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[访谈翻译] 社长问《宝可梦 心金·魂银》第2章:岩田聪 × 石原恒和——“便携玩具之王”与跳出卡带的宝可梦生态
Contents 本篇 19 章
- 《赤·绿》在获得众多玩家认可的同时,宝可梦也衍生出了各种各样的周边产品。比如授权商品陆续登...
- 我也曾几次列席过那个版权会议,真是令人惊叹。面对接二连三提出的商品企划,石原先生不仅仅是做...
- 并不是简单地把宝可梦的插画贴到各种商品上,而是“希望这个宝可梦被用于该商品是有意义的”——...
- 还有一件事让我印象深刻。当时,包括我在内,参与创立 Creatures 的人们都称石原先生...
- 正因为如此,石原先生对包括电子玩具在内的、可以随身携带的玩具有着非常广泛的兴趣和爱好。
- 那就是《宝可梦》本身啊(笑)。
- 您刚才提到了“终极”,从命名来看,《金·银》也确实是“终极的宝可梦软件”的感觉。
- 当时做梦也没想到,在《金·银》之后还会制作这么多次(笑)。
- 原来如此。
- 是终点啊。
- (笑)
- 那是为什么呢?
- 如果在游戏发售之前就被宣告结束,那可受不了啊。
- 不过,《金·银》也迟迟未能完成呢(笑)。
- 我们这边等的是《金·银》啊(笑)。
- 是啊是啊(笑)。
- 《皮卡丘》虽然做得非常有趣,但当时大家明明都在等《金·银》,所以确实有“这时候出黄色版合适...
- 确实如此。
- 这样一来,您“便携玩具之王”的本领就得以发挥了呢(笑)。
岩田聪
『赤・緑』がたくさんの人たちに受け入れられていくのと同時に『ポケモン』はいろんな派生商品を生んでいきますよね。たとえば、ライセンス商品が続々と登場したりカードゲームがつくられアニメの放送もはじまって、映画も公開されましたし。そんななかで石原さんは、ありとあらゆるライセンス商品の監修をする会議を毎週1回主催されていましたよね。※9
《赤·绿》在获得众多玩家认可的同时,宝可梦也衍生出了各种各样的周边产品。比如授权商品陆续登场,卡牌游戏问世,动画开始播出,电影也公映了。在这样的背景下,石原先生您每周都会主持一次会议,对所有授权商品进行监修,对吧?
石原恒和
版権会議ですね。最初の頃はさまざまな商品の企画が毎週、10個から20個くらいあがってきてそれを会議室の大きな机の上に並べていたんですけど・・・。
是版权会议。起初,每周会收到大约10到20个各种商品的企划案,我们会把它们摆放在会议室的大桌子上……
森本茂树
そのうち机の上にのらなくなってしまって(笑)。
后来桌上都摆不下了(笑)。
岩田聪
わたしもその版権会議に何度か同席させていただいたことがあるんですけど、それはもう仰天しましたからね。次から次に出てくる商品企画に対して、ただ、OKとかNGとか決めるだけじゃなくて、どこがどうあるべきだと石原さんはいろいろと具体的にコメントしていって・・・。なかでもすごく印象に残っているのが「この商品がポケモンを使う意味を求めたいんだ」という石原さんの言葉で。
我也曾几次列席过那个版权会议,真是令人惊叹。面对接二连三提出的商品企划,石原先生不仅仅是做出“OK”或“NG”的判断,还会具体地指出哪里应该如何改进……其中印象最深的就是石原先生说的那句:“我想找到这个商品使用宝可梦的意义。”
石原恒和
はい、言ってましたね。
是的,我说过那样的话。
岩田聪
ポケモンのイラストをいろんな商品にただ貼るだけじゃなくって、「このポケモンがその商品に使われる意味がほしい」とそんなことを石原さんはいつもおっしゃってたんですね。しかも、アイデアが足りなければ、その場でアイデアを出すようなこともやられていて。そういったことを週に1回、ずーっと続けるというのは、もう人間わざじゃないと感じたんです。そもそも人というものは、同じことを続けていると慣れてきて、テンションもそう上がらないのが普通なんですけど石原さんはそうじゃなくて。だから、わたしが石原さんがどういう人であるのか、他の人に説明するときに、「あの人は、集中力と持久力が両立する、すごく珍しい人なんですよ」と(笑)、よくそう言ってるんですけど。
并不是简单地把宝可梦的插画贴到各种商品上,而是“希望这个宝可梦被用于该商品是有意义的”——石原先生总是这么说。而且,如果创意不足,他还会当场提出点子。像这样每周一次,持续不断地做下去,我觉得这简直不是凡人能做的事。一般来说,人如果持续做同一件事,就会逐渐习惯,情绪也不容易保持高涨,但石原先生却不是这样。所以,当我向别人解释石原先生是怎样一个人时,我常常会说:“那是一位集中力和持久力兼备的、非常罕见的人啊(笑)。”
石原恒和
(笑)
(笑)
岩田聪
それから、もうひとつ印象に残ってることが。当時、わたしも含め、クリーチャーズの創立に関わった人たちが石原さんのことを“携帯玩具王”と呼んでいたんですけど(笑)、覚えておられますか?
还有一件事让我印象深刻。当时,包括我在内,参与创立 Creatures 的人们都称石原先生为“便携玩具王”(笑),您还记得吗?
石原恒和
ええ(笑)。そういう称号をいただいてましたね。
嗯(笑)。确实被授予过这样的称号。
岩田聪
そう呼びたくなるくらい、石原さんが、電子玩具も含めて、持って歩けるおもちゃにすごく幅広い興味と嗜好を持たれていたんですよね。
正因为如此,石原先生对包括电子玩具在内的、可以随身携带的玩具有着非常广泛的兴趣和爱好。
石原恒和
もともと僕はポータブルなものが好きなんです。携帯できるようなコンパクトさがあって自分が好きなようにカスタマイズできるような。さらに、可能ならば友だちとトレード、つまり交換ができるものも入っていて、その交換によって双方にメリットがある。それによってコミュニケーションの道具にもなる、そんなものをつくりたいという思いが昔からすごく強かったんですね。それを煎じ詰めて考えてみると・・・。
我本来就喜欢便携式的东西。要小巧便携,又能按自己的喜好定制。而且,如果可能的话,还要能和朋友进行交易,也就是交换,通过交换让双方都受益。这样它也能成为交流的工具,这种想法从很久以前就非常强烈。如果把它提炼出来思考的话……
岩田聪
『ポケモン』そのものなんですよね(笑)。
那就是《宝可梦》本身啊(笑)。
石原恒和
そうなんです(笑)。それは『ポケモン』そのものだし違う角度で言うと、ニンテンドーDSでもあるんですよ。とくにDSiは、マイDSとしてのカスタマイズが可能で、コミュニケーションのさまざまな道具が入っていて、さらに拡張が可能で、自分でどんどん“道具”を磨いていくと、最後に成長する要素もあると。そういう要素がやっぱり大事だと思っていて、だから『ポケモン』も、DSiも同じように、究極の“キング オブ 携帯玩具”だと思っているんです。
确实如此(笑)。那正是《宝可梦》本身,换个角度说,也是任天堂DS。尤其是DSi,可以定制为“我的DS”,内置了各种交流工具,还能进一步扩展,自己不断打磨这些“工具”,最终还有成长要素。我认为这些要素非常重要,所以《宝可梦》和DSi一样,都是终极的“便携玩具之王”。
岩田聪
いま「究極の」とおっしゃいましたけど、ネーミングからしても『金・銀』もまた、“究極のポケモンソフト”という感じでした。
您刚才提到了“终极”,从命名来看,《金·银》也确实是“终极的宝可梦软件”的感觉。
石原恒和
そうです。『赤・緑』を出したあとは「究極のポケモンソフトは『金・銀』しかない」そう思ってつくりはじめましたから。
是的。在推出《赤·绿》之后,我们就是抱着“终极的宝可梦软件非《金·银》莫属”的想法开始制作的。
岩田聪
『金・銀』のあとも、何回もつくるとは夢にも思わずに(笑)。
当时做梦也没想到,在《金·银》之后还会制作这么多次(笑)。
石原恒和
僕が、いろんなライセンス関係やカードゲームなどを展開してきたのはとにかく『金・銀』を成功させるためであって、それが自分のいちばんの役割だろうと思っていたんです。だから僕は、次の『金・銀』をやって、とりあえずポケモンの仕事は終わりにしようと、それくらいの気持ちで当時はやってたんですね。
我之所以开展各种授权业务和卡牌游戏等,都是为了要让《金·银》成功,我认为那才是自己最重要的职责。所以当时我想,做完下一部《金·银》,宝可梦的工作就暂时告一段落吧,就是抱着这样的心情在做的。
岩田聪
なるほど。
原来如此。
石原恒和
だから『金・銀』は、僕にとってゴールだったんです。
所以《金·银》对我来说,就是终点。
岩田聪
ゴールだった。
是终点啊。
石原恒和
そのあと、ポケモンをつくるつもりはなかったんです。だから21世紀になったら、僕は違うことをやろうと思ってたくらいで(笑)。
在那之后,我本来没打算再做宝可梦。所以当时甚至想,到了21世纪,就去做点别的事情吧(笑)。
岩田聪
(笑)
(笑)
石原恒和
それくらい最良の状態で『金・銀』を出したいと思ってたんです。だから、最初はアニメにも反対しました。
正因为想以最完美的状态推出《金·银》,所以起初我还反对动画化。
岩田聪
それは、どうしてなんですか?
那是为什么呢?
石原恒和
いろいろ過去のデータとかを調べてみると、テレビアニメは早く終わっちゃうんですよね。ゲームを原作にしたアニメがスタートしても普通だと半年、長くても1年で終わってしまうんです。
我调查了过去的一些数据,发现电视动画往往很快就结束了。即使是以游戏为原作的动画,通常半年,最长一年也就播完了。
岩田聪
ゲームを出す前に終わったことにされてはたまらないと。
如果在游戏发售之前就被宣告结束,那可受不了啊。
石原恒和
そうなんです。アニメは97年の4月からスタートしましたけど仮に98年に放送が終わってしまったらいったいどうなるんだと。もともと『金・銀』は98年に出す予定でつくっていましたし。
正是如此。动画是从97年4月开始的,但万一98年就播完了,那到底会变成什么样呢?而且《金·银》原本就是计划在98年发售而开发的。
岩田聪
でも『金・銀』もなかなかできなかったですよね(笑)。
不过,《金·银》也迟迟未能完成呢(笑)。
石原恒和
はい(笑)。そもそも『赤・緑』を出してからすぐに『金・銀』をつくることになってそれで開発をガーッと進めていたときに、田尻さんがやってきて「1個できました」と言うんです。僕はずいぶん早いなあと思って「これはなあに?」と聞いたら「『青』ができました」と(笑)。
是的(笑)。本来在《赤·绿》发售之后,就立刻决定制作《金·银》,正当开发如火如荼地进行时,田尻先生跑来说:“做好了一个。”我觉得这也太快了,就问:“这是什么?”结果他说:“《青》做好了。”(笑)
众人
(笑)
(笑)
岩田聪
こっちが待ってるのは『金・銀』なのに(笑)。
我们这边等的是《金·银》啊(笑)。
石原恒和
しかも、その後は『ピカチュウ』までつくりましたし(笑)。
而且,在那之后,我们还做了《皮卡丘》(笑)。
岩田聪
そうそう(笑)。
是啊是啊(笑)。
石原恒和
今度は「黄色!?」とか言って(笑)。
这次又说“黄色!?”之类的(笑)。
岩田聪
『ピカチュウ』はとても面白く仕上がってはいたんですけど、みんなが『金・銀』を待ってるのに、「黄色を出すのはどうなの?」という空気が当時はやっぱりありましたよね。
《皮卡丘》虽然做得非常有趣,但当时大家明明都在等《金·银》,所以确实有“这时候出黄色版合适吗?”的氛围吧。
石原恒和
本来なら、『金・銀』を出す予定の年でしたし。
本来那一年是预定要推出《金·银》的。
岩田聪
そうでしたね。
确实如此。
石原恒和
ですから僕も「もう焦っても仕方がないね。じゃあ『ポケットピカチュウ』をつくろうか」とか言ったりして(笑)。
所以我也说:“既然着急也没用,那就来做‘口袋皮卡丘’吧。”(笑)
岩田聪
そうやって“携帯玩具王”の本領が発揮されたんですね(笑)。
这样一来,您“便携玩具之王”的本领就得以发挥了呢(笑)。
众人
(笑)
(笑)
Index 本篇提到
- 人
- 田尻
- 宝可梦 1
- 皮卡丘
- 同一系列的前后篇社长问《宝可梦 心金·魂银》第1章:岩田聪 × 石原恒和 × 森本茂树——赶上末班车的赤绿与偷塞“梦幻”的真相同为社长问心金魂银,第1章在前
- 同一系列的前后篇社长问《宝可梦 心金·魂银》第3章:岩田聪亲述当年为《金·银》写压缩代码救场与一周移植宝可梦竞技场同为社长问心金魂银,第3章在后
- 同一系列的前后篇社长问《宝可梦 心金·魂银》第4章:Pokéwalker软硬件开发、全493只宝可梦跟随与十周年致玩家同为社长问心金魂银,第4章在后