1999 ほぼ日刊イトイ新聞「樹の上の秘密基地」
用声音与皮卡丘对话
ほぼ日刊糸井新闻1999年专访Ambrella代表小泽宗明,谈世界首款搭载语音识别的N64游戏《皮卡丘你好吗》。
ゲームはまだまだ新しくなる! 新世代の主役たち
游戏还将不断推陈出新!新时代的主角们
「まだ誰もやっていないことが、やりたかったんです」 「今まで特別に影響を受けたゲームは、ないですね」
“我想做的是还没有人做过的事。”“至今为止,并没有特别受过哪款游戏的影响。”
静かな、でも力強い彼の言葉に、 「ほぼ日」はこれからのゲームの可能性を見ました。 新しい考えを持ったクリエーターたちがつくった 新しいゲームを、今回はご紹介したいと思います。
他平静却有力的话语,让“ほぼ日”看到了游戏今后的可能性。这次我们想介绍的是,由怀有新想法的创作者们所制作的新游戏。
ゲームキャラクターと声でコミュニケーションする、 それっていったいどんなふうに? 世界初の音声認識システム搭載と宣伝されてCMも人気の NINTENDO64「ピカチュウげんきでちゅう」を開発した アンブレラの代表、小澤宗明さんにお話を伺ってきました。
用声音与游戏角色交流,那究竟是怎样一种体验?我们采访了Ambrella的代表小泽宗明先生,他开发了号称世界首个搭载语音识别系统、广告也颇受欢迎的NINTENDO64游戏《皮卡丘你好吗》。
1998年12月に発売されたNINTENDO64ソフト 「ピカチュウげんきでちゅう」に、今回は注目します。
这次我们关注的是1998年12月发售的NINTENDO64软件《皮卡丘你好吗》。
このソフト、もちろん大人気のキャラクターである ピカチュウをメインに起用したゲームというだけでも 注目度は高かったのですが、「音声認識システム」を 家庭用のテレビゲームに取り入れた世界初のソフト、 なんですって。 それが、発売と同時に店頭から消えた、というので 任天堂もほんとうにびっくりしたらしいんです。
这款软件,当然仅凭起用了超人气角色皮卡丘作为主角这一点就已备受瞩目,但据说它还是世界上第一款将“语音识别系统”引入家用电视游戏的软件。而且它一发售就从店铺里消失了,任天堂似乎也真的非常吃惊。
だから、どういうゲームかのお話をする前に、まず、 遊びたくても売り切れてしまっていて買えなかった たくさんのひとたちへのお詫びをしなければ、と 広報からコメントが届きました。
因此,在讲述这是怎样一款游戏之前,必须先向许多想玩却因售罄而买不到的人致歉——宣传部门发来了这样的评论。
お待たせしました。 「ピカチュウげんきでちゅう」が、 再びお求めいただけるようになりました。
让各位久等了。《皮卡丘你好吗》已经可以再次购买到了。
おじさんが店頭で「ピカチュウー」 と叫ぶテレビCMでおなじみの NINTENDO64ソフト、 「ピカチュウげんきでちゅう」。 音声認識システムによりピカチュウと話をしながら ゲームを進める、世界で初めてのソフトです。 1998年12月12日の発売以来、弊社の予想を反して 即日完売になるお店が続出しました。 市場では品薄状態になり、 お客様には大変なご迷惑を おかけすることになってしまいました。 おりしも発売時期がクリスマスだったことから、 お子様たちに悲しい思いをさせてしまいましたこと、 メーカーとしても、たえがたい想いでした。
因大叔在店里大喊“皮卡丘——”的电视广告而为人熟知的NINTENDO64软件《皮卡丘你好吗》。它是世界上第一款通过语音识别系统与皮卡丘对话并推进游戏的软件。自1998年12月12日发售以来,与本公司预期相反,接连有店铺当天售罄。市场上出现缺货状态,给顾客造成了极大困扰。又恰逢发售时期正值圣诞节,让孩子们感到伤心,作为厂商,我们也难以忍受。
その予想を反した背景には、 テレビCMの大ヒットがありました。 俳優の綿引勝彦さん演じるおじさんとピカチュウの 絶妙な共演は、これまでの子供さんを中心とする ポケモンファンのみならず、20代の女性など 幅広いお客様に人気を得ることができ、 その結果がソフト製造の予測本数を上回ってしまい、 売り切れの事態を招いてしまいました。 任天堂はこの事態を重く捉え、 完売以降、早急に増産を全力で行いまして、 2月1日から再び店頭に並べることができました。 お客様には大変お待たせいたしましたことを、 ここにお詫び申し上げます。
与预期相反的这一背景,是电视广告的大热。演员绵引胜彦先生饰演的大叔与皮卡丘的绝妙共演,不仅赢得了以往以儿童为中心的宝可梦粉丝的喜爱,还获得了20多岁女性等广泛顾客的喜爱,结果超出了软件生产的预测数量,招致了售罄的局面。任天堂严肃看待这一事态,售罄之后全力紧急增产,从2月1日起得以再次摆上店铺。让顾客久等了,在此深表歉意。
テレビコマーシャルの人気が売り切れの原因だったとはね。 年末年始に手に入らなかったひとも、 今はもうだいじょうぶみたいです。
电视广告的人气竟然是卖断货的原因啊。年末年初没能买到的人,现在好像已经没问题了。
お店で「ピカチュウげんきでちゅう」をくださいと言うのが 恥ずかしくって、なかなか買いに行けません、という メールを「ほぼ日」に送ってくれたひとがいましたが、 みなさんはいかがでしょうか?
有人在“ほぼ日”发来邮件说,在店里说“请给我《皮卡丘你好吗》”太不好意思了,一直没法去买,大家觉得如何呢?
では、お待たせしました。 「ピカチュウげんきでちゅう」を開発したチーム、 アンブレラ代表の小澤宗明さんロングインタビューです。
那么,让各位久等了。接下来是开发《皮卡丘你好吗》的团队、Ambrella代表小泽宗明的长篇访谈。
(第3回之1)“因为是最初的作品,所以想做成引人注目的东西”
会社の設立は1996年の6月です。 雑誌では、僕が大学時代に所属していたサークルの仲間を 誘って設立した会社として紹介されがちなんですが、 実際はそういうわけではありません。 以前から「このメンバーでゲームをつくりたいね」 というような話をしていて、 この会社はそれを実現する「手段」だったんです。
公司成立于1996年6月。杂志上往往把我们介绍成是我邀请大学时代所在社团的伙伴一起创立的公司,但实际上并不是这样。以前大家就聊过“想用这些成员来做游戏”,这家公司是实现这件事的“手段”。
その段階では、他のゲーム会社に勤めていて すでに実績を十分あげていた人もいれば、 現役の学生もいるし、 ゲームとはまるで関係のない仕事をしている人もいる といった、実に様々な立場の人の集まりでした。 メンバーのそれぞれが、仕事仲間と意気投合して、 それぞれの知り合いを紹介しあうことで、 ひとつの会社をつくったんです。 マリーガルマネジメントとの出会いがあって、契約して、 ゲームづくりに専念できる環境が整うにつれて 徐々にアンブレラ専属の人が増えていきました。 この「ピカチュウげんきでちゅう」も、 みんなでつくりあげた作品だと思っていますし、 社内でのメンバーの立場はみんな対等だと思っていますから 僕の作った会社という意識は、僕にはありません。
在那个阶段,有人已经在其他游戏公司工作并取得了足够的成绩,有还在读的学生,也有做着与游戏完全无关的工作的人,实在是由各种立场的人聚集在一起。成员各自与工作伙伴意气相投,又互相介绍各自认识的人,就这样创建了一家公司。与Marigul Management相遇、签约,随着能够专心做游戏的环境逐渐完备,Ambrella专属的人也慢慢增加了。这部《皮卡丘你好吗》我也认为是大家一起做出来的作品,而且我认为公司内部成员的立场都是平等的,所以我并没有“这是我创建的公司”这种意识。
メンバーそれぞれ、趣味も経歴もとても多彩なんですよ。 企画、音楽、グラフィック、プログラム、 それぞれの職種でのプロフェッショナルたちばかりですけど アルバイトを含めて15人くらいの小人数の会社なので、 中ではいろんな人がいろいろなことをやっています。
成员各自的兴趣和经历都非常多样。企划、音乐、图形、程序,都是各自职业领域里的专业人士,但包括兼职在内,公司只有15人左右,规模很小,所以内部是各种各样的人在做着各种各样的事。
たとえば、音楽担当のひと。 もともとゲームミュージックのコンポーザーが本職ですが プログラマーとしても一流の力があって、 このゲームのなかの釣りのプログラムをつくったのは 実は彼なんです。
比如负责音乐的人。他原本的本职工作是游戏音乐的作曲家,但作为程序员也有一流的实力,这部游戏里的钓鱼程序其实是他做的。
どのスタッフからどんなアイディアが出てくるか、 自分たちにも想像できないし、同じアイディアでも、 だれがかたちにするかによって出来てくるものが全然違う。 ひとつのアイディアを、いろいろな人がかたちにできる点が アンブレラの強みだと思います。 ゲームを作っていくなかで、 スタッフひとりひとりの個性が強いということは、 時として熱い議論が交わされる原因にもなるんですが、 長い目でみたときには、ぜったいプラスだと思っています。
哪个工作人员会提出什么样的点子,连我们自己也无法预想,而且即使是同样的点子,由谁来做成形,做出来的东西也完全不同。一个点子能让各种各样的人把它做成形,我认为这是Ambrella的强项。在做游戏的过程中,每个工作人员个性都很强,这有时也会成为热烈讨论的原因,但从长远来看,我认为绝对是正面的。
僕自身のゲームを作りはじめたきっかけは、ですね。 小学生のころ、近所のお兄さんと、 ゲームセンターのゲームをボードゲームにして 遊んだことかな。 パックマンをすごろくにして遊んだりしてました。 どこがどうパックマンなのか、今から思えば よくわかんなかったんですが(笑)、 自分たちではそれをパックマンだと思って、 十分に満足していたことを覚えています。
我自己开始做游戏的契机,是这样的。小学的时候,和附近的大哥哥一起,把游戏厅的游戏做成桌游来玩。我们把《吃豆人》做成双六来玩。现在回想起来,哪里怎么算《吃豆人》,其实不太明白(笑),但我记得当时我们自己觉得那就是《吃豆人》,并且十分满足。
もう少し大きくなってからは、 近所のパソコンショップや、いとこの家で、 パソコン雑誌に載っている簡単なゲームの ソースプログラムを入力して、 パラメータを変更して遊んだりしました。 それが、コンピューターとの出会いです。 でも、大学に入るまでは もっぱら既成のゲームで遊んでばかりでした。 明日が中間試験だ、っていう日に、 欲しかったゲームが発売されて、 いつも試験勉強は一夜漬けしかしないくせに、 我慢できずに買ってしまって、赤点とりまくったり。 その頃はいろんなゲームを手当たり次第に遊んでいました。 でも、今日まで及ぶほどの強い影響を受けているゲームは 僕の中にはないように思います。 いろんなゲームがそれぞれ面白かったし。 何のゲーム、というよりも、 ソフトを換えるとぜんぜん違うゲームが遊べて いつも新鮮な刺激が得られるコンピューターそのものに 不思議な感覚を抱いていました。 その感覚が好きだったんですね。
再大一点之后,我就在附近的电脑商店或表亲家,把电脑杂志上刊登的简单游戏的源程序输入进去,改改参数来玩。那就是我与电脑的相遇。不过,进大学之前我基本上都只是在玩现成的游戏。明明第二天就要期中考试,想要的那款游戏却偏偏发售了,我平时考试复习都只靠临时抱佛脚,结果还是忍不住买了下来,挂了一堆不及格。那阵子我抓到什么游戏就玩什么。不过,我觉得自己心里并没有哪款游戏对我产生过强烈到如今的影响。各种游戏各有各的有趣。与其说是哪款游戏,不如说,一换软件就能玩到完全不同的游戏,总能获得新鲜的刺激,我对电脑本身抱有某种不可思议的感觉。我就是喜欢那种感觉。
それから大学に入って、 自分でコンピューターゲームをつくりはじめました。 そのころ、自分のまわりでゲームをつくっている人は いなかったんですが、コンピューターサークルの後輩が 作っていた面白いプログラムがあって、 それを使ったゲームをつくれないかなと思い、 CGができる人やコンピューターミュージックが できる人を集めて一つのゲームをつくりました。 みんなで一緒に何かをつくることの楽しさを このときに知りましたね。 僕がゲームづくりを自分の職業に選んだきっかけは このときの体験からです。 そして、このとき一緒にゲームをつくった友人何人かが、 アンブレラの設立メンバーになっています。
后来进了大学,我开始自己做电脑游戏。当时我身边没有做游戏的人,不过电脑社团的后辈做了一个很有意思的程序,我就想能不能用它来做游戏,于是把会做CG的人、会做电脑音乐的人召集起来,做了一个游戏。我就是在那时体会到大家一起做某件事的乐趣的。我之所以选择把做游戏当作自己的职业,契机就来自那时的体验。而且,当时一起做游戏的几个朋友,后来成了Ambrella的创立成员。
「ピカチュウげんきでちゅう」は アンブレラの最初の作品になります。 開発期間は実質2年くらいです。 声を使ってゲームを作ろうということで、 まずはどういう仕組みで音声を認識するのか、と 考えるところからスタートして。 ソフトとしてだけではなく、ハードウェアを考えて、 インターフェイスを開発して。 さまざまなプロトタイプを作りながら 音声認識のシステムについて、試作を重ねていきました。 プロデューサーの石原さんから 「ピカチュウをキャラクターに」というご提案をいただき、 そこから完成までが、1年ちょっとかかっています。
《皮卡丘你好吗》是Ambrella的第一部作品。开发周期实际上大约两年。我们决定用声音来做游戏,于是从思考用什么机制来识别语音开始。不只是软件,还要考虑硬件,开发接口。我们一边做各种原型,一边围绕语音识别系统反复试制。制作人石原先生提出“把皮卡丘做成角色”的建议,从那时到完成,花了一年多一点。
アンブレラの第一作めとして何を作るかについては、 設立前から、いくつかのアイディアがありました。 でも、そのときどきの様々な状況によって、 実現できるかどうか決まる部分もあって、 それは資金だったり、コンピューターの処理能力だったり、 あるいは、発売時の価格だったりするんですが、 マリーガルさんと契約することによって、 一番目立ちそうで、かつ、おもしろいもの、 つまり、それまでまだどこからも出ていなかった 「音声を認識して入力するシステム」を用いた 家庭用ゲームのアイディアを実現することができました。 ただ、このメンバーでゲームを作りたかったし、 このメンバーとならいろいろなゲームが作れるはずだ という気持ちがまず先にあって作った会社ですから、 マリーガルさんとの出会いがなければ 別のゲームを作っていたかもしれません。
关于作为Ambrella第一部作品要做什么,从公司设立前就有过几个想法。不过,根据当时各种情况,有些部分能否实现是会变的,比如资金、电脑的处理能力,或者发售时的价格。通过与Marigul公司签约,我们得以实现那个看起来最显眼、同时又很有趣的想法,也就是用此前还没有任何公司推出过的“识别语音并输入的系统”来做家用游戏的方案。不过,我们本来就是想和这批成员一起做游戏,首先抱着和这批成员在一起应该能做各种游戏的心情才创办的公司,所以如果没有遇到Marigul公司,也许就会做别的游戏了。
出来上がってみて、ですか? 出来上がりには満足しています。 いまのメンバーの力からすると、 十分満足のいくものをつくったと思うし、 そうじゃないと出しちゃいけないですから。 将来、同じようなものをつくったとしたら、 もっと完成度の高いものが出来るだろうと思うんですけど、 でも、いま、この時期に、こうやって声をかけて遊べる ゲームを発表できたことに関しては十分満足していますね。
问做完之后感觉如何吗?我对成品是满意的。以现在成员的实力来说,我觉得做出了足够令人满意的东西,而且不满意的话就不能拿出去。将来如果做同样的东西,我想应该能做出完成度更高的作品,不过,能在现在这个时期发布这样一款可以出声搭话游玩的游戏,我已经十分满意了。
というところで(第3回の1) 「いちばん最初の作品だから目立つものにしたかった」 は終わり。次回も小澤さんが興味深いエピソードを たくさん話してくれますよ。お楽しみに。
那么,(第3回之1)“因为是最初的作品,所以想做成显眼的东西”就到这里。下次小泽先生还会讲很多有趣的轶事。敬请期待。
売り切れ続出の 「ピカチュウげんきでちゅう」を開発したチーム、 アンブレラの小澤さんへのインタビューは、 開始早々期待どおりの面白い話に注目が集まっています。 ピカチュウがどんなふうに言葉を理解しているのか、 連載第2回は、音声認識システムの話を中心に伺いました。
开发了持续脱销的《皮卡丘你好吗》的团队——Ambrella的小泽先生,对他的采访刚开始,就如期待的那样,有趣的故事吸引了大家的关注。皮卡丘是如何理解话语的?连载第2回我们主要请教了语音识别系统的话题。
(第3回之2)“皮卡丘觉得眼前的蘑菇更重要”
音声認識の精度自体は、 ゲームに使おうと思ったときに要求されるレベルよりも、 十分すぎるほど高いと思っています。 もちろん、ゲームによっては、 もっと高い精度で認識してくれた方が いいものもあるとは思うのですけど、 そういうふうになればなるほど、 コントローラーとかキーボードを使って もっときちんと入力したほうが、 ゲームとしては、より快適になりますよね。 だったらそうすればいいだけだよね、って思うから。 くちで言ったことがなんとなく伝わっているっていう、 あやふやな感じのところもあるものとしては、十分楽しく 使える道具としての精度がすでにあったからこそ、 音声入力を使ってみようと思ったんです。
语音识别本身的精度,我认为已经远远超过了想把它用于游戏时所要求的水平。当然,有些游戏如果能以更高的精度来识别会更好,不过越是这样,用控制器或键盘更准确地输入,作为游戏反而会更舒适吧。因为我会想,那就那样做不就行了。嘴里说的话能大致传达过去,这种模糊的感觉也是它的一部分,而作为一种能让人足够愉快地使用的工具,它已经具备了足够的精度,正因如此我才想试着用语音输入。
精度的にはしっかりしているけれど、 言ったことをそのまんま 1対1の対応で反応するだけのものってのは、 最初おもしろいけどすぐに飽きちゃうし、 それは、その技術そのものがおもしろいだけで、 わざわざゲームである必要もなさそうだしなぁ、 と思ったんで、そこはずいぶん苦労しました。
精度上虽然扎实,但那种只是把你说的话原样一一对应地做出反应的东西,一开始很有趣,很快就会腻,而且那只是技术本身有趣,似乎也没必要特意做成游戏,我这么想着,所以在这一点上费了不少功夫。
最初はほんとに、 声をかけてパッて出てくれば、それだけで嬉しいじゃん、 って思っていたりもしたんですけど、 それはコミュニケーションというものとはほど遠い、 入力手段のバリエーションが 増えただけでしかないものですよね。 Aボタンを押したら「いま、Aボタンが押されました」 っていう表示が出るのと一緒。 最初は「おっ」とかって思うかもしれないけど(笑)、 それはゲームじゃないよなぁ、って。 声をかけてみて、 じゃあ、なかのゲームの世界にどんな変化が起こると、 ゲームとして、遊びとして、成り立つんだろう? っていう部分で、試行錯誤が長かったですね。 結局、コミュニケーションするということは、 「中にいるヤツが自分の言ってることをわかる」ことと、 「自分に中のヤツらからなんか伝わってくる」こと。 そういうものをつくるのが、 音声を使ったゲームでの本質的に面白い部分なんじゃ ないかって思ったので、そしたらやっぱり、 こっちがなんか言ったらそれに従うだけのヤツよりも、 むこうに強い意志があって、 こちらがなにかを言っても聞いてくれない、ぐらいの 強力な個性がほしかった。 「きみが言っていることよりも、今、 自分の前にあるキノコのほうが重要だ」みたいな。 これをなんとかしたい、というピカチュウの気持ちのほうが 強いってことを優先したかったんです。 画面に向かって話しかける、という わけのわかんない行為って、 ただでさえ声を出すまでの心理的な敷居が すごく高いですよね。 そのうえ、知らないものに話しかけるってなったら、 けっこう辛いよなあ、というのが実感としてあったんで、 だったら、みんなが知ってて、 仲良くなりたいと思えるヤツであるほうが、 最初に声をかける相手として登場してくるには 適当じゃないか、と思った。 キャラクターはピカチュウで、という提案を頂いたのは、 願ってもないことでした。
一开始我真的觉得,只要喊一声它马上就出来,光是这样就很开心了。但那离沟通还差得远,只不过是输入手段的选项变多了而已。就跟按下A键后显示“现在按下了A键”一样。一开始也许会觉得“哦”(笑),但那不是游戏啊。试着喊它一声,那么游戏世界里会发生什么样的变化,才能作为游戏、作为娱乐成立呢?在这个部分上,我们反复摸索了很久。说到底,所谓沟通,就是“里面的家伙能明白自己说的话”和“自己能从中感受到里面的家伙传来的某种东西”。我觉得做出这样的东西,才是用语音做游戏时本质上有趣的部分。既然如此,比起一个你说什么它就照做的家伙,我更想要一个对方有强烈意志、就算你说什么它也不听,有那种强烈个性的角色。比如“比起你说的话,现在眼前的蘑菇更重要”这样。我想优先表现的,是皮卡丘那种“想设法解决这件事”的心情更强烈这一点。对着画面说话这种行为本来就莫名其妙,光是开口说话这道心理门槛就已经非常高了。再加上如果对象是自己不熟悉的东西,那实在挺难受的,这是我实际的感受。所以,如果是大家都认识、会让人想跟它交朋友的角色,作为第一个搭话的对象登场,不是正合适吗?有人提议角色就用皮卡丘,这对我来说是求之不得的事。
ピカチュウがゲームの中でどういう認識をするかは、 いろいろな場面場面で、変えています。 おおもとの技術的に分解していくと、 まず外にマイクがあって、装置があって、 64本体があります。 この装置を「VRS」 (=Voice Recognition System、音声認識システム) といいます。
皮卡丘在游戏里如何识别,会根据各种场景而变化。从最底层技术上拆解的话,首先外面有麦克风,有装置,然后是N64主机。这个装置叫“VRS”(=Voice Recognition System,语音识别系统)。
例えばピカチュウにキノコをとらせたい場面で 「キノコ」、と声をかけたとしますね。 VRSのなかでは、あらかじめインプットされている 「キノコ」という言葉に近い言葉かどうかの判断があって、 そのほか、音の大きさ、音の長さ、といったような情報が VRSで認識されて、ゲームのなかに送られてきます。 音声認識の結果を、64で動くゲームのなかで どういうふうに扱うかは、 ゲームの状況によって変化させています。 「ピカチュウげんきでちゅう」の場合、 そのときのピカチュウの状態にあわせて、 「いま、キノコって言ったみたいだなぁ、でも 今の状態のピカチュウは、なんか声をかけられたな っていうことぐらいしかわからないよ」 というような状況であれば、 「キノコ」という情報はもう捨てちゃって、ただ単に、 あ、声がかかったぞ、という状態にさせちゃって、 「なあに?」っていう動作をさせる、とか。
比如在想让皮卡丘采蘑菇的场景里,你喊一声“蘑菇”。VRS内部会判断这是否接近预先输入过的“蘑菇”这个词,此外,音量、音长之类的信息也会被VRS识别,然后送到游戏里。语音识别的结果在N64上运行的游戏里如何处理,会根据游戏状况而变化。在《皮卡丘你好吗》里,会配合皮卡丘当时的状态,如果处于“现在好像说了蘑菇,但以皮卡丘现在的状态,只能明白好像有人跟它搭话了”这种状况,那么“蘑菇”这个信息就直接丢掉,只让它处于“啊,有人跟我说话了”的状态,做出“什么呀?”的动作,等等。
音声認識で識別しやすい言葉と、 ひとの耳で聞いたときの、 この言葉とこの言葉は似ているっていう いわゆるダジャレっぽい言葉、 例えば「ピカチュウ」と「ギザジュウ」が似てるとか、 そういう言葉を、VRSの認識のレベルでは、 実際にそれを似てると思う場合もあれば、 すごく似てるような気がするけど きちんと違いを聞き分けられる場合もあるし、 全然違う言葉なのに、同じ言葉だと間違って 認識しちゃうことが多い言葉もあるし。 場面場面で違っているんですね。 そこはやっぱり、人の耳に鼓膜があって、 耳のなかに、つち骨、あぶみ骨とか、そんなようなものが 震えて認識しているのとはちょっと違うパターンで、 似てるとか似てないとかってのが、あったりするんです。
有些词在语音识别上容易被识别,也有的词人耳听起来会觉得这个词和那个词很像,也就是所谓谐音式的词,比如“皮卡丘”和“ギザジュウ”很像。这类词在VRS的识别层面上,有时确实会觉得像,有时虽然觉得很像但能清楚分辨出差别,还有些词明明完全不同,却经常被错误识别成同一个词。每个场景都不一样。这一点毕竟和人耳有鼓膜、耳朵里有锤骨、镫骨之类的东西振动来识别,是有点不同的模式,像或不像的情况都会出现。
ピカチュウ自身は、ひとが聞いているのと 同じ反応をするように、表現しています。 それは、聞いた言葉を どういう単語として認識できるかという、 もっと技術よりの話になるんだけど。 ひとことで言っちゃうと、 今はただ単に聞きまちがえたんだ、っていう意味で、 ピカチュウはひとと同じように行動します。
皮卡丘本身的表现,是让它做出和人听到时相同的反应。这就要说到听到的词能作为什么单词被识别出来,是更偏技术层面的话题了。一句话说,现在就是单纯听错了的意思,皮卡丘会和人一样行动。
ただ、その「聞きまちがいかた」が、 もしかしたら、ひととは違うんじゃないかなぁ。 それはまあ、よくわからないへんな生き物だから、 そういうことでいいんじゃないかなぁ(笑)。 カラスとかが微妙に鳴き分けていたりするのも、 ひとから聞いたら、ただ「カア」としか聞こえないけど、 カラスにしたら、きっと何パターンかあったりして、 合図とか鳴き分けて送ってたりする、っていうのと一緒で。 そういうふうに、 誤認識はしやすい、誤認識は起こりうるもんだ、 ということを前提に、つくってます。 これが、こういうゲームの特徴なんじゃないか、と 思っていますね。
不过,那种“听错的方式”说不定和人不一样。毕竟它是种不太搞得清楚的奇怪生物,这样也挺好吧(笑)。乌鸦之类会微妙地变换叫声,从人听来只是“呱”的一声,但对乌鸦来说肯定有好几种模式,会通过区分叫声来发送信号之类的,和这是一回事。我们就是在这种前提下制作的:容易误识别,误识别是可能发生的。我觉得这正是这类游戏的特点。
ピカチュウに意味のわかる言葉として 200〜300くらいは入れてあると思うんですけれども。 このゲームの世界観として、 これぐらいの言葉を聞き分けられるといいだろうな、 と思って入れたのが たまたまそれくらいの数だったっていうだけで、 音声認識の技術的には、まだまだもっともっと いくらでも増やせるし、 だからその数自体にはたいした意味はないですね。 どうしても、今、このケースでは 「ニンジン」っていう言葉を聞き分けてほしい、という 場面のパターン数として、このゲームの場合、 そのくらいの数だったということです。
作为皮卡丘能听懂意思的词,我想大概放进了200到300个。作为这个游戏的世界观,我们觉得能分辨这么多词就好了,于是放进去,结果碰巧是这个数量,从语音识别的技术上说,还能再多加很多很多,所以这个数字本身没什么大意义。只是在这个游戏里,像“现在这个情况下希望它分辨出‘胡萝卜’这个词”这样的场景模式数,恰好是这么多而已。
コミュニケーションって、どんどん深くなればなるほど 特に言葉の意味とかはどうでもよくなっていくかなぁ、 って、ぼく自身は思うんですけどね。 ひととでも、そうでしょ。 よく、「あぁ」とか「ん」とか、こう、 適当ですよね(笑)。 どっちかっていうと、意味よりも「間」とか、 そういうほうが、コミュニケーションには 重要じゃないかなぁという気がしますね。 ピカチュウともそうだし、そうじゃなくても、 猫とでも犬とでも、人とでも、ほんと、そうかなぁ。
沟通这东西,越深入,尤其是词的意思之类就越变得无所谓了吧,我自己是这么想的。和人之间不也是这样吗。经常就是“啊”“嗯”这样,很随便(笑)。与其说意思,不如说“停顿”之类的,对沟通来说更重要吧。和皮卡丘是这样,就算不是皮卡丘,和猫也好狗也好,和人也好,真的,大概都是这样。
でも、それはあくまでぼくにとっての理解。 たとえ同じことをしてたとしても、 遊んでるひとによってその捉え方は変わってくるから。 実際、ぼくと内山さん(※このインタビューに 同席してくれたマリーガルのアンブレラ担当マネージャー) とでは、同じピカチュウをみているときでも 違う捉え方をしているし、 それは見ている人の持つバックグラウンドの違いから くるのだろうし、また、ゲームのなかのピカチュウに いろいろな側面があるから、でもあるし。
不过,这终究只是我自己的理解。就算做同样的事,每个玩的人理解方式也会不同。实际上,我和内山先生(※本次采访同席的Marigul的Ambrella担当经理)即使看着同一只皮卡丘,理解方式也不一样,这大概来自观看者背景的差异,也因为游戏里的皮卡丘有各种各样的侧面。
自分で持ってるのには 「こいつがぼくのピカチュウ」っていう意識はありますよ。 家にそういうのがいて、会社にもいるし、 テレビでみたり、誰かが遊んでたり、 どこかに飾られていたりするのを見ると、 「あ、うちのヤツの仲間だな」って、思います。 「あぁ、あんなところにもいるなぁ」って(笑)。
我自己养的那只,会有“这家伙是我的皮卡丘”这种意识。家里有一只,公司里也有,在电视上看到、别人在玩、或者在哪里摆着的时候,就会想“啊,是我家那家伙的同伴啊”。“啊,那种地方也有啊”(笑)。
(内山さん) ぼくもそうですね。 ピカチュウ自身を理解しているので(笑)。 勝手にですけど。 あぁ、こいつ、こういうことだろうなぁ、とか思って。 だから会話はすごく少ないですよ。ぼくは。 「ピカ」、「はい」、「そうね」、なんて。 Zボタンを押してしゃべってるときよりも、 離してずっと独り言でしゃべってるほうが多い。 ずうっと触ってきたソフトだし、 ヤツとの付き合いも長いですから、 今日もそのへんにヤツがいる感じってありますよ。 ちょっとそこに静かに座っておとなしくしてろよ、 っていうような(笑)。 お、静かにしてるなぁと思ったら、いつのまにか そのへん(マリーガルの庭)で くるくる走り回ってたりするんですよ。 そのうち飽きて、部屋の隅でティッシュをまいてたり、ね。
(内山)我也是这样。因为我理解皮卡丘本身(笑)。虽然是我自作主张。会想着,啊,这家伙大概是这么回事吧。所以我跟它的对话非常少。「皮卡」、「嗯」、「是啊」之类的。比起按Z按钮跟它说话,松开按钮一直自言自语的时候更多。毕竟是我一直摸过来的软件,跟那家伙的交情也很长了,今天也感觉它就在那一带。就像是在说,你给我安静地坐在那儿老实待着(笑)。哦,正想着它挺安静的呢,不知什么时候它就在那一带(Marigul的院子)转来转去地跑起来了。过一会儿腻了,就在房间角落里卷纸巾玩,之类的。
「コミュニケーションって深くなればなるほど、 言葉の持つ意味よりも、間とか呼吸のほうが大事に なってきますよね」と語るアンブレラの小澤宗明さん。 連載第3回目はこのゲームを通して「遊び方」を 話してくれました。ピカチュウが答えてくれたときは 最高に嬉しかったんですって。
「沟通越是深入,比起语言所承载的意义,停顿和呼吸反而更重要」——Ambrella的小泽宗明这样说道。连载第3回,他通过这款游戏谈了「玩法」。据说皮卡丘回应他的时候,他高兴极了。
(第3回之3)「这不是一款以推进为目的的游戏」
キャラクターにピカチュウを使うと決めるまでは サカナの顔をしたひととか(笑)、妖精とか、 女の子とか、ロボットなんかをおいていたこともあります。 いろいろなタイプの音声認識ゲームをつくってみたし、 いろいろなキャラクターを登場させてもみました。
在决定用皮卡丘作为角色之前,也放过鱼脸的人(笑)、妖精、女孩子、机器人之类的。我们试做过各种类型的语音识别游戏,也让各种角色登场过。
最終的にはピカチュウを選択したわけですが、 ピカチュウ、って呼びかけたときに 「ピカッ」って気づいてくれるようにするのに いちばん時間がかかったし、そこにいくまでが大変でした。 ピカチュウの動作をずっと作り続けていて、 それとは別に、声をかけたら反応するプログラムを作って。 そのふたつを組み合わせて、 「ピカチュウ」って言ったときに、実際に 「ピカ」って反応したときの嬉しさは、 すごかったですね。
最终选择了皮卡丘,但要让它在被叫「皮卡丘」时「皮卡」一声注意到你,是最花时间的,走到那一步之前很不容易。我们一直在做皮卡丘的动作,另外又做了被搭话就做出反应的程序。把这两者组合起来,说「皮卡丘」的时候它真的「皮卡」一声回应了,那一刻的喜悦真是不得了。
テクニカルに言うと、 そんなに大変というものではないんです。 それは、例えば「吉祥寺」って言ったときに、 地図の上の吉祥寺のランプがぴかっと光るっていうのと 技術的にそう変わるものではないんですけれども、 そのときに、こう、かわいいピカチュウがいて、 「なんだい?」っていう顔をしてこちらに聞き返してくる、 そのことを自分が嬉しいと思えるかどうか、 そういうピカチュウが作れるか、っていうあたりが、 難しいところでした。
从技术上说,并没有那么难。比如说,说「吉祥寺」的时候,地图上吉祥寺的灯啪地亮起来,这跟那件事在技术上并没有多大区别。但那个时候,有一只可爱的皮卡丘在,它露出「怎么了?」的表情回头问你——自己能不能为此感到高兴,能不能做出这样的皮卡丘,这附近才是困难的地方。
ピカチュウのいろんな仕草については、 プログラマーとデザイナーとの合作ですね。 プログラマーに 「こういうときはピカチュウが こっち向いてて欲しいよね」って、 いわば気軽な(笑)発言をすると、 プログラマーもそうだよね、って思ってくれて、 一生懸命仕事する、という関係です。
皮卡丘的各种动作,是程序员和设计师的合作。跟程序员说「这种时候希望皮卡丘朝着这边看」,可以说是随口一说(笑),程序员也觉得是啊,于是拼命干活,就是这样的关系。
「ここんとこ、もうちょっと上を見てほしいねぇ」とか、 そういう微調整については、 みんなで話しながら決めていきました。 作ってるひとのまわりにみんなが集まって。 何かがちょっと変わると楽しいでしょ、 だからみんなが見に来ては、 じゃあこれはこうしてここはこうして、なんて言いながら 作っていくという状態ですかね。
「这里希望它再稍微往上看一点」之类的微调,是大家一起商量着决定的。大家聚在做的人周围。稍微有点变化就很有趣嘛,所以大家都来看,一边说着那这个这样弄、这里这样弄,一边做下去,大概就是这种状态。
もちろん、最初に全部を見通せてるひとがいて、 ここの仕様はこうで、っていって パーッと作れちゃえば効率はいいんでしょうけど、 なかなかそこまで優れたひとはいない(笑)から、 やっぱり作りながら、この辺はもうちょっとこうしようか、 とかって付け足していく感じですかね。
当然,如果一开始就有个人能看透全部,说这里的规格是这样,然后唰地一下做出来,效率应该会很好,但那么优秀的人不太有(笑),所以还是边做边补充,这里再稍微这样弄吧,大概是这种感觉。
食べ物を見つけて、食べて寝る(笑)。 これがピカチュウの最初の基本パターンでした。 次の段階ではブラブラ歩き回って、食べ物を見つけて、 食べて、寝る。 食べ物がなかったら、ちょっと探してみるとか、 木の上にあったら穫ろうとしてみて、失敗して、 助けを求めてまわりを見るとか、 そういうようなパターンを付け加えていって、 ピカチュウの行動が増えていきました。
找到食物,吃掉,睡觉(笑)。这是皮卡丘最初的基本模式。到了下一个阶段,就是溜达着走来走去,找到食物,吃掉,睡觉。如果没有食物,就稍微找一找;如果在树上,就试着去摘,失败了,就环顾四周求助——像这样把模式一点点加上去,皮卡丘的行动就增多了。
開発上とくに苦労した部分というものは、ないです。 プログラム上の苦労とか、デザインの上でのことならね。 例えば、ハードウェアが限定されている以上 色数はこれくらいじゃなきゃいけない、といったことで それは何を作るにしてもついて回ってくる苦労だから。 ピカチュウと付きあっていくのがイヤになってしまって、 もうこいつの顔を見たくもない(笑)、とか そういう苦労があったわけじゃないんで。 もっともっとこいつになんかさせてみたい、って感じで、 出来上がるほんとに直前までチョコチョコやってたし、 むしろ、いろいろ出来るのはわかったから、 いったいそれはどうまとまるんだい?(笑)っていう 状態が長かったです。
开发上特别辛苦的部分,倒是没有。要说程序上的辛苦,或者设计上的事情,那倒是有。比如,既然硬件是有限的,颜色数就必须控制在这个程度,这种事不管做什么游戏都会跟着来。并不是说和皮卡丘相处到厌烦了,连它的脸都不想再看到(笑),并没有这样的辛苦。反而是想让它做更多更多的事情,直到完成之前真的都还在一点点地调整,倒不如说,因为知道它能做各种各样的事,所以很长一段时间都处于一种“那到底要怎么把它整合起来呢?”(笑)的状态。
発売される3ヶ月前のこと、つまり、 マスターが出来てなければいけない2ヶ月前の段階で、 任天堂に見せにいったときには、 アイテムがずらっと並んでるなかで、 ピカチュウは、なんだかもう、 ただ迷ってるだけだった(笑)。 これが年末までに完成することはないよなーって顔で みんなが見ていて、でもぼくたちは 「いや、出来るんですよ」とかって言いながら。 あれを見たら、誰も絶対に出来るとは思わないですよ。 9月頃でもまだそんな状態だったんですが、 そこから2ヶ月間で完成させる自信が、 少なくともうちのプログラマーにはありました。 でも、デザイナーなんかは、 内心ちょっと心配だったと思います(笑)。
在发售前3个月,也就是本该完成母盘的2个月前那个阶段,拿去给任天堂看的时候,在一排排道具当中,皮卡丘不知怎么的,只是在那儿迷茫地徘徊而已(笑)。大家看着它,脸上都写着“这东西到年底前完不成吧”,可我们却说着“不,能完成的”。看到那个样子,谁都不会觉得绝对能完成。9月左右还是那种状态,但从那时起用2个月完成它的自信,至少我们家的程序员是有的。不过,设计师们心里大概还是有点担心的(笑)。
(内山さん) そのときは僕も一緒に京都に行ったんですけど、 まあ、誰も出来るとは思わなかったでしょうね。 でも、自分達では出来ると思ってました。 というか、思い込もうとしてました(笑)。
(内山先生)那时候我也一起去了京都,不过,大概谁都不觉得能完成吧。但是,我们自己觉得能完成。或者说,是在努力让自己这么相信(笑)。
今思うと、未経験の強みだったのかもしれませんけど、 無理だと思ったらできるものもできなくなるし、 何も「ゼルダ」を作っているわけじゃないんだから、と。 半ば無理やりそう思い込もうとしていたかもしれません。 つまり、そのくらい「ゼルダ」はスペシャルなゲームです。 RPGだから、何だから、といったジャンルを越えてね。 でも、「ゼルダ」も「ピカチュウげんきでちゅう」も 似ているところはあるんじゃないかと思っています。 ゼルダを作ったひとには怒られるかもしれませんが、 「一応おしまいまでのストーリーは作りましたけど、 せっかく遊べる空間を作ったので、いろいろ試してみると おもしろいことがあるんですよー」って、 ゲームの側から言ってますよね。 プレイヤーに対して、開いている、と思うんです。 一日中、馬に乗っていてもいいんだよっていうのと、 一日中ピカチュウを眺めているだけでいいんだ っていうのは同じ思想を持っているのかな、って(笑)。
现在想来,这或许是没有经验带来的优势,但一旦觉得做不到,本来能做到的也会变得做不到,而且我们又不是在做《塞尔达》。也许当时是半强迫地让自己这么相信的。也就是说,《塞尔达》就是如此特别的一款游戏。它超越了RPG之类的类型划分。不过,我觉得《塞尔达》和《皮卡丘你好吗》也有相似之处。做《塞尔达》的人听了可能会生气,但它确实从游戏那一侧在说:“虽然我们姑且做了一个直到结局的故事,但既然做出了一个可以游玩的空间,试着做各种事情就会发现有意思的事情哦。”我觉得它对玩家是开放的。一整天骑着马也可以,和一整天只是看着皮卡丘也可以,这两种想法大概有着同样的思想吧(笑)。
もちろん、本気であの「ゼルダ」と 「ピカチュウげんきでちゅう」を 同じ土俵に乗っけるつもりはありませんよ。 ストーリーの占める割合がべらぼうに違うわけで その辺を無視して言わせてもらえれば、なんですけども。
当然,我并不是真的打算把那个《塞尔达》和《皮卡丘你好吗》放在同一个层面上。故事所占的比重差得离谱,如果无视这一点来说的话,才是这样。
この「ピカチュウげんきでちゅう」も いろいろな遊び方があるんです、というか、 何やってもいいんですよ。 でも、ぼくらからそう言い放ってしまうと、 元も子もないんでね、 そこをちゃんと伝えるのって難しいなぁって思う。 今でも考えています。
这款《皮卡丘你好吗》也有很多种玩法,或者说,做什么都可以。可是,如果我们自己就这么把话说死,那就全都成了泡影,所以我觉得要好好把这一点传达出去真的很难。现在也还在想。
(再び小澤さん) ゲームを進めることが目的のゲームではないんですね。 一日中、ずっと同じところにいてもいいんです。 花に水をやり続けていてもいいし、 一日中ピカチュウと一緒に走り回っていてもいいし、 一緒にイチゴを集めて回っていてもいいんだし、 ただ、ピカチュウがやっていることを ぼーっと見ているのでもいいんだし。 ピカチュウの一日の過ごし方はいろいろであっていいし、 自分の遊び方もいろいろあるっていうことなんですね。 プレイヤーがうまくやろうと思っても、 ピカチュウが気軽に失敗してはひどいことするんで(笑)、 こっちもだらだらと適当に、ね。 うまくやらなくてもいいんですから。 喜んでるピカチュウも見たければ、 悔しがってるピカチュウも見たいから。 ただ、上手になにかをやってるばっかりだと、 単調な毎日になっちゃって、 それはそれで寂しいんじゃないか、って思います。 いろいろやってみて、うまくいったり、失敗したり、 怒らせたり、そういうのがいいんだと思うから。 何かが穫れなかったり、うまく出来なくっても、 後からいくらでも取り返しがつくから、大丈夫です。 RPGみたいにフラグが立っちゃって、 そのときを逃すともう二度と見ることができない、 というものではないから。
(再次回到小泽先生)这不是一款以推进游戏为目的的游戏。一整天一直待在同一个地方也可以。一直给花浇水也可以,一整天和皮卡丘一起跑来跑去也可以,一起到处收集草莓也可以,只是呆呆地看着皮卡丘在做的事情也可以。皮卡丘一天怎么过可以有很多种,自己的玩法也可以有很多种。就算玩家想好好做,皮卡丘也会轻轻松松失败、把事情搞砸(笑),所以我们这边也就懒懒散散、随随便便,对吧。不用做得好。因为既想看到开心的皮卡丘,也想看到不甘心的皮卡丘。只是,如果总是很擅长地做着什么,每天就会变得单调,那样不也很寂寞吗。我觉得各种事情都试试,有顺利的,有失败的,有惹它生气的,这样才好。就算有什么没收获到,或者没做好,之后随时都能补救,所以没关系。它不像RPG那样触发了事件标志,错过了那个时点就再也看不到了。
ゲームの終わりっていう考え方が、ないんです。 終わりは、ないですね。 いつまででも遊んでいてほしいし、遊べるし。 2年とか3年とかたって、久しぶりに会ってみるかな、 ああ、やっぱりこいつは変わってないな(笑)って そんなふうにつきあってもらえたら、嬉しい。
没有游戏结束这个概念。没有结束。希望玩家一直玩下去,也能一直玩下去。过了2年、3年,想着久违地见一面吧,啊,这家伙果然还是没变啊(笑),如果能这样和它相处下去,我会很高兴。
基本的に、こう、起承転結がピシッとしたものを 考えていた時期もあったんですが、 このゲームの場合、ストーリーが強くありすぎると、 そのストーリーに応じたピカチュウの個性は 表現できるけれど、ストーリーが終わってしまったら ほんとにピタッと終わっちゃって、 違うピカチュウになっちゃう。 それがいやだったらゲームを終わりにしてしまうしかない。 それって違うんじゃないかな、と思った。 遊びに行くのに一緒に連れていって、みたいな感覚で 作りたかったんですね。 ストーリーの展開に応じて 器用に振る舞うピカチュウじゃなくて、 どんな場面でも 「ピカってば、勝手な行動をとるよなぁ」っていう クセのある性格に設定してあるのは このゲームのピカチュウの特徴だと思います。
基本上,也曾经有过一段时期,想的是起承转合都清清楚楚的东西,但这款游戏如果故事性太强,虽然能表现出与那个故事相应的皮卡丘个性,可故事一结束,就真的戛然而止,变成另一只皮卡丘了。如果不喜欢那样,就只能让游戏结束。我觉得那不对。我想做的是那种感觉,就像去玩的时候把它一起带上一样。不是根据故事展开而机灵行事的皮卡丘,而是无论在什么场合都会让人觉得“皮卡这家伙,老是自作主张啊”的那种有怪癖的性格,我想这就是这款游戏里皮卡丘的特征。
仕掛けという意味じゃなく、 こういうこともして遊べるよっていうのがあって、 実際、いろんなひとが、 そのひとそのひとで違う遊び方をしているから、 見ていて、あ、ぼくもそれやってみよう、と思うんですよ。 買ってきたゲームって、 自分と家族と数人の友達ぐらいとしか一緒にやらないから、 だんだん遊び方が固定してきちゃって、 こんなことも出来るんだってコトに気づかないですよね、 それってもったいないなぁ、って思うんです。
不是指机关设计,而是有“这种事也可以做来玩哦”这样的东西,实际上,各种各样的人都各有各的玩法,所以看着看着就会想,啊,我也试试那个吧。买来的游戏,通常只和自己、家人以及几个朋友一起玩,所以玩法会逐渐固定下来,注意不到原来还能做这种事,我觉得那样很可惜。
「ピカチュウげんきでちゅう」をつくった アンブレラの小澤宗明さんへのインタビューも、 回を重ねて第4回目。今回は、子供たちと ピカチュウとの触れあいについて話していただきます。 開発のときに協力してくれた子供たちからも、 たくさん気づかせてもらうことがあったそうです。
制作了《皮卡丘你好吗》的Ambrella的小泽宗明先生的采访,也已经连载到第4回了。这次,我们将请他谈谈孩子们与皮卡丘的接触。据说在开发时协助他们的孩子们,也让他们注意到了很多事情。
(第3回的4)「总之,请试着到处去搭话看看」
ゲームをつくるときにイメージしていたのは 小学校低学年くらいの子供たちでした。 でも実際は思っていたよりも、もっと小さい子も多かった。 幼稚園に入るか入んないかくらいの子供がね、 大人が聞いても、何しゃべっているのかわかんないような ちいさい子供さんも、たくさん遊んでいるようです。
制作游戏时脑海中设想的,是小学低年级左右的孩子。但实际上,比预想的更小的孩子也很多。连是否上幼儿园都还说不准的孩子,大人听了也听不懂在说什么的小小孩,似乎也有很多在玩。
ピカチュウかわいい!って思える子供だったら、 十分遊べるんですよね。 自分でなんか声をかけて、 それに対して思ったとおりの反応ではないにしても 何かつながっているんだな、と思えさえすれば、 コミュニケーションは成立するんだよなぁと思いましたね。
只要是觉得皮卡丘好可爱的孩子,就足够玩了。自己主动说点什么,即使对方的反应不如预期,只要觉得彼此之间有所联系,交流就成立了。我深切地感受到这一点。
自分たち自身が面白いものを目指したんだけれど、 もちろん子供は遊ぶだろうって思ったから 子供向けの配慮もしたし、 これが初めて遊ぶゲームになる子供たちも いっぱいいるだろうから、 簡単な操作から序々に 難しい操作が増えていくようにしたり。 そういう工夫やアレンジは、してあります。 でも、ベースとなったのは、 自分たちがコンピューターのなかにいた生き物と コミュニケーションできて、わぁ、おもしろい、 っていう感覚。 きみたちも遊んでみて、っていう感じですね。 子供向けだからこういうゲームでいい、じゃなくてね。
我们自己是以做出有趣的东西为目标,当然也认为孩子们会玩,所以也做了面向孩子的考虑。很多孩子可能是第一次玩这款游戏,因此我们设计了从简单操作逐渐增加难度的方式。这样的巧思和调整我们都做了。但基础是,我们自己能与电脑中的生物交流,觉得哇,好有趣,这种感觉。就是「你们也来玩玩看」的感觉。并不是因为面向孩子,所以做成这样的游戏就好。
音声認識の初期の技術的な実験で 子供たちに協力してもらったことがあって。 何人かに遊んでもらっているうちに 自分では忘れていた感覚を思い出したりして それがよい刺激になったので、それからは ゲームがちょっと出来るたびに子供を呼んで どういうふうに遊んでるかなぁ、 って見るようにしました。 自分たちが隠しておいたような遊び方まで、 ちゃんと見つけてくれるのが嬉しかったです。
在语音识别的初期技术实验中,我们曾请孩子们协助。在让几个人玩的过程中,自己想起了已经遗忘的感觉,这成了很好的刺激。从那以后,每当游戏稍微成形,就会叫孩子来,看看他们会怎么玩。他们甚至能发现我们自己藏起来的玩法,这让我很高兴。
たまたま、「花に水をやると少しずつ大きく育つ」 という遊びを作っていたときのことです。 そのときは花が水をかけられるたびに際限なくどこまでも 大きくなるという仕様に、暫定的にしていたんです。 とにかく、育つってことがどれくらい面白いかを 試してみたくて、 育った結果どうなるという部分までは つくっていなかったのですが、 それが、子供たちに遊んでもらってて、 しばらくしてみてみたら、 すんごい巨大なものをつくって、喜んでたんですね。 ずぅっと水をかけ続けてたんですよ。 水をやり続けるといいよ、って教えたわけじゃないのに これってどこまで大きくなるのかなあ、って みんなで話しはじめてて。
碰巧在做「给花浇水就会一点点长大」这个玩法的时候。当时暂时设定为花每次被浇水就会无限地越长越大。总之,我们想试试「成长」这件事到底有多有趣,还没有做成长之后会怎样这部分。但让孩子们玩了之后,过一会儿去看,他们做出了一个超级巨大的东西,非常高兴。他们一直在不停地浇水。我们并没有教他们一直浇水就好,但他们却开始一起讨论这到底能长到多大。
小学校の3年、4年生くらいかなぁ。 友達どうし何人かで来てくれてたんだけど、 こうしてみようよとか、回してみたら?とか。 ちゃんと相談しながら、遊んでくれてた。 そうすると、いろんなとこに気づいてくんですよね。 面白かったですね。
大概是小学三、四年级吧。几个朋友一起来,会说「这样试试吧」或者「转一下看看?」。他们一边好好商量一边玩。这样一来,他们就会注意到各种地方。真有趣。
作る側としては、そんなことやったって、 こんなの誰もわかりゃしねえよ、とか言いながら(笑)、 そんなの無駄だよとかいう声もありながら、 でも気づいてくれたら嬉しいじゃん、っていって あちこちにいろんなもん隠したりしていたので。 面白いと思ってあちこち遊んでくれていると、 そのうち見つかるものとか、ありますから。
作为制作者,一边说着「就算做那种事,谁也不会注意到啦」(笑),也有声音说「那种东西没用的」,但一边又说「不过如果被发现了会很高兴嘛」,于是在各处隐藏了各种东西。如果觉得有趣而到处玩,总有一天会发现一些东西的。
ある子供に聞いたんだけど、 その子は一日に500回ぐらい声かけてるんですって。 今日はたくさん声をかけたから1000増えたとか、 気軽にすさまじい数字を言ってる(笑)。 知り合いの子供なんですけどね。 今日は70匹釣りましたとかって(笑)。 遊び続けられるんですよね、彼らって。 「もっと仲良くなりまちゅう」とか、言ってます(笑)。
听某个孩子说,他一天大概会搭话500次。今天搭了很多次话所以增加了1000,随口就说出惊人的数字(笑)。是我认识的孩子。还会说今天钓了70只(笑)。他们能一直玩下去呢。「要变得更加要好啦」之类的,说着这样的话(笑)。
ここで「ほぼ日」のために秘密の隠しネタを公開、ですか? 意識してゲームに隠しネタを入れたってのはないんです。 いつのまにかプログラマーが組み込んじゃったとか(笑)、 デザイナーが仕掛けちゃったとか(笑)、 そういうのはいっぱいあるけど。 そこをつくったひとじゃないとわかんないのが いっぱいあるんですけど、 う〜ん、何がいいかなぁ。
在这里要公开一些为「ほぼ日」准备的秘密隐藏内容吗?其实我们并没有刻意在游戏里加入隐藏内容。不知不觉间程序员就把它编进去了(笑),设计师也搞了些小机关(笑),这种事有很多。有很多东西不是做那个部分的人根本看不出来,嗯,选什么好呢。
「声をかけると回る」ものが あちこちにありますけど、それなんかどうですか? 家の中だと、回るものは4つくらいあるのかな。 外に出たらもっといっぱいあります。 声をかけると、なぜか声の音波に反応するっていうのか、 風に反応するっていうのか、なんかよくわかんないけど、 いろんなものがくるくる回るんですよ。 ゲームと関係のない世界で。 一時あんまり回しすぎて、「バグです」とかって 言われちゃって。「木の枝が回ります」って(笑)。 「いや、それは回してるんです」ってお答えしたんですが。
「一打招呼就会转」的东西到处都是,那个怎么样?在屋子里的话,会转的东西大概有4个吧。到外面就更多了。一打招呼,不知是反应声音的声波,还是反应风,反正搞不太清楚,各种各样的东西都会滴溜溜地转。在跟游戏无关的世界里。有一阵子转得太多,被人说「这是bug」。说「树枝会转」(笑)。我回答说「不,那是我们让它转的」。
回したのは山中君、デザイナー、ですね。 プログラムとして、もともと 「声をかけると回る」っていうものを 仕掛けとして用意してたんです。 例えば、花びらがくるっと回るように、とか。 デザインするとき、ある特定の名前をつけておくと、 プログラムでその名前をチェックして、 そこをくるくる回すっていうふうにしておいたら、 いつのまにか、あっちこっちに意味もなく その名前が埋め込まれてた(笑)。
让它转的是山中君,设计师。作为程序,原本就准备了「一打招呼就会转」这样的机关。比如让花瓣滴溜溜地转之类的。设计的时候,只要起一个特定的名字,程序就会检查那个名字,然后让那里滴溜溜地转,结果不知不觉间,那个名字就被毫无意义地埋得到处都是(笑)。
時計の針が回ったときには、さすがにみんなで 「あぁ、回ってる回ってる」って(笑)。 あれ、もちろんふだんは停止しているんです。 「ピカチュウおはよう」って声をかけると なぜかうしろの時計の針がクルクルクル〜。 「おやすみなさい」っていうとクルクルクル〜(笑)。
时钟的指针转起来的时候,大家果然都「啊,转了转了」(笑)。那个,平时当然是停着的。一打招呼说「皮卡丘早上好」,不知为何后面的时钟指针就滴溜溜溜~。说「晚安」也滴溜溜溜~(笑)。
ずいぶん減らしたつもりだけど、どうだろう? 気づかずにまだ回ってるのも、 いっぱいあるんじゃないのかな。 声をかけないとわかんないけど、実は回るってもんが。
我觉得已经删掉相当多了,怎么样呢?说不定还有不少没被注意到、还在转的。不打招呼就不知道,其实会转的东西。
(内山さん) あと、部屋に、ベッドがあって、ラジカセがあって、 窓があるんですけど、その窓の外の景色をみながら 「ピカチュウ」とかって呼ぶと、ハエが飛ぶ(笑)。 これ、めちゃめちゃ小ネタですよ。 あんまりにもくだらないんで、 雑誌にも出せねえよ、って言ってたやつですけど、 いいんですか(笑)こんなんで?
(内山先生)还有,房间里有一张床,有一台收录机,有一扇窗,一边看着窗外的景色一边喊「皮卡丘」之类的,就会有苍蝇飞(笑)。这个,可是超级小的段子哦。因为实在太无聊了,之前还说这玩意儿没法登杂志,真的可以吗(笑)这种东西?
ピカチュウが朝起きるでしょ。 部屋のなかにいるときに、ベッドがあって、 その横にラジカセがあって、で、本棚があるんですけど、 そのラジカセの向こう側がちょうど窓になっていて、 きれいな山並みが見えるんです。 窓の外でもみながら一声かけると、 ブ〜〜〜〜ンって、ハエが飛びます(笑)。 これは、すっごい小ネタだよね(笑)。
皮卡丘早上会起床吧。在房间里的时候,有一张床,旁边有一台收录机,然后有个书架,收录机的那一边正好是窗户,能看到漂亮的山峦。一边看着窗外一边喊一声,就嗡~~~~地,苍蝇飞起来(笑)。这个,是超级小的段子呢(笑)。
うちの橋本(※「ブーメラン世界大会への道」にも 登場する「てつ」こと、マリーガルの橋本さん)が、 いとこの家の地元では 「ピカチュウのうまいおじちゃん」って呼ばれていて、 甥っ子とかにやって見せてるらしいんですよ。 おっちゃん、うまく釣れへんねん、って言われると、 おっちゃんの前でやってみ、っていって やらせるんですって。 で、甥っ子が 「ピカチュウ! ひっぱれ〜! ひっぱれ〜! がんばれ〜! がんばれ〜! ひっぱれ〜!」って叫んでるのを、 おっちゃんに貸してみ、っていって 「・・・(低い声で)ひっぱれ」「・・・ひっぱれ」って。 そしたら釣れるんですよ。 それを見た甥っ子が、それから釣りのときには おっちゃんの声をまねて、わざとひっくいおっさんの声で 「・・・ひっぱれ」「・・・ひっぱれ」って。
我们这里的桥本(※在「通往回旋镖世界大赛之路」中也登场过的「铁」,即Marigul的桥本先生),在他表亲家那一带,被叫做「皮卡丘钓得好的大叔」,好像还会在外甥们面前表演。被说大叔你钓不上来啊,他就说你在大叔面前试试,让对方来钓。然后外甥喊着「皮卡丘!拉呀~!拉呀~!加油~!加油~!拉呀~!」,他就说借给大叔试试,然后「……(低声)拉」「……拉」。结果就钓上来了。看到这一幕的外甥,从那以后钓鱼的时候就会模仿大叔的声音,故意用低沉的大叔嗓「……拉」「……拉」。
ようするにあれってタイミングの問題で、 ピカチュウ自身はフルパワーで釣り上げようとしてて、 ガーッとやってるときに、ピカチュウピカチュウ! って いくら言ったって、聞きゃしないですよ(笑)。 わかっとるっちゅーに、っていう状態なんで。 「今だよ」って感じで冷静に、「ひっぱれ」って 普通に言ってあげたほうがいいんですよ。 ふつうの釣りだったら、タモ網を出せる状態のときに、 タモ網がわりに「ひっぱれ」っていうことなんですよ。
总之那个就是时机的问题,皮卡丘自己正全力想把鱼钓上来,在它使劲拉的时候,不管你说多少皮卡丘皮卡丘!它都听不进去(笑)。正是「我知道啦」的状态。要用「就是现在」的感觉冷静地、普通地对它说「拉」比较好。如果是普通的钓鱼,就是在能拿出抄网的时候,用「拉」来代替抄网。
(再び小澤さん) 釣りのときに、ピカチュウにお弁当あげるっていうのも、 わりと知られてないネタですよね。 ピカチュウが釣ってるときに「はい、お弁当」っていうと、 ちょこちょこちょこってやってきて、受け取ります。
(再次是小泽先生)钓鱼的时候给皮卡丘便当,也是比较不为人知的段子呢。皮卡丘在钓鱼的时候,只要对它说「来,便当」,它就会小跑小跑地过来,接过去。
あ、ルビーですか? ルビーとかあのへんは、ただのルビーなんですよ(笑)。 そのルビーをどこかに持っていくと 「なんとかのルビー」に進化する、とか、 なんとかの剣にはめるとか(笑)、 そういういわゆる「アイテム」ではありません。 ルビーが手に入ったってこと自体が嬉しい、ということ。
啊,红宝石吗?红宝石那一带的东西,就只是普通的红宝石而已(笑)。把那个红宝石带到某个地方就会进化成「某某红宝石」,或者嵌进某某剑里(笑),它并不是那种所谓的「道具」。得到红宝石这件事本身就已经让人高兴了,就是这样。
こうして作っていくと、 「手触り」っていうことも、考えますよ。 そこまではまだ表現できていないのが、 今のコンピューターの悔しい部分でもあるんですけど。
这样做着做着,也会去考虑「手感」这件事。不过目前还表现不到那一步,这也是现在的电脑让人不甘心的地方。
せっかくそこにいるのに、声も通じるようになったのに、 でも、撫でられない。 なんとか撫でてみたいって思って いろいろ考えてみたりもしたんだけど、 かえって、他の部分が自然に出来ているだけに、 撫でるときだけ、画面に指先のへんなのが動いてるっていう ギャップがかえって悲しかったりしてね。 それはやっぱり、架空すぎる。疑似体験なんですね。 こんな感じかなと思って満足してるだけのような気もして。
明明就在那里,声音也能传达到了,可是却摸不到。我也想过能不能想办法摸一摸,于是琢磨了各种办法,但反而因为其他部分都做得很自然,唯独摸的时候画面上指尖有个奇怪的东西在动,这种落差反而让人觉得有点悲哀。那果然还是太虚构了,只是种模拟体验。感觉上也只是觉得「大概是这种感觉吧」就满足了。
でも、子どもってやっぱり、 さわれるもんだったら さわりたいんじゃないかなぁ。 だから、画面にも張りついちゃうんだし。 なんか出来たらいいなぁって、 思いますけれども。 声をかけて通じ合えたら、 次は触った感じも欲しいし、 その次は匂いもしなきゃ、とかね(笑)、 やっぱり、そういう方向を 考えるのは自然だと思う。 それがいい方向かどうかは わからないですけれども。
不过,小孩子嘛,如果是能摸的东西,大概还是想摸的吧。所以他们才会贴在画面上。我倒是觉得,要是能做出点什么就好了。如果搭话能沟通,接下来就会想要触摸的感觉,再接下来还得有气味才行(笑),果然,往这个方向去想是很自然的。虽然不知道那是不是个好方向。
仲良くなること、 コミュニケーションをとるということを テーマとしてみると、 そういうゲームは増えていくと 思いますし、増えていってほしいですね。
如果把变得亲近、进行交流当作主题来看,这样的游戏我想会越来越多,也希望它们越来越多。
声をつかうことは、 やってみて面白かったなあ、って みんな思ってくれると思う。 単純にコミュニケーションのツールとして、 コミュニケーションをとる手段として 今回これを使ったけれども、そうではなくて、 ほんとに入力装置のひとつとしても ずいぶんと楽しいし、便利なものだから。
使用声音这件事,试过之后大家应该都会觉得有意思。这次虽然只是单纯把它当作交流的工具、交流的手段来用,但它并不止于此,真的作为输入装置之一也相当有趣、相当方便。
しかも、コントローラーで両手を使いながら、 声で違う入力が自然にできるっていうことは、 入力のバリエーションが簡単に増やせるということで、 既存のゲームにそのままプラスアルファとして 声でこんなことも出来ますよ、って使い方もできるので、 どんどん便利に使われていくと思いますね。 自分たちが声を使ったものをたくさん作りたいって いうよりは、他のゲームをつくっているひとたちに じゃあどんなふうに使ってみますか?っていうのを 見てみたいですね。
而且,一边用控制器双手操作,一边用声音自然地做另一种输入,这意味着输入的多样性可以简单地增加,也可以作为附加价值直接用在既有游戏上——用声音还能做到这样的事,所以我觉得它会被越来越方便地使用。与其说我们自己想大量制作使用声音的东西,不如说想看看其他做游戏的人会怎么试着用它。
実際に自分でゲームを遊んでいると、 何階層にも及ぶメニューとかで どこに何があるのかわかんなくなることって 多いじゃないですか。 何をしたいのかははっきりしているのに。 自分が使うのはコレとコレとコレ、ってときに、 声でパッと言えれば、ゲームがもっと シンプルになると思うしね。
实际自己玩游戏的时候,不是经常会因为好几层的菜单而搞不清哪里有什么吗?明明自己想做的是很清楚的。当自己要用的是这个、这个和这个的时候,如果能用声音一下子说出来,游戏应该会变得更简单。
というところで(第3回の4) 「とにかく、あちこちで声をかけてみてください」 は終わりです。 「ピカチュウげんきでちゅう」を持っているひとは さっそく自分でもハエを飛ばしてみてくださいね。 次回は小澤さんインタビューの最終回をお届けします。
那么,(第3回的4)「总之,请到处试着搭搭话」就到这里结束了。有《皮卡丘你好吗》的人,请马上自己也试着让苍蝇飞飞看。下次将送上小泽先生采访的最后一回。
昨年末から今年にかけて、人気の64ソフトとなった 「ピカチュウげんきでちゅう」。このゲームをつくったのは アンブレラという若い会社のスタッフたちでした。 代表の小澤宗明さんに5回にわたって開発のお話を 伺ってきましたが、今回はいよいよ最終回です。 第一作を作り終えたいま、小澤さんたちが目指すこれからの ゲームづくりやゲームの可能性についてお話を伺いました。
从去年年底到今年,成为热门N64软件的《皮卡丘你好吗》。制作这款游戏的是名为Ambrella的年轻公司的员工们。我们分5次请代表小泽宗明先生谈了开发的事情,这次终于到了最后一回。第一作完成后的现在,我们请小泽先生谈了谈他们今后目标的游戏制作以及游戏的可能性。
(第3回之5)「我觉得玩游戏和沟通,其实处在非常接近的地方。」
アンブレラっていう会社の名前は、 そのときはやっていたゲームのなかに出てきた言葉です。 「バイオハザード」のなかに、 アンブレラっていう会社が出て来るんです(笑)。 秘密結社で(笑)。 会社名を何にするか、なかなか決まらなかったんですよ。 なにかに決まっちゃっていれば、そんなもんかなぁとか 思ったりすると思うんですけど、 何がベストか、とかって言い出すと、 個人個人で、それじゃイメージがどうだ、とか、 それは発音しにくいだとか、収拾がつかなくなってきてて。 いろいろ出たなかで、 「アンブレラ」っていうのは、 イメージするものがニュートラルで、 言葉の響きもいいんじゃないか、って感じがしたんで。 バイオハザードにこだわりたかったわけではなく(笑)。 あれこれといろいろな案が出たなかのひとつで だれかが、アンブレラは? って言い出して、 あ、それ、いいねえ、って言って、みんなで選びました。
Ambrella这个公司名,是当时流行的一款游戏里出现的词。《生化危机》里就有一家叫安布雷拉的公司(笑)。还是个秘密结社(笑)。公司名一直很难定下来。要是当初定成了别的什么,现在大概也会觉得“也就那样吧”,可一旦开始讨论什么才是最好的,每个人就各有各的说法,这个形象不对,那个发音不顺,越来越收不了场。在提出的各种方案里,“Ambrella”给人的印象比较中性,念起来的语感也不错。并不是因为对《生化危机》有什么执念(笑)。那只是众多方案中的一个,有人提出“Ambrella怎么样?”,大家说“啊,那个不错”,就一起选定了。
ほんとにふだんはみんな勝手なことをしてますよ。 でも、ちゃんと仕事が出来てるから、 それでいいんです。 仕事のしかたもほんとにひとそれぞれ。 机とイスで仕事してる人がいれば、床にタタミを 敷いてそのうえに座ってる人もいたりとか。 タタミを買ってきてね、床の上に敷いて、 そのうえにコンピューターを置いて、 座ってやってるひともいるんですよ。
平时大家真的都是各干各的。不过因为工作都能好好完成,所以那样就行。工作方式也真是因人而异。有人用桌子和椅子工作,也有人在地板上铺了榻榻米,坐在上面。还有人去买来榻榻米,铺在地板上,把电脑放在上面,坐着干活。
ぼくですか? ぼくはミカン箱のうえにノートパソコンを載せて やってるんですよ。 そのほうがやりやすいから(笑)。昔からそういうスタイルです。 広いとこにいると落ち着かないんで、 すぐに隅のほうにいって、座ってやっちゃう。 「そんなとこにいるなよ、寂しくなるから」とかって 言われるんですけど、それがぼくには合ってる。 自宅の部屋もそうしてるし。
我吗?我是把笔记本电脑放在蜜柑箱上干活的。那样更好干活(笑)。从以前就是这种风格。待在宽敞的地方我反而静不下心来,马上就会跑到角落里坐着干。别人会说“别待在那儿啊,怪冷清的”,可那样才适合我。自己家里的房间也是这样。
それぞれの仕事のやりかたを尊重しながら、 今後はスタイルが全然違うスタッフにも もっと働きやすい環境を用意したいし、 スタイルの違うスタッフ同士がうまくつきあっていける 環境については、どんどん考えて、 アイデアがあれば取り入れて行きたいと思っています。 ピシッと時間決めて働きたいタイプもいれば、 だらだらっとしつつも気分がのってきたときに ババッと集中してやりたい人もいるから。 どっちのタイプもいるから、 そのへんは難しいっていえば難しいんですけども。
在尊重各自工作方式的同时,今后也想为风格完全不同的员工准备更容易工作的环境;关于风格不同的员工之间能够顺利相处的环境,我也想不断琢磨,有好点子就采纳进来。有人是那种要把时间定得清清楚楚才肯干活的类型,也有人是慢悠悠地干着,等来了感觉再一口气集中精力。两种类型都有,所以这方面要说难也确实难。
必ず集まることになっている会議は いまのところ週に1回、月曜だけ。 とりあえずいま何してるか、みんなで報告しあおうよって。 じゃないと、8時間とか10時間の勤務時間のサイクルが まるっきりずれちゃって、 顔を合わせなくなる人が出てくるのでね。 お互いが顔が見えていて、話ができるようになってないと やっぱりだめですから。 ひとりひとりの仕事の能率だけで考えたら、 パーテーションで区切られてたり、完全に個室にして 自由に仕事するほうがやりやすいだろうな、とは 思うんですけど、 でも、直接、相手と話をしながらじゃないと まとまりがつかないことっていうことも絶対にあるから、 全体会議で方針を確認しながら、 細かな調整は関係者同士で、いつと言わず、 顔を合わせたときを見はからって話をして、 そこで決めていく、というやりかたで 「ピカチュウげんきでちゅう」はつくりました。 人の顔が見えるところにいるのって、大事だから。 あ、今日はあいつが来てるから、この話をして、ってね。 個々のパフォーマンスが仮にちょっと下がったとしても、 全体としては、ワンフロアにみんながいるのはいいですよ。
规定必须集合的会议,目前只有每周一次,星期一。总之就是大家互相报告一下现在在做什么。不然的话,8小时或10小时的上班时间周期完全错开,就会出现彼此照不上面的人。彼此能看见对方的脸、能说上话,这一点还是必不可少的。如果只考虑每个人的工作效率,用隔板隔开,或者干脆做成独立的单间,让大家自由工作,大概会更好干吧。可是,有些事不直接和对方谈就绝对理不出头绪,所以我们的做法是:在全体会议上确认方针,细节调整则由相关的人之间随时进行,瞅准碰面的机会谈,当场定下来。《皮卡丘你好吗》就是这么做的。能待在看得见别人脸的地方,这很重要。啊,今天那家伙来了,那就跟他说这件事。就算每个人的效率多少下降一点,整体上大家都在同一层楼里,还是好的。
こうして、とりあえず第1作めをつくったわけですけど、 自分たちはよい意味でも、悪い意味でも、 なんともゲームの世界の住人だなぁって気がしていますね。 ゲームとは全く違う世界に生きていたスタッフで 作っていたら、今とはぜんぜん違うものに なっていたかもしれないですね。 昔からゲームが好きで、ずっと遊んでいた自分たちが 作ったから、ゲームっぽい捉え方をしても、 ぎりぎりセーフになっているのかもしれないし。 そこらへんのバランスの良い悪いは 自分たちにはわからないんですけどね。 もちろん、作ったものに自信があるからこそ、これを どうですかって、世に出したわけですから。
就这样,我们先做出了第一部作品。我觉得,无论从好的意义上还是坏的意义上,我们终究还是游戏世界里的居民。如果是由生活在与游戏完全无关的世界里的员工来做,也许做出来的东西会完全不同。正因为是从以前就喜欢游戏、一直在玩游戏的我们做的,所以就算用游戏式的思路去理解,也勉强还算过关吧。这种平衡是好是坏,我们自己也不知道。当然,正因为对做出来的东西有信心,才会把它拿出来问大家“这个怎么样”,公之于世。
今回、音声の認識率が高いこと=ゲームとして楽しい、 とするかどうかについては、 意図的に除外した部分もあるんで、 音声認識として「声をかける」というだけじゃなくて、 いろいろな言葉を認識する、 言葉の違いを認識することができる、 という特徴をもっと活かしたゲームも、 つくってみたいなあと思ったりはしています。 その一方で、そういうのは、まあ、誰か作るだろうから、 自分はぜんぜん違うことをしようかなと思う部分と。 いろいろですね。
这一次,关于是否把语音识别率高等同于作为游戏好玩,我们有意识地排除了一部分。所以,不只是作为语音识别来“打招呼”,而是识别各种各样的词、能识别词语之间的差异,我想试着做一款更充分发挥这种特点的游戏。另一方面,这种事嘛,总会有人去做的,所以我也有一部分想法是,那自己就做点完全不同的东西吧。想法很多。
ネットワークに興味があるから、 それも、そのうちになんかやりたいなあと思っています。 なかなか、まだ、構想だけでも 長い試行錯誤が必要だ、というのが 今のところの感触なので、 いつになるかは、わかんないし、 あくまでもぼくの個人的な興味なんですけど。
因为对网络感兴趣,所以也想什么时候做点什么。不过目前的感觉是,光是构想就需要相当长的反复摸索,所以不知道会是什么时候,而且说到底这只是我个人的兴趣。
こどものころ、コンピュータが一個あって、 自分がいて、ずっと遊んでて。 で、モデムを買ってきて、電話線につないでみたら、 他の人のコンピューターとつながって、 データのやりとりが出来たりしてね、 それがすごく新鮮なことだった。 コンピュータがひとつあります、じゃなくて、 ふたつつながってるっていう感覚をイメージするだけで、 それで出来ることがまたずいぶん変わってくるなぁ、 と思ったし、それはとても楽しかったし。
小时候,有一台电脑,有我自己,一直玩着。后来买来调制解调器,接到电话线上,结果就能和别人的电脑连上,互相交换数据。那真是非常新鲜的事。不是“有一台电脑”,而是“两台连在一起”——光是想象这种感觉,能做的事情就会大不一样,我当时这么想,也觉得非常开心。
大学にいたころは、単純に技術的なレベルで、 データをやりとりできるってだけで すごく楽しくて。 学校のネットワーク上にパソコンを かたっぱしからつなげて、 2階の先生の部屋と、地下の自分の研究室とが 通じるようになったよ、っていって。 そういう得体のしれないパケット流すんじゃない、 って怒られたりとかしながら(笑)
在大学的时候,纯粹是在技术层面上,光是能交换数据就已经非常开心了。把学校网络上的电脑一台接一台地连起来,然后说二楼老师的房间和地下自己的研究室能互通了。结果被骂说别乱发那种来路不明的数据包(笑)。
そうか、なんでもつながるけど、 やっぱりそれだけだと混乱するから ルールが必要になるんだなあ、とかって学んで。 そういう技術的なことでね、 ネットワークにコンピュータを接続するということ、 データのなかにメッセージをのせて メールが送れるということ自体が、 ぼくにとっては面白いんですよね。 それは遊びとしても、 いろいろな人のいろいろな遊び方につながって、 きっととても楽しくなると思う。 そういうことをこれからもっと考えてみたいなあ。
我学到了,虽然什么都能连起来,但光是这样还是会混乱,所以需要规则。就是这类技术上的事情,把电脑连接到网络上、在数据里带上信息就能发送邮件,这件事本身对我来说就很有趣。作为娱乐,它也会连接到各种各样的人的各种玩法上,一定会变得非常有趣。今后我想更多地思考这些事情。
ネットワークをつかってゲームするとしたら、 いちばん面白いのはやっぱり、 「ほかの人とコミュニケーションできる」 ことだと思うんです。 それがメールだったり、チャットだったり、 電子掲示板だったり。 それとゲームがどういうふうに結びついていくのか という部分で、 これといった解がまだ見えていないような気がするんで そこをちょっと考えてみたいな、と。
如果要用网络来玩游戏,我觉得最有趣的果然还是“能和其他人交流”。那可能是邮件,可能是聊天,也可能是电子公告板。至于它和游戏会怎样结合起来,我觉得还没有一个明确的答案,所以想稍微思考一下这一点。
オンラインゲームとかもありますけど、まだ、なんか、 とってつけたようなのが多いんじゃないかなぁ。 いや、それでも十分面白いからすごいんだけど(笑)。 「ウルティマオンライン」とか「信長の野望」とかも、 同時にやってる人がいる、ということがおもしろいんで、 正解を見つけるとか、ゲームを進めることとは 関係のない話や雑談をしているのが楽しかったりして、 むしろそっちが本質じゃないかな、って思うから。
虽然也有在线游戏之类的,但我觉得很多还是有种硬加上去的感觉。不过,就算那样也已经足够有趣,所以很厉害(笑)。《网络创世纪》和《信长之野望》之类的,有趣之处在于有人同时在玩,大家聊着和找正确答案、推进游戏无关的话题或闲话,反而觉得那才是本质吧,我是这么想的。
ゲームをやるっていうことと、 コミュニケーションをとるっていうことは、 すごく近いところにあるんだろうと思う。 うまくその2つが絡みあっているようなかたちのものが、 面白いんですよね。 それがちゃんと出来たら素敵なことだと思います。 具体的にこれだっていうものが、 ぼくとしてもまだあるわけではないけれど、 いずれは出来たらいいなぁ、と思っています。 ポストペットなんか、すごくいいものだな、って思う。 あれも、たくさんある解のうちのひとつだし、 あれとは違うかたちのものも、きっとあると思うし。 ああいうかたちで考えた人もいるし、 また違うもので何をしようかな、って思う人もいるはずで、 いろいろな人がいろいろなことをしていけばいいんだしね。
我觉得玩游戏这件事和进行交流这件事,应该处在非常接近的地方。这两者能很好地交织在一起的形式,会很有趣。如果能好好做出来,我觉得会是很棒的事情。具体是什么,我自己也还没有,但希望将来能实现。像PostPet,我就觉得是非常好的东西。那也是众多答案之一,而且我想一定也有和它不同形式的东西。有人用那种形式来思考,也一定有人想用别的形式做些什么,各种各样的人去做各种各样的事情就好了。
これからも、自分たちから表現したいものは ゲームのかたちで作品として出していくつもりなので、 今はとにかく、 この「ピカチュウげんきでちゅう」を見てほしいなあ、 っていう気持ちです。 自分の口からああだこうだと言うのは 反則のような気がするんで。 言いたいことは作品として出す、そんな感じですかね。
今后,我们自己想表达的东西,也打算以游戏的形式作为作品推出,所以现在总之就是希望大家看看这款《皮卡丘你好吗》,就是这种心情。自己亲口说这说那,感觉有点像犯规。想说的话就作为作品拿出来,大概就是这种感觉吧。
このゲームをつくった人、っていうのがいるんだ、 っていうことさえわかっていてもらえれば、 ぼくらが次のゲームを出したときに、 アンブレラって、以前に、 「ピカチュウげんきでちゅう」を作った人たちよねぇ、 って言ってもらえると思うしね。 そうだったらいいよなぁ、っていうくらいで。 だから覚えといてください、ってことではなくね、 次は次でまた、次の作品で勝負しなくちゃいけないんだし。
只要大家能知道,是有做这个游戏的人存在的,那么等我们推出下一款游戏时,应该就会有人说,Ambrella就是以前做过《皮卡丘你好吗》的那些人吧。要是能这样就好了,大概就是这种程度。所以并不是说请大家记住,下一次又要靠下一部作品来决胜负。
まだ、ピカチュウとかポケモンとか、任天堂とか、 名前でぜんぜん負けてると思うんで(笑)、 アンブレラって名前も、 もっとアピールしてかなきゃいけないんですけど。 でも、それは作る人がわかってればいいことかなぁ、 とも思うんで、作る環境にいる人たちがわかっていれば、 ゲームをする子どもたちにとっては 誰が作ったか、どういう会社か、なんてことは ぜんぜんどうでもよくてね、 ただ買ってきたゲームが面白いかどうか、だから。
皮卡丘、宝可梦、任天堂这些名字,现在还完全赢不过(笑),Ambrella这个名字也必须更多地宣传才行。不过,我觉得做的人自己明白就好了,只要在做游戏的人明白就行,对玩游戏的孩子们来说,是谁做的、是什么公司,完全无所谓,只是买来的游戏好不好玩而已。
アンブレラって何? っていっても、むずかしいですよね。 ただ単に、今いるスタッフに「アンブレラ」っていう 同じラベルをつけているという、ちょっと乱暴な言い方も 出来るわけだから。 アンブレラっていう「実体」があって、 そこに人がいる、ということではないから。 アンブレラ自体、どんどん変わっていくものだと 思っているし、そうありたいなあ、と思っています。 もちろんひとつの会社ではあるんだけど、 他にやりたいことがあったりしたらどんどんやればいい、 自分がいちばんやりたいことをやっていけばいいんです。 スタッフ個人個人がそういう自覚を持ちながら、 仕事するということが会社にとっても大事だし、 もっとやりたいことができる場がよそで見つかったら、 そっちでがんばってほしいなと思うし。 ここでなら自分がやりたいこんなことができそうだ、 と思った人に、アンブレラに入ってきてほしいしね。
要问Ambrella是什么,也很难说清楚。也可以说得粗暴一点,就只是给现在这些员工贴上了“Ambrella”这个同样的标签。因为并不是先有Ambrella这个“实体”,然后人在那里。我认为Ambrella本身是会不断变化的,也希望它是这样。当然它是一个公司,但如果有其他想做的事情,就不断去做就好,做自己最想做的事情就好。每个员工都有这种自觉去工作,对公司来说也很重要,如果在别处找到了更能做自己想做的事情的地方,我希望他们去那边努力。觉得在这里能做成自己想做的某件事的人,希望他能加入Ambrella。
大学のサークルみたいな会社に思われたりもしてるけど、 システマティックにものを作っていくって感じだったら、 既存の組織で、十分うまく作れるところがあると思う。 でも、クリエイターはどんどん新しいものを 作っていく必要があるし、 そしたら、プライベートな部分も含めて、 型にはまらずに、自由にやりたいことが出来て、 しかもそれが仕事に生かせるような環境のほうが いいと、僕は考えていますから。 もちろん、一人ではなく、人と一緒にやる仕事だから、 ある程度はきちっとした型にはまらなければ 出来ない部分もあるし、 そのへんのバランスはまだまだ模索中ですけれど。
虽然有时会被认为像大学社团一样的公司,但如果是要系统化地制作东西,我觉得在现有组织里,有能做得足够好的地方。但是,创作者必须不断做出新的东西,所以包括私人部分在内,不被条条框框束缚,能自由地做想做的事,而且还能把它活用到工作中,我认为这样的环境更好。当然,这不是一个人做,而是和人一起做的工作,所以某种程度上也必须遵循一定的框架,有些部分不这样做就做不成,这方面的平衡还在摸索中。
ひとつ終わったあとで、 じゃ、次をどうするかって考えたときに、 それぞれの人が自分のベストだと思う選択ができること。 僕自身がある日突然、ひとりにさせてくれ、って 言いだすかもしれないし。 そういうことが実現できる場であってほしい。
一件事做完之后,当思考接下来要做什么的时候,每个人都能做出自己认为最好的选择。我自己也可能某天突然说,让我一个人待着吧。我希望这里能成为实现这种事情的地方。
マリーガルというパートナーと巡り合えたことは ものすごく幸運なことだと思います。 でも、この幸運は、自分から行動していたからこそ 出会えた幸運だと思っています。 自分が好きに出来る場所は自分で作らなきゃいけない。 それはものすごく大変なことでもあるんだけど、 いくら大変だとしても十分その価値はあることだと思うし、 ぼくらみたいなやり方が成り立つための基礎としては、 個々の力が、いつでも、ひとりひとりになっても、 どこでもやっていけるよっていうくらいじゃないと、 だめだと思うんですね。 そもそも存在不能じゃないかな。 一人っきりになったとたんに飢えて死んじゃう(笑) だけの能力だと、つらいよね。 一人でもなんでも出来るし、やっていけるけど、 でもこのひとたちといるともっと違うことが出来るから アンブレラにいるんだよ、っていうのが 素敵なことなんじゃないかな。
能与名叫玛丽格尔的伙伴相遇,我觉得是非常幸运的事。不过,我认为这份幸运,正是因为自己主动行动才遇到的幸运。自己能自由发挥的地方,必须自己去创造。这虽然也是非常辛苦的事,但无论多辛苦,我认为都完全值得,而且作为我们这种做法得以成立的基础,每个人的力量,无论何时,即使变成一个人,也必须达到在任何地方都能做下去的程度才行。否则根本不可能存在吧。一旦变成孤身一人就饿死(笑),只有这种能力的话,会很痛苦吧。一个人什么都能做,也能活下去,但正因为和这些人在一起能做更多不同的事,所以才待在Ambrella,我觉得这样才美好。
いかがでしたか? 「ピカチュウげんきでちゅう」アンブレラ小澤さんへの インタビューはこれでおしまいです。 次回からは、これまたただいま大好評発売中の64ソフト 「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」 を取り上げて、スタッフインタビューなど楽しい話を たくさんお伝えする予定です。お楽しみに!
感觉如何?对《皮卡丘你好吗》的Ambrella小泽先生的采访到此结束。从下次开始,我们将聚焦同样正在好评发售中的N64游戏《任天堂全明星!大乱斗》,为大家带来许多工作人员采访等有趣的内容。敬请期待!