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2009 WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」

[访谈翻译] 首藤刚志动画创作手记 第175回:继续讲述《超梦的逆袭》脚本秘辛(野生与驯化的奴役悖论、原定三年完结的终章构想与“战斗否定”的伏笔)

WEBアニメスタイル「シナリオえーだば創作術」 2009.02.18 约 7 分钟 原文 ↗

01

第175回 继续讲述《超梦的逆袭》脚本秘辛

02

西德酒馆里的永诀:铭刻心扉的那一声“非常感谢”

「自分が何であるか」を問い、ポケモンのコピーを作り、本物に挑戦したミュウツーは、本物とコピーという、この世界に新たなる差別を生み出してしまった。

不断叩问“自己究竟为何物”、制造出宝可梦的克隆体向所谓“本物”发起挑战的超梦,亲手在这个世界上撕扯出了一条“本物与克隆”的全新歧视鸿沟。

差別は、様々な形で世界中にある。

歧视以形形色色的姿态遍布于全世界。

差別の良否ではなく、差別の存在は、誰もが思い当たる。

无关歧视的善恶是非,其客观存在,几乎是世人皆能心领神会的宿疾。

それが、いつもは日常の奥底に隠れていて、何かの拍子にちょっと噴き出してくる。

平日里它深埋在日常生活的地层深处,只要遇上某个契机,便会冷不防地喷涌而出。

僕が出会ったドイツの田舎町で、とりたてて、ジプシーの人たちへの差別が目立っていたわけではない。

在我曾邂逅的德国乡下小镇上,对吉普赛人的歧视表面上并不显得剑拔弩张。

その土地の差別のルールにのっとり、当たり前のように、ドイツ人とジプシーの人たちは共存していたのだろう。

遵照当地不成文的默契,德国本地人与吉普赛人原本平静、理所当然地共存着。

そこに、何も知らない日本人が来て、ルール崩しを始めた。いや、ルール崩しが始まりそうな気配だった。

然而,一个懵懂无知的异国日本人闯了进来,眼看就要打破这个潜规则。或者说,隐隐已有打破规则的苗头。

そこで日本人に親切なドイツ人としては「あの娘はナイン(ノー)。ジプシーだから……」と忠告してくれたわけだ。

于是,待我友善至极的德国老人们,出于好意向我发出了郑重警告:“那个姑娘是Nein(不行)。因为她是吉普赛人……”

なぜ、ジプシーがいけないのか?

为什么吉普赛人就绝对不行?

どうして、ジプシーは、その町のドイツ人にとって差別する対象になるのか?

为什么吉普赛人就必然要沦为小镇德国人潜意识中歧视排斥的对象?

詳しい説明はない。

没有任何详尽的由头与解释。

おそらく町の人々それぞれも、詳しくは分かっていないのかもしれない。

或许哪怕去问镇上的每一个人,他们自己也给不出条理清晰的因果。

ともかく、差別は存在しており、何も知らない日本人がそこに首をつっこめば、混乱が起こるのは必至である。

总而言之,歧视就在那里,一个茫然不知内情的异国人倘若执意卷入其中,必然会掀起巨大的混乱。

せっかく静かに見えている水面に、僕が石を投げる事はない。

对于好不容易维持着表面平静的水面,我断无理由擅自投下一枚搅局的石子。

僕はそれ以後、挨拶と笑みでしかその女性に答えなかった。

自那以后,我面对那位姑娘,便仅仅止步于点头微笑与简单的客套问候了。

彼女も気にしていないようだった。

她似乎也并未介怀。

町を去る日が来た。

我离开小镇启程的日子终于到来了。

町の酒場は、僕の壮行会のようになった。

镇上的小酒馆自发为我办起了一场盛大的壮行酒会。

シュナップス(ドイツの果実酒・焼酎)の瓶とグラスを持ってきた彼女は、僕の顔を見つめ、にっこり笑い、いきなり素っ頓狂な声で「フィーレン・ダンク(とってもありがとう)」と叫んだ。

端着杜松子烈酒(Schnaps,德国果酿烧酒)瓶与酒杯走过来的她,定定地凝视着我的双眸,嘴角浮起一抹明媚的微笑,随后忽然用近乎荒腔走板的极大分贝高声喊道:“Vielen Dank(非常非常感谢你)!”

その時の彼女の声と表情は、いまだに、覚えている。

那一刻她清澈的嗓音与动人的神情,直到今天,我依然历历在目。

その後、数ヶ月、ドイツの他の街や、イギリスのロンドンや、フランスではパリ近辺をあてもなくさ迷ったが、彼女とのことが後を引き、至るところにある目に見えない差別のようなものが、気になって仕方がなかった。

在此后的数月里,我毫无目的地在德国的其他城镇、英国伦敦以及法国巴黎周边四处漂泊。然而与她的这段短暂交集始终在心头隐隐作痛,让我在漫游中对潜伏于各处目所难见的无形歧视,变得异乎寻常地敏感与介意。

03

世界公映之盾:普世共鸣与深埋幕后的“歧视”暗线

差別を『ミュウツーの逆襲』の隠れたテーマの一つとして選んだのは、この映画が世界公開されるからである。

之所以将“歧视”选定为《超梦的逆袭》隐藏的核心主题之一,是因为这部电影从企划之初就确立了面向全球公映的方针。

世界中の誰もに、このアニメを見て思い当たる部分があれば、作品は愛されだろう。

只要全世界的观众在观看这部动画时,内心能有一处产生真切的共鸣与投射,作品便必定能赢得长久的厚爱。

世界中でヒットした作品を観れば分かる。

纵观那些风靡全球的影史名作无不印证了这一点。

たとえ、アクションものだろうと、文芸作品だろうと、ラブストーリーだろうと、観客の心に思い当たる部分を持っている。

无论是动作片、文艺名篇还是浪漫爱情剧,必定都精准击中了观众内心深处某种普遍的生命体验。

「自己存在」をテーマにしても、「そんなことは考えないでいいのです。皆さんは神の子として存在しているのですから」という精神の人たちには、ピンとこないだろう。

单讲“自我存在”,倘若遇到那些信奉“人类无需胡思乱想,凡人皆是神明之子、蒙受天恩而生”等宗教观念的观众,恐怕很难引发切身体验。

「自己存在」の問題だけでは弱い気がしたし、もう一つ、観客が思い当たるテーマをつけ、作品をガードし安定させたかった。

光靠一个形而上的“自我存在”总觉力量单薄,我迫切需要再补上一道所有观众都能感同身受的接地气母题,以护航并稳定整部作品的内核结构。

で、「差別」に気がつき、『ミュウツーの逆襲』の陰のテーマにしようと思った。

于是,我想到了“歧视”,并下定决心将其定为《超梦的逆袭》底层的隐蔽暗线。

「差別はいけない」とどこの世界でも言われるが、「差別」はどこの世界にもあるものである。

尽管世界各地都在高呼“歧视是错误的”,但歧视却结结实实地存在于这颗星球上的每一个角落。

「差別」は、受ける側にとっても、する側にとっても、あまり気分のいいものではない。

无论是承受歧视的一方,还是施加歧视的一方,内里都绝非舒适的体验。

それなのに、なぜ、人は人を差別するのか?

既然如此,人究竟为何要歧视他人?

そこいらにも気を配っている作品にしたかった。

我希望打造一部能在潜意识层面引导观众体察这层拷问的作品。

04

宝可梦世界的结构性悖论:野生与饲育,以及破坏规则的皮卡丘与喵喵

もともと、ポケモン世界自体が、疑似世界である。

宝可梦世界本身就是一个拟态世界。

現実の世界をカリカチュアライズするのに適しているはずである。

它本就天然适合用来对现实世界进行寓言式的讽喻与夸张呈现。

それに、アニメ『ポケモン』は、ゲームからアニメへ変換させるために、かなり無理をしており、差別について無関心ではいられない立場もあった。

更何况,从电子游戏强行转变为电视动画,《宝可梦》内部本身就做出了极大的勉强妥协,在涉及“歧视”的维度上,我更无法视若无睹。

たとえば、野生のポケモンと人間に飼われたポケモンの差はどこにあるのか?

举例而言:野生宝可梦与被人类饲育的宝可梦,两者的界限究竟在哪里?

しかも、飼われたポケモンはファイターとして育てられていく。

被人类收服饲育的宝可梦,往往被训练成纯粹的角斗士。

目的は、飼い主であるトレーナーの出世栄達である。

其目的,则是为了满足身为饲主的人类训练家飞黄腾达、晋升高位的世俗欲望。

ポケモンは人間のための道具である。

宝可梦沦为了服务于人类功利的工具。

これは、野生のポケモン側から見るとどう見えるだろう。

这若站在野生宝可梦的立场来看,会作何感想?

「お前たちは檻に入れられた奴隷じゃないか」

“你们这些家伙,不就是被关进笼子里的角斗士奴隶吗?”

野生側から見れば、軽蔑、差別の対象になるかもしれない。

在野生同类眼中,被饲养的宝可梦极有可能沦为被轻蔑、被鄙视的异质对象。

事実、小説版の「ポケットモンスター」では、序盤、サトシのピカチュウが、森で出会った野生のメス・ピカチュウに、人間に飼われている理由でふられるシーンがある。

事实上,在我执笔的官方小说版《精靈寶可夢》前半部分,就曾特意写过这样一个场景:小智的皮卡丘在森林里邂逅了一只野生的母皮卡丘,却因为“被人类驯养”的身份而遭到了对方无情的嫌弃与拒绝。

サトシのピカチュウ自身が変わっている。

小智的皮卡丘自身本就是个巨大的异数。

サトシのピカチュウはボールに入らない。

它死活不肯进入精灵球。

ピカチュウの進化系はライチュウだが、サトシのポケモンは進化してライチュウになろうとしない。

按设定皮卡丘的进化型是雷丘,但小智的皮卡丘却坚决不肯进化为雷丘。

ルール違反のポケモンなのである。

这是一只彻头彻尾“破坏规则”的宝可梦。

ルール違反といえば、ロケット団のニャースもただの化け猫ポケモンではない。

说起破坏规则,火箭队的喵喵更非普通的怪物猫宝可梦。

二足で立って歩き、しかも、人間語をしゃべる。

它不仅学会了用两条后腿直立行走,而且竟然能开口流利地说人类的语言。

これらのルール違反は、ゲームからアニメへの無理から生じたことは明らかだが、無理を承知で貫いたのは、『ポケモン』全体のラストに関わることだからである。

这些破坏既有规则的设计,表面上看显然是为了将游戏转化为动画而不得不做出的设定妥协,但明知牵强我却依然强力坚持到底,是因为它们直接关乎《宝可梦》全篇的最终结局!

当初、『ポケモン』が、十年以上続くロングランになるとはだれも思わなかったろう。

在项目启动最初,大概绝不会有人料到《宝可梦》竟能演变成长达十年以上的超长寿巨作。

だから、僕も短ければ1年半後、長くてせいぜい3、4年後には、『ポケモン』のエンドマークが必要だと思い、ピカチュウや、ニャースの性格に納得できるエンドを考えていた。

因此在我的预想中,短则一年半载,长则至多三四年,《宝可梦》就必须迎来落幕的大结局。我当时早已为皮卡丘与喵喵的性格特质构思好了足以让人信服的圆满收官篇章。

そこでの展開は、映画版『ミュウツーの逆襲』にあった「自己存在」「差別」、『ルギア爆誕』の「共生」など、色々な形で語られてきた様々なテーマが上手くはまりこむように作ったつもりだが、『ポケモン』が放送中である現段階で、それを言うのはどうかと思うのでやめておこうと思う。

在那部大结局中,《超梦的逆袭》中埋下的“自我存在”与“歧视”,《洛奇亚爆诞》中的“共生”,都将如拼图般严丝合缝地汇聚成全剧宏伟的终局。然而鉴于《宝可梦》至今仍在热播,在当下这个阶段把底牌抖得一干二净未免不合时宜,我便在此打住。

05

高潮的震撼激荡:对战斗本身的否定,与化为石像倒下的小智

話があっちこっちへ飛んで申し訳ないのだが、『ミュウツーの逆襲』に戻る。

话题有些发散,实在抱歉,让我们重新拉回到《超梦的逆袭》的剧本上。

「自己存在」と「差別」をテーマにして戦いを始めるにして、この作品で気を遣ったのは、台詞をわかりやすく書くことだった。

以“自我存在”与“歧视”为核心命题拉开决战序幕,我在撰写这部作品时格外留心的一点,便是尽量让台词凝练通俗、易于理解。

一部の人には知られているが、僕の書く台詞は、ロケット団の口上に代表されるように首藤節とかいう特徴があって、確かに言われてみれば変わっているかもしれない。

部分老观众大概清楚,我写台词向来带有一种被称为“首藤腔”的鲜明个人烙印,最具代表性的便是火箭队的登场定场白,真要说起来确实风格奇特。

日本語で聞いているぶんには何となくごまかされるのだが、外国語で同じ台詞を話す時、翻訳の方はとても苦労するそうである。

听日语原文时观众往往能就着语感顺理成章地接受,但一旦译为外语,负责本地化的翻译人员据说就会吃尽苦头。

英語版を何度か見たことあるが、ポケモンの英語版を作っている方達はかなり優秀で熱心な方達だと思う。

我曾多次观摩过英语版,平心而论,操刀美版宝可梦的幕后团队极为出类拔萃且敬业至极。

もちろん、僕の書いたセリフの英訳である。みんな、初めからまともなことなど喋っていないのだが、とてもうまく英訳されていると思う。

毕竟我笔下的台词从一开始就没几句正经的常理套话,他们却能把那些天马行空的对白精准巧妙地转译为地道英文,实在令人钦佩。

しかし、『ミュウツーの逆襲』の場合、洒落や笑いは必要ない。

然而,在《超梦的逆袭》中,俏皮话与插科打诨全无立足之地。

できるだけ分かりやすく外国語に訳しやすい台詞を選んで書いた。

我刻意遴选了最简练直白、最便于转译为各国外语的精练台词。

いつもと違い、かなり用意周到に脚本を書いていた僕だが、最終になり、ミューとミュウツー、本物のポケモンとコピーのポケモンの戦いになるあたりから、アドリブ感を込めて、一気に駆け抜けたという脚本だった。

与以往不同,虽然我在动笔前做足了周密的结构筹谋,但写到最终决战,当梦幻与超梦、真正的宝可梦与克隆宝可梦全面接火的段落时,我完全凭借着一股由心而生的即兴激流,一鼓作气狂飙疾书完成了整场大戏。

そして、書いている途中、「あれ? こんなこと書いていいのかな? いいか、行っちゃえ……」――そこに、もう一つのテーマがあった。

而在键盘飞速敲击的中途,我心头猛然一惊:“等等……我写出这种东西真的没问题吗?不管了,硬着头皮冲吧!……”——就在那一瞬间,另一个潜伏极深的主题破茧而出了。

本物とコピーとの戦いになって、その戦いの激しさ悲惨さにその場にいたポケモントレーナーは、立ちすくむしかなかった。

当本物与克隆体战作一团,目睹那场决战无以复加的残酷与惨烈,在场的所有宝可梦训练家,全都吓得僵立当场、瑟瑟发抖。

本物とコピーは、今までのようにトレーナーのために闘っているのではなく、自分自身の存在を賭けて闘っているのだ。

因为眼前的本物与克隆,早已不再像往日那样为了人类训练家的虚荣胜负而表演,它们是在赌上自身在这世上唯一的生存权利,进行着血淋淋的搏命!

それは、『ミュウツーの逆襲』内では、書く気はなくとも、いつかは書かなければならないことだった。

这即便在《超梦的逆袭》中隐忍不写,有朝一日我也必须直面写出的根本叩问。

つまり戦いの否定……。

那便是——对“战斗本身”的彻底否定……

バトルゲームが原案のアニメが、バトルを否定してどうする?

一部以“对战养成游戏”为原点的动画,竟然在大银幕上去否定战斗本身的意义,这到底该如何自处?

しかし落ち着く先は、僕にはそこしか考えつかなかった。

然而,剧情在逻辑上的终极着陆点,在我脑海中除了这一条路之外,再无第二种可能。

それは……。

这正是……

ミュウとミュウツーの戦いを止めようと、サトシが間に立ち、両者の攻撃を受け、石化し床に転がったあたりからはじまっていた。

为了阻遏梦幻与超梦那场已沦为互相残杀的疯狂决斗,小智毅然决然冲入了战场中央,用自己的血肉之躯硬生生承受了两大至尊神兽的毁灭能量,瞬间石化成冷硬的石雕,轰然倒在冰冷地板上的那一刻——故事真正的灵魂,自此彻底爆发了。