まで小田原文学館で開かれる僕の脚本を中心とした資料展を目前にして、東京の自宅の物置から、放り込んであった関連資料が見つかった。そこで、この機会に見直してみた。
顺带聊句题外话:面对即将在小田原文学馆举办的以我个人剧本为核心的文献资料展,工作人员在我东京家中的储藏室杂物堆里,意外翻找出了大批被胡乱丢弃沉睡多年的珍贵关联文献。于是,我借此良机将它们重新检视翻阅了一番。
小田原にあった僕に関した脚本などの資料は、図書館のご厚意で僕からの寄贈というかたちで保管してくださって、分類され、インターネットで検索できるようにしていただいてある。それ以外にあとからみつかったもの、欠落していた脚本や僕自身の手元にないものを関係者の方が僕のもとに送ってくださったものなども、寄贈させていただいている。
原本保存在小田原的那些与我相关的剧本资料,承蒙小田原市立图书馆的大力关照,全都被以我个人名义捐赠的形式悉心妥善保管,并进行了精细的科学分类,甚至可以在互联网上公开检索。此外,后来陆续搜寻出来的遗珠、当年散佚缺失而由业界知情同仁热心回赠给我的手稿原件等,我也统统如数捐赠给了图书馆。
仕事とはいえ保管スペースの確保や検索を容易にするための分類はとても大変であるから、図書館の方たちにご迷惑のかからないように、できるだけまとめてお送りするつもりではいるのだが、小田原に住む以前の、散在してしまったと思われたものが次々に見つかってくる。僕のシリーズ構成したアニメの予告は、アフレコの予告録音の数十分前に、アフレコ現場の雰囲気でアドリブで原稿用紙の裏に殴り書きし、いきなり声優さんにしゃべっていただいたようなものが多いが、そんな原稿まで見つかってくる。
虽说是公家职分,但想要腾出巨大的恒温仓储空间、并为了便于公众检索而进行浩繁的文献分类,是一项极其艰辛不易的苦差事。为了尽量不给图书馆的老师们添乱添堵,我本打算积攒齐备后再一并打包送去;然而那些在我移居小田原之前、原以为早已散失在历史尘埃中的手稿,却如同雨后春笋般接二连三地从犄角旮旯里冒了出来。比如我担任系列构成的大量动画正片预告,往往是我在声优配音录制预告前的几十分钟里,借着录音现场的即兴氛围,在原稿纸背面龙飞凤舞潦草狂草写下、当场硬塞给声优老师脱稿念出来的——连这种荒唐的草稿竟然都被完好无损地翻了出来!
僕の予告は、本編よりも面白いと言われたことのあるぐらい奇妙なものがある。
我写的那些下集预告,其荒诞离奇的程度,甚至常常被业界戏谑赞誉为‘比动画正片本身还要精彩好看’。
ちっとも次回の予告になっていないものもある。
其中不少甚至根本没有哪怕半个字在认真预告下一集的剧情。
たとえば、シリーズが終わった最終回に予告の時間が余っていて、
打个比方,在全季彻底完结的最终话结尾,由于预告片时间莫名多出了几十秒空档:
「ねえ、予告をやろうったって、これ最終回。予告をするものがないわ」
‘喂,就算要念预告,可这已经是大结局了啊!根本没有什么下周可预告的内容了嘛!’
「じゃあ、私たちと関係ない作品の予告をさせてもらおうよ」
‘那不如咱们顺手帮隔壁跟咱们八竿子打不着的其他作品念预告得了!’
「失業しなくてすみますね」
‘这样好歹能保住饭碗不用失业啦!’
「私たちに予告を読んでもらいたい作品は、ご連絡ください。電話番号は……」
‘凡是想雇我们代念下集预告的制作组,请速速来电联系洽谈!我们的热线电话是——’
ピーと、放送局の警告音がはいり……
【哔————!!】电视台的紧急消音警报声骤然刺耳响起……
「さすがにそれはだめか……」
‘呃……看来这种操作果然还是行不通啊……’
「そうみたい……」
‘看来是呢……’
そんな殴り書きである。
——我当时在稿纸背面潦草写下的,全都是诸如此类的荒诞神来之笔。
いくらなんでもこんな原稿、図書館が保管してくれるはずがない、とは思いつつ一応図書館の方にうかがってみると、「アニメのアフレコ状況を知る上で面白い資料かもしれません。ともかく、首藤さんの作品関係で手にはいるものは、できるだけ保管整理します」と、おっしゃってくださる。申しわけないやら感謝にたえないやら。
我想着‘无论如何这种破纸片图书馆绝对不可能乐意收藏吧’,于是姑且硬着头皮向图书馆老师打听了一下;不料对方却爽快答复道:‘对于后世研究昭和平成之交动画配音录制的现场生态,这反而是极度鲜活生动的罕见文献史料!总之,只要是与首藤老师创作生涯相关的任何吉光片羽,我们都必定竭尽全力妥善整理归档保管!’闻听此言,我真是既羞愧难当,又感激涕零。
ただし、こんな変な原稿は、この春の展示には入っていない。展示物の選択は、図書館の方たちにおまかせしている。
当然,像这种乱七八糟的古怪草稿,在今年春天的正式文献展上并没有被摆出来示众。展品的遴选与陈列,我全权托付交由图书馆的专家们自行定夺。
で、今回、物置から発見された書類の中に、英語で僕を紹介しているものが見つかった。
言归正传,在本次从杂物室清理出来的泛黄故纸堆中,我们意外发现了一份用全英文向海外介绍我个人生平的海外资料。
代表作と略歴、作品の特徴が記されているが、どこで調べたのか、僕の描くキャラクターの性格から、その性格を表現するために小山茉美さんや林原めぐみさんが常連になっているなどということまで書かれている……まあ、それはそうかもしれない。
上面严谨记载着我的代表作品、简要履历以及剧作的美学风格特质;甚至不知打哪儿调研来的深度八卦,文中写道:正因首藤笔下角色的独特心智与桀骜性格,为了完美诠释那份风骨,声优小山茉美女士与林原惠女士才顺理成章地成为了首藤作品中不可或缺的御用常客……仔细咂摸,倒也确实言之成理。
それによると、僕のセリフは、七五調の歌舞伎の黙阿弥の影響を受けているとか……本当かね?
根据那份外文资料的分析,我笔下的台词韵律,深受江户歌舞伎狂言巨匠河竹默阿弥那种抑扬顿挫、铿锵有力的七五调韵律熏陶……真有这回事吗?连我自己都半信半疑。
まあ、そこまではいいとして、続いてこうある。“彼はexcellentなライターであると同時に大酒のみとしても知られており、特にスポンサー相手のときにもっと酒を飲む”とあり、“ついに2000年夏、肝臓障害で倒れ、シリーズコンストラクションのポストを止めた。しかし、今も、多くの脚本を書いている……”
好吧,前面那些艺术褒奖倒也罢了,可紧接着下面白纸黑字写着:‘他既是一位卓越超群(excellent)的编剧,同时也是业界人尽皆知的海量酒鬼,尤其是在与商业赞助商资方周旋对峙的酒局上,他更是狂饮无度!’甚至还写道:‘最终在2000年盛夏,他因严重的肝功能衰竭彻底倒下,黯然辞去了宝可梦系列构成的职务。然而直至今日,他依然在源源不断地执笔大量剧本……’
わあっ、である。
‘哇啊——?!’我看到这里当场失声惊呼。
まんざら嘘ではないから、否定はしないが、僕は大酒飲みとして、外国にまで知られているのか?
鉴于这字字句句倒也完全不算捏造造谣,我自然无从反驳;但我这副嗜酒如命的放浪酒鬼形象,难道竟然早就臭名远扬传到大洋彼岸的外国去了吗?!
『ポケモン』のシリーズコンストラクションを止めさせていただいたのは、肝臓障害が理由ではない。
然而,在此我必须郑重声明:我当年之所以主动请求辞去《宝可梦》电视系列构成的要职,绝非单纯因为什么该死的肝功能障碍!
病院の個室で、1人で自分の一生を考えたのである。
真正的缘由,是我孤身一人躺在医院冰冷的单间病房里,彻底被逼到了审视自己整个人生意义的绝境之中。
なんだか、いいかげんに生きてきたなあ……こんなに好き勝手に生きていいのだろうか。
回顾过往,我这一生过得何等玩世不恭、敷衍了事啊……一个人当真可以如此任性妄为、随波逐流地虚度一生吗?
一生は1度である。
人生在世,终究只有一次。
何か、本当にやりたいことはなかったのだろうか。
在我的灵魂深处,难道当真就没有哪怕一件真正想要倾注生命去完成的至高夙愿吗?
本当にすべきことはなかったのだろうか。
难道就没有真正属于我、非我莫属的使命与责任吗?
なんだか、子供のころは、やりたいことがいっぱいあったような気がする。
依稀记得在天真烂漫的孩提时代,我心中渴望去探索、去体验的万物分明堆积如山。
どんなことにも興味を持つ子供だったはずである。
那时的我,分明是一个对世间森罗万象都睁大眼睛抱有无穷旺盛好奇心的孩子。
ところが病室の僕は、書いていないと何もしていない無職の病人である。
然而此时此刻躺在病床上的我,只要停下敲打剧本的手指,不过就是一个无所事事、形同废人的失业病夫罢了。
そもそも、僕は、文字を書くという行為が嫌いである。
追根究底,我骨子里其实极其深恶痛绝‘书写文字’这一肉体折磨行为。
僕は本来、左利きである。
我天生是一个彻头彻尾的左撇子。
どうやら子供の時に、だれから言われたわけでもなく、文字を書くという行為は右手を使わねばならないと思い込んだようだ。相当な苦痛だった覚えがある。
不知为何,幼时的我未经任何人提点教训,便一根筋地深信‘在这个世界上写字必须使用右手’;为了强行扭转顺应,我依稀记得那曾是一段漫长而痛彻心扉的残酷折磨。
絵を描くのは左が主であり、そのうち右手も使えるようになり、両刀使いになった。
画画时我主要使用灵活的左手,久而久之右手也能勉强胜任,最终蜕变成了左右开弓的双刀流。
しかし、いまでも基本は左手である。
然而直至今日,我最本能的支配神经依然牢牢扎根在左手之上。
左手優先ではじまった絵は好きである。
对于顺应左手天性自然挥洒的绘画艺术,我打心底里深爱有加。
しかし、自分の思いや考えを、絵で表現したいとは思わない。
但我却从来未曾奢望过要用具体的画面或线条,去精准表达自己脑海深处的复杂哲思。
文字を書くより絵のほうがいいと思うだけである。
仅仅是单纯觉得:画画总归比痛苦地手写文字要轻松畅快得多罢了。
頭の中に浮かんだいろいろな思いや考えは、そのまま自分の中に頭にしまっておけばいい。
头脑中翻江倒海浮现出的奇思妙想与晦涩哲理,原本老老实实珍藏在自己脑壳里便足够了。
しかし、人間の社会では、人間は1人では生きていけない。
可是,只要身处这名为人类社会的大网之中,生灵便绝不可能孤身一人独活于世。
1人で生きていけない以上、誰かに自分を表現しなければならない。
既然无法遗世独立,你就必须千方百计向世人表达传递属于你自己的存在。
表現にはいろいろな方法がある。
而自我表达的途径,原本有千百种可能。
なにも文章を書くという表現方法を使わなくてもいいはずである。
按理说,我完全没有必要非得死抱着‘撰写文章’这种费力不讨好的手段不放。
文章を書くということは、自分の思いを誰かに――もしくは自分自身に――表現するための手段のひとつでしかない。
写文章,无非只是向某个外人——亦或是向自己内心——表达思想的其中一种媒介途径罢了。
それなのに、なぜ文章を書く仕事をしているか。
可既然如此,我究竟为何偏偏以‘写作为生’呢?
楽だからである。
原因无他——因为对我而言,这是‘最轻松省力’的差事。
絵は楽ではない。どんなに抽象的な絵であろうと、相手の心に自分の思いを伝えるには、基本的なデッサン力が必要である。
画画绝非易事。任凭你的立意多么抽象先锋,若想将心绪准确凿进观者的心扉,必须仰仗千锤百炼的扎实素描造型功底。
音楽も楽ではない。人の心に音楽で自分を伝えるにはデッサン力が必要である。
音乐更是艰难苦涩。想要用旋律触碰抚慰人性的深渊,同样需要无比森严的‘音乐素描力’。
そのデッサン力を生まれながらに持っている人もいる。いわゆる天才だが、普通は楽器や楽譜や歌唱力などを鍛えなければならない。
世间固然存在生来便通晓此道的神童天才;但寻常凡人想要叩开音乐之门,必须日复一日地疯狂锤炼乐器演奏、识谱记谱与声乐技巧。
もっとも簡単な表現は会話だろうが、会話が成り立つには、語学力以前に相手の気持ちがわかる能力がいる。
普天之下最轻松便捷的表达莫过于‘言语交谈’;但真正的对话若想成立,在语言词汇技巧之前,首先需要具备能够瞬间洞悉体察对方情绪波动的敏锐同理心。
僕は、かなり好奇心の強い子供だった。言葉はわからなくても、自分なりに相手をわかろうとしていたようである。それが、ひとりよがりだとしてもだ。相手は人間に限らない。森羅万象、何もかもが興味の対象だったようである。
我自幼便是一个好奇心过剩到病态的顽童。哪怕语言不通,我也会自说自话地试着用自己的直觉去揣摩体悟对方——哪怕那完全是我一厢情愿的妄想。而我的对话对象更绝不仅限于人类;花鸟鱼虫、草木山川、天地间的森罗万象,似乎全都是我痴迷对话的狂热客体。
……わあ、偉そうなことを言っておるなあ。
……哇,瞧我这老头子,说起大话来还真是一套一套的挺能装啊。
だから会話(身振り手振りなどの動作を含めた)は、楽とか苦とかいうより面白い行為だった。いろいろな人と出会い対話(ふれあいともいう)するのが、少なくとも若いころは苦ではなかった。
正因如此,对于伴随着手势肢体语言的当面交谈,与其说是轻松还是痛苦,倒不如说是一件极富趣味的奇妙游戏。与千差万别的人相遇倾听对话(亦即所谓的灵魂触碰),至少在我二十出头血气方刚的岁月里,从来未曾让我感到过哪怕一丝一毫的疲倦负担。
書くより楽なそんな対話が、商売になりかけたこともあった。
这种远比提笔书写轻松千百倍的交谈天分,甚至一度险些变成了我的终生职业。
セールスである。なんだか知らないが、僕の対話の仕方がユニークだったようで、かなり優秀なセールスマンになりかけていた。
那便是‘推销员’。不知何故,我那种特立独行、不落窠臼的谈话技巧极具奇特的蛊惑感染力,当年我甚至眼看就要蜕变成为业绩顶尖的金牌王牌推销员了。
だが、しばらく続けて、これはまずいと気がついて止めた。
然而干了一段时间后,我骤然惊醒意识到这其中潜伏着巨大的道德毒素,于是毅然决然斩断退出了。
セールスは、物を売る。その売り物が悪ければ、詐欺である。だましである。
推销的本质,在于将具体的货物兜售出去。如果你所推销的商品本身存在瑕疵或名不副实,那么这种推销在本质上与坑蒙拐骗的诈骗犯毫无二致!
僕は自分の売る物に、確実な自信は持てなかった。
而我对于自己经手推销的那些世俗物件,从来都无法抱有百分之百确凿无疑的道德自信。
そして、対話でものを売りつけるセールスは、物を売ることではなく、実は自分自身を売り込んでいることに気がついた。
更让我毛骨悚然的是:我猛然惊觉,在推销交涉中促成交易的根本不是商品本身,而实际上是在出卖和兜售‘推销员自身的人格灵魂’!
僕が最も自信が持てないものが、自分である。
而在大千世界之中,我首藤刚志最缺乏自信、最看不起的对象——恰恰正是我自己!
そんなものをセールスしてはまずい。
去把一个连我自己都鄙夷唾弃的虚妄人格当成筹码推销给别人,简直是大逆不道。
自分で自分をだましているに等しい。
那无异于彻头彻尾的自欺欺人。
だが、相手が僕を欲しがるのなら、それは自分を売り込んでいることにはならない。
然而,如果对方因为某种艺术创作主动渴望向我求购文字,那便谈不上是我在倒贴兜售自己。
相手が買いたがっているのである。
那是对方出于内心的渴望,心甘情愿想要买下我的构想。
僕は楽がしたい。徹底的な面倒くさがりやで怠け者なのである。
说白了,我只想图个安逸清闲。我骨子里是一个无可救药的极度怕麻烦狂热分子与天生大懒汉。
会話の次に楽な表現は、他の表現に比べたら比較的楽な文章を書くことだと思った。
而相较于绘画、音乐等严苛高深的艺术门槛,仅次于随口聊天的最省力自我表达途径,思来想去唯有‘写剧本文章’这档子事了。
努力なんかしない。好奇心の持てるもの、興味の持てるものを調べたり体験するのは、勉強ではなく楽しみである。
我从来不肯去下什么苦功硬啃苦读。凡是我能够抱有好奇心、激发起兴致的事物,去查阅考证、去亲身体验,对我来说根本不是刻苦用功的‘求学修行’,而是纯粹犒赏感官的‘饕餮享乐’罢了!
あ、僕の好きなタイプの女性も、興味の対象であることは言うまでもない。
啊,至于我心仪钟爱的理想女性类型,自然也毋庸置疑名列我至高兴趣探索对象榜首。
そうやって、幼年期から青年期まで好奇心の強かった時に自然に自分に身についたものを文章化した。
就这样,我仅仅是将在童年至青年时代趁着好奇心最炽烈之年岁、自然而然浸润内化在血肉里的万物,信手涂抹转化为了文字而已。
ただし、自分に自信の持てるもの……つまり、自分のやりたいもの、好奇心の持てるものしか書かないことに決めた。
但是,我立下了一条绝不逾越的铁律:唯有我自己能抱有绝对信念的东西——也就是说,唯有我真正想写的题材、唯有能点燃我好奇心火种的故事,我才肯下笔!
僕のデビュー作は、時代劇で、最初はやりたいタイプの作品だったが、やっているうちに嫌になった。僕の最初のシナリオ作品を評価してくださった先輩が、ずいぶん手助けしてくださって放送にこぎつけていただいたものだ。
我的出道处女作是一部历史古装时代剧;起初我确实对这类题材满怀憧憬,然而写着写着我便感到厌烦反胃。当年赏识并提携我第一部剧本的前辈恩师(宫内妇贵子),付出了难以想象的心血为我保驾护航扫清障碍,才好不容易促成剧集最终顺利公映开播。
先輩に迷惑をかけたくなくて、しばらく書くのを止めた。
为了不再给恩师前辈添麻烦添乱,我愤然封笔、在很长一段时间里彻底拒绝再写半行剧本。
なにより、自分のやりたくないもの、好きでないものを、書くという嫌いな行為で表現したくなかった。
比任何事情都重要的是:用我原本就深恶痛绝的书写行为,去被迫表达我自己根本不屑一顾、毫无热情的劣质题材,对我而言简直是生不如死的折磨!
それから、しばらくして、絶対にシナリオライターにならなくてはならない状態に追い込まれた。
在那之后不久,命运无情地将我逼入了一条‘无论如何必须成为专职职业编剧’的狭窄绝路。
このコラムの1話に書いた状況である。
那段惊心动魄的窘境,我在本专栏第1回便已向大家和盘托出过了。
なんのことはない、昔のガールフレンドとの約束を裏切りたくなかったからだ。
其实说穿了一文不值:仅仅是因为我无论如何也不愿背叛当年许给昔日女友的少年誓约罢了。
で、好き勝手に書いたら、それが評価されて、以来、ほぼ勝手放題である。
既然无路可退,索性放飞自我胡写一气!谁料那种肆意妄为的剧作居然赢得了业界的一致盛赞;自那之后,我便愈发变本加厉、彻底在‘无法无天’的大道上一路狂飙至今。
やりたくないものは断ったし、途中で作品の制作方針が変わったので、病気を理由に途中で降ろさせていただいたものもある。
只要是我不中意接手的企划一概当面推辞拒绝;而在制作中途一旦发现资方的创作方针发生恶劣变节,我甚至直接以‘突发重病’为由撂挑子辞任中途跳车。
結果、僕の脚本歴にはいわゆる原作のある脚本は少なくなり、原作があってもかなりちがったアニメ作品になった。
其直接后果便是,在我的整个编剧生涯履历表里,所谓的漫改小说改编商业命题作文少之又少;即便偶尔接手有原著的作品,最终拍出来的成片也往往被我魔改重构成面目全非的崭新存在。
もちろん、そんな場合、原作者や編集者の了解は受けたうえでのことである。
当然,在那些魔改案例中,我自始至终都是在事先征得原作者与出版编辑部郑重授权与首肯的前提下行事的。
もちろん出来不出来はあるだろうが、ともかくやりたくないものには関わらなかった。
成片的水准固然有高有低、参差不齐;但我唯一可以昂首挺胸傲视群雄的是:凡是我心生厌恶之物,我这辈子绝未染指过半寸!
自分から企画や脚本を売り込んだこともない。
我也从来不曾像乞丐一样摇尾乞怜向任何资方倒贴兜售过自己的企划或剧本。
それでも、なんとか仕事が舞い込んできた。
即便如此特立独行,各路影视动画订单却依然如同雪片般络绎不绝地主动找上门来。
若いころは僕の脚本を面白がってくれるプロデューサーや監督と出会い、評価してもらい、舞台ミュージカルを書き、普通なら望むべくもない著名で優秀なスタッフによる作品の台本を書かせてもらい、ついでに演出の真似事までさせてもらい、知らないうちにアニメでは気の合う若手演出家、プロデューサー、そのほか伸び盛りの優秀なスタッフ、声のキャストと一緒に仕事をするようになっていた。つまり、様々な出会いがラッキーだったのだろう。それが、知らず知らず勉強になってもいたと思う。
在年轻时代,我邂逅了许多欣赏并宠溺我怪诞才华的制片人与名导,承蒙他们的高估厚爱,我执笔舞台音乐剧,写下了寻常编剧做梦都难以奢望的豪华主创阵容所支撑的重磅大剧本,甚至还在片场越俎代庖过了一把导演瘾;在动画领域,不知不觉间我身边聚集起了一大批志同道合的新锐青年演出家、制片人、才华横溢的原画师与声优天团。简而言之,我这一路走来在人际相逢上实在太幸运、太得天独厚了。在潜移默化之中,那些交锋碰撞也成为了哺育我心智的最高学堂。
若い時からいろいろな作品のシリーズ構成格にされたこともあって、脚本家の起用法などで、常識外れの作品作りができたのも幸運だった。
早在初出茅庐的二十出头,我就屡屡被委以重任拔擢为各大动画的系列构成操盘手,在编剧选拔与剧情调度上得以打破一切常规教条、打造出惊世骇俗的先锋巨构,这同样是命运莫大的恩赐。
年がら年中、病気で行方不明になり、作る脚本は変だから、普通だったら10年もしないうちにこの業界から追放されていただろうに、自分でも不思議だった。
一年到头动不动就因吐血住院而人间蒸发,写出的剧本逻辑乖张古怪——按正常行业规律,像我这种离经叛道的异端狂徒,恐怕干不满十年就早就被整个业界扫地出门、彻底封杀了;可我竟然奇迹般地屹立了数十年,连我自己都觉得不可思议。
しかしである。それでも40代の終わり、結婚もし、子供もでき、病室の中で天井を見上げていると、僕の人生はこれでいいのか、と思わずにいられない。
然而,人生总有梦醒时分。当步入四十岁尾声、成了家、迎来了嗷嗷待哺的幼女,整个人独自躺在刺鼻消毒水味的病房里仰望着苍白的天花板时,我终究不可遏制地在心底发出灵魂拷问:我这一生,真的就可以这样草草了事了吗?
こんなふざけた一生でいいのかと考え込んでしまったのである。
我真的甘心用如此戏谑荒诞、玩世不恭的姿态,去兑换自己唯一的一世人生吗?
なぜなら、いまだに、自分が何であるかわからないのだ。
因为直至今日,我依然完全参不透自己究竟为何物。
書かなければならない約束のものもあるが、それを書ける能力があるかどうかもわからない。
手里虽然压着早已白纸黑字签约答应必须交出的重磅稿约,但我连自己到底还剩不剩下写出它们的心智才华都完全陷入了怀疑。
僕は自分のことを電話で「あの……ライターの首藤ですが」という。
在接打电话自报家门时,我总是下意识地嘟囔:‘喂……我是打字撰稿人(Writer / 亦指打火机)首藤……’
先輩の脚本家からよく怒られた。
德高望重的前辈大编剧们生前常常对此严厉训斥我:
「ライターなんて言うな。脚本家の首藤。作家の首藤と言え」
‘别自甘下贱自称什么打字工!要挺起胸膛堂堂正正地说:我是编剧首藤!我是作家首藤!’
でも、やっぱり、僕はライター、ダンヒルでもカルチェでも100円ライターでもない。せいぜい煙草を3箱買うとおまけについてくるライター。
然而在我心底,我始终深信自己充其量不过是个一次性打火机(Lighter)——既不是登喜路(Dunhill)也不是卡地亚(Cartier),甚至连便利店里卖100日元的塑料打火机都算不上;最多不过是你在烟摊上随手买满三包香烟时、老板随手扔给你的廉价赠品打火机罢了。
謙遜じゃない。本当にそう思うのだ。
这不是什么故作清高的自谦,而是我骨子里最赤裸真切的自我认知。
そして、たまに飲む酒は、ワンカップ大関2本。最近、東京では売っていないようだが、市販売の精神安定剤リスロンかワット1箱――もちろん入院中は飲まないが――ただし、禁煙中だった煙草は3ミリを1箱。
偶有喘息之际,我借以麻痹灵魂的,是两罐廉价的大关清酒;最近在东京似乎早已被禁售下架的非处方精神安定药‘利斯隆’或‘瓦特’整整一盒——当然在住院急救期间是严禁服用的——唯独在戒烟期间偷偷复吸的3毫克淡味香烟,依然每天雷打不动抽完一整包。
病院での僕は、決定稿に向けて直しが続いているだろう映画第3弾『結晶塔の帝王』のことはまったく考えていなかった。
在医院病房里的日子里,对于外界正为了决定稿而争吵不休、加紧改稿推进的电影第三弹《结晶塔的帝王》,我彻底将其抛诸脑后、连哪怕半秒钟都没再去想过。
たまに考えたのは映画第4弾の内容……しかし、まったくアイデアが浮かんでこなかった。
偶尔闪过脑海的,是传闻中的剧场版第四部到底该拍什么……然而我的枯竭大脑深处连半星灵感火花都再也迸发不出来了。
考えていたのは、いつになるかわからない『ポケモン』の映画、最終編の内容。
在苍白的天花板下,我唯一日夜反复推演的,是那个不知何年何月才会到来的、关于《宝可梦》大结局终极剧场版的内容。
それは、ゲームの販売もTV放映も終わらなければ、絶対作れない内容だった。
而那部终极篇章,是一部只要掌机游戏的商业发售与电视动画的热播一日不彻底画上休止符,就绝对不可能被允许制作上映的禁忌构想!
総監督は、『ポケモン』映画2弾の時、あと10年は続けたいといった。
在筹备第二部剧场版《洛奇亚爆诞》之际,总监督曾斩钉截铁地宣告:希望宝可梦还能再战十年。
その方向方針でいくのなら、30年は続けられると僕は思った。
如果真要全盘贯彻那种模式,我心中深知,这个系列完全可以原地踏步苟延残喘整整三十年!
『ポケモン』という作品はその力がある。「男はつらいよ」はフーテンの寅さんの渥美清さんが亡くなって終わったが、アニメである『ポケモン』のピカチュウとサトシとロケット団トリオは永久に死なないからだ。
《宝可梦》作为一部商业怪物确实具备这种永动机般的神力。《寅次郎的故事》之所以落幕,是因为饰演浪子寅次郎的渥美清先生撒手人寰;然而作为二次元动画图腾的《宝可梦》,皮卡丘、小智与火箭队三人组在商业神殿里是永生不死、永远不老的神祇!
もちろんその時は、僕も現在のスタッフも現役としてはいないだろう。
当然,待到三十年后的那一天,包括我在内的所有现役初代制作同仁,恐怕早已化作青烟不在人世了吧。
そんな先の映画のエピソードを考えている僕は、そうとう精神的に参っていたのかもしれない。
躺在病榻上却满脑子在推演推想那么遥不可及的终极结局的我,或许在精神层面上早已真正走火入魔、病入膏肓了吧。
つづく
(待续)
●昨天的我(比起近况报告不如说是谁都能当的编剧)
これでもずいぶん遠慮して書いている。
即便写成了这样,大家要明白,我下笔时其实已经做了极其克制忍让的收敛了。
実は、いつか、アニメのミュージカルの話を書こうと思っていたのだが、舞台で生のアニメミュージカルとは――まして魔法もので子役を使うミュージカルとは――仰天するほどお金がかかるだろう。もう一度言おう。舞台は生ものだ。事故に対する対処は? 子供の観客の反応も細心の注意が必要だ。
实际上,我原本打算找个机会好好聊聊将动画改编为舞台音乐剧的话题;然而在剧场里搞活生生的现场动画音乐剧——尤其是动用大批未成年小童星出演的魔法少女题材——其烧钱成本绝对是天文数字级别的恐怖!我必须再次强调:舞台是活生生的!一旦发生舞台事故该如何应急?面对现场庞大的幼童观众群体,每一个细节都必须严阵以待、如履薄冰!
舞台ミュージカル経験のない制作者は、予算だけ提示して、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品のテーマを理解していないミュージカル経験者に、丸投げで任せるしかない。おまけに肝心の制作者も、初代・2代目の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、どのようなテーマでどのような熱意で作られたか知ってはいない。そして、費用は予算をおそらくオーバーする。
毫无舞台剧制作经验的动画资方,往往只是随手甩出一笔预算,随后将其全盘甩手倒贴给那些对《魔法小天使》哲学主题一无所知的外行戏剧贩子。更致命的是,出钱的资方大佬自己也根本不晓得当年初代与二代《明琪桃子》是怀揣着何等崇高的理念与炽热的灵魂铸就而成的。最终结果,制作开支必定毫无悬念地全面爆仓赤字!
舞台ミュージカルは、予算オーバーを予想して余裕を持っていないと大変なことになる。その忠告はしたはずだ。でも、やっちゃうのね。
涉足商业舞台音乐剧,若不能对巨额赤字早做充裕准备,最终下场必定粉身碎骨。我早就把这句忠告拍在他们脸上了,可这帮人却偏要硬着头皮自取灭亡。
先週、このコラムに、ミュージカルをするなら、とりあえず1年前に出したBlu-ray版の初代『ミンキーモモ』の著作権料ぐらい出してからにしてください、と書いたけれど、これ、皮肉のつもり。
上周我在专栏里讽刺说‘有闲钱排音乐剧不如先把拖欠一年的初代BD版税结清’,那纯粹是我个人辛辣的讥讽挖苦。
この会社、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に限らず他の作品についても、パチンコやらゲームやらいろいろな面で、著作権、脚本家印税、そもそも作品の版権その他があやふや。それも、ここ10年近く……。
因为这家公司不仅是对《魔法小天使》,连同它名下的其他大量动画IP,在老虎机弹珠赌博机、游戏改编等各个衍生商业链条上,关于著作权、编剧版税分成乃至底层IP授权边界等,近十年间全都被搞得一塌糊涂、账目混乱!
いまさら、Blu-rayの著作権料など誰も期待していない。もはや、問題は金銭ではないのだ。
事到如今,我们这帮老主创早就没人对什么BD版税报以哪怕一分钱的幻想了。核心死穴早已根本不是金钱问题。
ハードがなくなったLDと違いDVDがまだ健在な現在、Blu-rayに要求されるのは、まず画質や音質だろう。
与播放硬件早已灭绝的LD大光盘不同,在DVD依然大行其道的当下,观众购买昂贵的Blu-ray蓝光光盘,图的首先就是无可挑剔的极致画质与母带音效修复。
従来のDVDをBlu-rayにするなら、それなりのレベルアップが期待されて当然だ。
把过去的DVD素材翻录成高清蓝光,消费者期待质的飞跃是理所应当的天经地义。
このBlu-rayはその期待に応えているのだろうか。その期待に応えていないBlu-rayが売れると思っているのだろうか。
可他们折腾出来的这套所谓蓝光盘,真的对得起粉丝的殷切期盼吗?连起码的技术品质都交不出及格线的光盘,难道当真能忽悠市场大卖吗?
ネットの時代、噂はあっという間に伝わる。
身处互联网信息时代,翻车劣评只要几秒钟就会传遍全网。
高額商品だけに、その期待に答えが出てないと、ファンが裏切られた気持ちになるのは当然だし、その怒りは、初代『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のスタッフに向けられがちになる。
面对动辄数万日元的高昂收藏品,一旦品质崩盘,被当头浇了冷水的真爱粉丝们心生遭背叛的熊熊怒火是完全合情合理的;而可悲的是,那滔天的骂名与怨气,最终却往往被不明就里的舆论泼向当年初代《明琪桃子》的无辜制作团队身上!
パチンコの時も「なぜ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』をギャンブルに使うんだ」という非難が、スタッフから僕のところに来て、困惑した。パチンコをやらない僕が知るはずもなく、僕が知ればいい気持はしなかったろう。
当年出弹珠赌博机时也是如此,大批老同事满含愤怒地跑来质问我:‘首藤!你为什么要把我们神圣的《明琪桃子》卖给赌博机去当筹码啊?!’让我哭笑不得百口莫辩。我这辈子连弹珠房大门都没迈进去过,事前怎么可能知情?若我早知道,心里该是何等的作呕与痛苦!
はっきり言って、かわいそうなのは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品自体、ファンだ。
说句肺腑之言:在这场铜臭丑剧中真正最可怜、最受尽侮辱的,始终是《魔法小天使》这部作品本身的灵魂,以及数十年不离不弃的痴心粉丝!
初代のファンは若くても40代前後、2代目でも30代前後。
当年追看初代的观众如今最年轻的也已年过不惑步入四十,二代的粉丝也都在三十而立之年。
ミュージカルは親子連れの観客層とグッズ販売が狙いだろうけれど、まともなミュージカルをやってペイできると思っているのだろうか。
这部音乐剧明摆着是妄图收割亲子家庭的门票与昂贵的周边玩具贩卖;但在连起码的艺术底线都不顾的前提下,他们当真以为这种粗制滥造的演出能收回成本吗?
制作者の最終目的が、新しい『ミンキーモモ』(3代目とはもういわない)のアニメ化なのはわかっているけれど、2代目から20年……その間に打つ手はあったし、いろいろな人が無駄に協力させられている。そして、みんな止めてしまった。
我很清楚资方操弄这场闹剧的终极阴谋,无非是想以此为跳板去启动所谓崭新的《明琪桃子》动画续作(我已经绝不愿承认它是第三代了);然而自二代落幕迄今整整二十年间……原本有无数光明正大的契机去好好耕耘,却一次次被投机客们用来白嫖各路大佬的善意与汗水,最终所有心灰意冷的人全都彻底抽身逃离了。
初代や2代目のようなスタッフは、もう集まらないだろう。
当年初代与二代那般神仙打架、群星璀璨的黄金阵容,普天之下再也不可能聚齐了。
仮に裁判となっても、こちらの目的はミュージカルをつぶすことではない。勝っても負けても構わない。
退一万步讲,哪怕最终对簿公堂闹上法庭,我们编剧维权团队的初衷也绝非是要恶意砸烂这部音乐剧。诉讼官司究竟是胜是败,我个人其实根本不在乎。
でも、時期としては『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を作ったスタッフが誰もいない今が、一番被害が少ない。
但是,正因为如今的制作现场早已没有任何一个当年真正创造《明琪桃子》的元老,在这个节点彻底做一次司法了断切割,对所有当事人灵魂的创伤才是最小的!
今、まともな制作会社は、著作権料を払うのを当然だと考えるようになってきている。その流れを、目先の利益に走る制作会社のために逆行させるわけにはいかない。
在今时今日,任何一家有良知、有尊严的严肃动画制作公司,早已将按时足额支付编剧著作权版税视作理所应当的行业铁律。我们决不能容许个别见利忘义的投机公司,为了蝇头微利悍然开历史倒车!
あなたが脚本家なら、権利をうやむやにする会社の作品の脚本を懸命に書こうとするだろうか。
试问:如果你是一位有骨气的职业编剧,你愿意为一个将主创著作权肆意践踏、含混吞没的流氓公司拼死卖命执笔吗?
結局、良質な作品は、目先の利益を求める会社からは生まれなくなる。
归根结底,任何闪耀人性光辉的卓越杰作,绝不可能从一个唯利是图、利欲熏心的黑心皮包公司中诞生出来!
新しい『ミンキーモモ』を待ち望んでいる下請けの会社はいくつもあるでしょう。
业界里或许确实有许多嗷嗷待哺、渴望接到新版《明琪桃子》外包外注订单的下游外包作画公司。
しかし、数年前、わずか13本のロボットアニメもまともに作れなかった会社に期待するのは危険というものだ。
但是,将身家性命押注在一家早在数年前连区区一部13集的机甲季番动画都拍得千疮百孔、毫无自制能力的破烂公司身上,这种赌博简直是万劫不复的玩火自焚!
21世紀の『ミンキーモモ』の夢がお金儲けだったら、それは妄想に終わる。
如果21世纪的《魔法小天使》所承载的梦想最终沦为了肮脏的吸金敛财工具,那么这场狂妄的美梦终将在现实的铁锤下化为彻头彻尾的荒诞妄想!
今は、ミュージカルの『ミンキーモモ』がファン、ミュージカルのスタッフ、キャストを巻き込んだ大災害にならないことを祈っている。
此时此刻,我唯有在病榻上默默祈祷:但愿这场所谓的音乐剧不要最终演变成一场将无辜粉丝、基层幕后人员与年轻演员全数卷入灭顶之灾的行业大惨剧。
そして、今回のミュージカルは初代、2代目『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に関わった人たちとは関係のない、別のオリジナルだと言い張ってくれるといいのだけれど……なにしろ、著作権侵害部分を100本近い脚本から探すのは重労働なので。
要是主办方能嘴硬到底、咬死坚称‘这部音乐剧纯属全新原创、与当年初代二代的老主创们全无瓜葛’,那倒反而是万幸;毕竟,要在将近上百集泛黄的老剧本堆里逐字逐句给他们揪侵权罪证,对我这副残躯来说实在是一项要命的沉重苦工啊。
あ、それから、「ええだば、ええだば」「なるようになるだばないだばさ」は微妙じゃないかな。「ええだば音頭」と「ダバダバ・フォーリン・ラブ」は、JASRACに登録されている。
啊对了,顺便警告一句:剧目里要是敢乱用‘这样挺好、挺好的啦(ええだば、ええだば)’、‘车到山前必有路嘛(なるようになるだばないだばさ)’这些标志性口头禅,那可真在悬崖边试探了——因为《挺好音头》与《哒吧哒吧坠入爱河》的词作,在JASRAC(日本音乐著作权协会)里全都是白纸黑字具有不可侵犯法律效力的登记版权!
作曲は若くして亡くなった岡崎律子さん。「4月の雪」という歌はオーディオ・ドラマ「ミンキーモモ 雪がやんだら」の脚本のプロット段階から曲作りに入り、半年ぐらいかかった曲だった。
那几首名曲的作曲者,是英年早逝的天才音乐家冈崎律子女士。比如那首经典的《四月之雪》,是在广播剧《明琪桃子:待雪消融之际》的剧本大纲初创阶段便同步启动旋律创作、历时整整大半年呕心沥血打磨出来的至高遗珠啊。
つづく
(待续)
■第217回へ続く
■待续至第217回
(10.03.17)
(2010年3月17日)