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2008 Nintendo DREAM

田尻智与任天堂的25年

田尻智

《宝可梦》创造者田尻智讲述从《太空侵略者》到GAME FREAK创业的历程。

Nintendo DREAM 2008.08.21 约 41 分钟

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任天堂诞生25周年纪念特别企划ファミコン生誕25周年記念スペシャル企画 任天堂与我的一件回忆之物ファミコンと僕と思い出の一品

第2回

GAME FREAK 董事长株式会社ゲームフリーク 代表取締役

田尻智

智 さん
田尻智
ファミコン25周年記念・第2回に登場していただくのは、『ポケモン』の生みの親である田尻智さん。中学生の時、ゲームに出会い、恋焦がれ、やがて世界へ通じるゲームを生み出す田尻さんの思い出の品を拝見しながら、ファミコンデビューからクリエイターとなるまでを、いっしょに冒険しよう。(聞き手:山本直人)
任天堂25周年纪念·第2回登场的,是《宝可梦》的创造者田尻智。初中时与游戏相遇、为之着迷,最终创造出通向世界的游戏的田尻先生,我们将一边观看他的回忆之物,一边与他一同冒险,从他初次接触任天堂到成为创作者的经历。(采访者:山本直人)

STAGE 1-1 热爱游戏的少年·田尻智 小镇上来了“侵略者”! STAGE 1-1ゲーム大好き少年・タジリサトシ町に“侵略者”がやって来た!

Nintendo DREAM 編集部

TVゲームとの出会いは『スペースインベーダー』ですか?
您与电视游戏的相遇是《太空侵略者》吗?

田尻智

そうですね。僕のゲームについてのファーストインパクトは、『スペースインベーダー』が町中にたくさん置かれるようになったことですね。
是的。我对游戏的第一印象,就是《太空侵略者》开始被大量放置在小镇各处。
僕は町田市で育ったんですが、町中にあった釣り堀が、ある日突然にゲームセンターになったというくらい、極端に街の風景までもが変わった。身近な風景が一変したという衝撃に出会ったんです。さらに、そのゲームセンターで初めてテレビゲームなるものと出会ったという、2つのインパクトが同時にあったわけです。これが中学2年生くらいの時の話です。この時の出会いが、その後の僕の人生を大きく左右することになったんですよ。それまでは郊外に住む普通の少年で、まあ虫取りとかしているような…。
我在町田市长大,镇上原本有的钓鱼池,某天突然变成了游戏厅,连街景都变得如此极端。我遭遇了身边风景骤然改变的冲击。而且,我还在那家游戏厅第一次遇到了所谓的电视游戏,这两种冲击是同时到来的。这是初二左右时的事。那时的相遇,极大地左右了我此后的人生。在那之前,我只是住在郊外的普通少年,大概就是抓抓虫子之类的……

Nintendo DREAM 編集部

アウトドア派の少年だった?
您原本是户外派的少年?

田尻智

そうそう。そういう感じだったのに、ふだんの生活における興味の中心が“テレビゲーム”に移ってしまった。『スペースインベーダー』のあとも『ギャラクシアン』や『パックマン』などがポスト『インベーダー』として出てきたりと、ゲームセンターにいれば次々と新鮮なゲームの体験ができたんですよね。
对对。明明是这样的,可日常生活中兴趣的中心却转移到了“电视游戏”上。《太空侵略者》之后,《小蜜蜂》和《吃豆人》等作为《侵略者》的后续作品接连出现,只要待在游戏厅,就能接连不断地体验到新鲜的游戏。

Nintendo DREAM 編集部

ナムコが業務用のテレビゲームで新機軸をどんどん打ち出していた。
南梦宫在商用电视游戏上不断推出新的创意。

田尻智

そういうものに刺激を受けつつ、当時から「ゲームを作ってみたい」ということを考えていたんですね。僕が16歳の時に「セガ・ゲームアイデア大賞」へ応募したら優秀賞が2人選ばれて、そのうちの1人が僕だったんですよ。
在受到这些东西刺激的同时,我从当时起就一直在想「想试着做游戏」。我16岁的时候报名了「世嘉游戏创意大奖」,结果优秀奖选出了两个人,其中一个人就是我。

Nintendo DREAM 編集部

そのころってパソコンもブームでしたよね? 例えばパソコンでゲームを作る人たちが登場していて、中村光一さん(現:チュンソフト社長)も高校3年生の時にエニックスのコンテスト「第1回ホビープログラムコンテスト」に応募していたじゃないですか。ゲームを作るのに、パソコンで実現するという選択肢もあったわけですよね?
那时候电脑也很流行吧?比如用电脑做游戏的人开始出现,中村光一先生(现:Chunsoft社长)也在高三时报名了艾尼克斯的比赛「第1届业余程序大赛」。要做游戏,用电脑来实现也是一个选项吧?

田尻智

僕もNECのパソコンPC-8001を買ったんですよ。『マイコンBASICマガジン』なんかのパソコン雑誌に掲載されている膨大なプログラムのリストを血眼になって入力していましたね。自分でも『スペースインベーダー』や『ディープスキャン』を再現するようなゲームを自作して、プログラムとして仕組みはどうなっているのかな、ということを考えたりもしました。でもパソコンはゲームを遊ぶためのもので、その当時は、家に帰るとパソコンに触るというような生活でしたね。
我也买了NEC的电脑PC-8001。还拼命地把《微机BASIC杂志》之类的电脑杂志上刊登的庞大程序清单输入进去。自己也做了重现《太空侵略者》和《深度扫描》之类的游戏,还想过作为程序它的机制是怎样的。不过电脑是用来玩游戏的,当时就是回到家就碰电脑的那种生活。

Nintendo DREAM 編集部

でも、外に出ている時はゲームセンターに行くんですよね?(笑)
但是出门的时候就会去游戏厅吧?(笑)

田尻智

そうそうそう!(笑)
对对对!(笑)
  • 1978年にタイトーが開発・発売したアーケードゲーム。発売当初はアップライト(立ってプレイする)きょう体で、ボタンで砲台を左右に操作していた。後にレバーに変更され、テーブル型のきょう体が登場。喫茶店などに導入され、さらには「インベーダーハウス」なる専門店も登場する大ブームとなる
    1978年由太东开发并发售的街机游戏。发售当初是直立式(站着游玩)的机体,用按钮左右操作炮台。后来改为摇杆,并出现了桌子型机体。被引进到咖啡店等场所,甚至出现了名为「侵略者之家」的专门店,掀起一大热潮。
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任天堂25周年纪念FAMILY COMPUTER 25th Anniversary STAGE 1-2 热爱游戏的少年·田尻智 憧憬着做游戏STAGE 1-2ゲーム大好き少年・タジリサトシゲーム作りにあこがれて

Nintendo DREAM 編集部

ゲーム作りに対して、その当時からもものすごく行動的ですよね。
对于做游戏,你从当时起就非常有行动力呢。

田尻智

僕はセガで賞を頂いた時に、「いつでも好きなときにいらっしゃってください」みたいなことを言われたんですよ。大人の社交辞令だと思うんですが(笑)。まだ10代で幼かったので、言葉を真に受けて、平日で学校が休みの日があるとセガに「これから遊びに行ってもいいですか?」なんて電話をしたりしましたね。
我在世嘉获奖的时候,被说了类似「随时欢迎您来」的话。我想那大概是大人之间的客套话吧(笑)。但当时我才十几岁还很幼稚,就把这话当真了,平日里有学校放假的日子,还会打电话给世嘉问「我现在可以去玩吗?」。

Nintendo DREAM 編集部

ほんとうに行ったんですか?
真的去了吗?

田尻智

行ったんですよ、ほんとうに。当時、セガの建物の1階が大きいゲームセンター並のショウルームになっていて、そこで遊ばせてもらったりしていました。でも、タダで遊ばせてもらうだけのために行くんじゃ悪いから、最近プレイしたゲームで面白かったものとか、自分で考えた新作ゲームのアイデアなんかを持ち込むようになっていったんです。そういうこともあって、ゲームセンターには、セガに持っていく感想の話づくりのためや、ゲーム企画のアイデア作りのために行くというような感覚に変化していましたね。
真的去了。当时世嘉大楼的一层是个和大型街机厅差不多大的展示厅,我就在那里玩。不过,光是白玩也不太好,于是我开始把最近玩过的有意思的游戏,或者自己琢磨的新游戏点子带过去。也因为这个缘故,去街机厅的感觉慢慢变成了:为了整理拿去给世嘉的意见、以及为了构思游戏企划的点子而去。
その当時、セガの新作ゲームで『ペンゴ』が出たんですよ。セガのゲームについてはフロンティアスピリッツあふれるゲームというイメージが自分の中にあったんですけど、『ペンゴ』はそれに加えて今でいう「かわいい」要素もちゃんと持っている。ゲーム性という側面で見てもパズルの要素とアクションのバランスが微妙に折り重なっていて面白いなぁと。その感想を報告したりしてましたね。
当时世嘉出了一款新游戏叫《企鹅推砖》。在我印象里,世嘉的游戏一直充满开拓精神,而《企鹅推砖》在此基础上还很好地具备了如今所说的“可爱”要素。从游戏性来看,解谜要素和动作要素的平衡微妙地交叠在一起,很有意思。我就把这些感想汇报给他们。

Nintendo DREAM 編集部

セガにはどのくらいの頻度で訪問していたんですか?
你多久去一次世嘉?

田尻智

そうですねぇ、2〜3カ月に一度くらいでした。そういうコネクションがあったおかげで、AMショーのチケットを頂いて「見にいらっしゃいよ」なんて誘っていただけるようにもなって。
这个嘛,大概两三个月一次吧。多亏有这层关系,他们还送我AM展的门票,邀请我说“来看看吧”。

Nintendo DREAM 編集部

ゲームのコンテストといえば、ユニバーサルやサン電子のコンテストにも応募なされたんでしたよね。
说到游戏比赛,你也参加过Universal和Sun电子举办的比赛吧。

田尻智

ユニバーサルのコンテストでは、参加賞のキーホルダー、サン電子さんのコンテストでは、結果発表リストに名前が載るだけ程度の賞でしたね(笑)。
Universal的比赛拿的是参与奖钥匙扣,Sun电子的比赛只是名字被登在结果公布名单上这种程度的奖(笑)。

Nintendo DREAM 編集部

あちこち応募されてますね。
你到处都在投稿啊。

田尻智

その頃、僕にとってゲームを作るということは、ゲームのアイデアを考えることだと思い込んでいたフシがあるんですよ。だからたくさんゲームをプレイして、新しいゲームのアイデアを思いつくようになりたいと思っていたんです。そして、雑誌などでゲームのアイデアコンテストの存在を知るとちょくちょく応募していたんですが、結果的にそれらに応募したゲームのアイデアというものは、一つとしてゲームソフトになることはなかったんですよ。でも、そういう経験があったからこそ、ゲームを自分で作ろうという気持に至ったんだと思うんです。
那时候,我似乎认定做游戏就是构思游戏点子。所以我想多玩游戏,好能想出新的游戏点子。后来在杂志上知道有游戏点子比赛,就时不时投稿,但结果那些投稿的游戏点子,一个都没能变成游戏软件。不过,我想正是因为有过这些经历,我才产生了自己来做游戏的想法。

STAGE 2-1 游戏撰稿人田尻智 同人志《GAME FREAK》的诞生STAGE 2-1ゲームライター・タジリサトシ同人誌・ゲームフリークの誕生

Nintendo DREAM 編集部

同人誌「ゲームフリーク」を作り始められたきっかけは?
你开始做同人志《GAME FREAK》的契机是什么?

田尻智

たくさんのゲームをプレイしているうちに、“裏技”…というよりもっと素朴に“テクニック”とか“技”とか呼んでいたと思うんですけど、例えば『ドンキーコング』の最初の面(25m)で階段から右に飛び降りるとクリアになることがあるよとか、そういう情報がたまってきたんですよね。でも、それをほかの誰かに伝える…今のゲーム雑誌やインターネットのようなメディアが存在しなかったので、その僕が知っているゲームに関するいろいろな情報や話題を、人に伝えるにはどうしたらいいのかなと。それを考えた結果が、同人誌を作るということだったんですよ。たまたま新宿へ行った時、当時「フリースペース」という同人誌を扱う書店がありまして。
在玩了很多游戏的过程中,我积累起了不少信息,比如“秘技”……不过我想当时更朴素地叫“技巧”或“招数”,例如《大金刚》的第一关(25米)从梯子往右跳下去有时就能通关之类的。可是,要把这些告诉别人……当时既没有现在的游戏杂志,也没有互联网这样的媒体,我就想,该怎么把自己知道的关于游戏的各种信息和话题传达给别人呢。想来想去,结果就是做同人志。碰巧我去新宿的时候,当时有一家叫“自由空间”的、经营同人志的书店。

Nintendo DREAM 編集部

「ふゅーじょんぷろだくと」ですね。新宿御苑近くにありましたね。
是「Fusion Product」吧。就在新宿御苑附近。

田尻智

はい。そこへ行って「ああ、作りたい人が作りたいように本を作っているんだな」ということに気づいて。マンガやアニメやいろいろなジャンルのの本があったんですが、それが全部同人誌だった。僕もそういう形で、自分でできる範囲でやろうと考えたんです。
是的。去了那里之后,我意识到「啊,原来是想做的人按自己想做的样子在做书啊」。那里有漫画、动画等各种类型的书,但全都是同人志。我也想着用那种形式,在自己力所能及的范围内做做看。
まず、タイトーのゲームリストを中心にまとめた創刊号を作ったんです。といっても、紙をコピーしてホッチキスで留めただけのものですけどね。だけどそんな程度のものでも、20〜30冊が一週間程度で売り切れてしまうんですよ。自分が作った本を、お金を出して買ってくれる人がこんなにもいるという手応えを感じて、同人誌の制作を継続していこうと考えるようになったんです。
首先,我做了一本以TAITO的游戏列表为中心汇总的创刊号。虽说是创刊号,其实也只是把纸复印之后用订书机订起来而已。但即便是这种程度的东西,20到30册也在一周左右就卖光了。自己做的书,竟然有这么多人愿意掏钱来买,我从中感受到了切实的回应,于是开始考虑把同人志的制作继续下去。
  • 1982年登場。ペンギンのペンゴを操りアイスブロックでスノービーという敵をやっつける固定画面型のゲーム。ダイヤブロックという特殊ブロックを3つ並べてボーナスを得るという、パズル的な要素も併せ持っていた。ペンゴのかわいさにも人気が集まった
    1982年登场。操纵企鹅企鹅先生,用冰块打倒名为雪怪的敌人的固定画面型游戏。把名为钻石方块的特殊方块排成三个即可获得奖励,同时还兼具解谜要素。企鹅先生的可爱也聚集了人气。
  • 当初は写真のとおり、白黒コピーを2つ折にし、ホッチキスで閉じただけの本だった。表紙下に書かれている「TAJI CORP. 1983」はタイトーのゲームのタイトル画面に表示されていたコピーライト表示「TAITO CORP.」のパロディ
    当初正如照片所示,只是把黑白复印件对折,用订书机订起来的册子。封面下方写着的「TAJI CORP. 1983」是对TAITO游戏标题画面中显示的版权标识「TAITO CORP.」的戏仿。
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STAGE 2-2 游戏作者·田尻智 游戏作者忙碌的日子STAGE 2-2 ゲームライター・タジリサトシゲームライターの多忙な日々

Nintendo DREAM 編集部

「ゲームフリーク」自体がどんどんメジャーになっていったことで、商業誌からゲーム記事の執筆依頼が来るようになっていったんですよね?
随着「GAME FREAK」本身越来越有名,商业杂志也开始来找你写游戏报道了吧?

田尻智

執筆依頼は、ゲームフリークの創刊号を作ったころからも来ていましたね。雑誌「ログイン」がアーケードゲームを紹介するコーナー「ビデラゲーム通信」を始めるということで、担当編集さんからお誘いを受けて、記事を書いたり、アイデアを出すようになりました。「ファミコン通信」でも創刊から1年くらい記事を書かせていただいていましたし。同人誌の「ゲームフリーク」を作りながら商業誌でも記事を書かせていただいていたので、なんかものすごく忙しくなってしまって。
写稿的委托,从做GAME FREAK创刊号的时候起就有了。杂志《Login》要开设介绍街机游戏的栏目「Video Game通信」,责任编辑来邀请我,我就开始写报道、提点子了。在《Famicom通信》那边,从创刊起我也写了大约一年的稿。一边做着同人志《GAME FREAK》,一边又在商业杂志上写稿,结果变得非常忙。

Nintendo DREAM 編集部

そのころは割とライター業のみに専念していた時代ですか?
那个时期算是比较专注于写作工作的时代吗?

田尻智

そうですね。でも「ファミコン通信」の連載から1年で手を引いたのは、フリーでこれだけ仕事をするといっぱいいっぱいになってしまい、たいへんだなと思ったからなんです。ログインの連載記事「ビデラゲーム通信」も当初からは既に担当編集さんが何人も変わっていたりもしましたしね。仕事の量はどんどん増えていく中で、自分がどうして商業誌でゲームの記事を書いているのか、目的がわからなくなってしまったんです。
是啊。不过我在《Famicom通信》的连载做了一年就收手,是因为以自由职业的身份做这么多工作,整个人都到了极限,觉得太辛苦了。《Login》的连载报道「Video Game通信」也是,从最初开始责任编辑就已经换了好几个人。工作量不断增加的过程中,我渐渐不明白自己为什么要在商业杂志上写游戏报道,失去了目的。
当時ゲームフリークにいた二木康夫くんはプロとして雑誌作りをやりたいと希望していましたが、僕はやはりゲームを作りたいという気持ちがあったんですね。ゲームフリークの中でも違う道を目標に歩み始める人が出てきたんです。
当时在GAME FREAK的二木康夫希望作为专业人士来做杂志,而我果然还是有着想做游戏的心情。GAME FREAK内部也开始出现了朝着不同道路前进的人。

Nintendo DREAM 編集部

ゲームフリークの中でも分岐が始まっていたんですね。
GAME FREAK内部也开始出现分歧了呢。

田尻智

ゲームを作りたい気持ちが強かった僕としては、当時のゲームフリークメンバーは雑誌ライターの比重が多くて、ゲームを作るためのスタッフがそろわないし、それ以前に具体的にどうしたらゲームが作れるのかわからずにさまよっていたような感じですね。後のファミコンソフト『クインティ』の原型となるものは作り始めていましたが。
对于当时一心想做游戏的我来说,那时的GAME FREAK成员里杂志写手的比重很大,凑不齐做游戏的人员,而且在那之前,我们连具体该怎么做游戏都不知道,感觉就像是在摸索中徘徊。不过,后来成为任天堂软件《昆迪》原型的东西,当时已经开始做了。
  • 雑誌「ログイン」でスタート。田尻さんの書く独特の文体に人気が集まった。当時の記事には「ゲームフリーク」担当である旨のロゴが、タイトル横に掲載されていた
    在杂志《LOGIN》上开始连载。田尻先生独特的文风很受欢迎。当时的文章中,标题旁还刊登着表明由「GAME FREAK」负责的标识。

STAGE 2-3 游戏撰稿人·田尻智 任天堂登场改变了世间STAGE 2-3 ゲームライター・タジリサトシファミコン登場で世間が変わった

Nintendo DREAM 編集部

パソコンゲームを作るのと違って、アーケードゲームを作るとなると個人ではどうすればいいのかわからないですよね。ハード的なことも含みますし。
和制作电脑游戏不同,说到制作街机游戏,个人就不知道该怎么做了。还涉及硬件方面的问题。

田尻智

そうですね。でもこのころファミコンが大ヒットしたことで、アーケードゲームだけでなく、ファミコンでゲームを作るという選択肢が生まれました。どうやらファミコンのゲームを作るほうがアーケードゲームを作るよりも少しだけ現実性が高そうだと考えるようになったんです。そういう気持の移り変わりがあったころ、ちょうど『ファミリーコンピュータマガジン』でアーケードゲームの連載記事を書かないかというお誘いがあったので、そのままお仕事させていただくことになったんですよ。
是啊。不过这时候任天堂大热,于是不只是街机游戏,还诞生了用任天堂制作游戏这个选项。我逐渐觉得,制作任天堂游戏似乎比制作街机游戏稍微现实一点。就在这种心态转变的时候,正好《Family Computer Magazine》来邀我写街机游戏的连载文章,于是我就直接接下这份工作了。

Nintendo DREAM 編集部

そういえば、ファミコンが発売された時、どんな感想を持たれましたか?
这么说来,任天堂发售时,您有什么感想?

田尻智

最初はあくまで、アーケードゲームの「鏡」が遊べるハードという印象しかありませんでした。例えば『ドンキーコング』をプレイしたら、アーケード版にかなり近いんだけども、どこかが違うんですよ。それは『マリオブラザーズ』にしても『ドンキーコングJr.』にしても、ゲームセンター出身の僕から見ると「易しい」んですよね。
最初我的印象只是,这是一台能玩到街机游戏「镜像」的机器。比如玩《大金刚》,虽然和街机版相当接近,但总觉得哪里不一样。无论是《马力欧兄弟》还是《大金刚Jr.》,从我这个街机出身的人来看,都「太简单」了。

Nintendo DREAM 編集部

そうですね。ゲームセンターで遊びつくしている側からすれば、悪い言い方をすれば、劣化移植になりますしね。僕も遊びつくしたほうですから、その気持はわかりますね。
是啊。从把街机游戏玩透的一方来看,说得难听点,就是劣化移植。我也是玩透的那一方,所以能理解那种心情。

田尻智

『ドンキーコング』の面数が、アーケード版は4面あるのに、ファミコン版は3面しかないとかね。だけど、普通の人はそこまで厳しい目では見ていない。評判はすごくいいし、「ゲームセンターのゲームが家でもできる」という、非常にポジティブなとらえ方をする人が多かったですよね。それで「このゲーム機はイケル」と思ったんですね。
《大金刚》的关卡数,街机版有4关,任天堂版却只有3关。不过普通人不会用那么严苛的眼光去看。评价非常好,很多人抱着「街机游戏在家也能玩」这种非常积极的态度。于是我就觉得「这台游戏机有戏」。

Nintendo DREAM 編集部

ファミコンが発売されたころには、熱中して遊んだというよりは、既に作り手の視線で見ていた感じですか?
任天堂发售的时候,与其说是热衷游玩,不如说您已经是以制作者的眼光在看了?

田尻智

例えばハドソンさんの『スターフォース』はすごくヒットして社会現象になったほどでしたが、ファミコン版が発売されたころには僕はテーカンさんから発売されていたアーケード版をやり込み、暗号も解いてゴーデス100万点も取れるようになったあとでした。ですから、よくは出来ているんですけれども、アーケード版が目指していたゲーム性に対して、ファミコン版が目指しているゲーム性はこうなのか、なんていうことを考えてしまうわけです。
比如Hudson的《星际力量》非常热卖,甚至成了社会现象,但任天堂版发售时,我已经把Tehkan发售的街机版玩透,解开了暗号,连戈德斯100万分都能打出来了。所以,虽然做得很好,但我会去想,相对于街机版追求的游戏性,任天堂版追求的游戏性就是这样吗。

Nintendo DREAM 編集部

ファミコンのオリジナル作品として感じたソフトはありましたか?
有没有作为任天堂原创作品让您有感触的软件?

田尻智

『スーパーマリオブラザーズ』が出た時はすごいと思ったし、ファミコン・ディスクシステムで出た『ゼルダの伝説』も、ちょっと普通の人では考えつかないような構成をしていましたよね。それまでのゲームって、主人公を中心に周りのフィールドがスクロールしていたのに対して、画面の端まで行くと次の画面に切り替わるという、ファミコンの属性をうまく使った移動方法を採用しているんですよね。ファミコンというハードウェアが持っている性質をポジティブにとらえ直してゲームデザインに反映させるという、「ファミコンのために」作ったゲームを見て、非常に感心しました。
《超级马力欧兄弟》出来时我觉得很厉害,任天堂磁碟机系统上的《塞尔达传说》也采用了普通人想不到的构成。以前的游戏都是以主角为中心让周围场景滚动,而它采用的是走到画面边缘就切换到下一个画面的移动方式,巧妙利用了任天堂的特性。把任天堂这台硬件所具有的性质积极地重新理解,并反映到游戏设计中,看到这种「为任天堂而做」的游戏,我非常佩服。
  • 本体と同時発売。アーケード版にあった75m(3面)がカットされ、全3面の構成だった
    与主机同时发售。街机版中的75m(第3关)被删去,整体为3关的构成。
  • 1985年・ハドソン発売。全国キャラバンソフトとして使われ、高橋名人が16連射で敵機を倒す様などが注目された。マップ上に隠された100万点の隠しキャラを探すという謎が隠されていたことでも有名。アーケード版とファミコン版では容量の都合上、謎を解くためのヒント表現が異なり、アーケード版は『ゼビウス』のような地上絵がヒントになっていた
    1985年由Hudson发售。被用作全国巡回赛用软件,高桥名人以16连射击倒敌机的场面等受到关注。它还以隐藏着在地图上寻找价值100万分的隐藏角色这一谜题而闻名。街机版与任天堂版因容量关系,解开谜题所需的提示表现不同,街机版是以类似《铁板阵》的地画作为提示的。
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FAMILY COMPUTER 25th Anniversary 任天堂与我及回忆中的一品ファミコンと僕と思い出の一品

STAGE 3-1 游戏创作者·田尻智 STAGE 3-1 ゲームクリエイター・タジリサトシ

《Quinty》的开发开始了『クインティ』の開発が始まった

Nintendo DREAM 編集部

そんな中、『クインティ』の開発が始まっていくわけですよね。ところで、「ファミマガVideo」で『クインティ』を紹介している号がここに(笑)。
就在这种情况下,《Quinty》的开发开始了。顺带一提,介绍《Quinty》的那期“Fami通Video”就在这里(笑)。

田尻智

うわ、懐かしいですねぇ。そういえば『クインティ』を作る時に参考になったのはねえ、当時のコナミのファミコンソフトですね。『マッド・シティ』とか『バイオミラクル ぼくってウパ』、『迷宮寺院ダババ』とか。あの当時のコナミのゲームの音のよさ。デルタ変調のところによくドラムの音とかを入れたりして。
哇,好怀念啊。说起来,做《Quinty》时成为参考的,是当时KONAMI的任天堂软件呢。比如《疯狂都市》、《生化奇迹 我是乌帕》、《迷宫寺院达巴巴》之类的。当时KONAMI游戏那种音效之好。常在三角波调制的地方加入鼓声之类的。

Nintendo DREAM 編集部

リズムの乗せ方がうまい。
节奏的铺陈方式很巧妙。

田尻智

うまかったですよね。デルタ変調の音の使い方というのはファミコンならではのものだから、これは工夫しないとなあ、って励みになりましたよ。見えないところの努力というか。
确实很巧妙。三角波调制音效的用法是任天堂独有的,所以这让我觉得必须得下功夫啊,成了我的激励。可以说是看不见之处的努力吧。

Nintendo DREAM 編集部

『クインティ』の開発について、企画を考える手段というのはなんとなくわかるんです。でも、自分たちでファミコンのゲームを作ろうと考えた時に、開発機材やハードの情報が必要になりますよね。それはどうやって集めたんです?
关于《Quinty》的开发,思考企划的手段我大致能明白。但是,当你们想要自己制作任天堂游戏时,就需要开发器材和硬件的信息了吧。那些是怎么收集来的呢?

田尻智

一つは、当時のゲームフリークで、手紙をやり取りしていた愛媛県のゲームマニアというかコンピュータマニアという人と知り合うきっかけがあったんです。彼が『パックマン』や『ギャラクシアン』のドット絵をグラフ用紙に描いて送ってきたんですよ。「興味があればお返事を下さい」と。で、興味はあったので返事を出して、手紙のやり取りをしているうちに、彼に『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』の基板を渡すと、すぐにプログラムの構造が理解できるということがわかったんです。そして彼と彼の友達3人を含む4人が東京の専門学校へ進学するために上京してくることになったので、そこでゲームフリークに合流してもらったんですよ。これがゲームフリークにとって、ゲーム開発力の背景と言いますか地力となったわけです。
其中之一是,当时在GAME FREAK,我们通过书信往来,结识了一位爱媛县的游戏狂热者,或者说电脑狂热者。他把《吃豆人》和《小蜜蜂》的像素图绘在方格纸上寄了过来。还写着“如果有兴趣请回信”。我因为有兴趣就回了信,在书信往来中,我发现只要把《铁板阵》和《迷宫塔》的基板交给他,他就能立刻理解程序的结构。后来,包括他和他的3个朋友在内共4人为了升入东京的专科学校而上京,于是我就让他们加入了GAME FREAK。这对GAME FREAK来说,成为了游戏开发力的背景,或者说底力。
彼らとは、素朴なところではファミリーベーシックのモニター機能でメモリの中身が見えるというようなところから始まって、いっしょに秋葉原へ行って基板やROMソケットを買い、ハンダ付けをして開発基板を作ったりしていました。
和他们之间的合作,最初是从一些很朴素的地方开始的,比如用Family BASIC的监视功能就能看到内存里的内容;后来我们一起去秋叶原买基板和ROM插座,自己焊接,制作开发基板。

Nintendo DREAM 編集部

ソフトウェアだけでなく、ハードウェアにも詳しい方々だったんですね。
也就是说,他们不只是软件,对硬件也很熟悉吧。

田尻智

そうなんですよ。大容量のコンデンサを付ければ3日に一度起動すればメモリが保持されるとか、初期はファミコンと同じCPUを採用しているパソコン「Apple II」が使いやすいと聞いて、開発用機材として購入したり。ただ、『クインティ』はそれから完成まで3年かかっちゃってる。最終的には開発用パソコンもNECのPC-9801に変わりましたし。最初は彼らも学生だったのでゲーム開発に使える時間がそれなりにあったんですが、2年後、ようやく『クインティ』の素朴な原型が出来てきたころ、卒業、就職という時期になったんです。
没错。比如接上大容量电容的话,每三天启动一次就能保持内存;初期还听说采用与任天堂相同CPU的电脑“Apple II”比较好用,就把它买来当开发设备。不过,《昆蒂》从那时起花了三年才完成。最终开发用电脑也换成了NEC的PC-9801。起初他们也还是学生,能用在游戏开发上的时间还算充裕,但两年后,当《昆蒂》终于有了朴素的原型时,正好到了毕业、就职的时期。
彼らが社会人になってしまうと、会社から帰ってくるのを待って、夜中に彼らの横で「こうしてくれ」「ああしてくれ」と指示をするような流れじゃないとゲーム開発ができなくなってしまう。でも、彼らだって翌日の仕事があるから眠る時間も必要で。そう考えていくと、ゲーム開発を続けていくには現実的な環境ではなくなってしまうんです。でも、このゲームは最後まで作りたいと思っていましたから、僕は一大決心をしたんですね。
他们一旦成为社会人,就只能等他们下班回来,然后半夜在他们旁边指示“这样做”“那样做”,否则游戏开发就进行不下去。但他们第二天还要上班,也需要睡觉的时间。这样想下去,继续做游戏开发就变得很不现实了。不过,我还是想把这款游戏做到最后,所以我下了一个大决心。

Nintendo DREAM 編集部

というと?
怎么说?

田尻智

彼らは就職先では今で言うところの派遣社員のような扱いで、給料は手取りで15万円くらいだと。「だったらその給料分は僕が支払うから、ゲームフリークに入社してくれ」とお願いすることにしたんです。これが同人誌を出していたゲームフリークの終わりというか区切りで、法人化するきっかけとなる、ひとつステージアップした出来事です。こうしたおかげで、彼らのうち2人が1日中付きっきりで開発してくれることになりました。
他们就业后的待遇相当于现在的派遣员工,到手工资大概15万日元。于是我就拜托他们:“那这部分工资由我来付,请你们加入GAME FREAK。”这可以说是出版同人志的GAME FREAK的结束,或者说是一个分界点,也是走向法人化的契机,是一件上了一个台阶的事。多亏如此,他们中有两个人可以整天专心投入开发。
  • ライター業を兼業している頃。雑誌に掲載されている田尻さんの写真には、目をむいておどけた表情をしているものが多かった
    那时他还兼做撰稿人。杂志上刊登的田尻照片里,很多都是瞪大眼睛、做着搞怪表情的。
  • 1988~90年に発売された、ビデオによるTVゲーム情報誌。誌名は『ファミマガ』だが、PCエンジンやメガドライブ、アーケードゲームの紹介VTRも収録されていた。写真は『クインティ』発売時に、自ら登場し、ゲーム紹介を行う田尻さんの出演場面。ナムコ社内の取材スペースで収録されたもの
    1988~90年发售的录像带版电视游戏信息杂志。刊名是《Fami通》,但也收录了PC Engine、Mega Drive和街机游戏的介绍影像。照片是《昆蒂》发售时,田尻智亲自出场介绍游戏的画面。是在南梦宫公司内的采访区录制的。
  • 具体的にゲーム『クインティ』の開発が始まったころの企画書。タイトルがまだ『クインティ』ではなく「SCROLLER」になっている。左に写っているページには、2人同時プレイ時における床のパネルに関する処理の注意事項がまとめられている
    这是游戏《昆蒂》具体开始开发时的企划书。标题还不是《昆蒂》,而是“SCROLLER”。左边那一页上,汇总了双人同时游玩时关于地板面板处理的注意事项。
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STAGE 3-2 游戏创作者田尻智 创作者与撰稿人的双肩挑STAGE 3-2ゲームクリエイター・タジリサトシ制作者とライター・二足のわらじ

Nintendo DREAM 編集部

僕が『クインティ』の原型を見せてもらったのって、このころですよね。パネルをめくるプログラムが出来た、とか言ってらした覚えがあります。
我看到《昆蒂》原型,就是在这个时候吧。我记得您当时说,翻面板的程序已经做出来了。

田尻智

そうそうそう。最初はもうタイトルも違うし。
对对对。最初连标题都不一样。

Nintendo DREAM 編集部

この企画書の表紙タイトルも、『SCROLLER』になってますよね。
这份企划书的封面标题也是《SCROLLER》呢。

田尻智

固定画面だけど「スクロール」する。ステージの一部分がめくれるという意味なんですよ。この企画書の段階からゲーム性としては完成形の『クインティ』に近いものが出来ていたんです。そのころは彼らが1日付きっきりでプログラムして、僕は彼らといっしょにゲームを作る中で、彼らの給料や事務所の家賃を払うために、商業誌でゲームの記事を書くという生活になりました。相当な量の記事を書いていましたね。だから、山本さんにいろいろな原稿を書かせていただいて。お世話になりました(笑)。
虽然是固定画面,但会“滚动”。意思是关卡的一部分会翻卷起来。从这份企划书的阶段起,作为游戏性,已经做出了接近完成形态的《Quinty》的东西。那时候他们每天从早到晚地写程序,我在和他们一起做游戏的过程中,为了支付他们的工资和事务所的房租,过上了在商业杂志上写游戏文章的生活。当时写了相当多的稿子。所以,承蒙山本先生让我写了很多稿子。多谢关照了(笑)。

Nintendo DREAM 編集部

アーケードゲームの紹介連載以外にも、結構書いていただきましたよね。最初のころのセガの記事も田尻さんでしたし。セガに取材に行った時、セガの人がすごく喜んで、マスターシステムをお土産でくれたんですよね。あと『週刊プレイボーイ』にも連載されてた。
除了街机游戏的介绍连载之外,您还写了不少东西呢。最早那会儿世嘉的报道也是田尻先生写的。去世嘉采访的时候,世嘉的人非常高兴,还送了Master System作为礼物。另外您还在《周刊Playboy》上连载过。

田尻智

『週刊プレイボーイ』や宝島社さんでも書かせていただいていました。当時はファミコンブームでしたから、もっと小さな出版社さんや、車雑誌を作っているようなゲームと縁遠い出版社さんでもゲームの攻略本を作っていて、そこでも仕事をさせていただきました。ファミコン・ディスクシステム版の『スーパーマリオブラザーズ2』の攻略本を作るためにプレイとマップ作成をしたりとか。すべてはゲーム制作を続けるために仕事をさせていただいて、原稿料は会社を維持するために使うという生活でした。
《周刊Playboy》和宝岛社那边也让我写过。当时正值任天堂热潮,连更小的出版社,以及做汽车杂志之类与游戏无缘的出版社也在做游戏攻略本,我也在那里接过活。比如为了做任天堂磁碟机版《超级马力欧兄弟2》的攻略本,去玩并制作地图之类的。一切都是为了继续做游戏而接活,稿费用来维持公司,就是这样的生活。

Nintendo DREAM 編集部

同じライター業でも「ファミコン通信」の連載を止めたころとは、田尻さんの気持は違っていますよね。
同样是写手的工作,但和停止《Fami通》连载的时候相比,田尻先生的心境已经不一样了吧。

田尻智

そうなんですよ。目標が明確になっていると言いますか、今やらないでいつやるんだという感じでした。そして、この段階から『クインティ』が完成したらナムコに持ち込みたいと考えていたんですよ。やはりナムコの初期の名作が、僕の手法の多くを得たり思いつくきっかけとなったわけですから。だから完成した暁にはナムコさんに持って行きたいと思っていました。
是啊。可以说是目标变得明确了,有种现在不做更待何时的心情。而且从这个时候起,我就想着等《Quinty》完成后要拿去给南梦宫。毕竟南梦宫早期的名作,是我获得许多手法、产生许多想法的契机。所以我想着完成之后要拿去给南梦宫。

Nintendo DREAM 編集部

知り合いがいるとはいえ、セガにファミコンゲームを持ち込むわけにはいきませんからね(笑)。もしセガがファミコンのサードパーティとして参入していたら、セガに持ち込んでいたかもしれませんね。
虽说有熟人,但总不能把任天堂游戏拿去给世嘉吧(笑)。如果世嘉作为任天堂的第三方厂商参入的话,说不定就拿到世嘉去了。

田尻智

セガは取材などで行っていましたからね。可能性はあったと思います。
世嘉那边我因为采访等去过。我觉得是有可能的。

Nintendo DREAM 編集部

アクションゲームとしての『クインティ』で特にこだわった部分は?
作为动作游戏的《Quinty》,您特别讲究的部分是?

田尻智

まず、僕のゲームの原体験…それをどうやって一つにまとめるかというテーマがありました。そしてそれは固定画面でないと表現できないと思っていたんですよ。一つは、当時のファミコンゲームのほとんどはアニメーションが雑というか、歩いているキャラクターを表現する時には足が開いている時と閉じている時の2パターンを切り替えて表現しているゲームが多かったという印象があった。でも、ナムコはアーケード版『パックマン』の時からパックマンの口の開閉アニメーションは3パターン用意されているわけなんですよ。だからこそちゃんとドットを食べているように見えたわけです。あれが2パターンだと、食べているようには見えない。
首先,有一个主题是如何把我游戏的原体验……把它们归纳成一个。而且我觉得那只有用固定画面才能表现。其一,当时任天堂游戏大多动画比较粗糙,或者说,在表现走路的角色时,很多游戏是用脚张开和闭合两种图案切换来表现的。但南梦宫从街机版《吃豆人》的时候起,吃豆人嘴巴开合的动画就准备了三种图案。正因如此,看起来才像是在好好地吃像素点。如果那是两种图案,看起来就不像是在吃。

Nintendo DREAM 編集部

そうですね。見た感じ、酸素不足になってる金魚の口パクみたいになって、雰囲気は伝わらないですよね。
是啊。看上去就像缺氧的金鱼在张嘴一样,传达不出那种氛围。

田尻智

だから、ファミコンでゲームを作るのならアニメーションパターンにはどうしてもこだわりたかったんです。そのためには、スクロールなんてしなくてもいいというくらいに。『クインティ』の中で例えば「スイマー」は泳ぐパターンと歩くパターンを合わせると、全部で96パターンあるんですね。
所以,既然是用任天堂做游戏,我就无论如何都想在动画图案上讲究到底。为此,甚至到了可以不做滚动也行的程度。在《昆迪》里,比如「游泳者」,把游泳的图案和走路的图案合起来,一共有96个图案。
  • 「ファミコン若大将」として、ゲーム紹介記事の連載を持っていた。ファミコン雑誌とはまた、違ったノリの田尻さんの文章を楽しめた
    他以「任天堂年轻大将」的身份,拥有游戏介绍文章的连载。可以读到与任天堂杂志风格不同的田尻先生的文章。
  • 現れるパネルの種類と効果が描かれている。スターパネルの効果が製品版とは異なっている
    描绘了会出现面板的种类与效果。星星面板的效果与制品版不同。

Nintendo DREAM 編集部

ファミコン用ROMの容量を考えると、それだけのグラフィックパターンを入れるのはかなりたいへんだったんじゃないですか?
考虑到任天堂用ROM的容量,要放入那么多图形图案,应该相当困难吧?

田尻智

普通に作ってしまうとメモリがいっぱいになってしまいますね。だから上半身と下半身のキャラクターパターンを組み合わせたり、体は止まったままだけど首だけ回るとか、そういうふうに組み合わせて使うことを前提としてデザインするとか、工夫をたくさんしました。
如果按普通方式做,内存就会装满。所以我把上半身和下半身的角色图案组合起来,或者身体不动只有头转动,像这样以组合使用为前提来设计,下了很多功夫。
でも、ナムコに持ち込んだら、「製品化するには、もう少しファミコンのゲームらしく、商品としての完成度を高めて
但是,拿到Namco去之后,对方说「要制品化的话,得再像任天堂游戏一点,提高作为商品的完成度」。
  • 主人公の動作パターンと、どういう形の絵が必要なのかが簡略された絵で指定されている。動作パターンを細かくし、滑らかなアニメーションを見せたいという、田尻さんの意思が見て取れる一品だ。キャラクターの大きさも6キャラ(48×32ドット)で構成されており、当時のほかのゲームと比べ、大きめだ。全パターンを描くためには23×6+1=139キャラが必要だと計算されている
    用简略的图指定了主人公的动作模式以及需要什么形状的图。从细化动作模式、希望展现流畅动画这一点,可以看出田尻先生的意愿。角色尺寸也由6个角色(48×32像素)构成,与当时其他游戏相比偏大。据计算,要绘制全部模式需要23×6+1=139个角色。
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FAMILY COMPUTER 25th Anniversary 任天堂与我及回忆中的一品FAMILY COMPUTER 25th Anniversaryファミコンと僕と思い出の一品

ほしい」って言われましたね。初めて持ち込んだ段階では全体マップ画面も無く、ひたすら次々とステージをクリアしていくゲームでしたから、そういう部分を修正して。ほかにも「クルクル回るバレリーナが面白いからデカくしてよ」とか言われて。バレリーナのドットパターンはものすごく苦労して描いたものでしたが「わかりました」と帰ったり(笑)。
被说“希望做成这样”。最初带过去的时候,连整体地图画面都没有,只是一个不断通关的关卡游戏,所以修改了那部分。此外还被说“旋转的芭蕾舞演员很有趣,把她做大一点”。芭蕾舞演员的像素图案画得非常辛苦,但我还是说“明白了”就回去了(笑)。

Nintendo DREAM 編集部

それはまだ「ステージ数を増やせ」と言われたほうが楽ですよね?
那还是被说“增加关卡数”要轻松些吧?

田尻智

そうなんですよ。だから、結局バレリーナはゼロからドットを描き直して、デカくしたんですよ。結果、バレリーナの身長は3キャラ分のサイズになっているはずです。実は僕が持ち込んだ部署は開発じゃなくて営業部だったので、そういうたいへんな修正指示になったかとも思うんですけどね。でも当時の僕にとって営業部が「発売する」と判断してくれるのがいちばん確実に商品として店頭に並ぶ方法だと思っていたんです。
是啊。所以结果芭蕾舞演员从零开始重新画像素,做大了。结果芭蕾舞演员的身高应该变成了3个角色的大小。其实我带去的是营业部而不是开发部,所以我想才会变成那样麻烦的修改指示吧。不过对当时的我来说,营业部判断“要发售”是最确实能让商品摆上店头的方法。
そのほかにも、例えばタイトル画面で1人用プレイと2人用プレイを選ぶ時に、スタートボタンをプレイヤー1、セレクトボタンをプレイヤー2のスタートボタンとして使えば、どちらの場合でもボタンを1回押すだけで始められるからいいんじゃないかと考えて、あえてほかのファミコンソフトとは違うインターフェイスを設計したんです。でも、「これはわかりづらいから、ほかのファミコンソフトと同じようにスタートボタンを押したら1人用。2人をやりたければ、セレクトボタンを押して“2 Player”などの文字を選ばせてからスタートボタンを押す」というように変更してほしいと言われたんです。
除此之外,比如在标题画面选择1人玩还是2人玩时,我想如果把开始键当作玩家1、选择键当作玩家2的开始键,那么无论哪种情况都只需按一次键就能开始,不是很好吗,于是特意设计了与其他FC游戏不同的界面。但是被说“这样不好懂,请改成和其他FC游戏一样,按开始键就是1人玩。想2人玩的话,按选择键选‘2 Player’等文字后再按开始键”。

Nintendo DREAM 編集部

ゲームセンターのきょう体だと、1人用と2人用は別々のボタンになっていますからね。
街机的框体的话,1人玩和2人玩是分开的按键呢。

田尻智

そうそう。僕は「ゲームセンターと同じで、非常に直感的でいいんじゃないか」と思ったんですけど、結果的には僕のアイデアを引っ込めました。
对对。我觉得“和街机一样,非常直观,不是很好吗”,但结果还是撤回了我的想法。

Nintendo DREAM 編集部

「このボタンはキャンセル用だ」とか、そのハードごとのルールってありますからね。ところでナムコの営業の方はもともとお知り合いだったんですか?
“这个键是取消用的”之类的,每个硬件都有它的规则呢。话说回来,南梦宫的营业人员原本就认识吗?

田尻智

ゲーム雑誌用の取材でインタビューしたり画面写真を撮影しにメーカーさんへ行くと、窓口はたいてい営業部の方だったんですよ。そういう理由もあって、ゲームを作ったら営業部に持っていこうと考えていたわけですが、結果的にはいい判断だったと思います。ただ、ゲーム制作のラスト半年間は、いろいろと修正するためにほとんど寝ないで作業を続けることになってしまいましたが(笑)。
为了游戏杂志的采访去厂商那里采访或拍摄画面照片时,窗口一般都是营业部的人。也因为这个原因,我才会想做了游戏就拿到营业部去,结果我觉得这是个好判断。只是游戏制作的最后半年,为了各种修改,几乎不睡觉地持续工作(笑)。
  • 『ジェリーボーイ』完成間近のころの1枚。ゲームクリエイターへと軸足を移し『ポケモン』の企画なども同時に進行していた
    《杰利男孩》即将完成时的一张照片。他将重心转移到游戏创作者,同时也在推进《宝可梦》的企划等。

STAGE 3-3 游戏创作者田尻智 迈向《Quinty》的完成 STAGE 3-3ゲームクリエイター・タジリサトシ『クインティ』の完成に向かって

Nintendo DREAM 編集部

ナムコに持ち込んだ段階で、すでに完成形に近いものを見せたんですか?
拿到南梦宫去的时候,您已经展示了接近完成形态的东西吗?

田尻智

ソフトの完成もそうですし、持ち込んだ時には名称である『クインティ』というタイトルは個人で特許庁に商標登録をしたあとでした。商標の登録を調べていた時、ホンダの自動車で「クイント」という類似のものは見つけたんですが、コンピュータソフト用の名称とはカテゴリーが違うため、登録できました。
软件的完成也是如此,拿去的时候,名为《Quinty》的这个标题已经由我个人在专利厅注册了商标。调查商标注册时,我发现本田的汽车有“Quint”这个类似的东西,但因为与计算机软件用的名称类别不同,所以能够注册。

Nintendo DREAM 編集部

商標を先に取っておこうという発想って、普通の人にはないですよね?
先取得商标这种想法,一般人不会有吧?

田尻智

ゲームの記事を書くうえで取材時から発売までの間にゲームのタイトルが変更になるというケースを結構見ていたんですよ。理由を聞いてみると、商標が取れなかったからという話を聞いていましたから。例えばセガのアーケードゲーム『フリッキー』も、お茶の水のゲームセンターでロケーションテストをしていた段階では『フリッピー』というタイトルのインストラクションカードがきょう体についていたんです。でもその後に量産される段階になって『フリッキー』になっているところを見たりね。そんなところで商標の大切さを感じていたんだと思います。
在写游戏报道的过程中,我经常看到从采访到发售之间游戏标题被更改的情况。一问理由,就听说是因为没能取得商标。比如世嘉的街机游戏《Flicky》,在御茶之水游戏中心进行测试的阶段,机身上还贴着标题为《Flippy》的说明卡。但后来到量产阶段就变成了《Flicky》。我想就是在这些地方感受到了商标的重要性。

Nintendo DREAM 編集部

でも、商標の申請方法なんて普通は知らないでしょう?
但是,一般人不知道商标的申请方法吧?

田尻智

当時、いろんな人に相談したんだと思うんですよ。普通のゲーム会社がやっていることって何だろうと聞いてみたら、特許庁で商標の検索ができて、それをプリントアウトしたものをファクスで送信してもらえることがわかって。
当时,我想我咨询了各种各样的人。我问普通的游戏公司会做什么,结果得知可以在专利厅检索商标,并让人把打印出来的东西用传真发过来。

Nintendo DREAM 編集部

それでもナムコに持ち込んでから発売までは半年ですよね? 発売についての最終的なゴーサインが出たのはどのくらいの時期だったんですか?
即便如此,从拿到南梦宫到发售也只有半年吧?关于发售的最终批准是在什么时候下来的呢?

田尻智

「売ってもいい」という判断は相当早かったんですよ。最初にお見せした段階で「直すところを直せば発売できるんじゃないか?」って言われましたから。そこでナムコさんからKIDという開発会社を紹介していただき、そこの社員さんや社長さんらといっしょにフィニッシュまで共同作業でテストプレイやバグ出しと修正など、現場的な作業を行いました。
“可以卖”的判断相当早。在最初展示的阶段,对方就说“只要把该改的地方改掉,不就能发售了吗?”于是南梦宫介绍了名为KID的开发公司,我和那里的员工及社长等人一起合作到最终完成,进行了测试游玩、找bug和修正等现场作业。

Nintendo DREAM 編集部

発売の時期的には年末とか、売れる時期からは外れていましたよね。
从发售时期来看,是在年末之类,偏离了畅销期吧。

田尻智

それでも、20万本も出荷してもらえましたからね。ゲームクリエイターの第一歩としては恵まれていたし、こだわっているところは全部クリアできた、ゲーム制作者としての原点が完成したという作品になりました。グラフィックについても杉森建が全部描いてくれましたから満足の行くまで作れましたし。
即便如此,还是出货了20万份呢。作为游戏创作者的第一步,算是得天独厚了,而且我坚持的地方全部得以实现,这部作品完成了作为游戏制作者的原点。关于图像,杉森建也全部为我绘制了,所以能够做到满意为止。
当時考えている「ゲームデザインとは何か?」とか「ゲームの本質は何か?」という、ゲームの歴史の初期からファミコンまでに経験した、田尻智という人間がゲームフリークの人間と共に作った。同人作家からプロへの転換…2度目のステージアップでした。『クインティ』の発売が決まった時に、ゲームフリークを株式会社にしたんです。
当时思考的“什么是游戏设计?”“游戏的本质是什么?”这些问题,从游戏历史的初期到任天堂时代所经历的一切,是田尻智这个人同GAME FREAK的伙伴们一起做出来的。从同人作者到职业作者的转变……这是第二次阶段升级。在《昆迪》决定发售的时候,我们把GAME FREAK改成了株式会社。
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BONUS STAGE 田尻智的讲究 亲身感受!界面BONUS STAGE タジリサトシのこだわり実感する! インターフェイス

Nintendo DREAM 編集部

『クインティ』をプレイしているとボタンを押した時の感触とか、敵や自分の動きとか、気持ちがよく、だけどちょっと変わったものを入れたいという方向性を感じるんですが。
玩《昆迪》的时候,按键的手感、敌人和自己的动作等都很舒服,但又能感觉到一种想要加入一些稍微不一样的东西的方向性。

田尻智

基本的にはインターフェイスなんですけど、テレビゲーム「らしい」インターフェイスとは何か、ですよね。ボタンを押した時に長く押したら早く動くのか、ジャンプするのかとか。離した時にジャンプすると気持ち悪いというか、直感的ではないとかですよね。ボタンが押された時に画面が変化して、その時の手応え感をプレイヤーと結ぶのがインターフェイスなわけですが、それがテレビゲームの成り立ちの原点と言いますか、ゲームはそれの膨大な積み重ねなんです。
基本上就是界面问题,不过是什么才是电视游戏“像样”的界面。按下按钮时,长按是快速移动还是跳跃。松开时跳跃的话会觉得不舒服,或者说不够直观。按下按钮时画面发生变化,把那一刻的手感与玩家连接起来的就是界面,这可以说是电视游戏成立的起点,游戏就是这种东西的大量积累。
『クインティ』だとプレイヤーの動きをまねする「ミミー」というキャラクターがいるんですが、自分が歩くと全体が歩く。止まると全体も止まるという動きをする。その動きを、例えば自分が動いてちょっとしてから敵が動くというふうに遅らせると、敵を引っ張っているような感覚が強くなるとかね。そういうインターフェイスの設計の積み重ねがゲームになるというような考え方を、『クインティ』では非常に徹底して作り上げていったわけです。
在《昆迪》里有一个模仿玩家动作的角色叫“米米”,自己走的话整体也走,停下来整体也停。如果把这种动作,比如设定成自己动了一下之后敌人才动,那么拉着敌人走的感觉就会更强。这种界面设计的积累就构成了游戏——在《昆迪》中,我们非常彻底地贯彻了这种思路。

Nintendo DREAM 編集部

アーケードゲームでは、ハンドルや操縦桿をつけるなど、インターフェイスって強引に変えて、強引に手応え感を作ることもできると思うんですよ。ハンドルがクルクルと軽く回らないように抵抗をつけるだけでも、重いハンドルを感じさせることができるわけですし。でも、ファミコンはコントローラで遊ばせている限りは、ユーザーが操作するインターフェイスのハード部分は全部共通じゃないですか。現実的には同じ手応えなんだけれども、ソフトウェアの力で違う手応えに変えていかなくちゃいけない。バーチャルなものを感じられるようにしなくちゃいけないということですよね。
在街机游戏中,可以通过加装方向盘或操纵杆等方式强行改变界面,强行制造手感。哪怕只是给方向盘加上阻力让它不能轻快地转动,也能让人感觉到方向盘的沉重。但是在任天堂上,只要是用手柄来玩,玩家操作的界面硬件部分就全部是共通的。现实中手感相同,却必须靠软件的力量把它变成不同的手感。也就是说,必须让人能感受到虚拟的东西。

田尻智

例えばアーケードの麻雀ゲームで『ジャンピューター』ってありますが、あれはすごくよく出来ていたと思うんですよ。牌を取る時に、ボタンを押すと「ボボ、ボボボ」とタイムラグがあってから牌が表示されるんですよ。この間がいいんですよ。捨てる時も「ボボボ」と鳴ってから移動するわけです。ちょうど、自分の手でつかんで動かしているような感触が効果音で表されていたと思うんですよ。もちろん、麻雀ゲームとしてもよく出ていますが、ユーザーインターフェイスとして非常によく出来ていたと思うんですよね。でも、僕の周りではその効果音や間のよさに気づいてくれる人は全然いなくて、それ以降に発売された麻雀ゲームの中で、あの感覚に通じる再現をした麻雀ゲームは全然ないんですよ。
比如街机的麻将游戏里有《Janputer》,那款做得非常好。摸牌时按下按钮,会“啵啵、啵啵啵”地有一个时间差之后牌才显示出来。这个间隔很好。打牌时也是“啵啵啵”响过之后才移动。正好用效果音表现出了像是用自己的手抓住并移动的触感。当然,作为麻将游戏本身也做得很好,但作为用户界面我觉得做得非常出色。可是我身边完全没有注意到那个效果音和间隔之妙的人,在那之后发售的麻将游戏里,也完全没有哪款麻将游戏再现出那种感觉。

Nintendo DREAM 編集部

ゲーム展開が早いとか、リーチすると自動的に牌を捨ててくれたりするか、そんな進化ばかりですからね。
因为大家净是往游戏进程快、听牌后自动帮你打牌这类方向进化嘛。

田尻智

その方が確かにゲームとしての展開は早いんだけども、手で牌を持って、そこまで運んでいった感じというのは出せなくなるわけですよ。『ジャンピューター』を作った人がそこまで考えてあんな演出にしていたのかは今となってはわかりませんが、テレビゲームのインターフェイスとしてファミコンのボタンに何か違う感触をどう出すかというようなことを、現在でも思い出しながら作れば、ゲームは現状より少しだけ面白くなるような気がするんですね。
那样确实作为游戏的进程是快了,但用手拿牌、再把它运到那里的感觉就表现不出来了。做《Janputer》的人当时是否想到了这一步才做出那种演出,现在已经不得而知了,但作为电视游戏的界面,如何让任天堂的按钮产生某种不同的触感——如果现在也能一边回忆着这些一边制作,我觉得游戏会比现状稍微有趣一点。

BONUS STAGE 田尻智的讲究 对《Jelly Boy》的想法BONUS STAGE タジリサトシのこだわり『ジェリーボーイ』への思い

Nintendo DREAM 編集部

インターフェイスというとスーパーファミコン版の『ジェリーボーイ』を思い出しますね。あの「くっつき加減」。プレイしていると、指が痛くなるほど十字ボタンを押していました(笑)。
说到界面,就会想起超级任天堂版的《Jelly Boy》。那种“黏附感”。玩的时候,十字键按到手指都疼了(笑)。

田尻智

あれはやっぱり『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしている時の感じですよね。穴に落ちそうになった時に、もうどうやっても穴に落ちることは確定しているんだけども、こう、「う〜ん」って少しでも足場に近づこうとする動きを反射的にしちゃうじゃないですか。それを操作によってはミスから救えるようにしたらどうなるか、ということに着眼点を置いて考えたゲームだったんですね。だから『ジェリーボーイ』の場合はこう、ぐ〜っとやると壁にくっついて、ぐい〜っとやると上に登れるわけです。そういうゲームはほかにも、スーパーファミコンだと『迦楼羅王』とかありますけれども、『ジェリーボーイ』はそういうゲームをする時の感情そのままに動かした時に、穴に落ちそうになって反射的に「うっ!」と操作した内容がゲーム内のプレイへ反映されたことをプレイヤーが実感できることを目指したわけです。ちなみに『ジェリーボーイ2』は結局発売中止になりましたが、初代の100倍はよく出来ていたんですよ。
那还是玩《超级马力欧兄弟》时的感觉。快要掉进坑里的时候,明明已经确定不管怎么做都会掉下去,但人还是会反射性地做出「唔——」地哪怕稍微靠近一点落脚处的动作吧。我着眼的就是,如果通过操作能让这种情况从失误中被救回来,会变成什么样,我就是以这个为出发点来构思游戏的。所以在《Jelly Boy》里,用力一拉就会贴到墙上,再使劲一拉就能爬上去。这类游戏在其他平台上也有,比如超级任天堂上的《迦楼罗王》,而《Jelly Boy》追求的是,把玩这类游戏时的情绪原样地变成操作,当快要掉进坑里时反射性地「啊!」地做出的操作内容,能反映到游戏中的游玩里,让玩家实际感受到这一点。顺带一提,《Jelly Boy 2》最终中止发售了,但初代做得好上100倍呢。

Nintendo DREAM 編集部

僕は『ジェリーボーイ2』を見たことがある、数少ない人間の一人ですかね。実際にクリアまで遊びましたし。
我大概算是见过《Jelly Boy 2》的少数人之一吧。实际上我还玩到通关了。

田尻智

あのゲームが発売されていれば、ゲームフリークにとっての大きな柱の一つになったんじゃないかと今でも思うんですけどね。ゲームデザインの発見というのは、人間の感情をどういうふうにゲームにつなげるかということでもあるわけですよ。穴に落ちた時、機械的に「ああ、穴に落ちちゃった」って淡々としているようなんだけれど、実は内心「うっ!」って思っていたりするわけで。ボケーっとゲームを遊んでいる時にこそ、ゲーム作りのヒントが現れるというか。
我至今仍觉得,那款游戏要是发售了,大概会成为GAME FREAK的一大支柱吧。所谓游戏设计的发现,其实也就是如何把人的情感连接到游戏上。掉进坑里的时候,人表面上会机械地「啊,掉进坑里了」这样平淡地反应,但内心其实会「啊!」地一下。正是在发呆地玩游戏的时候,做游戏的提示才会浮现出来。
  • スライムになってしまった主人公を操作して進んでいくアクションゲーム。スライムという特徴を生かし、穴に落ちても壁にくっつけば助かる、体を伸ばして攻撃するといった、ほかのゲームで例を見ない独特の動きと操作感が特徴だった
    操作变成了史莱姆的主人公前进的动作游戏。活用了史莱姆这一特征,掉进坑里只要贴到墙上就能得救、伸长身体进行攻击等,以其他游戏中见不到的独特动作与操作感为特征。
  • 画面の上から落ちてくるキャラと、同じものを重ねて消すパズルゲーム。ゲームボーイ版の制作もゲームフリークだ● バーチャルコンソール配信中
    把从画面上方落下的角色与相同的东西叠起来消除的益智游戏。Game Boy版的制作也是由GAME FREAK负责的● 虚拟主机配信中
  • 1989年6月発売。タイル状の床は、操作によりスライドし、めくれるようになっており、それを利用して敵を壁にぶつけてして倒す。全ての敵を倒せばエリアクリアとなる。全10ステージ・各10エリア、計100面だが、裏ステージがプラス100面用意されており、ボリュームも十分なゲームだった
    1989年6月发售。瓦片状的地板可以通过操作滑动、翻起,利用这一点把敌人撞到墙上打倒。打倒所有敌人即可通关该区域。全10关·每关10个区域,共100面,另外还准备了额外100面的里关卡,是一款内容量十足的游戏。
  • 前が見えない状態のマリオを、妖精ワンダを使ってゴールへ導く。SFCマウス専用ソフト
    用妖精旺达引导看不见前方的马力欧到达终点。SFC鼠标专用软件。
  • 走ることで電気をため、帯電状態で敵に体当たりするアクションゲーム● バーチャルコンソール配信中
    通过奔跑来蓄电,以带电状态撞向敌人的动作游戏● 虚拟主机配信中
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FAMILY COMPUTER 25th Anniversary 红白机与我与回忆的一品FAMILY COMPUTER 25th Anniversaryファミコンと僕と思い出の一品 STAGE 4-1 宝可梦之父·田尻智 促使他走向RPG制作的东西STAGE 4-1 ポケモン生みの親・タジリサトシRPG制作へと向かわせたもの

Nintendo DREAM 編集部

田尻さんはずっとアクションゲームが好きで、作るゲームもアクションゲームが中心でしたよね。実は僕は『ポケットモンスター』が登場したときに、なぜRPGなのかが不思議だったんですが。
田尻先生一直喜欢动作游戏,做的游戏也以动作游戏为中心。其实我在《宝可梦》登场的时候,还觉得奇怪为什么会是RPG呢。

田尻智

『クインティ』は、僕の中のゲームだけ。個人の体験のすべてがゲームだけで出来ているとしたら、という前提で作ったものなんです。だけど、『ポケモン』は、町田の釣り堀りがゲームセンターになる前に俺は何をしていたんだ? というところまで戻ったような、ゲーム以後とゲーム以前との統合作業というか。ゲームじゃない僕というのがあったはずで、その時間に興味があったのかっていうと、昆虫を捕ってたなぁとか、蚕を育てたなぁとか。ある日、「木の幹に墨を塗っておくと、翌朝にはそこにクワガタいるので捕まえよう」と、図鑑に書いてあったとおりに試したんだけどうまくいかなくて。だから自己流で木の根本付近に石をたくさん置いておいたら、昼間に見にいくとその石の下で眠っていて捕まえることができたとか。小学生のころにそういう発見ができたことが非常に楽しかったんです。そういうゲーム以前の話をゲームフリークのスタッフとしていた時に、次のゲームはゲーム以前の自分たちの実体験と思い入れ、そして歴史を紐解いて先に進むという目標から『ポケモン』の企画が立ち上がったんです。
《Quinty》只关乎我自己的游戏。它是在这样一个前提下做出来的:假如一个人的全部个人体验都只由游戏构成。但《宝可梦》则像是回到了“在町田的钓鱼池变成游戏厅之前,我在做什么?”这个问题上,可以说是游戏之后与游戏之前的整合工作。应该存在一个不玩游戏的我,要说我对那段时间有没有兴趣,那就是抓昆虫啦、养蚕啦。有一天,图鉴上写着“在树干上涂墨,第二天早上那里就会有锹形虫,去抓吧”,我照着试了却没成功。于是我按自己的办法在树根附近放了很多石头,白天去看时,它们就睡在石头下面,我就能抓到了。小学时能有这样的发现,让我非常开心。当我和GAME FREAK的员工聊起这些游戏之前的事时,下一个游戏的目标就是挖掘我们自己游戏之前的实际体验与情感,以及历史,然后向前推进,《宝可梦》的企划就是从这样的目标起步的。
で、なぜRPGかというと、当時『ドラゴンクエスト』が大人気で、アクションゲーム以外でこんなにも面白いゲームがあるんだって驚いたんですよ。そのうえ、自分には作れそうもないから悔しいし(笑)。その後、『ドラクエⅡ』をクリアして、『ドラクエⅢ』を待っていたわけですが、次回作まですごく待たされるじゃないですか(笑)。
至于为什么是RPG,是因为当时《勇者斗恶龙》非常流行,我很惊讶除了动作游戏之外,竟然还有这么有趣的游戏。而且,我觉得自己好像做不出来,很不甘心(笑)。后来我通关了《勇者斗恶龙II》,等着《勇者斗恶龙III》,但到下一部作品之间不是要等很久吗(笑)。
  • ゲームボーイポケットを手に、おそらくは『ポケモン』をプレイ中の田尻さん。田尻さんのパソコンがノートパソコンに変わっている
    田尻智手持Game Boy Pocket,大概正在玩《宝可梦》。田尻智的电脑已经换成了笔记本电脑。

Nintendo DREAM 編集部

せいぜい早くて年に1本ですからね。もっと待たされてましたが(笑)。
最快也就是一年一部。我们等得更久呢(笑)。

田尻智

すごい素朴な『ドラクエ』のファンだった僕は、シナリオはそのままでいいから追加マップだけでも別売りしてほしいと真剣に考えたこともあったんですよ。マップが違えば続きができるんじゃないかと思ってしまうくらい『ドラクエⅢ』が待ち遠しくて(笑)。だいぶRPGのほうを向いてましたね。
作为非常朴素的《勇者斗恶龙》粉丝,我曾经认真想过,剧本保持原样就好,哪怕只把追加地图单独卖给我也行。我甚至觉得,只要地图不同,不就能继续玩下去了吗,就这样盼着《勇者斗恶龙III》(笑)。那时我相当偏向RPG了。

STAGE 4-2 宝可梦之父田尻智 通往宝可梦“交换”之路STAGE 4-2 ポケモン生みの親・タジリサトシポケモン「交換」への道のり

Nintendo DREAM 編集部

ポケモン自体をやり取りするというアイデアは?
交换宝可梦本身这个点子是怎么来的?

田尻智

『ドラクエⅡ』の時に杉森建と「ふしぎなぼうし」について話してたことがあったんです。僕はたまらなく欲しいのに一つも持っていなくて。でも杉森は「え? 僕は2つあるよ」って言うので、「1つくれぇ〜」と冗談で言っていたんですね。現実的には、彼が2つ持っていたとしても僕はもらえないわけですが。その後、ゲームボーイが発売される時に見たハードウェアの仕様書に、機能の1つとして「通信機能」という文字が書かれていたんです。この時に想像したものは情報が行き来するインターネットのようなものに近かったんですが、ゲームボーイ版の『テトリス』では、消した段を相手に送れるというようなものだった。僕の思っていた通信機能とは違うとは感じたんですが、まだ通信機能のポテンシャルがわからない状態でしたから、『ポケモン』の企画書に「手に入れた道具やモンスターを友達と交換することでコミュニケーションが成立し、話題が盛り上がる」というようなことを書いて糸井重里事務所に持っていき、任天堂さんのOKも出て、制作が始まったんです。
在《勇者斗恶龙II》的时候,我和杉森建聊过“神奇帽子”。我特别想要,却一个都没有。但杉森说“咦?我有两个哦”,我就开玩笑说“给我一个嘛”。现实中,就算他有两个,我也拿不到。后来,Game Boy发售时我看到的硬件规格书上,作为功能之一写着“通信功能”这几个字。那时我想象的东西更接近信息往来的互联网,但Game Boy版的《俄罗斯方块》里,是能把消掉的层送给对方。虽然感觉和我所想的通信功能不一样,但当时还不了解通信功能的潜力,所以我在《宝可梦》的企划书里写了“通过和朋友们交换得到的道具或怪物来建立交流,让话题热闹起来”之类的话,拿到糸井重里事务所,任天堂也同意了,制作就开始了。

Nintendo DREAM 編集部

何度も容量変更があったとか。
听说容量改了好几次。

田尻智

最初は1MビットROMで作っていましたが、『ポケモン』のゲーム性を実現するにはROM容量が圧倒的に足らなくて。理由を説明しながら3回くらいROMの容量を増やしてもらう交渉をして、その都度2Mビット、4Mビットと増えていきましたね。そのほか、RAM容量も必要でしたし。
最初是用1M比特ROM做的,但要实现《宝可梦》的游戏性,ROM容量绝对不够。我一边说明理由,一边交涉了大约3次,请他们增加ROM容量,每次都从2M比特增加到4M比特。除此之外,还需要RAM容量。

Nintendo DREAM 編集部

ポケモンの数を増やすために?
是为了增加宝可梦的数量吗?

田尻智

1MビットのROMで作ると、20〜30匹しかポケモンを入れられないんですよ。友達とポケモンを取り替えるという企画意図から逆算して、取り替えたくなるには何匹くらいポケモンの種類が必要なのかと考えてみると、150匹は欲しかったんです。結局、『ポケットモンスター 赤・緑』では150匹入れる設計でプログラムを作り、最後にデバッグ用の管理プログラムを抜いて1匹入れて。それも外観のグラフィックを圧縮した時にメモリサイズが小さくなるよう、体毛のないポケモンを選んだり。それで最終的には151匹になったんですね。
用1M比特的ROM来做,只能放进20到30只宝可梦。从和朋友交换宝可梦这个企划意图倒推,要想让人产生交换的欲望,需要多少种宝可梦呢?想来想去,我觉得需要150只。结果,《宝可梦 红·绿》按能放入150只的设计编写程序,最后去掉调试用的管理程序,再放入1只。选那只时,还挑了没有体毛的宝可梦,以便在压缩外观图像时内存尺寸能变小。就这样,最终变成了151只。
  • ゲームボーイの通信機能はデータの送受信スピードが遅く、リアルタイムでデータをやり取りするアクションゲーム等への採用は難しかった。『テトリス』の場合は「何ライン消した」という単純なデータしか送受信しないため、リアルタイムでのやり取りが可能だったのだ
    Game Boy的通信功能数据传输速度很慢,很难用于需要实时交换数据的动作游戏等。而《俄罗斯方块》只需收发“消了几行”这种简单的数据,因此可以实现实时交换。
  • ポケモンを交換している間も楽しめるよう、メッセージや交換中のアニメーションを表示するといった演出がある。当時は通信ケーブルの品不足も起こったほど
    为了让玩家在交换宝可梦期间也能享受乐趣,游戏会显示消息和交换中的动画等演出。当时甚至出现过通信线缺货的情况。
  • 見かけたり、捕まえたポケモンを一望できる。151匹もいるからこそ、戦闘のバリエーションも増えるのだ
    可以一览见过和捕获的宝可梦。正因为多达151只,战斗的变化才更加丰富。
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STAGE 4-3 宝可梦之父·田尻智 软件完成前的诸多辛苦STAGE 4-3ポケモン生みの親・タジリサトシソフト完成までの多くの苦労

Nintendo DREAM 編集部

開発の途中から、糸井重里事務所ではなくて任天堂とのやり取りになったわけですよね?
从开发中途开始,就不再是跟糸井重里事务所,而是跟任天堂打交道了吧?

田尻智

そうです。任天堂との作業になっていきました。でも『ポケモン』のゲーム全体が見えてくるまでに非常に時間がかかってしまいましたね。その結果、『ヨッシーのたまご』とか『マリオとワリオ』とか、任天堂のほかのゲームを作りながら『ポケモン』を作るという流れになっていきました。それだから、余計に遅れるわけですよ。
是的。逐渐变成了与任天堂一起作业。不过,直到能看清《宝可梦》游戏的全貌,花了相当长的时间。结果就变成了在做《耀西的蛋》和《马力欧与瓦力欧》等任天堂其他游戏的同时制作《宝可梦》这样的流程。正因如此,才更加拖延了。

Nintendo DREAM 編集部

でも、それをやらないと会社が運営していけない。
但不这么做的话,公司就运营不下去。

田尻智

そうですね。まず日々生きていくために、具体的に受注したゲームをきちんと仕上げて商品として出していく。その中でやっと『ポケモン』の形が出来てきたんですけど、ポケモンの数が少ない。そこで数を増やすために圧縮方法をいくつか併用して、いろんな絵をいろんな比率でちっちゃくできる方法を考えていたんです。実は『赤・緑』だと、自分が指示を出しているポケモンの背中の画像ってピントが合っていないというか、ドットが粗いんですよ。ピントが合っているのはこっちを向いている敵のポケモンであって、自分のピカチュウの頭とかはボケている。
是啊。首先为了每天活下去,要把接下的游戏好好做完,作为商品推出。在这个过程中,《宝可梦》总算成形了,但宝可梦的数量太少。于是为了增加数量,我并用了几种压缩方法,思考用各种比例把各种图画缩小的办法。其实在《红·绿》里,自己发出的宝可梦的背面图像,怎么说呢,焦点对不上,像素很粗。焦点对得上的是面向这边的敌方宝可梦,而自己的皮卡丘的头部之类则是模糊的。

Nintendo DREAM 編集部

ドットを拡大しているから?
是因为把像素放大了?

田尻智

そうなんです。グラフィックデータとしてはかなり小さいサイズのものを拡大表示させているので、ちゃんと見るとドットが粗いんですよ。グラフィックが圧縮できることを考えて、お互いのポケモンが向き合うという戦闘シーンのレイアウトを考えたわけです。
是的。作为图像数据是相当小尺寸的东西被放大显示,所以仔细看的话像素很粗。考虑到图像可以压缩,我才设计出双方宝可梦相对而立的战斗场景布局。

Nintendo DREAM 編集部

初期の『ファイナルファンタジー』の戦闘シーンのように、真横からの視点にすることは考えなかったんですか?
像早期《最终幻想》的战斗场景那样,从正侧面视角来设计,你没有考虑过吗?

田尻智

真横からの視点は傍観者であって、自分のポケモンを戦わせているという感じにならないんですよ。結果的に、自分のポケモンをぼかすことによって、自分のポケモンを応援しながら視線は敵のポケモンを見ているというというのをうまく表現できるというのを発見して、それをゲームの軸にしたんですね。さらに『ポケモン』のボリュームを出すために、社内で次々とポケモンのデザインを作り出して、人気アンケートもやりました。下位のものを没にして、上位のものからプログラムに入れていくという感じでした。結果300体くらいのデザイン案の中から約半数のポケモンが採用されることになったんです。
正侧面的视角是旁观者的视角,不会产生自己的宝可梦正在战斗的感觉。结果我们发现,通过让自己的宝可梦模糊化,就能很好地表现出一边为自己的宝可梦加油、一边视线却看着对手宝可梦的状态,于是就把这一点作为了游戏的核心。而且为了增加《宝可梦》的容量,我们在公司内部接连不断地设计宝可梦,还做了人气问卷调查。把排名靠后的淘汰掉,从排名靠前的开始放进程序里。结果从大约300个设计方案中,采用了约半数的宝可梦。

Nintendo DREAM 編集部

『ポケモン』というと同じシナリオでありながら2つのバリエーションがあるという先駆けのゲームですよね。
《宝可梦》可以说是同一剧本却有两种版本的开创性游戏吧。

田尻智

最初は『ポケモン』の赤と緑というバージョンは2種類どころか、僕は7色出したいと言っていたんです。任天堂の宮本茂さんにそのことを相談したら、「バリエーションが7つというのはおすぎるが、ゲームを始める前から選択が始まっているというのは、ゲームとしてちょっと面白い。2つくらいでどうですか?」というコメントを頂きまして。それで、赤と緑という2バリエーションで発売することにしたんです。両方のバージョンで捕まえられるポケモンを変えると交換できる土壌も出来ますし。
最初关于《宝可梦》红和绿这两个版本,我不但想做成两种,还说想做成七种颜色。我跟任天堂的宫本茂先生商量这件事,他给了我这样的意见:“七种版本太多了,不过游戏开始前就面临选择,这一点作为游戏还挺有趣的。两种怎么样?”于是我们就决定以红和绿这两种版本发售。两个版本中能捕捉到的宝可梦不同,也就有了交换的基础。

Nintendo DREAM 編集部

バリエーションを増やすということは、増やした分だけ田尻さんの作業が膨大になっていったんじゃないですか?
增加版本数量,也就意味着田尻先生的工作量会相应变得庞大吧?

田尻智

たいへんでしたね。シナリオはテキストファイルで書き換えられるようにしてあったんですが、それを僕が一元的に一人でいじって言葉のひとつひとつを全部書くということしていたんですよ。複数の人で書いたセリフを、僕が『ポケモン』の言葉で書き直すという作業をやったんです。寝る時間がないというか、徹夜でやって朝になって昼になって、プログラマーが来たら新しいテキストファイルを渡してゲームに反映してもらうという。任天堂からも「いつまでテキストをいじってるんだ」と怒られてしまったくらいです。でも、そこまでこだわった結果がよかったんです。簡単に言うと主人公や友達は子どもの目線で物事を見る。大人は大人の目線がある。大人が子どもに言いそうな言葉とか、大人と子どもがいて、そこにポケモンがいるとどういう世界になるかということを考えながら膨大なテキストデータを書き換えていった結果、『赤・緑』が出来上がったわけです。こだわりにこだわったことで、発売日が延びてしまって、任天堂には本当に申し訳なかったんですが、完成した時に、死ぬ思いをして直したかいはあったと感じましたね。『赤・緑』はこの先、後悔ないというレベルまでゲームとしての密度も高いし、交換という提案もきちんとできたし。
很辛苦。剧本做成了可以用文本文件改写的形式,但我一个人统一修改,每一句话都全部由我来写。别人写的台词,由我用《宝可梦》的语言重写,我做的就是这项工作。可以说连睡觉的时间都没有,通宵干到早上,再到中午,程序员来了就把新的文本文件交给他,让他反映到游戏里。连任天堂都训我“你还要改文本改到什么时候”。不过,坚持到这种程度的结果是好的。简单来说,主角和朋友是以孩子的视角看事物。大人有大人的视角。我一边思考大人可能会对孩子说的话,以及大人和孩子在一起、那里还有宝可梦时会形成怎样的世界,一边改写庞大的文本数据,结果就做出了《红·绿》。因为过分讲究,发售日推迟了,真的非常对不起任天堂,但完成的时候,我觉得拼死修改是值得的。《红·绿》作为游戏,密度已经高到今后都不会后悔的程度,交换这个提议也好好地提出来了。

Nintendo DREAM 編集部

ゲームのデバッグも時間がかかったんじゃないですか?
游戏的调试也很花时间吧?

田尻智

かかりましたねぇ。『クインティ』の時よりも何倍も大きい山というか、バグも何もかも。何十時間も育てたポケモンのわざが突然おかしくなったという現象に遭遇しました。サイドンっていうポケモンがレベル40くらいで動きがおかしくなったんですね。よくよく調べたら、サイドンはいちばん最初に完成してソフトに入れたんで、仮の管理ナンバーが1番だった。ソフトでは物語での登場順番に合わせて番号が変わっていますから、仮で入れたナンバーと游戏中のナンバーとが違っていた。それが修正されていないところがあったんです。
很花时间。跟《昆迪》的时候相比,简直是好几倍大的山,漏洞也好什么也好。我遇到过培养了几十小时的宝可梦的招式突然变得奇怪的现象。一只叫钻角犀兽的宝可梦,到了40级左右动作变得奇怪了。仔细一查,钻角犀兽是最先完成并放进软件里的,所以临时管理编号是1号。软件里编号会按照故事中登场的顺序改变,所以临时放进去的编号和游戏中的编号不一样。有些地方没有修正到这一点。
  • あらためて画面を見てみると、手前の味方側のポケモンを描くドットが大きいことがわかる。データ上では小さく作成しておき、表示する際には拡大表示しているのだ
    重新看画面就能发现,近处我方宝可梦的像素画得很大。在数据上其实做得很小,显示时才放大。
  • ドリルポケモンである、サイホーンの進化形ポケモン。HPや攻撃力、防御力などが高い反面、素早さや防御力が低いという特徴を持っている。ずかん番号はNo.112だったが、開発番号は1番になっていたようだ
    钻锥宝可梦,独角犀牛的进化形。HP、攻击力、防御力等很高,另一方面速度较低。图鉴编号是No.112,但开发编号似乎是1号。
  • 登場するポケモンの分布などを変えることによって、捕まえやすいポケモンと捕まえにくいポケモンが、バージョンごとに異なる。このため『赤』『緑』間の交換がまず積極的に行われるようになったが、その分ゲームバランスなどの調整は大変なことに……。後に『青』や「ピカチュウ」版も発売されたが、分布が異なるだけではなくグラフィックを一新するなど、大きな変更も加えられている
    通过改变登场宝可梦的分布等,容易捕捉的宝可梦和不容易捕捉的宝可梦会因版本而异。因此《红》《绿》之间首先积极地进行了交换,但相应地,游戏平衡等的调整也变得很辛苦……后来《蓝》和“皮卡丘”版也发售了,不只是分布不同,还更新了图像等,加入了很大的改动。
  • インタビュー中の田尻さん。後ろの棚にはポケモングッズや、これまでに制作したソフトがズラリと並んでいる
    采访中的田尻先生。后面的架子上摆满了宝可梦周边以及至今制作的软件。
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任天堂25周年纪念FAMILY COMPUTER 25th Anniversary 红白机与我的一段回忆ファミコンと僕と思い出の一品

STAGE 4-4 宝可梦之父·田尻智 动画的宝可梦、世界的宝可梦 STAGE 4-4 ポケモン生みの親・タジリサトシアニメのポケモン、世界のポケモン

红白机是我的青春!!ファミコンは僕の青春!!

「ファミコン時代というのは。あらゆるものが光り輝いていた時代だと思うんです。僕も、ゲーム業界も。業界的に言えば黄金時代なのかも知れませんが、個人的には青春時代ですね」
“我认为红白机时代,是一个万物都闪耀光辉的时代。无论是我,还是游戏业界。从业界角度来说或许可称黄金时代,但对我个人而言则是青春时代。”

Nintendo DREAM 編集部

『ポケモン』はゲームボーイも下火になっていたころに発売されたので最初の出荷本数はそれほどでもなかったと思いますが、急速に伸びていきましたよね。それ以降、人気が爆発していく課程を見て、どんなお気持でしたか?
《宝可梦》发售时正值Game Boy也趋于低迷的时期,所以最初的出货量我想并不算多,但之后迅速增长。此后看着人气爆发式扩散的过程,您当时是怎样的心情?

田尻智

素朴にうれしいんですが、やはりこれだけ売れると、僕自身やゲームフリークという会社はこれまで以上に責任感を感じた方がいいなと改めて思いましたね。世界観の設定とか、作った後にすっと責任を持つという仕組みを作る必要が出てきたということです。これはそれまでのゲームではなかったことですから。早くからテレビアニメも始まったし、しかも大成功した。そうして『ポケモン』に関わる人が増えてくると、例えば、攻略本を作りたいと思っている出版社さんが、どこに問い合わせればいいのかもわかりづらくなりますからね。最初のころはゲームフリークで対応させていただいていたこともありましたが、『ポケモン』が人気になってしまったがために、「どこに問い合わせればいいのかわからない」という声をよく聞くようになったんです。そういうふうに混乱していたので、株式会社ポケモンという会社を作ったんですね。当時『ポケモン』に関するビジネスをやっていた会社が共同出資して、『ポケモン』への問い合わせや設定に関する応対を統括し、『ポケモン』すべてのブランドマネジメントを行うために、クリーチャーズの社長だった石原さんに社長をやっていただいて設立をしたんです。その結果『ポケモン』グッズの専門ショップの「ポケモンセンター」とか、『ポケモン』の設定を基にしたいろんな商品が自社でも出せるし、ほかの企業さんとのタイアップもしやすくなると。これはまあ、僕自身が物作り一筋から、ちょっとビジネスのことまで考えた新しいステージを作らなくちゃいけないということになり、心身ともに大人になったなと思いますね。またステージアップしなくちゃいけなくなりましたよね。
单纯地感到高兴,但同时也再次觉得,卖到这种程度,我自身以及GAME FREAK这家公司,还是应当比以往更有责任感才行。也就是说,有必要建立起世界观设定、以及在制作之后持续负责的机制。这是以往的游戏所没有的。电视动画也早早开播,而且大获成功。这样一来,与《宝可梦》相关的人增多,比如想做攻略本的出版社,就变得难以知道该向哪里咨询了。最初也曾由GAME FREAK来应对,但因为《宝可梦》太受欢迎,我经常听到“不知道该向哪里咨询”的声音。由于出现了这样的混乱,我们就成立了株式会社宝可梦。当时经营《宝可梦》相关业务的公司共同出资,为统括《宝可梦》的咨询与设定相关应对、并进行《宝可梦》全部品牌管理,请当时任Creatures社长的石原先生出任社长而设立。这样一来,就可以自营《宝可梦》周边专卖店“宝可梦中心”,也能自行推出基于《宝可梦》设定的各种商品,与其他企业的合作也更容易开展。这也就是说,我自己必须从一心做东西,迈入一个稍微要考虑商业事务的新阶段,我觉得自己身心都变得成熟了。又得再升一级了。

Nintendo DREAM 編集部

『ポケモン』は今や世界で認められているコンテンツなわけですが、なぜ受け入れられたと思いますか?
《宝可梦》如今已是世界公认的内容,您认为它为什么能被接受?

田尻智

世界で売れるような世界観というものは、日本独自のものというよりは、釣り堀があったり、団地があるといった、郊外に住んでいる普通の少年を主人公にしたことも良かったんだと思います。
能在世界范围内畅销的世界观,与其说是日本独有的东西,不如说是因为把住在郊外、附近有钓鱼池、有住宅区的普通少年作为了主角,这一点也很好。

Nintendo DREAM 編集部

そこにある現実的な世界観、ということですよね?
也就是说,是其中那种现实的世界观,对吧?

田尻智

現実的に家族と住んでいて、ある日ゲームが現れたことで世界が変わるというようなこと。それが『ポケモン』に投影されたことで、日本だけの現象じゃなくて、世界のあらゆる都市で起こっている共通体験のようなものだったということだと思うんですよね。
现实地与家人同住,某一天游戏出现,世界由此改变。这样的东西被投射到《宝可梦》中,所以它并非只发生在日本的现象,而是世界各个城市都在发生的共同体验。我想就是这样。

Nintendo DREAM 編集部

ピカチュウは今や全世界共通のキャラクターですよね。
皮卡丘如今已是全世界共通的角色了。

田尻智

ピカチュウなんてほんと、ゲームの中ではトキワの森に時々現れる、ちょっと珍しいポケモンだったんですが。でもテレビアニメの設定を作る時、ゲームとは違うかわいいポケモンがパートナーになっている設定にしましょうという話になって。「かわいいポケモンといったら何ですか?」と聞かれたので、「プリンかピカチュウですねぇ」と返事をしたら「じゃあ、ピカチュウでいきましょう」ということになったんですよ。ポケモンの名前は中国語や韓国語や英語やドイツ語、それぞれの言葉で変わるんですが、ピカチュウは共通にしているんです。
皮卡丘在游戏里其实只是偶尔出现在常青森林的、稍微有点稀有的宝可梦。但在制作电视动画的设定时,大家讨论说,要不要设定成一只与游戏不同、更可爱的宝可梦作为搭档。有人问我“说到可爱的宝可梦是什么?”,我回答说“胖丁或者皮卡丘吧”,于是就说“那就定皮卡丘吧”。宝可梦的名字在中文、韩语、英语、德语中各自不同,但皮卡丘是共通的。
  • ファミコンは僕の青春!!
    任天堂是我的青春!!
  • 2008.7.22 (株)ゲームフリーク 田尻智
    2008.7.22 GAME FREAK 田尻智

ENDING GAME FREAK社长·田尻智 今后的GAME FREAK ENDING ゲームフリーク社長・タジリサトシこれからのゲームフリーク

Nintendo DREAM 編集部

これからのゲームフリークの目標はなんですか?
GAME FREAK今后的目标是什么?

田尻智

2つあって、1つはオリジナルのゲームを制作する力を育てるという意味で新しいゲームに取り組むということ。もう1つは『ポケモン』に関しては設定に徹底して責任を取って、しっかり作って、確立させていくということですね。例えば新しい『ポケモン』のシリーズが出た時に、昔捕まえたポケモンも交換できるようにしていくとか。そんなふうに、設定としてはどんどん積み重ねていくようにしているんですよ。これはほかの会社ではあまりできないことだと思います。新作の『ポケモン』を作る時には新しいポケモンも作らなくちゃいけないんですが、前のポケモンもちゃんと生きていると。新作では捕まえられないポケモンも交換でどんどん連れて来る場合もあるでしょうし、ポケモンセンターのキャンペーンみたいなイベントでもらうとか、そういう可能性もありますからね。
有两个,一个是致力于新游戏,培养制作原创游戏的能力。另一个是关于《宝可梦》,要彻底对设定负责,扎实地制作,并将其确立下来。比如说,当新的《宝可梦》系列推出时,要让以前捕捉到的宝可梦也能交换过去。就是这样,在设定上不断积累下去。我认为这是其他公司很难做到的事情。制作新的《宝可梦》时,必须制作新的宝可梦,但以前的宝可梦也要好好地活着。在新作中无法捕捉的宝可梦,也可能通过交换不断带过来,还有可能在宝可梦中心的活动之类的活动中获得,有这种可能性。

Nintendo DREAM 編集部

最新作となる『ポケットモンスター プラチナ』も9月13日に発売されるわけですが、田尻さんがかつて『ドラクエⅢ』を一日千秋の思いで発売を待っていたように、『プラチナ』を待っているユーザーもたくさんいると思います。
最新作《宝可梦 白金》也将于9月13日发售,正如田尻先生当年翘首以盼《勇者斗恶龙III》发售一样,想必也有很多玩家在等待《白金》。

田尻智

楽しみにしていてください(笑)。
请期待吧(笑)。

Nintendo DREAM 編集部

これからも頑張ってください。どうもありがとうございました。
今后也请加油。非常感谢。
ポケモンの最新作『ポケットモンスター プラチナ』の記事がP6に掲載されている。こちらもチェックしよう!
宝可梦最新作《宝可梦 白金》的报道刊登在P6。也请查看那边!
Archive 档案信息
Date
2008.08.21
Source
ファミコン生誕25周年記念特別企画「ファミコン僕と思い出の一品」田尻智ロングインタビュー
People
田尻智
Game / Work
宝可梦 红·绿、昆蒂
Language
JA → zh-CN
Status
online